50 特別な味、零れる気持ち 後編
映像を見て、状況は把握していたのだろう。
突然ワゴンがやって来ても、控室のケント・ウルは全く驚かなかった。
受付カウンターの隅っこをテーブル代わりにして、何かの作業をしている。
珍しい事ではない。ケントは入室待ちの時、よくそうしていた。
「ケントさんにもって、ロサちゃんが。はい、どうぞ」
手早くあんぱんを小皿に乗せたマナ・カムナギは、邪魔にならないよう、そっとカウンターに置く。
「ありがとうございます。喜んで頂きます」
「飲み物は、どうしますか?」
「コーヒーを、ブラックでお願いします」
「はい、すぐにご用意しますね」
ワゴンといっても、ただ物を乗せて運ぶだけではない。
自走もすれば、保温や保冷機能もある。すぐにミルクを温める事ができるし、お湯を沸かす事もできるので、ある程度の飲み物にも対応ができる。
お湯が沸くまでの数秒間、ソミアにも、受付カウンター越しにお裾分けをする。
ブラックコーヒーなら簡単だ。
カップにコーヒーキューブを二つ入れ、お湯を注ぐだけ。
軽くマドラーでかき混ぜてから、小皿の横に、コースターを敷いて置く。
「はい、どうぞ。……ロサちゃん、いい子ですよね。シノちゃんも楽しそうです」
「…………」
補助視界で映像をチェックしているのだろう。
ケントは何も言わず、厳しい表情で前を見つめている。
「あの……、何か気になる事でもありましたか?」
マナも自分の補助視界で部屋の様子を確認する。
撮影用ではなく、治療院側の映像だ。
これほどの大ケガをした入院患者にしては、元気なほうだとは思うのだが、何がケントを不安にさせているのかと考えながら、もう一度よく見る。
アゴに手を添えて考え込んでいたケントが、顔を上げた。
「あっ、すみません。その……、シノさんの様子が、まだ何か無理をしているように感じたので」
「無理を……ですか。そうですね。注意深く見守ることにします」
「子供同士で気兼ねなく話すことができたら、少しは気分が変わるかと思ったのですけど、なかなか上手くいきませんね」
「子供でも、初対面同士だったら相手に気を使ったり、好きなものや嫌いなものを探ったりしますからね。それに、二人を繋いでいるのは命を落とされたクルックさんですから、少し慎重になっているのかも。シノちゃん、大人っぽいですから」
ふむふむとうなずきながら、コーヒーをひと口飲んで、再び考え込むケント。
しばらくして、妙案を思いつく。
「ちょっといいですか? マナさん、ソミアさん、少し相談したい事があるんですけど……」
声をひそめて告げられたケントの提案に従って、ソミアがすぐに確認を取る。
そして……
「先生の許可は頂きました。治療院側としては問題ありません」
「ありがとうございます。それでは、あとはこちらの仕事ですね……」
どこかに連絡を取っているのだろう。
なんだか大変そうなケントを見ながら、あんぱんをもうひとつずつ配ったマナは、微笑みながら頭を下げて、ワゴンと共に病室へと戻っていった。
ロサとシノは、かなり打ち解けた様子だった。
主に話しているのはロサだが、シノも笑顔で応対している。
邪魔にならない場所にワゴンを移動させ、自分の分を用意したマナは、部屋の隅へと戻ってあんぱんを食べ始める。
一般的なパン生地とは違って、ふわふわで少しもっちりとしたパンの中に、なめらかで上品な甘さの餡が詰まっている。
小豆の粒々はしっかりとしているが、噛むと独特の歯ごたえを残して砕け、不思議と皮が口に残らない。
確かにこれは美味しい。
法術で作られる既製品とは、格が違う。
ホットミルクと一緒に頂くと、引き立てられた甘さが、口一杯に広がるのも楽しい。
マナが心の中で差し入れを絶賛している間に、さっきまであんなに楽しそうにしていたロサが、少し困ったように話題を変えた。
元々、ロサがシノに会いたかったのには理由があった。
その為に来たのだから、ただ無邪気に喜んでばかりはいられなかった。
「あのね、シノ……、その、今日はワタシ、シノにありがとうって言いたかったんだ」
それを聞いて、キョトンとするシノ。
「えっ? 無理を言ってお願いしたのはこっちだよ?」
うつむいたロサは、ゆっくりと頭を横に振る。
「前から面会のお願いをしてたんだけど、全部ダメになっちゃって。じゃなくて、シショーのことで……」
それを聞いたシノの身体が微かに震えた。
とはいえ、本当に微かだったので気付いたのは隣のシズヒと、注意深く観察していたマナぐらいだろう。
シノの表情は全く変わっていないので、気のせいかと思えるほどだが、間違いない。
「その、クルックさんには命を救っていただきました。それに……、助けてあげられなくて、ごめんなさい……」
その言葉に驚いたロサは、立ち上がってシノの右手を、両手で大事そうに、だがしっかりと握る。
見つめる瞳は力強く、そうじゃないのだと訴えている。
「セル兄から聞いたよ。大ケガしたシショーが、最後の力を使って頑張ったって。でも、シノがいなかったら、シショーは英雄になれなかった………あれ? ちょっと違ったかな。えっと……」
「そんなことは……」
「シノが命がけで、シショーに協力してくれたから、バルドーを浄化することができた。そのおかげで、シショーが英雄なれた……だったかな」
セルネイの言葉を思い出しながら、カタコトになりながらも、一生懸命伝えようとしている。
「だから、セル兄やみんなが助かったのは、シノのおかげだって。だから、ありがとう」
「でも……」
「セル兄が言ってたよ。たぶんシノは、シショーがギセイになったことを気にしてるって。でも、シノのおかげでバルドーを浄化できたんだから、シショーは満足してるはずだって」
ロサは、握っていたシノの手に力を込め、顔を近づける。
とても晴れやかな笑顔だ。
「そうだ、シノ。お友達になろっ。面会はできないみたいだけど、時間のある時でいいから、念話とかメッセージで、もっといろいろ話をしよっ」
それを聞いて、シノは表情を曇らせる。
「シノ……、ワタシとお友達になるのはイヤ?」
「ううん、そうじゃない! けど……」
一瞬、悲しそうな表情を浮かべたが、困ったような笑顔を浮かべて、シノが告白をする。
「私の守護者……フィセーリアが消えちゃったみたいで、支援がなくなっちゃったから、念話とかできなくなっちゃって。たぶん、法術も使えない」
「えっ? そんなことって……あるの?」
驚き、目を丸くしたロサは、助けを求めるようにシズヒを見つめる。
そのシズヒは、素早くケントから許可を取り付けると、微笑みながら答える。
「フィセーリアの反応がないみたい。先生も詳しくは分からないらしくて、回復するかどうかも分からないって」
「シノ……、術士じゃなくなっちゃうの?」
「それは難しい質問かな。このまま戻らなかったら、術士としてのお仕事は出来なくなっちゃうけど、シノちゃんは世界を救った英雄だからね。まさか追い出したりはしないと思うけど……」
なにせ、法術が使えない術士というのは聞いた事がないので、どのような対応がされるのか、全くの未知数だ。
「それに、法術が使えなくなった事を悪く言う人がいたら、みんなが許さないと思うし、術師協会も許さないと思うよ」
この部分の映像は使われないだろうと思いつつも、シズヒは視聴者を意識して答える。
要約すると、世界を救った代償で法術が使えなくなった英雄を、まさか術師協会が見捨てたりするはずはないよね……と、暗に釘を刺しているのだ。
それを聞いて、ロサは難しい顔をして考え込んでいる。
「だったらワタシ、シノのデシになる。シショーも立派なお仕事だよね」
いきなりの提案、しかも、子供らしい自由な発想に、全員が耳を疑った。
言葉を反すうして、ようやく理解したシズヒが、真剣に答える。
「それには、いろいろと問題があるかな。今のままだと、かなり難しいと思うよ」
「ダメなの?」
「違う術士会の人に弟子入りするのは、かなり難しいと思う。それに、シノちゃんは、ケントさんの弟子だから、まだ弟子が取れる立場じゃないの。それに……師匠ってお仕事じゃないからね」
「そうなんだ」
そう言いつつも、明らかに納得していない様子だ。
「なんでロサちゃんは、シノちゃんの弟子になりたいって思ったのかな?」
「えっとね、シショーとデシなら、自由にここにこれるでしょ? せっかく仲良しになれても、会えないし、連絡もできないって、寂しいかなって」
そういう訳でもないのだが、言いたい事は分かった。
発想自体は悪くはないが、現実的ではなかった。
「ねぇ、シノ、ワタシがここに来たら、迷惑?」
「そんな事ないよ。話したい事もいっぱいあるし」
なんともズルい問いかけだが、ロサにその自覚はない。
それに気付いたシノは苦笑しつつ、本心から否定する。
すると、意外な人物から、意外な提案が飛び出した。
「それでしたら、ロサちゃんには、シノちゃんのお世話係をしてもらいましょうか」
「うん、する」
黒髪看護師の提案に、ロサは即答する。
それに代わって、シズヒが問いかける。
「お世話係……ですか?」
「はい。ロサちゃんには、好きな時間に来ていただいて、シノちゃんの話し相手や、相談相手になってもらえればと思うのですけど」
「二人がよければ……って、もうすっかり、その気になってますね」
二人は顔を見合わせて、微笑み合う。
実のところ、これはケントの相談事……というか、お願いだった。
なにか理由をつけて、今後もロサが、シノと自由に会えるよう取り計らって欲しいというもので、シズヒにもその指示が届いていた。
特に打ち合わせをしたわけではないが、これなら映像的にも、自然に話がまとまったように見えるだろう。
「ごめんなさい、もうすぐ診察の時間なので、今日はここまでにしてもらってもいいでしょうか」
「あら、もうこんな時間」
気が付けば、いつの間にか二時間以上も経っていた。
互いにお礼を言い合って、ロサたちは控室へと出て行った。
珍しく、ひとり病室に残されたシノ。
もちろん、詰め所のソミアが見ているだろうし、治療院の映像で記録もされているだろう。だから、完全なひとりではないのだが……
いつもなら気にしないが、ロサとの賑やかな時間を体験したからか、なんだか寂しい気持ちになる。
ふた口ほど残っていたあんぱんの欠片を、冷めた牛乳と共に口へと放り込み、その美味しさを噛みしめる。
それにしても……
「ロサって、いい子だよね。お世話係って言われるとちょっと変な感じだけど、また来てくれるかな。今度はイチゴも……」
シノは、目を覚まして状況を理解してからは、自分が落ち込んでいたら周りが心配すると思い、できるだけ明るく振る舞っていた。
バッフス平原でのことも、自分なりに気持ちの整理をつけたつもりだった。
でも、ずっと心に残っていたクルックとの約束を果たした事で、少し気が緩んでしまったのだろう。無意識のうちにハツツミイチゴに話しかけてしまった。
もちろん、返事はない。
姿を隠していても、遠く離れていても分かっていたハツツミイチゴの存在が、今は全く感じられない。
それは、ハツツミイチゴが消滅したのだと思い知るのに、十分な証拠だった。
たぶん、自分を生かす為に、その身を犠牲にしたのだろう。
分かっていたはずなのに、呼びかけてしまった。
呼びかけたことで、寂しさに気付いてしまった。
不意に視界が歪む。
「え? あれ……」
だめだ、みんなが心配する。
そう思ってはいるが、滴り落ちる雫がシーツを濡らしていく。
慌ててタオルで顔を覆うが、決壊した感情は止まらなかった。
必死に声を殺そうとするが、我慢が出来ない。
ひとり残された病室で、シノは声を漏らしながら泣き伏した。
その光景をロサが見てしまったのは、本当に偶然だった。
お世話係という名目だが、担当医の権限で、シノ専属の見習い看護師として採用されることになった。治療院の職員であれば、堂々と会いに来る事ができるという配慮だ。
それならば、ちゃんとやりたいと思ったロサは、控室で説明を受けていた。その一環で、治療院の録画映像の権限確認をしていた時に、むせび泣くシノを見てしまった。
「もしかして、ワタシのせい? どうしよう……」
可哀想なほど動揺し、病室に飛び込もうとするロサを、ケントが必死に止める。
「落ち着いてください、ロサさん。これでいいんです」
「なにがいいの? シノ、あんなに苦しそうだよ?」
「今までずっと、私たちに気を使って平気なふりをしてましたけど、辛い時には泣くことも必要なんですよ。今は思いっきり泣かせてあげてください」
「でも、よしよししてあげないと」
その言葉にケントは衝撃を受ける。
誰かが近くにいれば、シノは思いっきり泣けないと思い、遠くから見守ることしか考えていなかったが、確かに思いっきり甘えさせてあげるという方法もある。
そうなると、師であるケントよりも、シズヒのほうが適任だが……
「それでは、ロサさん、シノさんの事をお願いしてもいいですか?」
この人選が正しいのかは分からないが、守護精霊を喪った痛みが原因なら、シズヒよりも、同じように師匠を喪ったロサのほうが適任だと思えた。
「うん、任せて。しっかり、よしよししてくるね」
ぴょこんと頭を下げて、病室へと戻っていくロサを見送りながら、ケントは深々と頭を下げた。
何のことは無い。
ロサは、よしよしするどころか、クルックの事を思い出して号泣してしまった。
しかも、二人で大泣きした後は、ロサのほうが、シノによしよしされていた。
だけど、その効果は大きかったようで、シノは照れながらも晴れやかな表情を見せている。
診察の準備のために病室へと入ったマナと入れ替わるようにして、照れ笑いを浮かべながらロサが出てきた。
「ごめん、よしよしされちゃった」
「いいのよ、ロサちゃん。ありがとう」
ロサを抱きしめたシズヒが、感謝を込めてよしよしと頭を撫でる。
それをくすぐったそうにしながらも、受け入れている姿を見ながら、ケントは帰宅の準備が整った事を確認する。
「ロサさん、今日は本当にお疲れ様でした。それに、シノさんの事も、ありがとうございました。明日、映像編集の打ち合わせをしますので、また協力をお願いしますね」
「うん、わかった。放課後になったら連絡するね。それか、こっちに向かった方がいい?」
「移動中はオニールさんにお任せしてありますので、彼の指示に従って頂けると助かります。それでは、そのオニールさんが下で待ってくれていますので、外まで一緒に行きましょうか」
「うん、また明日ね」
もちろん扉は閉まっているし、シノには聞こえないし見えないのだが、ロサは病室に向かって手を振り、控室を出た。