一話 『始まりの音』
ゴブリンとエルフの冒険……なんだか危険なワードですね。
では、ゴブリン勇者、始まります!
「はぁっ、はぁっ、はぁっっ……!」
イレーネは森の中を走っていた。故郷を追い出されて一人、暗い森の中をさまよい続けていた。
夜の帳が下りている森の中は暗く、闇精霊の加護がなければ二、三歩歩いただけで転んでしまっていただろう。
そんな不安の中、彼女には止まれない理由があった。
「「ギヒェヒェヒェヒェェェッ!」」
「ひ……!」
彼女は後ろをちらりとうかがい、そのおぞましい光景に小さく悲鳴を洩らした。
運悪く緑肌の醜い子鬼――ゴブリンの群れに見つかってしまい、それに追いまわされること十数分。足はもう棒のようになり、体力も限界に近かった。
だがゴブリン達は体力だけはあるようで、逃げる彼女をなぶるように一定の距離を保って追ってきている。
そんなゴブリン達にイレーネは苛立ちながらも、確かに恐怖を覚えていた。
イレーネは美しく、熟れた年頃の乙女だ。残虐で非道なゴブリンたちに捕まってしまえば、その先は想像に難くないだろう。
涙がにじむ視界で、イレーネは歯を食いしばった。
「誰か助けてよ……!」
そんな情けない悲鳴は、森の中を木霊するだけだった。だがそれも、すぐにゴブリンの叫びにかき消されてしまう。
「「ギヒェヒェヒェヒェヒェヒェッッ!!」」
嘲笑うようにゴブリンの哄笑が大きくなる。その汚らしい笑い声に耳を塞ぎ、イレーネはせめてもの抵抗としてゴブリンたちへ右手を突き出し、火の魔法をゴブリン達に向かって放った。
夜闇を切り裂く赤々とした業火が、ゴブリン達を呑みこまんと牙を剥く。杖もなしにこれだけの威力の魔法を放てるのは、きっと彼女が長耳族――エルフだからだろう。
だが。
「あっ……!」
極度の緊張でコントロールがぶれたのか、魔法はゴブリンに当たる直前で軌道が変わってしまいゴブリン達の背後へ飛んで行ってしまう。
「……ギヒェヒェェェ」
その魔法の威力の強大さにゴブリン達は焦ったのか、獲物を狙う表情へと顔色を変えた。
魔法で抵抗するつもりが、余計ゴブリン達を焚きつけてしまったようだ。ゴブリン達は走る速度をあげ、イレーネを取り囲んだ。
「……!」
四方八方を緑の悪魔に囲まれた彼女は、恐怖と絶望でどうにかなってしまいそうだった。
暗い森の中、自分はこれから女としての尊厳を死ぬまでなぶられ続けるのだ――そう考えると、もう抵抗する気も起きなくなってしまった。
「ギィ……」
不意に、森の気配が変わる。この森の支配者が近づく足音は、死神のそれにそっくりだった。
その場にへたり込み、ゴブリンの哄笑が近づいてくるのをふるえながら待っていたイレーネにはそれが聞こえない。
「ギィィ! ギェ、ギェェ!」
ゴブリン達がしきりに騒ぎ始める。尋常ではないその様子に、イレーネも思わず顔を上げると。
――落ち着き払った、冷静な声が森を切り裂いた。
「すまない。登場するのが遅れた」
身の丈ほどの大剣を背負った、外套姿の男は徐に大剣を構える。
ゴブリン達のざわめきが大きくなり、イレーネは瞬間的にこの男が只者ではないのだと気付いた。
彼が大剣を振りかぶる。外套の袖からまくれた右腕は、ゴブリンのように緑色だった。
「フッ」
音もなく、男は大剣を横に薙いだ。
凄まじいほどの風が吹き荒れ、イレーネは思わず目を瞑ってしまう。
風がやむと男は、大剣についた血糊を払いながらイレーネに向けて言った。
「……もう大丈夫だ」
眼を開いて見ると、上半身と下半身を真っ二つにされたゴブリンの死体があちこちに転がっている。
あたりには、ゴブリンの血と思しき緑色の液体が噴いていて、それは彼の手の中の大剣も同様だった。
そんな凄惨な状態だったから、イレーネは思わず訊いてしまうのだ。
「あなたは、何者なの……?」
彼は、少しばかり逡巡してから、こう答えた。
「――勇者」
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