09 ノルトの収集者 その六
首都ノルトは相変わらず賑やかだった。
とても権力闘争が起こっているとは思えないような雰囲気だ。
トリたちは、ブルーローズに戻るのは明日にして、あの大浴場のある宿に泊まって連絡をギリギリまで待つことにした。だが……
「場所を指定してくれれば出向くと伝えたはずだが、まさかこんなに早く、直接来るとは思わなかった。元気そうでなによりだ。領主さま」
「だから、領主さまは勘弁してくれって、命の恩人さま」
宿に入ってからそれほど時間が経っていないのに、とても領主らしくない粗末な服のボランが、部屋を訪ねて来た。
トリとボランは、笑い合う。
再会の挨拶をそこそこに、早速ルドが本題を切り出した。
「わざわざ来てもらって悪かったな。お前さんを襲わせようとした連中の正体が分かったんで、伝えておこうと思ってな」
「お陰さんで、それなら解決したよ」
「……? 解決したって、どういうことだ?」
「族長は従弟が継ぐから、もう安心だよ。僕はスレスで、今まで通りのんびりやっていくよ」
「そっか。そりゃ良かったな」
そうは言うが、内部に対立が残ったままでは、安心なんてできないはずだが。
「その従弟の母の家ってのが、オレの耳に入ってきた情報だったんだが、余計なお世話だったな」
「そんなことないよ。僕の事を心配してくれてありがとう。今回の騒動は、族長と従弟が話し合って、悪い人たちを炙り出す為のお芝居をしたんだって。僕が顔を見せたら、思いっきり謝られたよ。危ない目に合わせてゴメンって」
「なんて人騒がせな……。でもこれでノルトが安泰なら良かったじゃねぇか。ボランも気兼ねなく、大好きな植物研究に励めるってわけだ」
逆に遺恨が残らないか心配になるが、ともかく解決したらしい。
ボランも嬉しそうだ。
ちなみに湖畔の家は建て直すらしい。それも、植物研究の拠点を兼ねた隠れ家として。今までボランの雲隠れが許されてきたのは、研究の成果が実際に役立っていたからで、まだまだ研究したいことが山ほどあるらしい。
だったらいっそのこと、研究所を作って人を集めればいい。そうルドが提案したのだが……
仕事となると成果が求められるし、趣味だから出来ることもある。それに、隠れ家という解放感が、いろんなアイデアを生み出すのだろうと、笑顔でボランは答えた。
「ほどほどにして頂かないと、困ります」
そんな女性の声と共に、扉がノックされた。
あれだけ笑顔だったボランの顔から血の気が引いていく。
「えっ、なんでこの場所が……」
椅子から飛び上がり、隠れられそうな場所を探すが……
「失礼します」
それより早く扉が開いて、女の人が姿を現す。
馬車でご一緒したタミルだ。
「皆さま、ご歓談中の所、申し訳ありません」
深々と頭を下げると、素早い動きでボランに迫り、襟の後ろをギュッと握る。
その表情は、絶対に逃がさないという強い意志を感じさせる。
「領主さまに決済して頂かなければならない書類が、まだ山の様に残っております。今すぐ戻って続きをお願いします」
ボランが痩せているとはいえ、なんという力強さだろうか。抵抗をものともせずに、引きずっていく。
「別の町まで来て書類仕事か。大変そうだな」
「はい。族長に提出する書類もありますので。こればっかりは代理が処理するわけにも行きませんから。ぜひとも滞在中に領主さまに決済していただければ、余計な手間が省けますので……だから、お願いしますね」
トリの呟きに、タミルが丁寧に答える。
そういう事情なら、ボランに頑張ってもらうしかない。
「ああ、こっちの用は済んだから構わねぇよ。仕事の邪魔をして悪かったな。しっかり頑張れよ、ボラン」
「そうだな。逃避した所で、何も解決しないからな。好きでスレスの領主を続けるんだろ。だったら仕事もしないとな」
「ボランさん。バナナ、すっごく美味しかったです。ありがとうございました」
見捨てないで……という声が聞こえそうなほど、悲しそうな顔をしたボランは、深々と頭を下げたタミルさんに引きずられて退室していった。
翌朝早く、歩いてノルトを離れ、報常神社へと向かう。
門を出る時にルドが「協力者には世話になったからな。残ったバナナをプレゼントしようか」なんてことを言い出したが、トリが「変異のことを思い出すだろうから、やめたほうがいい」と冷静に止めた。
道中、最後の最後にきて盗賊らしき者たちに襲われたが、七人を相手にしてトリがひとりで撃退し、その上、ルドが身ぐるみを剥いで、かなり念入りに説教をしてから解き放った。
兵士に引き渡すとなったらノルトに戻らなければならないし、それで一日が終わってしまう。……というのが理由だ。
報常神社には、すでに浄化完了の報せが届いていたのか、なんだか歓迎ムードだった。
というのも、堕人情報を出したのに術士がなかなか来ず、やっと来たと思ったら何だか奇妙な一行だ。なので、その実力を不安視していたらしい。
その気持ちは分からなくもない。
この地の人たちにとって堕ちたるモノの出現は、命に関わる問題だ。折角見つけて報告したのだから、被害が出る前に浄化して欲しいと願うのは当然だろう。
気を揉ませたお詫びというわけではないが、残ったバナナを全て置いて行く。
転送されて戻ってきたのは、東ファレンシアの中心、隠れ里レミアにある宮間大社。転送でブルーローズと行き来できる唯一の場所だ。
補助視界の案内に従って待機部屋に入り、別室で服を着替える。
守護者のお陰で汚れてはいないとは思うが、一度も洗濯していないので少し心配だ。……なんてことをシノが呟いたら、その守護者に、一度倉庫に送って取り出せばいいと教えられた。どういう理屈か分からないが、そういう事が可能らしい。
ついでに、ファレンシアで手に入れたものを、ここで全て置いて行くのだが……
ここまで来れば演技をする必要はないのだが、慣れというのは恐ろしい。おもわず「お兄ちゃん」と呼びそうになって、言い直す。
「フレディさん。なんだか、私も依頼達成って書かれちゃってますけど、何かの間違いですよね。どうしましょう……」
「まあ、三人パーティで申請したからな。そうじゃなきゃ、一緒に行けねぇし」
「でも、それじゃ悪いですし、なんだか、精霊結晶の獲得報酬ってものまで出ちゃってますよ」
「先輩術士と一緒に行動して、いろいろ学ぶってのが実地学習だからな。報酬をもらうってのも学習のうちだ。だから気にするな」
「でもこれ、多くないですか? 私のお小遣いの三ヶ月分ですよ?」
「こっちだって命がけだからな。でもこれも精霊結晶のお陰だ。それが無けりゃ、全然少ねぇし」
「そうなんですか?」
初等部のシノには、術師協会から毎月の生活費が支給されている。
無駄遣いをしなければ十分に足りる額だが、その使い道で守護者と口論する者も多い。
その点シノは倹約家というか、あまり欲が無いので、たまには贅沢するようにと守護者に言われていたりする。
なので、そこそこ貯金はあるのだが、それを遥かに超える金額だ。
そこで「わーい、得したー」っと、素直に喜べばいいのだろうけど、やっぱりどうにも納得ができない。
戻ってきたコトリが、シノの顔を見てニヤニヤ笑う。
「気にせず受け取ればいい。まだシノには大仕事が残っているからな」
「えっ? 何かあるんですか?」
「ああ、シノにしかできない、大切な役目だ」
ここまで言われても、まだピンと来ていないシノを見て、フレディが楽しそうに笑う。
「そうだな。楽しみにしているぞ、感想文」
シノは完全に忘れていた。だが、文章を書くのは苦手ではない。なので、一瞬ヤル気を見せたが、すぐに不安そうな表情になる。
「それって、お二人も読むってこと……ですか?」
「一般公開はされないだろうが、我々は実地学習の責任者だからな。こんな事は初めてだから、私も楽しみだ」
それだと、ありきたりな文章を並べただけじゃダメだろう。何があって、何を学んだが、しっかりと考えて書かなければならない。
そんな話をしながらも、当たり前のようにシノは、テキパキとお茶の用意をしている。今日のお茶請けは、栗入り粒あんの三笠らしい。お品書きにそう書いてあった。
三笠の乗った皿と、二股になった木の楊枝を受け取りながら、フレディが話しかける。
「ちなみに、一番に驚いた事とか、勉強になったって事を聞いてもいいか?」
その質問に、シノは指をアゴに宛て、首を傾げて考える。
「ん~、そうですね。驚いたのはやっぱり、堕人候補のボランさんが領主さまだったってことですね」
「確かにな。あれはオレも驚いた」
「勉強になったのは……初めての事だらけなので、全部ですね。あっ、でも、コトリさんの戦い方は独特でしたよね。言葉を武器にするっていうのも驚きました」
それを聞いて、フレディが慌てる。
確かに挑発して無駄に暴れさせて弱らせるってのは、戦法としてはアリなのだが……
「あー、なんだ。勘違いしてもらっちゃ困るんだが、相手を罵倒して怒らせるのは、女帝だからこそ成立する方法であって……。そのなんだ、絶対にシノは真似すんじゃねぇぞ。あと、できれば感想文にも書かないでもらえるとありがたい」
「そうなんですか?」
「教育に悪いってオレたちが怒られちまう。そういう意味では、堕ちたるモノを倒して精霊結晶を集めるって話も、内緒で頼む。別に隠されてるわけでも、禁止されてるわけでもねぇんだが、初等部にはちょっと早すぎるからな」
「なんだか、内緒が多いですね」
「そりゃ、仕方がねぇ。生兵法は大怪我のもとって言うしな。若いうちは知らなくてもいいことが結構あるってことだ」
「ん~、どうしましょうか。感想文、提出する前に確認しますか?」
「あースマン。そんなに気にする必要はねぇよ。できれば伏せて欲しいってだけで、書かれた所で……まあ、たぶん、そんなに問題は無いと思う」
どうやら少し問題がありそうだ。
シノは二人にお茶を配ると、自分の分も用意して、座布団に正座する。
「じゃあ、その二つは伏せておきますね」
「ああ、それで頼む。それでだシノ、どうだった? 楽しかったか?」
「はい、すごく楽しかったです。それに、また来てみたいなって思ってます。でも結局、フレディさんが私に何を見せたかったのか、それが分からなくて……」
「そりゃ悪い事をしたな。見せたいものは、強いて言えば全部だ。今回の出発から帰還までの全部を見て欲しかった。その上で、楽しいって言えたんだから、シノはファレンシアでの活動に向いていると、オレは確信した」
「そうなんですか?」
「ああ、間違いない」
他の人と比べたことがないので、自分では分からない。
だけど、いろいろな体験ができて本当に楽しかった。
必死になって、いろんなことを覚えていた毎日も、別に苦痛ではなかったが、この解放感は心地良かった。なんだか無駄な力が抜けた感じだ。
「シノ、フレディの言う事を、あまり真に受けなくてもいい。こいつは、術士会が息苦しくて、ファレンシアで息抜きしてるような奴だからな。だがまあ、シノに素質があるって意見には同意だ」
「そりゃまあ、安全なブルーローズで研究でもして引きこもるのも悪かねぇとは思うが、一度はこの感じを味わっておかないと勿体ねぇからな」
シノは、どうやら自分は難しく考えすぎていたようだと気付く。たぶんフレディさんは、あのお茶会で言っていた通り、少しでも自分の可能性を広げようとしてくれているのだ。
そう考えれば、今回の旅が楽しかったのも、見えない所で二人が頑張ってくれていたのだと気付かされる。
少し気分がスッキリした。
目の前の三笠を楊枝で切り分ける。
「えっ? これ、大きな栗が丸ごと入ってますよ」
目を輝かせて、パクリと食べる。
「すっごく美味しいですね。栗もだけど、粒あんが優しい甘さで、生地もふわふわしてます」
フレディとコトリは、その笑顔を見つめて笑顔を浮かべた。
この実地学習のお陰かどうかは別にして、シノは初等部を卒業してすぐに受験し、無事にファレンシア滞在許可証を手に入れた。