第49話幕間:フィンガープリント・ファイルと当主媛子
書斎はサイコ・キラーが守っている。それも媛子の意志に関係なく自動的に。
しかし、媛子の承認がある者は、それが自動的に判断されて通されるのだ。
媛子は鍵を持って、書斎の奥に行く。
彼女だけの秘密ではないが、八雲家にとってこの奥は最重要機密で、限られた人間しか知らない事だ。
書斎の隠し扉から行く先は、地下室。
地下に降りる階段にも灯りがほんのり灯っており、年老いた媛子にとっては、手すりがある事も助かって、何とか地下に行く事が出来ている。
地下室に着くと、そこには開けた世界が広がっている。
いや、広がっていると言うほど広くはないが、優雅に暮らせるだけの敷地面積はあるはずだ。
電気も通っているし、ガスも来ている。
電気ケトルが置いてあったり、様々な飲み物の備蓄もあれば、菓子類だって一通り揃えられている。
こんな所に何があるのか。ただのくつろぎスペースか。いや、そんなはずはない。ここは八雲家の秘密の地下室なのだから。
「おお、来たか。媛子よ。妾の話をそろそろ通してくれそうか。この街は非常にいい環境だから、根を張るのにはいい場所だが、そろそろ八雲の家も一つ動かさねばならん時期だろう」
声がする。媛子が目を転じると、ふかふかのソファーに座る少女が一人。
大人びてはいるが、容姿自体はまだまだ子供に見える。
だが、この少女こそ異能の力を与える概念・現象であるフィンガープリント・ファイル、通称F・Fなのだ。
「うむ。出雲の件はお前さんに任せるが、本当にあの出雲の友人の家の者に会う気なのかえ?」
ツーとストローから液体を啜るF・F。空調も聞いていてリラックスしている様だ。よもや真剣な会話を交わしているとは誰も思わないだろう。
「うむ。ソーニャには確認を取らんといかん。衰えた一族の力を再び活性化するのか、と言うな」
「ふうむ。しかしお前さんに与えられた魔の力は、血筋が弱まればその分だけ薄まっていく、か。だからと言って純潔にすると、別の部分で潜性が現れてしまいかねんし、悩ましいのう。そもそも長く力を維持するだけの物ではないと言う認識でおらんといかんかの」
眉を寄せる媛子。そうなのだ。
八雲家は、少しばかり昔にF・Fから吸血鬼の才能を与えられたのだ。
そして、実社会でも何かと岐路に立った時には、様々なアドバイスを受けている。
そして、その見返りがこの地下室だった、と言う訳だ。
F・Fは自分自身の平穏を、この現世で得る為に、八雲家を利用している節がある。
言うなれば、共犯関係の様な物だろうか。
「そうだ。吸血鬼とは一代では甚大な力を得るが、元々の魔族でない限り、子孫が繋がっていけばいくほど、力は薄まっていく。そも媛子だって、もっと直接的な吸血鬼なら、ここまで苦労はしておらんだろう。スピリット能力だって、それで多少は変化があるだろうしな」
「しかし、にもかかわらず、ソーニャ・アストラルは封印された。現代ではその様な討伐は減っているとは言え、魔族にはそんな聖職者や闇の賞金稼ぎは驚異だよ。あの機関もどれだけ信用出来るかわからんのだからね」
くくく、と薄笑いをするF・F。どうでもいいがそれなりに楽しませて貰う見返りは与えると言う顔だ。
「そうだな。あの虚実機関とやらも、一筋縄ではいかんよ。悪魔や魔族に友好的な部署もあれば、例外なく排除しようとする部署もある。お前の所の使用人の上司である、〈七色の虹〉暁要は、人間に危害を加える物を対象に退治をしているらしいが、いずれにしろ改造人間などを作っている組織にとやかく言われる筋合いでは、本来ないだろうな。だから、か。力には力で対抗、と」
ニヤリ、と媛子はする。そうである。こちらは力が欲しいのだ。
なるほど、と意志を理解するF・F。
「それだから、妾はソーニャにも面会したいと言うておるのだ。妾が動いてもいいが、無駄な事はせん方がいいだろうから、あやつらをここに来させるのが手っ取り早いだろう。それに出雲に力を与えるのなら、あの子が暴走しないか、調整が出来る奴が近くにいるのが望ましい。妾はその辺の事はプロフェッショナルではないから、そう関知は出来んしな」
「それだよ、F・F。お前さんは力を与えるだけ、って言うんだからまた質が悪い気がするよ。後のコントロールなんか知った事かって言うんだもんね。それで先祖も割と苦労が絶えなかったと、当時の文献にはあるんだからね」
ハ、と切って捨てる様な冷たい失笑をF・Fは漏らす。
「ローリン・ストーンにしろ、妾にしろ、だ。力は本来引き合う才能に与えていくだけの現象だ。その様な物を発見したのは人間だ。それが何らかの不具合で、妾は意志を持ったに過ぎん。そもそもが修正者もカウンターなのだから、それが手に負えん事態になる場合もあるに決まっておろう。妾に文句を言うなら、人間が運用している科学技術の現象などにも文句を言うんだな。コントロールする側が知悉して、管理出来る様にならんといかん。だから、出雲にも経験者が付いてやれ、とアドバイスしてやっておるんだ」
ほほほ、いい気なもんだ、と皮肉気に笑う媛子。
己らの状況は茨の道であると理解しているが故に、誰かに文句の一つも意味もなく言ってやりたい気分なのだろう。
「なるほど、ね。儂らだけでは不安か。あの友人も覚醒してから、一時暴走しかけたそうだからね。やはり慣れない者には、魔のエネルギーは持て余すのものなのかね。あの子のスピリット能力だけでも強化してやりたいんだけど、あの子は精神力も弱いから、すぐにへたれるしねぇ」
「ふん。心が弱いのは、ただの現代人の特徴じゃよ。いや、昔の人間が強かった訳ではないと思うがな。だが身体性が向上すれば、自ずと精神性もそれについて来るだろう。見て来た魔の連中は、そう言う傾向にあったのでな」
「そう聞くと安心だよ。儂は後は、あの子が呑み込まれないかだけだ。その点については、そのソーニャって吸血鬼を頼れって言うんだね?」
その通り、と頷くF・F。後はどうでも好きにしたらいい、とあくまで無関心な風を装う。
「大体が、今の時代にそうそう魔の力に頼らないといけない事がなくなっているんだ。それなりに魔族も謳歌出来るいい時代になったよ。妾はソーニャの悲痛な戦いも見ていたからな。あの頃のローリン・ストーンの開発者の顛末や、異端の生き方はそりゃあ苦しいものだったからな。妾はそれを少しでも生きる力の糧になるだろう物を与える現象だ。この世の正しいとされる暴力にカウンターしているんだからな。呑気にご町内で遊ぶ分には、過ぎた力だが、今はそれくらい軽いノリで君らの子孫には力を貸そう」
「ありがたいよ、本当にね。しかしアンタは、誰でもかんでも力をバラ撒く訳じゃないんだろ。それなりに選別もしている訳だ」
ふう、そりゃあなと溜め息で返すF・F。
「大体がその魔のエネルギーに耐えられん適正のない人間だって大勢おるんだ。妾はそれの見極めは簡単に出来る。だから、そう力を与えてばかりいると、暴走した者の暴力で、あっちゅう間に秩序が混乱してしまうわい。科学研究の最先端も、その時々で倫理規定を設けて、その倫を越えん様に、色々相互に監視し合って、条約だの規約だのを作るのと一緒じゃ。それを無制限に倫理を越えてしまって、何でもやってしまう国の様なもんが、ある意味ローリン・ストーンなのだな。あれは本当は危険な代物でもあるぞ。才能があるだけで、すぐに与えてしまう節があるからな」
話を静かに聞いている媛子。確かにスピリット能力は、個々人の差がありすぎる為に、その中にはとても危険な能力もあるだろう。
雪空小春のストーン・コールド・クレイジーなどは、悪用すれば力の付き次第で、相当な社会への脅威になるやもしれんし、と思う媛子であった。
「あれはまぁ、研究所で暴走した現象だからな。失敗作だよ。ソーニャがあの時はかなり痛い目見て、大変だったわい。だからかの。妾にこんな理性的な人格が付与されておるのは」
まるで自らも作られた存在かの様に言う。
そこを聞く事はせずに、媛子は今後の予定をちゃんと立てるのだろう、と提案する。
「そうだな。それはそちらがキチンと面会の日付を決めてくれればええよ。妾はいつでもここにおるから、いつでもそちらに合わせよう。とりあえずメンバーは、お前に出雲、調と乙音も呼ぶんだ。それから、雪空小春に三つ星時雨、そしてソーニャ・アストラルだ。後は、ソーニャの造った眷属も連れて来ても可だ。そこは好きにしたらいい」
「わかったよ。その旨、向こうにも伝えておく。ここに来て貰うのは、少し躊躇するが、まぁ致し方ないだろう。お前さんもいつまでも秘密にはしておけんよ」
「そう言う事だ。いつでも隠れる場所は探せるんだ。だがまだ今暫くはこの家にいてやろう。それも相互にご町内で連携をするのが大前提だ」
話は終わったとばかりに、F・Fはソファーに横になって、目を瞑る。
白く腰まで垂れた長い髪、色素のない様な白い不気味な目、そして透き通ったかの様な白い肌。
この少女は、人間とは違う者だ。現象なのだから。
だからこそ、こんな得体の知れない姿をしているに違いない。そう媛子は納得している。
これで良かったのだ、と媛子は出雲にも話を通しておこうと、地下室を後にする。この地下室も思えば、F・Fの注文で随分改装に金を掛けさせられた。
それに、この待遇。文句も言わずに、様々な要望に応えて来たのだ。これくらいして貰うのが道理ではないか、とも思わずにはいられない。
一先ずは、しかし雪空の家にも話はしなくてはいけない。これから面倒な事にならねばいいが、と思案する媛子だった。




