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1 立太子の儀


 その後。

 その夜のうちに例の「怪物の爪」を確認してもらい、王子はそこですぐさま父王から立太子への認可を受けた。王の印璽(いんじ)の捺された証書が下賜(かし)され、お言葉を頂戴する。

 正式なお披露目の儀式などは後日、他国の王族や上級貴族たちを招いて盛大に催されることになっている。そのため、その夜は速やかに食事と湯浴みを済ませて寝床に入った。

 その時点で、そろそろ東の空は明るくなりかけてしまっていた。普段であればこんな横着なことは許されないが、これは特別な「王太子になるための儀式」だ。そのため唯一、翌朝遅くまで寝坊をしても許されることになっている。

 自分の寝台にもぐりこみ、側付きの召し使いや女官たちがさがってからようやく、王子は先ほど起こった様々な出来事をゆっくりと思い出すことができた。


(あれはいったい……何者だったのだろうか)


 もちろんあの古城で起こった顛末も、出合った怪物のことも、だれにも話してはいない。それは彼との約束だったし、王子自身もそのことを、あまり人に話したいとは思わなかった。

 不思議なことに、「もしも話してしまったら、自分の無様な行動が世間に公表されるから」というような懸念は、実はほとんど持っていなかった。なんとなく、あの男がそういう浅薄な真似をするところが想像できなかったからである。

 どうしてそう思うのかは、自分でもよくわからなかった。


(彼はまだ、あそこに一人でいるのだろうか)


 分厚いカーテンの隙間から、朝の光がぼんやりと忍び込んできている。王子はごそりと寝返りを打って、見るともなしにそれを見つめた。

 天蓋つきの寝台には、ふんだんにレースをあしらった薄手のカーテンが下がっている。それを透かしてぼんやりと明るくなってくる室内を眺めているうちに、ゆるゆると眠気が忍び寄ってきた。


(お腹は空いているだろうか。ああ、きっとそうだ。うん、それなら──)


 そのあとに続く思考は、微睡(まどろみ)の女神の優しい手に遮られて、すうっと遠のいていった。





 翌日もその翌日も、王子が城を抜け出す機会は訪れなかった。

 まあ、それは無理もない。翌日には盛大に王位継承の儀が催され、他国から、また国内各地から錚々(そうそう)たる面々が続々と詰めかけてきたからだ。彼らはもちろん、ともに立太子の儀を寿(ことほ)ぐために招かれた人々である。

 当然ながら、式典の主役である王子が不在を決め込むわけにはいかなかった。


 式典のため、近侍の者たちにきらびやかな絹地の衣装を着つけられながら、王子はずっと、まったくの余所事(よそごと)ばかり考えていた。

 城を抜け出すためには、何時(なんどき)ぐらいが適当だろうか。間違っても、こんな衣装では出られない。目立って仕方がないものな。平民が着るような地味な装束を準備しておかなくては。そういえば、以前、仮装の夜会が催されたときに用意した、馬引きの服があったはず。

 となると、肝心なのは食物だ。できればそのまま素手で食べられて、調理済みのものがいい。それらの手配は、だれに頼めばよいだろうか──。


 そんな風に完全に別のことを考えながら、王子はその王位継承の儀の一日を、様々な王族や貴族たちからのお祝いの挨拶を受け続けることで過ごした。その後もあれやらこれやらと、一定の決め事に従った儀式が続き、夜ともなれば王子はすっかりへとへとで、寝台へ倒れ込む毎日だった。


 そして、五日目。

 その日の午後、王子はやっと自由な時間を取り戻した。

 そして早速、計画どおりにことを進めはじめた。

 本来、王太子になった彼にはさほどの自由時間などはない。いずれ王になるためには、まだまだ多くの勉強をこなさねばならず、父の補佐役として仕事の一部も肩代わりしなくてはならないからだ。


 しかし、王子は会いたかった。

 とにかく、かの怪物にもう一度だけでもいいから会いたかった。

 護衛の兵士らの目をかいくぐり、かねてより準備しておいた通り、城に出入りしている商人の一団に紛れて外へ出る。商人の(おさ)を務める男には十分な謝礼を支払ったが、自分の素性は明かしていない。あくまでも「遊び人の青年貴族が街へ遊蕩(ゆうとう)に出かける風」を装った。

 その後は側近の者に頼んでおいたとおり、町の商家で馬を借り、事前の打ち合わせの通りにいくばくかの食料を受け取って、あとは一路、森をめざした。


(怪物どの……!)


 いや、それが呼び方として大分おかしいことはわかっていたが。

 かの怪物の名前すらも知らない王子にとって、今はこうとでも呼ぶほかはなかった。

 


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