プロローグ
先ほどまで、カランコロンと涼やかな音を響かせていた下駄は、幼い少女のまだ柔らかい手に鼻緒を掴まれ、ブラブラ
ーーとまではいかないが揺れている。
一人の少女がもう一人の泣きじゃくる少女を背負いながら、ゆっくりと人気のない道を歩いている。祭りの喧騒が遠く聞こえる暗い石畳の道は不気味でありながらも、どこか神秘的であった。
「夢そんなに泣かないの」
「だって……こわいんだもん……」
「おばけが出ても舞が守ってあげるから」
「ほんと?」
「うん!」
舞の心強い言葉に、涙ばかり流していた琥珀色の夢の瞳がキラキラと輝き、涙が止まった。その瞬間を見計らっていたかのように、丁度良く大きな社の前に二人はたどり着いた。
そこには光の灯った提灯がいくつかぶら下がっており、心細さから凍えていた二人の心を優しく溶かした。光というものはこれほどまでに安心するものなのだと、舞は幼いながらにもそう思った。
チリン……
どこからともなく鈴の音が聞こえてきた。どうやら舞の背中の夢は泣き疲れてぐっすりとご就寝なさっており、先ほどの音が聞こえたか確認することができない。
「その子をくれないかな」
不意に男とも女とも取れない声が聞こえてきたかと思えば、目の前にぼうっと火の玉が現れ、驚き、瞬く間に人間の男の形になった。特徴というと、提灯の光を受けて輝く金色の髪に、黒い和服を身にまとっており、顔の上半分を狐面のようなもので隠しているところだろう。
「その子が十六になった年のこの夏祭りの夜、迎えに来るよ」
「……って」
突然のことに声が出せなくなった舞は、突然わけのわからないことを言い始めた目の前の男に対して、やっと喉の奥から声を絞り出せた。あまりに弱々しく、掠れた小さな声。幸い、先ほどまで遠くで聞こえていた祭りの音はもう聞こえなくなっており、辛うじて聞き取れるほどの声量ではあったはずだ。その証拠とは言えないが、彼は「ん?」と聞き返してきた。
「まって、勝手なこと言わないでよ」
「勝手なことって……。その子くれないとこの土地でたくさん人が死んじゃうよ?」
困った、と言わんばかりの仕草だが、どこか胡散臭さを感じる。
「夢は舞の大事な妹なの!」
「……困ったなあ。じゃあ君が代わりになってくれる?」
「いいよ!」
舞の当然だと言わんばかりの返答に男は固まってしまった。その様子に、先ほどまでの今にも泣きそうな表情はどこへやら、してやったりと言わんばかりのどや顔を披露していた。
「……まあいいか。じゃあ忘れないでね、迎えに行くからさ」
仕方なさそうにそう言うと、提灯の明かりと共に男は消えてしまった。その後すぐにはぐれてしまった親に発見されたが、まるで夢のようだったあの謎の男との話は「信じてもらえないだろうな」と誰にも言わないことを決意した。何より、そんな話が妹の耳に入れば、お姉ちゃん大好きな夢は泣いてしまいそうだったから、というのが本音だ。
それから何事もなく十三年が経ち、舞は十八歳、夢は十六歳になった。あの祭りの日の約束はすでに舞の頭の中から忘れ去られていた。もし覚えていたのなら、友人と祭りに行く約束などしなかっただろうか。否、覚えていたとしても行っていただろう。ただ、少しは心の準備ができていたかもしれない。
ーーそして歯車は回りだす