41 バッフスの英雄たち
シノの肩の上で白桃王女猫が、大きなため息をつく。
こうなったシノは止められない。
ただのワガママや、意固地になっているだけなら、叱ってでも止めさせるのだが、現状で得られる情報を分析した上での最善策だと信じているのだから、頭ごなしに否定できない。
もし否定したければ、それよりも危険が少なく、確実にバルドーを浄化する方策を示す必要がある。だが……
相手は、今までの堕ちたモノとは比べものにならないほど異質だ。前例もないのだから、その攻略法となると、そうそう思い付けるものではない。
泥の沼を含め、手探りで見つけた弱点らしきものも、通用しなくなっている。
それに、一気に浄化してしまわなければ、ますます手強くなるという、シノの推測も間違いではないだろう。
だから、ここが勝負所で、犠牲を覚悟してでも全力で浄化しなければならない……という話は理解できる。だが……
白桃王女猫がどうしても納得できないのは、なぜその役目をシノが担わなければならないのか、だ。
討伐隊本部は、未だに部隊の再編と、包囲網の再構築を進めている。
現状維持は、この状況を打開する策がないという事。
でもそれは、早々に敗北宣言に相当する計画Cが発令された時から、分かっていた事でもある。
思えば、あの時点で撤退し、万全の態勢を整えるのが最善だったのだろう。だが、今さらそれを言ったところで仕方がない。
ここで撤退すれば、再び戦力を整えるまで、相当な月日が必要になるだろう。
その間にバルドーは完全復活し、さらに知恵を付け、強力になると思われる。
当然、この地の人たちにも犠牲が出るだろう。
つまり、完全に時期を逸してしまった。
もう、ヤルか、ヤラレルかの瀬戸際で、引き下がれない状況になっている。
幸い……と言っていいのか、実際に守護精霊融合が使えると判明し、その有効性が証明された。
そして、実際やってみなければ分からないが、シノにもできる可能性がある。
それがバルドーに勝利するための、唯一の希望だろう。
だが、不安のほうが大きい。
シノが成功するかは、やってみなければ分からない。
ましてや、身体の負担を減らすよう、独自に改変した法術だ。重角陣化して難易度を下げたとはいえ、複雑になった分、どんな予期せぬ事態が隠れているか分からない。
シミュレーションの結果が良好だったとしても、成功する確率は、とても楽観的にはなれない数字だろう。
なのにそれが、現状における最善策だと思えるのだから笑えない。
極論を言えば、白桃王女猫にとっては、堕ちたモノが逃げようが、ファレンシアにどれだけ被害が及ぼうが、シノさえ無事ならどうでも良かった。
もちろん、シノの気持ちは尊重してあげたいが、だからと言って、自分の命を投げ捨てて欲しくはなかった。
この法術が、以前のまま必ず死ぬものだったなら、恨まれようが嫌われようが、たとえ守護精霊にあるまじき行動であっても、絶対に阻止するのだが……
シノの手によって、ゼロだった生存率に可能性が生まれたのだ。それを、頭ごなしに否定はできないし、したくはない。
それに、守護精霊の本分は、堕ちたるモノを浄化するため、術士の手助けをすることにある。
つまり、対案が無い以上、白桃王女猫は、シノの意思を尊重するしかなかった。
フレディに見られているとは知らず、シノは足を止めてバルドーのいる方向を見つめる。
「死ぬつもりはないけど、失敗したらゴメンね」
「謝られても仕方がないですわ。法術を成功させ、バルドーを浄化し、生き残る。やると決断したからには、完璧にやり遂げてみせなさい」
「そのつもりだけど、実際に戦うのはイチゴだよ。頼りにしてるからね」
「そう……でしたわね。貴女に言った手前、私も完璧にやり遂げてみせますわ」
「イチゴ、いつもありがと。じゃあ、制限解除をお願いね」
「術士シノ・カグラザカの制限解除を承認致します。さあ、やるからには絶対に勝ちますわよ」
「うん、絶対に勝とうね」
気合を入れ直したシノは、シミュレーションの結果を参考に、三重三角陣を編み始める。
少し眠ったからか、それとも霊撫水の効果なのか、体調は驚くほど良い。痛みも怠さも全くないし、頭の中もスッキリしている。
「いまさらだけど、初摘苺って変な名前だよね」
「この子は、こんな時に何を言い出すのかしら。言っておきますが、貴女が付けた名前ですからね。……たしか、イチゴミルクとの二択でしたわね」
「そうそう。どう見ても白桃っぽいのに、なぜかイチゴだって思ったのよね」
「あら、第一印象は幽霊じゃなかったかしら? 話しかけただけで大騒ぎでしたわよね」
「でも、怖がってなかったでしょ? 素敵な幽霊さんとお友達になりたいって、そう思ったのよね」
「いきなり抱きしめてきましたわよね。満面の笑顔で……」
そう答えながら、片足を上げてクイクイッと首のあたりを掻き、目を細めながらノビをする。
仕草はともかく、その姿は昔と変わらず、王侯貴族のような気品と風格を漂わせている。光の加減で桃色にも見える、白い毛並みも変わらずキレイだ。
「ところで、なぜそんな話を? こんな時に思い出話をするとロクな事がないって知っているのかしら」
「まあ、こんな事、こういう時にしか言えないからね。守護者がイチゴで良かった。本当にありがとね」
術式が完成した。
三角陣が三つ重なった、複雑な術式だ。
「ホント、貴女のお陰で退屈とは無縁ですわ。では、世界を救うため、お馬鹿さんを殴りに行きましょうか」
「じゃあ、始めるね」
冗談めかしたイチゴの言葉に、シノは優しく微笑むと、フゥと大きく息を吐き出して旋紅扇を構える。
「親愛なる守護者ハツツミイチゴに、私の全てを捧げます」
広げた扇をかざすと、術式が発光して消えた。
どうやら無事に、発動したようだ。
白桃王女猫の姿が、霧のように消えていく。
「あとはお願いね……」
シノの呟きが聞こえたのだろう。
消える寸前、白桃王女猫はコクリとうなずいた。
当然ながら、こんな事は初めての経験だった。
取り落としそうになった扇を、指に力を込めてつかみ直す。
その反動で、身体が揺れる。
前のめりに倒れそうになるのを、尻尾を揺らしてバランスを取りつつ、足を前に出して踏みとどまる。
しばらく揺れる身体と格闘し、前屈みになりながらも必死に足を動かして、なんとか姿勢を安定させた。
「どうやら成功したようですわね。本当にあの子は……」
シノの実力は知っていたけど、改めてその凄さを思い知らされた。
だからこそ、こう思わずにはいられない。
「あの子の命、こんなつまらない事で使い捨てにしてたまるものですか」
白桃王女猫は、シノの身体を動かして感触を確かめながら、改めて決意する。
絶対にシノを死なせずに、この戦いに勝利する、と。
「大きな身体だと思ってましたけど、こうして見ると、案外頼りないものですわね。それに何だか不安定ですわ」
扇を弄びながら、指の動きを確認する。
物をつかむという感覚が、なかなか新鮮だ。
とはいえ、のんびりしている場合ではない。
扇を消して、身体の動きを確認すると、ゆっくりと走り始める。
二本の足だけで走るのは少しもどかしかったが、すぐに慣れ、徐々に速度を上げていく。
猫娘術士にしてみれば、体感的には普通に走っているつもりなのだが、実際には術士の限界を超えた速度だった。
それに跳躍力も尋常じゃない。
あっという間に、バルドーを見つけた。
(クルック……いえ、ライリーでしたかしら。とにかく、こちらの存在に気付いて頂きませんと……)
なぜだか念話がつながらない。……というか、どうやって念話を送ればいいのか分からない。
息をするように行っていたサポート能力だが、それが全て失われたようだ。
木の陰に隠れて、破魔紅弓を現出させ、二重三角陣で特別製の矢を作る。
(あの子の力は使えるようですわね。自分自身をサポートすることができない……ということかしら)
出来る事、出来ない事を確かめつつ、バルドーを目標に定めて矢を射る。
その間にも、次々と矢を作り、間髪入れずに射込んでいく。
弓による追尾性能があるので、左右や上空に散らしながら、こちらの位置がバレないように工夫をする。
クルックと融合したライリーは、早く勝負をつけようと無理した結果、手ひどい反撃を受けてしまった。
痛みこそないが、額から流れる血で右目の視界が奪われ、左腕の反応が鈍くなっている。
グローブの熱で、額の止血を行う。
ジュッという音と共に煙が上がり、異臭が広がる。
いくら痛みを感じないとはいえ、傍から見れば正気の沙汰ではない行為だ。
(このままでは、主に顔向けができないな。倒せないまでも、もっと弱らせておきたかったのだが……)
地中から伸びる爪を避け、手刀で断ち切る。
足の爪で攻撃をしてきたという事は、バルドーの足が固定されているという事。
ならばと、懐に飛び込もうと踏み込むが、その地面が崩れる。
大地系術式ならば、クルックも扱える。当然、ライリーも扱えるし、クルックよりも得意だったりする。
法術で地面を固定するついでに盛り上げ、それを踏み台にして跳躍をする。
襲い来る幾筋もの爪を紙一重でかわし、拳の先に付けたドリルを叩き込んだ。
いや、ドリル状の物体を、拳で叩き込んだと言ったほうが正確だろう。
防御姿勢を取りつつ後方へと跳んだライリーは、術式を発動させる。
ゴウン! という音と共に、爆炎が巻き上がる。
バルドーの体内に埋め込まれたドリル状の物体が爆発したのだ。
これが、現状で行える、最大の攻撃だった。
遠くから撃ち込もうとしても阻止されるので、直接叩き込むしかない。
叩き込めても、安全な場所まで下がっている暇はない。
そんな事をしていたら、体外に放出されてしまう。
なので、こんな自爆まがいな方法をするしかなかった。
「くっ……」
爆炎に紛れて伸ばされた爪が、すでに機能していない左腕を切り裂く。
その衝撃で、きりもみ状に吹っ飛んだ。
その時だった。
四方八方から矢が飛んできて、バルドーに突き刺さって爆発したのは。
ライリーの爆弾よりも威力はかなり小さいが、数を集めれば脅威になる。
立ち上がったライリーの目に映ったのは、小さな女の子だった。
それが尋常ではない速度で近づいて来る。
ひと目で人ではない何かだと直感した。
いやまあ、猫耳と猫尻尾を付けてる時点で、どこか普通ではないと感じるだろうが、そういう意味ではない。
本能的に……と言っていいのか、とにかく自分と同種のモノだと分かった。
シノの身体を借りた猫娘術士は、ふた振りの小太刀を手にして臨戦態勢に入る。
バルドーの意識が少女に向いたと思った瞬間、上空から無数の矢が降り注ぐ。
今度は爆発しなかったが、先程と同じように狙いを外さず、全ての矢がバルドーへと突き刺さっていく。
バルドーも対応に困ったようで、片手を少女に、もう片手を上空に向けて爪を伸ばして対応しようとするが……
「引っ掛かりましたわね」
そう、少女が呟いた。
その意味は分からないが、一気に戦場の雰囲気が変わった。
上空から来る矢が数本叩き落されたが、全く対応できていない。数多くの矢がバルドーに突き刺さり、浄化の光を放って消えていく。
少女は、向かってきた爪を小太刀で弾き、軌道を変えて逸らした。
しかも、白い輝きを放つもうひとつの刃で、バルドーの手首を斬り落とした。
そう、斬り落としたのだ。
宿っていたのは浄化の光なのだろう。今の一撃で相当に消耗したようで、ほとんど輝きを失ったが、それでも大手柄だ。
攻めるなら今しかないと、ライリーが仕掛ける。
大胆に飛び込んで、がら空きになった背中にドリル爆弾を叩き込む。
派手な炸裂音と、まき散らされる爆風。
それに炙られながらも、再び飛び込んで、もう一発お見舞いする。
首元を狙ったのだが、相手が動いて肩口で爆発した。
そのまま腕が吹っ飛べば良かったのだが、そうそう上手くはいかない。
さらに攻撃しようと隙をうかがうが、地面から突き出た爪に気付いて後退する。
追撃を警戒して、さらに後退して様子を見ることにする。
結果的に、それが幸いした。
ギシッと地面が音を立てる。
すかさず距離を取った猫娘術士は、三角陣を五つ同時に発動させる。
バルドーを中心とした、正五角形の頂点に当たる五カ所だ。
次の瞬間、バルドーの真下の地面が、沸き立つように土砂を噴出させた。
「あら? えっと……、なかなか壮観ですわね」
まさかの結果に、猫娘術士自身も驚いた。
バルドーが放った力で、足場が破壊されないようにと、空気を圧縮して地面を抑えつけただけだったのだが……
そのせいで地面を破壊するために放たれたエネルギーが、発散されないまま地中に溜まり、唯一圧力のかかっていないバルドーの真下から噴き出したのだ。
いわば、バルドーの自滅である。しかも、粘液封じの土砂コーティングのおまけ付きだ。
そこへ、音もなく近づいたライリーが、黄金に輝く手刀で、脇の下から切り上げる。
ドリル爆弾でダメージを負っていた肩が、あっさりと砕け飛んだ。
これでバルドーは片手首と片腕を失い、加えて下半身は、噴出した土砂の奔流で所々が欠け、無残な姿になっている。
そろそろ頃合いと思ったのか、弓を構えたシノが、浄化の矢を放つ。降り注いだ矢とは違い、強力なやつだ。
「……?」
矢を放ちながら、何だか違和感を感じた。
そういえば、自分の周りだけ日陰になっている。
しかも、だんだん暗くなっている気がして、空を見上げる。
状況が理解できないまま、身体に衝撃を受けた。
「ちょっと、何をなさるの……」
ライリーに押し倒され、抗議の声を上げようとしたのだが、凄まじい音と衝撃に襲われ、視界が奪われる。
どれほど続いただろうか。
荒れ狂う衝撃が収まった頃には、身動きが取れなくなっていた。
上空から土砂が降り注ぎ、生き埋めにされたということは分かった。
さっき噴出した土砂だろう。
だが、それにしては、滞空時間が異常だし、全て同じ場所に落ちてくるのも異常だ。バルドーによって操作されたと考えたほうがいいだろう。
のしかかる土砂を、風の法術で吹き飛ばす。
「ライリーさん、大丈夫ですか?」
猫娘術士を庇って、全身で衝撃を受けたのだから、大丈夫なわけがない。
それでも、意識はあるようだ。
「どうやら……、ここまでのようだ。お嬢さんは……」
「私も厳しいですわね。左の手足が動きませんわ。でも、庇って下さって感謝致しますわ」
「我が主よ。命を果たせず御許へ向かうことをお許しくださぃ……」
それを最後に、ライリーは動かなくなった。
限界を迎えたのだろう。
(あの子の身体を守って下さって、本当に感謝致しますわ)
もう一度、心の中で敬意を込めて呟く。
ハツツミイチゴは、最初こそ加減が分からず全力疾走したりもしたが、それ以降は、シノの身体に負担を掛けないよう、細心の注意を払って行動していた。
なのに、ここに来てこのダメージだ。
おそらく打撲だけでは済まないだろう。骨折や、下手をすれば機能を喪失することも十分にあり得る。
でも、この程度で済んだのはライリーのお陰だ。
バルドーがどうなったか気になるが、ハツツミイチゴも限界のようだ。
自己の存在が希薄になっていくのを感じる。
それならばと、残された力を全て、シノの身体の修復に使う。
必ずシノが目覚めると信じて……
「シノ、ごめんね……」
一筋の涙が流れると共に、猫耳と猫尻尾が消えていき、ハツツミイチゴの意識が失われた。