リタ術士会の二人の天才
お年頃となったコトリ・イマイは、未だに周りから『小さな女帝』と呼ばれ、恐れられている。
元々は『天才術士』と呼ばれ、数年前ならお転婆で済まされていたのだが、十六歳となった今では「子供のやる事だから……」と笑って許されることもなくなった。
なので小さな女帝という呼び名は、ただのハタ迷惑なトラブルメーカーという認識になっている。
そのことは、初等部にも知れ渡っており、まだここに来て日が浅い、十二歳のシノ・カグラザカでも知っていた。だが幸運にも、今まで被害に遭ったことはない。
まあ、被害は無いが、騒動の現場は何度か目撃している。とはいえ、噂されているほど恐ろしいと思ったことはない。
そんなわけで、いきなり走った緊張に戸惑い、その原因が分からず、対応が遅れた。
『まったく、貴女には注意力ってものがないのかしら。背後にも常に注意を払いなさい。そうね、面倒事が嫌なら、速やかに道を空けるよう忠告しますわ』
シノの頭の中に、声が直接届けられる。
シノの守護者、ハツツミイチゴからの念話だ。
あわてて振り返ると……
ここは、数多くある術士会の中でも老舗のひとつ、リタ術士会のロビー。
学園から帰ってきたシノは、リタ術士会の友人たちと立ち話をしていた。
別に熱中していたわけではない。なのに、周囲の雰囲気が変わったことに、気付くのが遅れた。
広いロビーに緊張感が満ちていく中、その場にいた数十人の視線がただの一点に集まり、さっきまで一緒だった友人たち──リゼとアデラも含めて、シノの周りから離れて行く。
そうではない。正しくは、背後から近づいて来る人物からだ。
リタ術士会のロビーは決して狭いわけではない。それどころか、他の術士会よりも広いほうだ。なので、相手が避ければいいだけだが、守護者であるイチゴの忠告に従って、シノは慌てて場所を空ける。
艶やかな夜色の長髪をなびかせながら、女の人が颯爽と通り過ぎていく。
それを、惚けたように見上げる。
(わぁ、キレイ……)
確かにそう見えなくもないが、たまたま見た角度が良かっただけかもしれない。なぜなら、いつも通りの仏頂面が、本来の美貌を打ち消して余りあるのだ。
見送った後ろ姿は、まだ子供であるシノでも「彼女は他人に全く興味がないのだ」と感じさせるような、そんな雰囲気をまとっていた。
「ちょ、ちょっとシノ、大丈夫?」
危険が去ったと判断したのか、リゼとアデラが戻ってきた。
甘え上手なリゼと、大人びたアデラ。ここにぶっきらぼうのピアが加われば、いつもの四人組となる。
「びっくりしたよね」
「シノ、キョトンとして、どうしたの? もしかして知らないの? あれが小さな女帝よ」
「いっつもブスってしてるの。怖いよねー」
盛り上がる友人たちの横で、どう反応していいのか分からないシノは、困ったように愛想笑いを浮かべる。
……と、不意に小さな女帝が足を止めて振り返った。
それに気付いたリゼたちは「やばっ」とかいう声を残し、またしてもシノを残して散っていった。
射抜くような冷たい視線。
並の人物ならば震え上がるところだが、シノは恐れない。
並の子供ではないから……というわけではない。視線が鋭すぎるせいか、よく観察すれば、どこに向けられているのか、すぐに分かるのだ。
「よぉ、小さな女帝様。おっ? なんだなんだ、相変わらずおっかねーな」
視線の先――シノの頭上を越えた背後から、能天気な男の声がした。
その瞬間、ロビーの空気が凍り付く。
(なんだこの無礼な男は……)
(こ、こんな場所で、女帝を怒らせんなよ)
(うわ、コイツ、死んだな)
……なんて声が聞こえてきそうだ。
だが、その姿を確認して、皆が納得する。
小さな女帝にそんな無礼ができるのは、リタ術士会の中でも一握り。さらにその中でも、こんな場所で堂々と声をかけるような人物はフレディしかいない。
挟まれる形となったシノは、慌てて避ける。と、笑みを浮かべた男は、お茶目な身振りで謝意を表しながら、目の前を通り過ぎていった。
悪童めいた言動のせいか、フレディにはファンが多い。だが、シノは見つめられても全くときめかない。それどころか、こう言ってはなんだが「どこか残念な人」だと思っている。
さすがにリタの術士たちは手慣れていて、巻き込まれるのを嫌った者は素早くロビーから退散し、残った者は遠巻きに見物している。中には騒動を楽しんでいるのか、笑みを浮かべている者さえいた。当然だが、リゼたちの姿はない。
近づいてくる相手の姿を確認した小さな女帝は、明らかに嫌そうな表情を浮かべると、プイッと視線を逸らして歩き出す。
追いすがるフレディ。
「なんだなんだ、今日はやけに冷てぇじゃねーか」
(いつものことだろ!)
……と、皆が心の中でツッコむが、シノは思わずクスリと笑う。
リタ術士会の中では、常に他人の反応を気にして、言いたいことが言えない雰囲気が蔓延している。それだけに、この二人のヤリトリは新鮮だ。少し羨ましくもある。
まったく相手にされていないのはフレディも分かっているのだろう。それでもしつこく付きまとう。
とはいえ、からかったりバカにしたりという感じではない。どちらかといえば、不愛想なコトリを気遣っているようにも……見えなくもない。
あまりのしつこさに降参したのか、コトリが足を止めて振り返る。
いや、そうではなかった。降参どころか、その逆だ。
近くにあった椅子が触れてもいないのにフワリと浮き上がる。
「ヤバい。女帝が怒った」
「いつ見ても分かんねぇ。いったい、どんな術式だ?」
「風属性の三角陣だよな……」
「問題は紋章の組み合わせじゃ。グランかタークか、はたまた古代の紋章かのぅ」
ずいぶんと少なくなった目撃者が、一斉にざわめく。
そんな中、浮き上がっていた椅子が、コトリの動きに合わせてフレディを襲う。
鷹のように獲物を狙って飛翔する椅子。だが、フレディに近づくにしたがって徐々に勢いを失っていき、最後は空中で静止する。男は目の前のそれを軽やかにつかむと、仕方ねぇな……といった感じで床へと丁寧に置いた。
「さすがフレディさん。やっぱり委員会メンバーよね」
「でも相手は小さな女帝よ。怖くないのかしら」
多くは呆れた声だが、中にはフレディを称賛する声も聞こえてくる。
「おいおい、そんなもん飛ばすなよ。誰かに当たったら危ねぇじゃねぇか」
抗議しつつも苦笑するフレディに対し、コトリは年頃の女の子らしからぬ表情で睨み返すと、無防備なまま近づく男に向かって、全く予備動作のない後ろ回し蹴りを放つ。
下手な法術よりも強力なのでは? ……と思えるほど、素早く鋭い蹴りだ。
しかも、避けられると分かっていたのか、足の軌道を空中で変えると、置いてあった椅子の背もたれにつま先をひっかけ、豪快に跳ね飛ばす。
さすがのフレディも、これには慌てた。
受け止める余裕はない。反射的に背を反らせて避けてから、声を漏らす。
「うぉ、やべぇ!」
危機一髪だった……という意味ではない。椅子の行方によっては周りに被害が出てしまうことに気付き、避けたことを後悔したのだ。
体勢を崩しながら、慌てて椅子の飛んでいった方向を見る。
コトリも焦った。
椅子の飛んでいった方向には小さな女の子が立っていた。
慌てて椅子を止めようとするが間に合わない。
シノも驚いた。
いきなり椅子が凄い勢いで飛んできたのだ。
だが、慌てず騒がず意識を集中する。と、椅子がシノの身体に触れる寸前で、急停止した。風圧で髪や服が揺れる中、それを両手でしっかりつかんで、丁寧に地面へと置く。
シノにとっては何のことはない。フレディと同じことをしただけのことだが……
一瞬の沈黙。しばらくして、感嘆の声が広がっていく。
「えっ、大丈夫なの?」
「……すごい」
「あの子、この前来たばかりの…えっと、カグラ……なんとかっていう……」
「まさか、あの、真の天才術士!? あんな小さい子が!?」
「さすが、天才ちゃん♪」
あまり注目を集めるのが好きではないシノだけに、この状況は好ましくない。
どうしたものかと悩んだ末に、サッサと逃げようと思ったのだが……
「悪いスマン。大丈夫か? どっか怪我とか、してねーか?」
駆け寄ってきたフレディが、目の前に立ちふさがる。
何と言えばいいのか、心配してくれるのは素直に嬉しいけど、とにかく間が悪い。フレディのせいで余計に注目が集まってしまった。
そういうところが「どこか残念な人」なのかも知れない。
「ぶ、ぶつかってないので平気……です」
「そうかそうか、そりゃスゲーや。あれを止めるって、普通できねーって」
「いえ、あの……フレディさんと同じことをしただけで……」
ああ、なんだか周囲の視線が痛い。
「それに、フレディさんのほうが、ずっと少ない力でキレイに受け止めてましたよね。私なんて、まだまだです。では、失礼します」
シノは早口でそう言うと、返事を待たずにピョコンと頭を下げ、逃げるようにロビーから去って行った。