⑤生ドリアン&インドネシア土産のドリアン菓子
最近見なくなったモノですよね、海外の果物。
君はどんなモノを食した事があるか。
必要以上に身分不相応な山海の珍味を食したか。
或いはまだ見ぬ未経験の味に驚愕したか。
人はモノを食い生きる。
ただそれだけの為に生きて何時か死ぬ。
ただそれだけの為に食べるのだ。
しかし、人は飽きる生き物である。毎日同じじゃあ、つまらんぞ?
たまには好奇心の赴くままに、食してみないか?
但し、好奇心は猫をも殺す、とも言うが。
その昔、稲村某はスーパーの鮮魚売場で働いていた。
地元の小さなチェーン店のスーパーで現在は廃業したが、販売業に馴染みの無かった自分から見ても、相当にファンキーな店舗だった。夏のウナギ特売時に、店頭の特設テントで焼きながらウナギを販売していた鮮魚の主任が閉店後、「炭が余ったからバーベキューするか、ねぇ店長!!」等と言い出し、正面入り口の遮蔽カーテンを締め切ったかと思うと、売場から見切りの魚や干物を持って来いと稲村某に命じ其れ等を炭にくべ、店内にあった試供品のチューハイを開け始めた。時代が今とは違うとはいえ、「たまにはいっか!!」と店長以下ほぼ全員が酒盛りを始めた訳で……思えばおおらかないい時代だったのだろう。
そのスーパーで暫く鮮魚担当に従事していたのだが、研修が終わると同時に社員が居ない青果に回されて、野菜や果物を売る日々が続いた。本人は「鮮魚希望で入ったのに……」と落ち込んでいたのだが、世の中そんなに甘いもんじゃない。いい社会勉強になったと今は思うが、当時は嫌で仕方が無かった。
そんな毎日が続いていたのだが、とある夕方、青果の主任が「何でも勉強だ、見切りで売られていたから、これ食べてみようぜ!」と取り出したのが……ドリアンだった。
さて、諸兄はドリアンをご存知か?
今や知らぬ者は居ない果物の王様、巨大なトゲだらけの外皮の中にはクリームに似た果肉が身を潜め、口にすれば豊潤な香りとしっとりとした上品な甘味が味わえる。そんな珍しい果実である。
だがしかし、相手は大型スーパーに並んでいた見切り商品。既に追熟を通り越して、やや危ない匂いを発する不気味な物体と化していた。
けれど、ここで辞退するんじゃあ、男が廃る。稲村某はそう決心し、恐る恐る切り分けられた白い果肉にフォークを突き刺し、意を決して口へと運び……
……あむ、と噛み締めて食してみたのだが、
……残念ながらそこには一切の慈悲は無かった。
其処に在る筈の甘美な桃源郷は存在せず、突如現れた異界へと繋がる扉が軋みながら音を立ててゆっくりと開き、悪鬼羅刹が跳梁跋扈する只中へと、稲村某を吸い込んだ。
いや、別に余りの臭さで死んじゃって異世界転生した訳ではないが、それだけのダメージを受けた訳です、ハイ。
食べ初めに感じたのは、プロパンガスに付けられた危険予知の為の悪臭。そうとしか表現のしようの無い悪臭が鼻から一気に通り抜けて、鼻腔全体を完全に占拠したのだ。
味? そんな甘っちょろい存在は一切感じられなかった。甘さもへったくれも有りはしない。ただプロパンガスの風味だけが延々と続き、舌も口の中も全てが統一されたイメージに汚染されるのみ。
気分的にはプロパンガスのホースを口一杯に咥えて、一気に吸い込んで鼻から吐き出したような感じである。そんなのした事ないが。
結局、目から涙を流しつつ、口にした全員(稲村某と主任、もう一人の社員)でゲホゲホ言いながら、口直しにガムを噛んでみたけれど、全く治まる気配は無い。それから一時間はプロパンガスの残り香に悶絶し、残されたドリアンを二度と口にする事は無かった。
それから数年後、全く違う業種に従事していた稲村某は、インドネシア人の青年と懇意になった。
そして彼が田舎に帰省した後、お土産として手渡されたのが「ドリアンを使ったお菓子」だった。
小さな包みに入った菓子の見た目は茶色いキャラメルに似て、現地の形成技術のせいか三角形の形をした小さなモノで、過去に口にした生ドリアンのイメージからは駆け離れた柚餅子そっくりなものだった。
それでは、食してみよう。
封を開けて中身を口へと入れる。やや癖はあるものの、何処か懐かしさすら感じる優しい甘さ。僅かに感じる香りはドリアンと言われればそうなのかもしれない程度だが、プロパンガスには程遠い。
穏やかな甘さはとても上品で、一瞬だけだがインドネシアの涼しげな木陰で涼を楽しむ、平穏な情景が目の前に幻視出来たような気になった。
食べ終えた稲村某はニッコリと笑いながら、彼に向かってサムアップしつつ、
「グッジョブ!!」
と、感謝の意を表して、彼の手を握りながら固く握手した。
そんな彼はとっくの昔にインドネシアに帰ってしまったが、稲村某の脳裏にくっきりとこんな言葉を残してくれたのだ。
「ドリアンを食うならば、現地の菓子に限る」、と。
果物、未だに特別好きでもありません。それではまた次回も宜しくお願いします!




