04 ノルトの収集者 その一
浮箱内の空気が重い。
というのも、いつもは率先して騒いでいるキャラット・フラムが、どんよりと落ち込んでおり、慰めれば慰めるほど落ち込むという負のスパイラルに陥っていたからだ。
元々、成績の偏りが激しかったが、今回のテストは苦手分野というわけではないのに、どういうわけか不運が重なって九点だった。もちろん百点満点で。
最低記録を大幅更新したキャラは、師匠にどう説明しようかと頭を悩ませていた。
そんなわけで、どうにも慰めようがない。
ドゥエル・ミェルパも知恵を絞ってはみたが、すでに結果は伝わっているはずなので、逃げるか、言い訳を考えるか、素直に謝るか……ぐらいしか思い浮かばない。
「やっぱり素直に謝るのが一番だね。なぜこうなったかを話して、しっかり怒られるしかないよ」
「そうだよね。正直に事情を話して怒られるのが、一番良い方法かと。下手に隠したり、言い訳をしたら、それこそもっとヒドイ事になりそうだし」
ドミの出した結論に、シノ・カグラザカも同意する。
キャラ自身も半ば諦めの心境で、それしかないとは思っているのだが、いまいち覚悟が決まらない。
「テスト中に居眠りとか、キャラっぽいけど……」
そうなのだ。ほとんど空欄なのだから、これでは全く言い訳のしようがないし、他の理由を考えることもできない。
幸いにも……と言えばいいのか、記憶の無い中でも名前だけはしっかりと書いていたようで、零点だけは免れていた。
だが、そんな事は、何の慰めにもならない。
無情にも浮箱は進み、間もなくロビーに到着すると告げて来た。
少し遅れて、シノの頭の中で呼び出し音が鳴り、補助視界に、着信相手の顔と名前が表示される。
フレディだ。
補助視界は、術士の視界に割り込ませて情報を見せる術式だ。
すぐ目の前に透明な板があって、そこに張り紙がされているような感覚だが、他人には見えない。これの便利な所は、張り紙を手に取って動かしたり、拡大や縮小も思いのまま。メモを書き足したりもできる。
用途は様々で、方角や地図を表示したり、行き先に向かう矢印を表示させて道案内させたりもできる。
「あっ、念話だ。ちょっと、ごめんね」
二人にそう断って、念話を繋ぐ。
『フレディさん、お久しぶりです。何か急ぎの用事ですか?』
『おお、スマン。今ちょっといいか。例の日取りが決まったんだが』
『例の……って、何かありました?』
『あー……、かなり待たせちまったからな。ファレンシアでコトリの実戦を見るってヤツだ。なかなか条件に合うものがなくてな。やっと、都合がつきそうだ』
シノは別にボケているわけではない。
約束から、すでに二か月ほど経っていたので、単純に忘れていたのだ。
『あー、そんな話、ありましたね』
『日程とか、一応そっちの守護者とすり合わせたんだが……』
補助視界にメモ書きが表示される。
『その日なら、大きなイベントもないですし、大丈夫です。何も用意しなくても、いいんですか?』
『必要なモノはこっちで揃えるし、手続きもこっちで済ませる』
『この……実地学習ってなんですか?』
『学園が認めた特別野外学習ってヤツだ。こうしておけば評価の対象になるし、この期間、出席扱いになるからな。感想文ぐらいは書かなきゃならんが、学園に報告するのはその程度だ』
『そうなんですか……。はい、わかりました』
『じゃあ、もし何か疑問とかあったら、いつでも連絡してくれ。こっちも、何かあれば知らせる』
『はい、お願いします』
最初に話を聞いた時は、行けるなら行ってもいいかな……って感じだったが、実際に行くと決まれば、楽しみになってきた。
………?
補助視界越しに、二人の姿が見える。
すでに浮箱は止まっているようだ。
「到着したの?」
「とっくにね」
なんだがドミがニヤニヤしており、キャラも不思議そうに見つめている。
「なんだかシノちん、ニッコニコしてるから、何かいい事があったのかなって」
「術士会の人に誘われて、今度ファレンシアに実地学習に行くことになったの」
「えっ、いいなー。私も行きたーい」
実地学習は、行きたくて仕方がないか、怖がって行きたがらないか、大きく分かれるところだが、どうやらドミは行きたいほうらしい。
キャラはと言えば、すでに何度も行っているので、特に騒ぎ立てることはない。だが、その内容は気になるようだ。
「シノちん、どこへ行くの?」
「う~ん、よく分からないけど東の果てだって」
「東の果て……アルマータだよね。シーマだったら海産物、ノルトだったらお肉と山の幸だね。楽しそう」
「食べ歩き……じゃないと思う。実戦を見せてくれるんだって」
それを聞いてキャラの表情が変わる。どうやら興味津々だ。
対してドミは、ドン引きしている。
「えっ!? シノ、あんた戦うの?」
「違う違う、私は見学だよ」
「見学って、危険じゃないの?」
「護衛してくれる人がいるから、大丈夫……なはず、たぶん……」
堕ちたるモノを見に行く、と言っているのも同じなのだから、ドミの反応が正しい。どっちかと言えば、キャラの反応がオカシイのだが、術士会ラプター所属と言われれば、皆は納得する。
ちなみにこの後、散々たるテスト結果を報告しに師匠の元へと向かったキャラだが、どういうわけか全く怒られず、それどころか、体調や精神面を非常に心配されて申し訳ない気持ちで一杯になったらしい。
ファレンシアに行くとなれば、まず日帰りなんてことはない。
数日がかりの旅になるのだが、目的地が東ファレンシアであれば、サポート体制や道路なども整っているので、まだ楽なほうらしい。
指定の時間より少し早く、シノは言われた通り手ぶらで術師協会のロビーへとやってきた。
後から現れたコトリも手ぶらだ。これから戦いに行くようには見えない。
とはいえ、手ぶらなのも当然だ。荷物は全部、術式で倉庫に入れてあり、必要になればいつでも取り出せる。
なので、手ぶらという指示は、特別に何かを用意する必要はないという意味だ。
「よし居るな。早速行こうか」
「あ、あの……、フレディさんは?」
「先に行って、手続きをしている」
やはりと言うか、コトリがそこに居るというだけで、皆の視線が集中する。
シノは補助視界を操作して帽子を倉庫から取り出し、深くかぶる。
目立たないというのは無理なので、せめて変装……にはならないが、何もしないよりマシだろうと、顔を隠すようにして追いかける。
向かった先は浮箱乗り場。
いつも乗り慣れた四人乗りの浮箱だが、小さな女帝と二人っきりというのは緊張する。
とはいえ、周りの視線に晒されないというだけでも、気が楽だ。
ここには二人しか居ないので、顔を隠す必要もない。帽子も倉庫の中に入れた。
なにはともあれ挨拶だ。さっきは、挨拶をする暇もなかった。
「イマイさん。本日はお招きいただき、ありがとうございます。しっかりと勉強をさせていただきますね」
「そんなに畏まらなくていい。こっちこそ、変なことに巻き込んで済まない。私のことはコトリでいい」
「あっ、はい、コトリさん。私もシノって呼んで下さい。最初は分からないことだらけで不安もありましたけど、今は楽しみにしてますよ」
「それなら良かった。何かトラブルが起こっても、全てフレディの責任だから、シノは自分の命を守る事だけを考えればいい。最悪の場合でも各地にある報常神社に逃げ込めば、ここへ戻ってこれるからな」
「はい、分かりました」
移動中は会話こそ少なかったが、雰囲気は悪くなかった。
それどころか、安心感に包まれて、穏やかな気持ちになれた。
一向に戦いに行くという雰囲気にはならなかったせいか、シノは全く不安を感じないまま、フレディの待つ施設まで来ることができた。
「よう、待ってたぞ。準備は全部整った。すぐにでも行けるぞ」
「それじゃあ、行こうか」
さすがに、フレディもコトリも慣れたもので、阿吽の呼吸で話が進む。
シノは、何がなんだか分からないまま、二人を追いかけて部屋に入った。
ここは見覚えがある。ファレンシアからここに来た時の部屋だ。
「緊張する必要はないぞ、カグラ。ピカッと光れば、あっという間にファレンシアだ。……って、そんな事、知ってるよな」
「そうですね。でも、最初は驚きました。こんな場所があるんだなって。でもさすがに、死後の世界とは思いませんでしたけど」
「よく例に出てくる体験談だな。さすがにアレはないよな」
そんなことを話している間に、転送が完了した。
徐々に強くなった光が、今度は収まっていく。
転送前はツルツルの床と壁だったが、今は木造の部屋だ。
「さあ、行くぞ」
サッサと歩き始めるコトリを、二人が追いかける。
部屋の外は、別世界だった。
……まあ、転送されたのだから別の場所なんだが、雰囲気がまるで違う。何世代か前にタイムスリップしたような感じだ。
とはいえ、シノにとっては懐かしい風景だ。
もちろん、こんなに立派な建物には、あまり縁が無かったが、この雰囲気は故郷由来のモノだ。
靴を消して、縁を避けて畳を踏む。
この感触、この香り、この空気も懐かしさと共に安心感を覚える。
「ちゃんと靴を脱いだな。偉いぞ」
「秋津では、当然ですよ」
「それはスマン。そうか、シノは秋津の出身か」
とはいえ、ここは秋津ではないことは分かっている。
東ファレンシアのほぼ中央に位置する、レミア族が管理している、霊峰ミレーヴに抱かれし隠された町、その名もレミアだ。
この建物は宮間大社と呼ばれ、術士たちがファレンシアで活動するサポートをするための施設だ。待ち合せや準備、作戦会議などをする。
「そんな所に立っていたら邪魔になる。部屋はこっちだ」
転送陣はいくつかあり、出来るだけ他の人と顔を合わさないように配慮されている。なのに、こんな場所で突っ立っていたら、後の人が使えない。
急いでコトリについて行く。
廊下も裸足でいいようだ。
シノの補助視界に、何かの印と共に『待機部屋』という文字が表示される。
そこへ向かえばいいようだ。
部屋に入ったコトリは、大きく息を吐いて座椅子に座る。
フレディは座椅子を使わずに足を伸ばして座布団に座っている。
シノは茶櫃を開け、入っていた三色団子を取り分けると、茶釜に湯がちゃんと入っていているのを確認して、テキパキとお茶を淹れる。
「ほう、見事なものだな」
「なんか、すげぇな。職人技みてぇだ」
お茶を点てているわけでもないのに、急須でお茶を注ぐだけで、そんなに褒められると困ってしまう。
シノは少し照れながら、自分の分も用意して座布団に正座する。
団子がとても美味しい。
「じゃあ、ひと息ついたところで説明を始めるが……」
フレディの説明は、こうだ。
東ファレンシアと南ファレンシアの一部をアルマータと呼ぶのだが、そのアルマータの東の果てに、ノルト族が住んでいる一帯がある。俗に言う、ノルト領だ。
今回、そのノルト領にある町、スレスの近くで、Eランクの堕ちたるモノが目撃された。
タイプは堕人の収集者らしいが、まだ未確定なので、その調査から始める。……ということだ。
「まあ、脅威度も低いし、面倒な上に評価も低いから残ってたような依頼だ。情報通りなら危険も少ないだろう。ここで現地人に見えるように着替えて、小道具なんかも揃えて、向こうへ行くことになる」
ここから、ノルトまではかなり距離があるが、旅が順調に進んでも徒歩で十日、馬車で六日はかかる。
旅にはトラブルがつきものだし、向こうですぐに堕人を見つけて倒せるとは限らない。
普通に考えればひと月ほどかかる計算になるが……
この隠れ里レミアから山を下った先に、レミア領の首都エラントがある。そこには、希望の女神アスカノミヤチコが祀られた報常神宮があり、その分社である報常神社が、各地に存在している。
術士ならば、ここ宮間大社と各地の報常神社との間を、転送で瞬時に移動することができる。その上、現地では仲間がサポートをしてくれる。
もちろん、報常神社はノルトやその周辺にもあるので、大幅に時間を短縮することができる。
「どう……でしょうか。これで合ってますか?」
別室で着替えて戻ってきたシノは、不安そうに自分の衣装を眺める。
アルマータでは標準的な服装らしいが、いまいち着こなしに自信が無い。
服にはボタンが無く、紐でくくったり締めたりするので、力加減などが難しい。
案の定、少し間違っていたようで、コトリが丁寧に直してくれる。
それでもやっぱり、少しぎこちない雰囲気が残る。
コトリやフレディは既に着替えていた。
適度に気崩しており、すっかり馴染んでいる。
別室には服だけでなく、アルマータの貨幣や身を守る武器なども置かれていた。
シノにも護身用の短刀と、お金を少々渡される。
銅貨は十数枚を袋に入れて懐に、銀貨は数枚だけ服の裾に隠し持ち、残りは術式で倉庫に入れておく。短刀も倉庫に入れておけば、無くすこともないし、いつでも取り出せる。
火おこしの道具や毛布など、ひと通りの生活必需品を倉庫に入れて準備完了。
あっという間に転送も終わり、術師協会のロビーに着いてから一時間もしないうちに、シノはアルマータの東の果てに立っていた。
転送されてきた報常神社は、ノルト領の首都ノルトの西側にある小さな集落にあった。なので、神社も少し寂れた感じになっているが、中は掃除も手入れも行き届いていて綺麗だった。
目的地のスレスは、首都を超えた西の方なので、まずは首都に滞在して情報集めをすることになる。
とはいえ、まさか「術士でーす、堕人を退治しに来ましたー」なんてことは公にできない。なので、何か適当な理由が必要だ。
とはいえ、十九歳のフレディ、十六歳のコトリ、十二歳のシノだと、一緒に旅をしているにしても、どんな理由にするか困ってしまう。
「まあ、三兄妹ってことにするしかねぇだろうな。それか、二手に分かれるか」
そうなれば、必然的にコトリが単独行動になる。
だが、少女がひとりで旅をしているというのも、不自然だ。
「どちらでも構わないが、どのみち私は単独行動になる」
薄汚れた外套をまとったコトリは、少女という雰囲気は消え、腰の剣も相まって強者の風格がにじみ出る。
「だったら、こうだな。オレとカグラが兄妹で、コトリは用心棒として雇った。オレたちは観光の旅で、コトリはここに探し人がいるから同行した。そんな設定でいいだろう。オレはルド・ヘミル。で、その妹シノ・ヘミル。用心棒トリ・アンバーってとこかな」
「了解した」
ファレンシアでは、常に同じ設定にしておいたほうが便利だ。そのほうが演技がし易いし、知り合いも増えて協力も頼みやすい。
今回は初めて同行する三人だから、新しく設定を作ったが、これもシノの勉強と思えばこそ。今後もファレンシアで活動するのなら、こういう事にも慣れておいたほうがいい。
「じゃあ、私はフレディ……じゃなくて、ルドさんのことをお兄ちゃんって呼べばいいですか?」
何気なく放ったシノの言葉が、フレディの心に突き刺さる。
確かにそういうことになる。……なるのだが、なんだか背徳感がヤバイ。
「そ、そうだな……、そのほうが自然だよな」
「おい貴様、声が裏返って目も泳いでいるようだが、まさか良からぬ妄想を抱いているわけではなかろうな」
「バ、バカ言うんじゃねぇよ。呼ばれ慣れてねぇから、ちょっと戸惑っただけだ。こんなもの、すぐに慣れる」
そう自分に言い聞かせて、平静を装うが……
「どうしたのですか? お兄ちゃん☆」
シノの極上スマイルで撃沈する。
神社の協力者たちに別れを告げ、手を振って旅立つ。
人里を離れたら無法地帯となる危険地帯。一瞬の油断が命取りになる。
とはいえ、術士は鍛え方が違う。
それはシノも同じで、守護者のハツツミイチゴのサポートがあるとはいえ、ゴロツキや盗賊程度なら、まず負けることはないだろう。
数が多けりゃ別だが、それでも逃げる事ぐらいはできるはずだ。
徒歩での移動だったが、幸い何事も無く首都ノルトに着くことができた。
「すごく大きいですね……。ずっと壁ですよ」
「ノルドは肥沃な大地を活かして、農耕や牧畜に力を入れている。それを塀で囲んだものだから、相当な広さだ」
「メシも美味いから、楽しみにしろよ、シノ」
「そうなんですね。お兄ちゃん」
少しでも早く慣れるようにと、ことあるごとに呼び合うが、まだまだぎこちなさが残っている。
そんな二人を引き連れて、用心棒トリは首都ノルトの門へと向かった。