北端の街 巡回警備任務編
題名 北端派遣
第1章 発動
北端の春は遅い。
半島に海から吹きつける乾いた冷気が、日中でも旅人たちを真正面からとらえ、地表にまだ残る雪の表面をなでながら粉雪を舞い上げていく。
その旅人一行は早朝から丸一日、口数も少なく歩き続けていた。北端まで伸びる商道は未だ雪深く、一足一足踏みしめるごとに旅人一行の体力を徐々に削っていった。商道の両脇にはうっそうとした針葉樹林帯が広がり、さらにその視線の遥か先には険しい山々の峰が岩肌を純白に染め上げている。
鋭利な刃で断面を切り落としたかのような断崖に、夕日のオレンジが反射始めた頃、一行の先頭を行く索敵と斥候担当のオルガが突然右手を上げた。その指は警戒の2の字を組んでいる。
一行は即座にその合図に反応し、身をかがめたまま広い商道の両端まで各々素早く移動した。このあたりは日ごろの訓練で体に染み込んだ一連の動作なのだろう。オルガもサインを出した途端に、こちらも解けこむように路地の新雪の盛り上がりの陰に身を潜めた。雪森を緩やかに渡る風が地面の雪を舞い上げ始めた。
程なくして目指す商道の先から、秩序のない野獣の群れのような足音が鈍く響くのが聞こえた。長距離用の大きな弓縫いを背負った狙撃のヘンドリクスが商道脇の大木の一つにスルスルと上るのが見える。高角度から獲物を仕留めるようだ。
隊の後列からはボソボソと補臨魔法を詠唱するつぶやきが聞こえる。後方魔術師のカリンダだ。彼女のつぶやきに呼応するかのように、ほかのメンバー達は各々の背嚢や脇革袋から動力や対毒効果のある効果アイテムを取り出し、各々口に含んでいだ。トリスタンもこの遠行支度のために調達した対衝薬として効果の高いアミノメの果実の抽出液を飲み込んだ。あの重い足音からして、相当体重の乗った相手であることを考えての選択だ。
視野のかなり先には商道が緩い右カーブをきっている。そのカーブを黒い一団、いや群れが姿を現した。やはりカリブノーツの群れだ。
カリブノーツは獰猛な亜種族で、全身が黒い体毛に覆われており、二足歩行で俊敏に移動する。さらに簡単な革の装甲物も装備している個体もある。大きいもので体長は優に人族の倍を超し、基本的に群れで行動するほか、ある程度の知性もあり、陣形や共闘といった行動もとる場合があるので厄介な相手だ。それらが群れを成しているときにはその危険性は増すのだ。
この状況を視認した指令のカルマが素早く号令を発した。
「オルガは地爆を撒いたのち後方で支援。ターンは前方に移動し防盾を準備。新陣形を試す。その他は各々の持ち場につけっ!」
防壁のターンが、道のわきから飛び出し、雪に足を取られながらも、なんとか商道の中央に陣取った。そして背中に背負っている大型の防盾を垂直に構えた。その能力である防盾の展開を始めるのだ。
その他のメンバーも防壁の手前より隊列を組みながらこれから始まるであろう戦闘に備えた。防盾のターンを先頭に、隊の中核である攻撃手のカイバーとアンバーの二人、その後ろに今回初参戦となる一撃のトリスタンと指令のオルガ、最後尾に戦闘魔法手のティーズと、後方魔術師のカリンダ、介抱士のハンザ、さらに早々に地爆という着火すると発煙、爆発する手製のトラップをふんだんに撒いて後方に退いたオルガの4名。道のわきに潜むヘンドリクスを含め総勢10名の構成で、今回の布陣は基本となるテレッソと呼ばれる要撃の陣形だ。
たらりと目じりを汗の粒が滴った。トリスタンは抜刀したまま片膝をつき、じっと夕日が陰る前方をにらんだ。本格的な戦闘経験は数えるほどしかなく、まして今回のような隊戦闘は初めて。握った突撃刀がやけに重く感じた。
その気配を察したのか、隣にいた指令のカルマがトリスタンの肩を軽く小突いてニヤリと笑いかける。それで何か胸の中の不安の塊が剥がれ落ちた様に、トリスタンはひとつ大きく息を吸い込み、そして吐いた。あの長く厳しかった訓練の日々は今、まさに、そうここで開花するんだという思いが、まるで発泡酒のあふれ出る泡の様に胸から沸き起こる。その一杯もこれに勝利したらさぞかしうまいだろう。
今一度、束を握りなおしたその時、前方から大きな爆発音がドーンと複数回響き渡り、針葉樹林の雪を払い落とした。同時に獣達の咆哮が遠くから響き渡る。始まったのだ。
突然の爆発と立ち込める煙の中でカリブノーツの一団は大混乱しているのだろう。先頭の2体は爆発をまともに受け、その場でうずくまっている。その群れの大半は突然の爆発と煙のなかで、生き物の本性としての危険を察知した初動として、その場で態勢を低く身体を身構えているものがほとんどだった。
この一瞬の空白をついて、どこからか森を渡る澄んだ声が響き渡った。
「てき、カリブノーツ、15体っ。」
これを合図に前方の攻撃方3名が、間髪入れずに敵の懐に突進していく。最前列のターンが防盾と呼ばれる目視できない透明の障壁を最大限に展開して前進し、その脇をカバーするカイバーとアンバー。彼らは各々、利き腕が異なることを利用して、左右から抜刀した幅広の斬馬剣を低く構えながら進み続ける。この3人を見ていると、そのきれいなシンメトリーがまるで羽を広げた一羽の鳥の、今にも獲物を狙うような一体感を感じた。
最初の衝突はターンの盾が敵の先頭集団に激突することから始まった。ガツンという金属同士の鈍い音が響いた。
その直後に一歩後方に展開していた攻撃手の二人が、衝突で慌てふためいた最前列のカリブノーツ2体に対し、相手の急所である首筋を正確に薙ぎ払った。攻守連携した白の8隊自慢の先手法である「白鳥」だ。
突然の出来事に、まるで状況を把握できなかったその2体は、自分たちを屠った相手を認識する間もなく絶命した。
「残り13っ」
また澄んだ声が飛ぶ。間髪を入れず、後方から攻撃魔法士のチーズが相手集団の最後列に水蒸気爆発を引き起こす攻撃魔法を繰り出した。
すでに魔法の詠唱はこの敵と遭遇する前の段階で完成していたのだ。爆発は小規模だが、音と水蒸気の発する水煙が、地表の雪を巻き上げて相手の混乱を引き起こすに十分な効果があった。
敵の群れは突然背後に起こった爆発と路面の雪を含んだ雪煙に、一瞬、自分たちは退路である後方を取られたのではと勘違いした。
群れの大半が、後ろを振り向かざるを得なかった。その瞬間、いつの間にか弓を構えた指令のカルマと斥候のオルガが並んで敵2体の後頭部を正確に射抜いていた。
何という手際だろう。トリスタンはただただ驚いていた。隊の行動や攻撃の一つひとつに意味があり、さらに次の行動に連動している。そしてそれらは確実に敵の個体数を減らしていく。
ある程度の戦闘集団のレベルになると戦闘行動は一つの物語のように紡がれるという。これは主都の養練所で繰り返し取り上げられる題材ではあるが、今、正に目の前で繰り広げられているその光景に、トリスタンは戦闘中にもかかわらずこみ上げる感動を抑えきれなかった。
さらに最前線の白鳥陣が3体を仕留めたころ、指令のオルガは弓を投げ捨て、スラリと自身も抜刀して叫んだ。刀身が夕闇迫る雪原にうっすらと青みがかった光を放っている。切断性と耐久性を上昇させる氷属性の効果が特別に付与された魔法剣「氷斬刀」だ。
「全員、たたみかけるぞ。左右に展開してやつらを中央に固めさせろ。」
そして突然、その刀身と同じくらい鋭い眼光を、脇にいたトリスタンの顔に向けて静かに言った。
「トリス、お膳立てはする。さあ見せてもらうぞ。タイミングはお前に任せる。」
シンプルな命令だが、どこか指令の眼が笑っているような、こちらを試すような眼差しだった。
トリスはその瞬間ごくりとつばを飲み込み、その手に馴染んだ自身の突撃刀の束を握りなおす。薄い革を幾重にも巻き込んだその束は日々の鍛錬で自分の手の一部のようで、これを握るとなにかこの刀との一体感を感じ、とても落ち着く。
トリスタンは密かにこの刀に名前を付けていた。この突撃刀は刀身が比較的短いが振るうたびにブンブンと風を切る音が心地よい。ここから彼はこの刀を「風切丸」と呼んでいた。
その風切丸をゆっくりと突撃姿勢に合わせて、その切っ先をカリブノーツの群れの中心に合わせた。
ちょうどその頃、最前線では形成を立て直したカリブノーツの中核と、ターン、カイバー、アンバーの攻撃陣が互いの体力の削りあいを展開していた。
カリブノーツは基礎体力で人族に勝るほか、硬質な丸太を粗く削ったこん棒を装備した個体もおり、肉弾戦では通常の兵士レベルでは苦戦するだろう。
前線の3名は互いに連携し合い、体力的な不利を補うほか、ターンが使用している防壁は相手の殴打などの直接的な攻撃による衝撃を大幅に軽減する効果がある。
また装備の差も大きかった。彼らが着装する防具類は軽くしなやかな金属と、ある程度の衝撃であれば吸収する特殊な加護効果がある特効素材を使用してある。
さらに彼らのその手に持つ武器類もそれぞれ素晴らしい切れ味と特殊な効果を付与されていた。
それらのポテンシャルの差がやがてカリブノーツの群れをじりじりと後退させていく。また一体、ターンが振り下ろした大型の片手剣の一撃を頭部にまとも受け、もんどり打って倒れこんだ。
「残り9体ーっ」
澄んだ声がまた頭上のどこからか響いた。夕日がいよいよ陰りを見せ、夜空が地平線に迫りだした頃、後方の魔法使い2名と中盤のトリスタン以外のメンバーが敵の前方と左右を包囲している。
意外なのは介抱士のハンザも、普段の後方支援の立場から一転して、いつのまにか大振りの槌を両手に構え側面からカリブノーツの群れをけん制している。
こうして、人族に包囲された形のカリブノーツの群れは、ほぼ二列縦隊に整えられた形となり、彼らは互いに背中を向けあい、いつかはくる人族の攻撃の前に、敵意と恐れの両極のなかでその狂暴な表情をひきつらせていた。
群れの後方には、ひときわ大きな個体が見える。この群れのリーダーなのであろう彼は、この状態が人族によって意図的に仕組まれていることを直感的に感じていた。と同時に、後方はまだ塞がれていない現状から、脳裏にはすでにいつ逃走するかということしか考えられなくなっていた。
突然の奇襲から相手の流れるような連携攻撃により、確実に一体、また一体と群の個体を減らす戦略、さらには気づいた時にはすでにあっさりと包囲されている手際。これらが意味するのは、自分たちが今まで出会ったことのない程の人族の手練れであり、経験上、決してまともに立合ってはいけない相手であることをひしひしと感じていた。
もはや彼に群れの存続や無事を思う余裕はほとんど無かった。
ほぼ獣の群れが一直線上に包囲されたことを確認して、指令のオルガは敵陣正面のターンに目で合図を送った。
旅先で時間を見つけては幾度も訓練を繰り返した、この隊にとってある特殊な攻撃をついに試す時が来たのだ。それも最も好都合な条件がすでに整っていた。
ターンの後方にはトリスタンがその時、固唾を飲んで待ち構えていた。黄昏はいよいよ黒色の濃度を増し、あたりは夕闇が手元すらも染め始めたころ、オルガの鋭い一声が、暮れた商道に響いた。
「今だ、貫剣一閃、放てっ。」
その命令の最後の言葉にかぶせるようにターンの後方がうっすらと輝きをはなった。その場にいた誰しもが、この夕闇のなかで光るまるで朝日に反射する鏡の光沢に一瞬動きを止めた。
突撃刀は一見すると少し小ぶりのよくある刀剣に見える。しかしその切先には刀身とは別の鉱石が組み込まれ、今まさにその鉱石があたりをまるで昼間の明るさにするほどの明るさを放っていた。
トリスタンは片膝を地面につき突撃刀の束を懐に構える突撃体制に構えた。すでにその時までに突撃刀への発動付加の詠唱を終えていた。構えたその視野の先には、すでに敵の一群がまるで標的のように固まっている。
隊長の号令を聞いた瞬間、トリスタンは詠唱の最後の言葉をつぶやき続けた。
その瞬間、光の結晶がまるであふれ出る光の激流の様にトリスタンの刀の切先からほとばしった。同時に全面に展開していた味方部隊は一斉に左右に飛びのいた。
トリスタンは、光の激流が噴き出す愛刀を、いつものように冷静に前方に突き出しながら最後の詠唱を完了させた。
そしてそれは起こった。
突撃刀からほとばしる光りの閃光の激流が、カリブノーツの群れを一気に飲み込む。あたりは日中の様に、白銀の商道と、戦闘で所々赤く染まった路面を煌々と照らした。
保護魔法を担当するカリンダは、隊の前衛部隊へ直接攻撃の衝撃を吸収する補助魔法を詠唱しえ終え、何とか自身も息を整えていた刹那、ふと前方に目を向けた瞬間、信じられない光景を目にしていた。
前方に突然湧き出した光の激流が、あの屈強なカリブノーツの群を飲み込み、文字通り溶け込むように蒸発させたのだ。
道中の訓練では、トリスが最後にこの技を発動する直前までで、いつも隊長のカルマは待ったをかけていた。実際の発動をみるのはこれが初めてなのだ。
この隊に加わってあまり日の変わらないトリスを、いつも仲間というかむしろ弟の様に接して面倒を見てきたカリンダにとって、日ごろはボーっとしていることもあるあのトリスが、今はまるで別次元の戦士の様に見えた。
「すげっ。」
路肩に転がるように飛びのいたターンも、あまりの光景にこちらも言葉を失った。
一筋の炎の轍が雪の降り積もる商道の地肌を雪ごとえぐり取り視野の先まで煌々と照らした。その周りには焼け焦げた残骸がいくつも転がりその肉を焼いた匂いと煙がくすぶっていた。
白の8隊にとって、この時ばかりはあの危険なカリブノーツの群を退けた達成感よりも、むしろ経験したことのない人知を超えた力の発動を体験したことによる興奮が支配していた。
あたりは完全に夕闇につつまれていた。