14 極秘プロジェクト
学園では古代法術の存在は教えるが、学ぶ意味がないとも教えられる。
というのも、ほとんどの術式は、近代の術式に置き換えられるからだ。
難解で不安定な古代法術をわざわざ使わなくても、扱いやすくて効果が安定している近代法術を研究したほうが有意義だと教えられる。
だが、昔の記録や物語には、近代法術では再現できていないものが残っている。
そんなものはただの言い伝えに過ぎず、見間違えじゃなければ創作だ……と否定する術士も多いが、その一方で、どうにか近代法術で再現できないかと、日々研究を重ねている術士もいる。
この秘密の日記帳も、そういう人が書いたものだろうか。
最初のページを開いて、大人が書いたものだとすぐに分かった。
それも、文字を書き慣れた人のようで、達筆ながらも読みやすかった。
ただの妄想日記ということもある。そう思ってシノは、一応パラパラっと中身を流し読んでみたのだが……
どうやらこの日記帳は、手書き以外は受け付けないようで、画像を添付したり、文字を打ち込んだりすることもできないようだ。なので、絵にしろ図にしろ、全て手書きだった。
(もっと早く気付いていれば、ドミの参考になったのにな……)
ひと通り見終わってから、シノはそう思った。
その内容はと言えば、未だ近代法術では再現できていない古代法術について、まとめたもののようだ。
それを近代術式で再現しようとして失敗した例が並べられている。
その筆頭と言えるのが飛行だろう。他と比べて失敗例が多い。
飛行は、ただ宙に浮かんで、物のように投げられて移動すればいいというわけではない。鳥の様に自らの意志で自由に空を舞えるのが理想だ。
物を浮かせて動かせるのなら、人も簡単だろうと思われがちだが、物であってもバランスを崩せば容易に落ちる。それが自由に動く人や動物ならば、どうなるかは明白だ。
だからといって、動くのをひたすら我慢して、他の人に浮かせて動かしてもらうというのは飛行とは言えない。
たとえ自分で浮いたとしても、上下の認識やバランス感覚、そこに移動まで加わると難易度が跳ね上がる。ひとりで制御できる限界を遥かに超えてしまう。
ならば、補助する為に、あらかじめ各所に制御術式を付与しておけば……という研究もされているが、まだまだ先は長いようだ。……というのは守護者の見解だ。
ちなみに、浮箱は制御の大半を専用通路が担っている。
また、現存している天船は、近代術式が生み出される前に建造されたものだ。つまり、古代法術がふんだんに付与されている。特に要となる、メロンサイズの精霊結晶に付与された術式は、解読すらできていない。
続いてはゴーレムだ。こちらは自律行動が難点で、試しに死霊を使役して憑りつかせたところ建物を半壊させた、なんていう記述がある。
他にも、深海の散歩や、精神支配なんてものまである。
戦闘に関してならば、一撃必殺のような大技は謎が多く、比べ物にならない微々たる効果の代替術式が併記されている。
特殊なものならば、術士の身体に守護精霊を憑依させ、圧倒的な身体能力と霊力を得る方法『守護精霊融合』なんてものがあるが、自身の命を捧げると書かれているので、実戦向きではなさそうだ。
書いた人も試せなかったのだろう。未検証や要改良と書き添えられている。
中には、すでに実現しているものもあるので、書かれてから相応の年月が経っているようだ。
軽く読んだだけだが、こういうのを研究するのも面白そうだと、シノは少し興味を持った。
ドミとキャラに向かって、シノは笑顔で手を振る。
さあ自分も帰ろうと、リタ術士会行きの天船乗り場へ向かうのだが……
「フレディさん、どうしたんですか? いつも以上に疲れているようですけど」
「……まあな」
「じゃあ、行きましょうか」
「……そうだな」
よほど困ったことが起こっているのだろう。なんだか心ここにあらずだ。
また何か厄介な事が起こってそうだが、今日はシノのほうにも用事がある。
なので、フラフラした足取りで店へと向かうフレディの後を、軽く変装をして、少し距離を空けて見守りながら追いかける。
「それで何があったんですか?」
さすがに今日は遠慮して、飲み物の他には二品だけしか注文をしていない。
抹茶プリンアラモードとイチゴカスタードたい焼きだ。それをホットミルクシェイクで頂く。
フレディにも、ワサビシュークリームとホットミルクシェイクを注文しておいた。
ワサビ入りといっても罰ゲーム用ではない。ちゃんとワサビの風味が感じられる美味しいシュークリームだ。
その証拠に、フレディは普通に食べている。
「……!? なんだこりゃ?」
……と思ったら、気付いていなかっただけのようだ。
シノはまだ食べた事はないが、メニューにあるのだから美味しいはずだ。
「ワサビ風味の美味しいシュークリームですよ。目が覚めるかと思って」
「……まあ、確かに味は悪くねぇな。ワサビと言われれば納得できる。それに、一瞬肝が冷えたが、バッチリ目が覚めた。……って、いつの間に店に来たんだ?」
「フレディさんは有名人なのですから、あんな気の抜けた状態でロビーにいたら、皆さんが驚いちゃいますよ?」
「そうか……、シノがここに連れてきてくれたのか」
まあ、連れて来たというよりは、フレディが自分で歩いてきたのだが。
「それで今度は、何があったんですか?」
「まあ、いつも通りだったんだがな。勝負を吹っ掛けられた女帝が、いつも通り撃退したってだけの話だったんだが……。前々から懲罰委員会には目を付けられていたんだが、とうとう警告が出されちまった」
「……? 相手の人たちはも……ですよね」
「いいや、女帝だけだ。まあ向こうにも注意ぐらいは行ってるとは思うが」
「えっと、ちなみに警告を無視して問題を起こしたらどうなるのですか?」
「謹慎……で終わりゃいいが、最悪の場合は除名処分だな。法術を封じられ、記憶も消されて、ファレンシアのどこかへと放り出される」
シノの表情が曇る。
それに気付いたのか、フレディが務めて明るく振る舞う。
「スマン、脅かし過ぎたな。そんな事は滅多にねぇから心配するな。だが、何らかの処分が下されたら、委員会メンバーになるのはかなり厳しくなっちまうからな。ホントどうすりゃいいんだか……」
シノは前々から不思議の思っていた。
なぜフレディは、そこまでコトリの事を心配しているのか。
いやまあ、その事をフレディに尋ねても、心配してるのは相手のことだと言うのだろうが、でもシノから見れば……いや、他人が見ても、フレディは間違いなくコトリのことを気に掛けている。
少しためらったが、聞いてみることにした。
「なんだかコトリさんの保護者みたいですね。フレディさん」
「……!? いやいや待て、さすがにそれは笑えねぇって。そんな重い責任、オレには背負えねぇよ」
「ん~、そうじゃなかったら、コトリさんの事を好きとか?」
フレディは明らかにガックリと肩を落とす。
動揺とかは一切ない。何をどう間違えればそんな言葉が出てくるんだ? ……とでも言いたそうな雰囲気だ。
「言っておくが、恋愛感情は微塵もねぇからな。オレだって長生きしてぇし。でもまあ、憧れってのがずっとオレの中に残ってんのかもな……」
「その……こんな事を聞いていいのか分からないのですけど、コトリさんと昔に何か、あったのですか?」
「ああ、まあな……」
口元に笑みを浮かべたフレディが、うつむいて何かを考えている。
それを眺めながら、シノはたい焼きをはむはむする。
何があったのか気にはなるが、無理に聞くつもりは無い。
そう思っていたのだが、フレディが語り始めた。
「コトリが来たのは、俺が初等部の頃だ。確か八歳の頃だったな。そりゃもう、当時のオレは同年代で敵なしで、大人相手でも互角以上に戦える自信があった。まあ天狗になってたんだな。
そんな時にサワベのおっちゃんが、小さな女の子を連れてきた。当時五歳だったコトリなんだが、才能がずば抜けてると持てはやされ、天才とか言われてた。
サワベのおっちゃんが、コトリと戦ってみるかって、オレに言ってきたんだが……まあなんだ、天才だか何だか知らねぇが、術士の厳しさを教えてやんよってな調子で受けたんだが……
勝負方法は、両者が同じフィールドに降り立ち、避難民を助け、敵を倒すっていう、……まあ、競技会と同じ形式だ。
もちろん、競技には慣れてる分、オレが圧倒的に有利だったんだが、手も足も出ずに負けた。さすがに油断し過ぎたと思い、もう一度やったが完敗した。
それも、コトリは一歩も動かず、見たことのない術式を操って次々と敵だけを狙い撃ちしやがった。いやもう、見事としか言いようがない。アスカノミヤチコ様の生まれ変わりかと思ったぐらいだ。
オレはもう、ただただ信じれらなくて、呆然としてたんだが……。その時のアイツは、歳相応の無邪気な笑顔で、本当に嬉しそうに笑ってやがったんだよ」
言葉を切ったフレディは、少し冷めたホットミルクシェイクで喉を潤す。
だが、あまりの甘さに顔をしかめる。
「その笑顔に、心が奪われたのですね」
「まあそういう事になるんだろうな。今もあの笑顔が忘れらんねぇみてぇだ。そうなったのも、その後があったからなんだがな」
「その後……?」
確かに、今のコトリとは、かなりイメージが違う。
思い出補正にしても変わり過ぎていて、まるで別人だ。
法術の系統もだが、戦い方もまるで違う……ように思えた。
あれだけ息巻いていたのに、幼女に負けたと馬鹿にされたが、フレディは全く気にならなかった。
勝ったコトリは、天才術士として有名になった。
フレディがその後について語ったのだが、かなり長いので要約すると……
当時からリタ術士会の実力は、かなり低下していたらしい。
人数のわりに成果が少ないとされ、落ちぶれた名門と言われていた。
その状況を打開するために、優秀な術士を育てるプロジェクトが発足された。
その被験者に選ばれたのが、コトリだった。
どういうわけか、プロジェクトの内容は極秘とされた。
フレディば、姿を見せないコトリを心配して、いろんな人に聞いて回った。だが誰も詳しい事を知らず、聞けたのは特別な任務に就いているという噂だけ。
そのまま六年が過ぎ、師匠のサワベが死んだ時にも姿を現さなかったコトリを、偶然見かけた。それも、術士会の敷地でだ。
十一歳になったコトリは成長していたが、それ以上に雰囲気が随分と変わっていた。まるで、感情を失った人形のようだった。
術士会ベリガルに所属しているオニール・ソルムとは、その頃に知り合った。
オニールはコトリの事を知っていたようで、何だか怪しげなプロジェクトに関わっているようだとフレディに伝えた。
さっそく調べてみると、すぐにプロジェクトの存在が確認できた。コトリの状況も、わずかながら判明した。
そんな事もあって、フレディは、オニールにコトリの事を相談するようになった。……というか、コトリを救い出す同志になった。
オニールのアドバイスは、調査委員会のメンバーになれば、そのプロジェクトの情報も集めやすくなる、というもの。ついでに、リタ術士会の権力争いからも逃れられると言われ、委員会メンバーを目指すようになった。
でも結局は、フレディが何か行動を起こすより先に、プロジェクトの不正が発覚し、責任者だったテムレン・フナムが失脚した。
プロジェクトから解放されたコトリだったが、その後遺症は深刻だった。
戦いについては十分に仕込まれていたが、それ以外の事はかなりいい加減だったようだ。基本的に、無表情で無気力だったが、相手からの攻撃に対してはキッチリと報復する。自分から暴れた事はなかったのに、いつしか『小さな女帝』と呼ばれるようになった。
その後の事は、シノも知っている通りだ。
最初は意思疎通どころか、会話すら困難な状況だったので、これでも、かなり改善されたほうらしい。
「日頃からフレディさんが話しかけ続けた成果だったんですね」
「さあ、どうだろうな。だったらいいんだがな」
「また、コトリさんが心から笑えるようになったらいいですね」
「何を言ってんだ。シノの前で笑ってたじゃねぇか。あの時は腰を抜かしそうになったぞ。だからシノには感謝してんだぞ」
確かに笑っている所は何度か見ているが、心から笑っていたのだろうか。
「まあでも、フレディさんがコトリさんを気に掛けている理由は分かりました。騒ぎの原因になっている修練場のことも、早く解決するといいですね」
「ああ、そうだな。そっちはオニールが調べてるから、真相が判明するのも時間の問題だと思うんだが、それまで女帝が自制してくれるとありがたいんだが……」
フレディは、コップの中身を一気に飲み干し、その甘さに顔をしかめた。