第56話悩める乙女、此花乙音
出雲ちゃんが少し強くなって、それに加えて色々頑張ってる所に、調ちゃんは更に張り切って対抗意識を燃やしています。
自分が当主になるんだから、出雲ちゃんに負けない様にって。
それでわたしはずっとサポートをやっていきたいとは思っているんだけど、どこか置いてきぼりにされてしまった観があったのです。何かぽっかりと自分の中に穴が空いた様な・・・・・・。
じゃあどうしようって言う事で、わたしはうじうじと悩んでいました。
わたしは今まで調ちゃんの影に隠れて、調ちゃんに守って貰ってばっかりで、自分の得意な事も見つけられずに来たからです。
勉強だって調ちゃんに適わないし、何やらせてもわたしはトロいのですから。
それでちょっと思う所があって、最近は図書館なんかに通って、子供向けの科学の本とか雑誌なんかを借りたりして、色々自分の勉強をしています。
何故科学なのか。自分でもわかりません。気がついたらそれに手が出てたってくらいで。
勿論、これはあの二人には内緒なのです。
だって、わたしがわたしだけの努力をしているのを、何故だか知らないけれど、あの二人には知られないでいたいと思うからなのですね。
でもだからと言って、理科の成績が目に見えて上がったなんて事はありません。
時々借りる、小説に夢中になって、勉強が疎かになってしまったりもするからです。
本当にわたしはちゃんと目標に向かって頑張れるのだろうか。
そもそも、わたしには明確な目標がないのだから、何も目指しようがありません。
だから、どこに行けばいいかもわからない。
スピリットだってわたしの性格を反映して、隠れるしか能のない、そうそう使い道のないものなのですから、困ってしまいます。
だからわたしは一族の能力の強化もして貰わなかった経緯があります。だってそれで強くなれなかったらと思うと、怖くて仕方がありません。
わたしとは何者なのか。どこへ行くのか。いや、どこへ行きたがっているのか。
調ちゃん達の様にあんなに生き生きと活動する事など、本当に出来るのか首を傾げてしまいます。
そうして、中々自分だけでは答えなど出せようはずもなく、悩んでいる時間だけが過ぎて行きます。
これではらちが明かないと、わたしは思い切って、個人的に頼れるのではないかと思っている小春先輩に話を聞いて貰おうと思いました。
調ちゃんは姐さんと慕っているけれど、小春先輩の本当の凄さはあまりわかっていないのではないでしょうか。わたしもまぁ似た様なものかな。
本をあれだけ沢山読んでいて、どこか独自の自分の世界を持っているだろう小春先輩。そして、大人と交際している事実。
様々な人があの人の周りには集まって来ますし、慕う人も沢山います。
わたしも密かに憧れているんだけど、調ちゃんの手前、あまり表には出さず、忍ぶ恋みたいに心で思っています。別に恋愛感情がある訳ではないんだけれど。
いつも昼休みは教室で読書をしているので、その時に迷惑かもと思いながらも尋ねます。そうすると、今日は真冬先輩と冴子先輩とお話中でした。
「あの、お話中にすいません。今少しいいでしょうか・・・・・・?」
「うん? ああ、乙音ちゃんか。珍しいね、一人で来るなんて。いいけど、何か用?」
こくんと頷き、相談があるんです、と切り出します。
ほうほうと興味深くこっちに向かい合ってくれる小春先輩。だから、悩みの内容や最近の出来事を話します。
この事は調ちゃんと出雲ちゃんには内緒にして欲しいと言う条件つきで。今日も二人には言わずにこっちに来た、と。
「なるほどねぇ。そりゃあわたしもわかる、かも。わたしも明確な目標なんてないしね。あれ、あんまり意外そうな顔しないでよ。ん? ああ、本読んでるからか。うーん、でもなぁ」
と少し歯切れが悪い。どう言う事だろうか。
「そうだなぁ。そもそもわたし達ってまだ小学生だし、成長途中な訳でしょ。だから答えなんて出なくて当たり前だと思う。今から、そんな変な目標があるあの二人だって、今後どうするかもわかんないしさ」
そう、なんでしょうか。あの二人は八雲の家をちゃんと活発にしたいはず、ですが。
「それにね、この時期からそんな人生の目標とか言って、ヴィジョンを固定化してしまってやってしまったら、堅苦しくていつか壊れちゃうかもしれないよ。それにもっと視野を広げて、沢山の可能性を芽生えさせる種を撒くのを、のんびりやる方が、わたしは性に合ってるなぁ」
うーん、確かに燃え尽き症候群とか言う言葉も聞かれますよね。
「そうそう。だからまず今は基礎を鍛えるのが一つ。それからもっと大事な事は、楽しい自分にとっての遊びをもっといっぱいする事。とにかく人生なんて楽しくないとしんどいんだからさ、だから嫌な事を吹き飛ばすくらい、楽しい事面白い事に没頭したいよね。まぁ、受け売りなんだけどね」
楽しい事。でもそれが見つけられるかな、わたしに。不安です。
「その図書館に通ってるって話。それをもう少し深く掘ってみるのもいいんじゃないかな。その借りて来る物は面白いんでしょ」
「え、ええ。興味深くてのめり込みそうな内容です。横道に逸れて借りてしまう小説だって、かなり夢中になって読んじゃって、夜更かししちゃったりもするし」
「そう、それだよ。そう言う体験をもっとしたいって気持ちだよ。わたしもあんまりそう言うのにのめり込み過ぎるから、調整が必要なくらいでさ。だから、こうしてそっちも息抜きして、まふちゃん達と色々な話をしようとしてるの」
そうだったんだ。小春先輩も色々考えてるんだ。もっと達観してるのかと思ってました。
「何かの本にあったけど、勉強とか研究とかそんな難しいように思う事でも、本来遊びが必要なんだって。何だって遊びから始まって、色々な取り組みになるんだよ。だって面白くない事は、仕事と割り切ってやれても、そこまで凄い発見が出来ると思う? それにのめり込んで考えたら止まらなくなる人が多いでしょう」
そっか。じゃあ、あの二人は楽しい、のかな。もしかして、二人で競ってる状態なのがいいのかしら。
「同じ勉強したりして疲れるなら、心地良い疲労の方がいいよね。ぐったりしてしまうより、ああ今日は結構よくやったなって感じでさ。まぁ、それをやる為には、結構しんどいだけの事もしなきゃいけない場合もあるんだろうけどね」
うーん、そうか。もっと自分にとっての楽しみを。
「乙音ちゃんはさ、調ちゃんを気にしすぎなんじゃないかな。もっと自分を中心に考えてもいいと思う」
「それ! 我もそれは適確に指摘していると思うぞ。人の事ばかりじゃなくて、自分の幸せをどんどん追求していくべきだ」
冴子先輩もここぞとばかりに発言してくれます。
わたし、そんなに自分がなかったんでしょうか。そう言えば、何でも調ちゃんに頼り切りだったかもしれません。
だから、もっと調ちゃんを離れる事も考える、か。でもまだ不安な気持ちは変わりません。
でもでも、それが何か未知の航海に踏み出すみたいなドキドキもある気がします。
「あ、ありがとうございます。それじゃあ、もっとわたし自身の何かを見つけられる様に、その小春先輩が言われた様な、楽しかったり面白かったりする事を、気づける様に気を配りたいと思います」
そう言うと、ペコリとお辞儀をして、三人の前から辞去しました。
後ろから真冬先輩が「真面目だね。ハルちゃんも、だから放って置けなかったんじゃない。自分を見る様で」などと言っているのが聞こえます。
そうです。
わたしは中々気の利いた事も言えないし、盛り上げたりするのも苦手ですから。
とりあえず、今日は本を読んで、お母さんの付けている家計簿なんかを手伝える様に、教えて貰ったりしてみようかな。
別の日。
今日は借りていた絵本の雑誌を返そうと思うんだけど、そこで見かけた人の本が大変気になったので、どんなのか大人の書架の部屋に行かなくちゃいけないのです。
思い出の絵本を紹介するコーナーなんだけど、そこに取り上げられていた人の経歴に興味を持ったと言う経緯。
最近、あまり調ちゃんの相手をしてあげられてないのは、少々申し訳なく思っているのですが、小春先輩のアドバイスにも従ってみようと考えている次第です。
「あれっ、乙音ちゃん、今帰り?」
見ると一人で小春先輩がいます。今日は真冬先輩達は一緒じゃないみたいですね。
「は、はい。図書館に寄ろうと思って」
「奇遇だね。わたしも行こうと思ってたとこ。一緒に行こっか」
その小春先輩のありがたい提案に乗らせて貰う事にしました。一般室の案内もしてくれるそうです。
「ふうん。絵本の雑誌ねぇ。誰を探してるの?」
「えっと、青森若葉って女性の作家なんですけど、どうも変な本が多い様で」
ははあんと言う顔を小春先輩はされました。何か変な事を言ったでしょうか。
「青森若葉かぁ。あの人は小説も難しいけど、エッセイだとかその辺の本も、まぁ一味違うよね。うーん、確かに図書館にはあると思うけど、あれホントに読むの?」
「わたしじゃ難しいですかね・・・・・・」
「いや、そう言う訳じゃないけど、人は選ぶって言うか、あんまり面白いものでもない気がするなぁ。青森若葉の言葉が好きな人には、そりゃあ痛烈に感動的なんだけどね」
どうも小春先輩はその作家さんが好きみたいです。だからこそなのか、その人を勧めるのを躊躇している風です。
「とにかく、一度読んでみるといいかもね。それから判断するといいよ」
そうして、わたし達は二人で図書館に行きました。
一般室の書架はやはり児童室より広いです。
沢山本があるものの、流行の小説とかも揃っていて、文学ばかりと言うのでもないようです。ライトノベルのコーナーとかも発見してしまいました。
それで「ああ、ここここ」と小春先輩が指すのは、エッセイのコーナー。何やら小説の方は小説の場所にあるらしく、それよりはこちらがいいだろうとの事です。
パラパラ見てみると、結構読み応えはありそうです。一つ見てみるとこう書いてありました。
「全てを記述する事は出来ないし、人生を全て記憶する事も出来ない。そして、人間はどうやら途上に起きた経過ではなく、終盤の記憶を強く印象として記憶するらしい。
人生は川であり、それは淀みなく生起しては消えていく儚いものだ。だからこそ常に最善を求めればいいかと言うと、いやそうではないのではないかと、わたしの直観は告げている。
思うにあまりにもその記憶として印象づけられるものに囚われるから、死の直前を幸福で終わりたいと思う。故にそれがいつになるかわからない不安から、日々の近視眼的な快楽に浸ろうとする傾向は往々にしてある。
しかし、享楽とはそこからもっと飛躍するものだ。苦痛を快楽に変えるマゾヒズム的な趣味的快楽を持ち、それでも苦痛は苦痛として改善しようとし、頭脳の状態をある事柄に没頭させられれば、とわたしは願う。
全体は記述出来ない。そして人生は短い。それ故に、享楽的好奇心で、様々な事象を逍遙する事が出来れば、あまりにもつまらない人生にはならないだろう。
不満ばかり抱える人は、日々のストレスを解消する手段を知らなければ、麻薬的快楽を求めては禁断症状に陥りがちだ。そして、手軽に閲覧出来る情報に接して、更に不満は高まる。
勿論、社会運動としての虐げられている者の怒りは必要だ。そうではなくて、わたしの言うのは、自分と関わりの薄い誰かの不道徳ではあるが法には触れない行為に対しては、あまり熱中し過ぎては、リソースを無駄にするばかりか、その問題に対しても物事の視野が狭くなり見えづらくなるだろうと言う事。そう言う視野狭窄に嵌まってしまっていると感じたら、一度距離を置いてみるべきだ。
望ましいのは出来るだけ自分の好きな音楽を聴く機会を作ったり、何かリラックスする時間を作りながら、やはり他者とは関わらない自分だけの没頭する時間を作る事だ。この没頭は極めて、良い疲労を生み出す。だがそれがストレスになるまでやってはいけない。そのバランスを保って、自分自身の脳の中の空間を有意義にする事だ」
途中まで読んで、これは何か、変、と言うよりは凄く含蓄が深いけれど、相当回りくどくて生活の知恵の様には読めないのではないか、と感じてしまいました。そう言う文章がずっと続いています。そして、それがまた他の箇所ではこんな風です。
「世界を眺めたり、誰か実績を上げている人間を見た時、自分とは何て小さい人間なんだろうと、自分の部屋で落ち込む時節は誰しもあるだろう。そう言う時には、外を歩いてみるのもまたいいものだ。歩いている内に考えが研ぎ澄まされていき、思考もクリアになっていき、街で買い物でもしてみれば、世界はそんな平凡な物で溢れている事にも気がつくだろう。
特にコンプレックスを抱えた者にとって、〈何でもない〉と言う実存を脅かす様な真実は、酷く不安定にさせる事だろう。だが寄りかかる先は、世界の方にはなく、自らの内にある。世界は美しくもなければ汚くもない。ただ事象としてあるだけだ。それを人間が操作して、自分達の勝手な思い込みを強化しているに過ぎない。しかし現象世界とは人間の認識が投影された物とも位置づけられるので、また人間は自分自身の枠組みからは自由になる事は出来ないだろう。
ここに悟りと言うものの不可能性があり、だからこそ絶えず論理を飛び越えながら、論理を構築し、または瞑想などをしながら、世界と言う現象世界と、人間と言う意識する主体とが対話していくはずだ。そこには懐疑する自我をも疑う、近代的自我に変容を促す、否定と肯定の論理が発展していく。聖なる領域と俗なる領域が如何に行き来して、相互に変化しながら、悟りへと至るか思惟と非思惟の旅が始まる」
うーん、段々意味がわからなくなって来ました。やっぱり小春先輩の話にあったように、わたしにはまだ早いのでしょうか。
書名を見ると、『人は自らの限界を如何に越え得るか、または越え得ないか』とあります。
「ああ、やっぱりつっかえるよね。わたしも全然わかんない所とかあるもん。でもお姉ちゃんとかによると、今とりあえず読んでおくと、また色々知識が増えた時に読むと、その時に初読になるより、ああ!って気持ちが大きいんだって。そうしたら、自分の成長もわかるでしょ」
なるほど。じゃあ、二三冊借りて行く事にしましょう。
時間はたっぷりあるのだし、この所は自分の時間も持てているので、少しずつなら読めそうです。
「あの、ありがとうございます。あのここではどう言う風に貸し出しして貰えばいいんでしょうか。児童室と違うって聞いた気もするんですが」
「あ、そっか。一般室は自動貸し出し機使うんだよ。最近導入されてね。予約の本なんかも受け取ってから、それを通さないといけなくてさ。うん、一緒に行こ。やり方教えてあげる」
またも小春先輩は優しくついて来てくれます。
そうして、画面のボタンを押して、利用カードをかざして、そうすると裏返していた本を機械が読み取ってくれます。
それで全部読み取った事を確認してから、貸し出しボタンを押すようです。
そのボタンを押すと、貸し出し期限が書かれている紙が出て来ます。これで完了なのでしょうか。
「ね、簡単でしょ。セルフレジとかもやってみたら簡単だったりするし、何でもやってみないとね」
それはそうです。
買い物について行った時に、セルフレジをお母さんが利用する時もあるのですが、何だかバーコードを通すのも楽しくて、決済も電子決済にするにせよ、お金を投入するにしても、随分スムーズで単純なので、これはいいなと思ったものです。
わたし達はそれから一緒に途中まで帰りました。
小春先輩の用事は、どうやらわたしが睨めっこしていた間に終わっていたんだとか。わたしの知らない間にいつの間にかどこかに移動していたんですね。
小春先輩と別れて家に帰ると、調ちゃんはまた出雲ちゃんの家に行ったのか、家の中には見当たらず、わたしはお母さんの手伝いをしてから、一人で部屋に入ると早速本を読み始めたのでした。
ご飯の前に調ちゃんが帰って来て、わたしに寄って来ます。
「どうしたの乙音。最近、ボクの傍にいないじゃん。なんか悩んでるんなら、力になるよ」
「う、ううん。ちょっと読みたい本があるから。調ちゃんの心配する事なんて、何もないよ。色々手伝えなくてごめんね」
とりあえず調ちゃんには丁寧に断って置かないと、後々拗ねたり大変です。
調ちゃんは何やら忙しいですし、それを手伝うにもわたしなりの勉強が必要ですから。だから、少しだけ距離があってもいいと思うのです。
「ふーん。ま、別に大事な事はまだ何もないし、いいけど。それにしても色んな魔族がご町内にいるもんだなぁ。ま、ボクが一番最強なんだけどね。姐さんを除いて、だけど」
そっか。
結構、ソーニャさんが進めてた魔族のコミュニティのシステム構築は始まってるんだ。
それも気になるけど、わたしが重要な役職に就く事もないだろうし、今は調ちゃんから話を聞いてるだけでいいかなと考えていました。
「出雲ももっと鍛えてやらなきゃな。そうでないと姐さんに相応しくないぞ、とか言ってけしかけてさ」
「あんまり無茶したら駄目だよ、調ちゃん。平和なご町内の提携をって事で始まったんだから。地域のクラブ活動みたいなものでしょ」
そうなのです。
実際、地域に仲間がいて、話が出来る相手が増えるのはいい事だと思います。
それぞれの抱えてる悩みや困っている事を相談出来るし、何かあった時にも利便性があります。
「とにかくさ、ソーニャさんがもっと力を取り戻したらさ、弟子入りしたいなぁ。あの人って凄く強いんだろ。それに熾烈な戦いを潜り抜けて来てるって聞くし」
目がキラキラしている調ちゃんを止める事は出来ません。だからわたしはご飯だとお母さんが言うまで、調ちゃんの話をずっと聞いていたのでした。
割とこんな時間も久々だったので、少し楽しいと感じるも、自分自身の劣等感から、調ちゃんに相応しい妹になる為には、もっと小春先輩のように努力して、立派な大人になれる工夫が必要だと思うのでした。
そう言う意味でも、泣く泣く断腸の思いで、調ちゃんの近くにいないで、部屋に行ったりして、一人の時間を過ごすのでした。