第45話憂鬱な運動会:本番編
この日が来てしまった。
特に何をした訳でもないし、何をしたからと言って変わる訳もないのだけど、雨も降らず普通に晴天になって、恰好の運動会日和になってしまった。
近頃は時期によれば、運動会の競技に参加しない間の待機時間は、教室で待機するなんて学校も出て来ているが、これは熱中症対策だそうだ。
しかしウチの学校は、昔通りに十月に決行するので、そんなに熱くないからか、普通に外で他の子の競技を見せられる羽目になる。
わたしなんかは、その待機時間中に本でも読みたいな、なんて不埒な事を考えているのだけど、何も集団行動から逸脱する気はないので、そんな目立つ行為はしない。
しかし、退屈だし憂鬱な時間であるのには違いない。自分の番になると、もっと悲惨だから嫌なものだし。
それでも応援に見に来てくれる人がいると言うのは、そんな中でもちょっとは嬉しいものだ。
ここの所増えに増えた家族を伴って、今年はお母さんも一緒に来てくれていて、それも時雨にまで応援されるなんて幸福。
それだけに恥をかきたくない気持ちが強い。時雨に失望されたくない。そう言う焦りとか保身の気持ちがどんどん強くなる。
保護者の参加競技の為にか、時雨とお姉ちゃんは動きやすい恰好で来ている。時雨がいつものメイド服でないのは、些かわたしは不満だ。
あのメイド服、割と気に入ってるのよね。まぁ、でも新鮮な姿の格好いいとも思える時雨を見られるのは、わたしにはプラスだと思おう。
でもちょっと考えると、まだまだ時雨の吸血鬼パワーは弱いのだし、こんなに日光に晒されて、スピリット能力を使いっぱなしになって、かなり疲弊しないか心配だ。
これは後で血を吸わせてあげた方がいいのかも。それも満足出来るくらいにたっぷりと。
そうこうしている内に、入場からの選手宣誓だの開会式だのが始まる。
そう言えば、ウチの学校は特殊で、校長の意向だか教師陣がちゃんと会議で決めたかで、組み体操がないと言う事実がある。
これ、わたしにはある意味で天国の様な裁定だった。あんなのやらされるんなら、絶対にわたしは休む。
練習もあるから、しばらく体育自体を休む。何なら骨折の演技くらいはするかもしれない。それとも学校ごとボイコットしてしまうかも。
と言う訳で、始まる。
わたし達は四年生の場所に行って、クラスで纏まっているから、まふちゃんや冴ちゃんと近くに座っている。
鬱々としてても仕方がないので、競技なんて見ないでまふちゃんの顔を眺めて過ごす事にした。
後、時雨がどの辺にいるか探してみたり。まぁ、どこにいるか遠くからでは全くわからなかったけど。
まふちゃんと冴ちゃんの二人は、健全な人格をしているからか物好きだからか、割と同じ赤組の子を応援したり、色々な競技を見るのを楽しんでいる様だった。
冴ちゃんなんて、少しテンションが高いかもしれない。
うん、これくらいはしゃぐのが小学生なら当然かも。わたしがスレすぎているんだきっと。でもいい。わたしはこう言うのは嫌いだと強く自分を持っていたい。
そう言えば、出雲ちゃんと調ちゃんは仲良くやっているだろうか、とか思考が飛んでしまう。
そうだ、乙音ちゃんは何だか内気だし、スポーツが得意そうでもなかったから、わたしの気持ちをわかってくれるかもしれない、でもあの二人は元気いっぱいに暴れそうだなぁ。
三年生の競技を何とはなしにぼーっと見てた。そしたら、なんか出雲ちゃんと調ちゃんがまたしても競い合ってデッドヒートしていたのだった。
そして、その後ろで只管遅れてハヒハヒ言いながら、ビリでゴールする乙音ちゃん。
ちょっとやはり親近感湧くってものじゃないかしら。結局、あの二人は僅差で調ちゃんの勝利。
しかし、そう考えたらスピリット能力とか吸血鬼としてはポンコツでも、出雲ちゃんも身体能力は高いんだなぁ。
完全にわたしとは違って、流石高貴な吸血鬼様だけあるわ、と何だか変なやっかみが込められた視線を送ってしまう。
それに遠目から気づいた出雲ちゃんは、照れた様に手を振って来るが、わたしはジトっと見たまま、手は振り返さない。こう言う所が、わたしの嫌な所だ。
で、並んでる調ちゃんと乙音ちゃんを見ていると、調ちゃんは髪が短く、乙音ちゃんは割と長くしながら二つに結んでいるので、それで区別はつくのだけど、やっぱりそっくりな双子である。
どうも同じ髪型にしてたら、わたしもどっちがどっちかわからないんじゃないかと思う。それくらいそっくりなのだ。
声も結構近い感じに聞こえるし。それでスペックは結構違うんだから、わからないもんだ。
あれっと思う。
この前時雨と合流する前に追いかけられてたけど、あの時全然調ちゃんは追いついて来なかったのは、なんか余裕だったのは知ってるけど、そう考えると相当余裕ぶってたんだなぁ。
それに出雲ちゃんもわたしに合わせてゆっくり走ってくれてたんだ。
わたし、あの時は転けたらヤバいから、かなり慎重に走ってたし。だっていざとなったら、スピリットで何とか防ぐくらいは出来たから。
あ、それは乙音ちゃんのペースに合わせる事も考慮にあったのかも。そうするとすっごく優しいお姉ちゃんに思えて来たな。
わたしの競技の方は、騎馬戦とかそんな競技は上手く敗退する術を身につけてたんで、それなりに目立たずに終わる事は出来た。
玉入れなんかは、割と頑張ってるフリが出来るもんだ。そう言う競技ばかりだとホントに助かるんだけどなぁ。
だって、張り切って活躍する子がどこのクラスにも必ずいる訳で、その影に隠れて頑張ってーってな感じで、駄目アピールしながらホントに駄目な頭数になれるんだから。
そう言う訳だから、わたしがリレーに選ばれるはずもなく。
まふちゃんも冴ちゃんもちゃっかり選ばれてるので、応援はそりゃあするけど、わたしにはそこに並び立てる力はなく、またその気も更々なかったりする。
それはそうと、その間の退屈な時間も、あまり気づかれないように、周りを見渡して時雨達を探していた。こう言う時、目が悪いのは不便だ。
そうして、あちこち見ていると、ふとティーシャツでズボン姿のお姉さんが目につく。あ、あれは時雨? 何だかとても新鮮。
先程メイド服じゃないのは残念だと言ったけど、あれは撤回しようと思う。時雨の普通の姿ももうとんでもなく魅力的なのだ。
こちらが見つけた途端に、あちらもこちらに目線を合わせて来て、ニコリと目で合図を送りながら微笑んでくれる。
隣ではフムフムとお母さんがメモを取って、氷雨さんがお茶を注いだりしている。
ソーニャさんはキラキラと目を輝かせて、キョロキョロと挙動不審に見えるほど、もうはしゃいでいた。
何やらティナさんに肩車までして貰ってる。ちょっとお洒落な恰好だし。
それも多分誰かが釘を刺しただろう、吸血鬼特有のエッチな露出の多い服装ではなく、子供がちょっと背伸びしましたって感じの少し丁寧な場に着ていくタイプ。
しかしティナさんはいつも通りの少しセクシーな恰好に、それじゃ流石にマズいと上から上下ジャージを着せられている。
それでも上はジッパーを下ろしてはだけているから、エロいお姉さんが降臨してしまっている様子。下も若干ずり落ちてるから、その分怪しい感じだ。
「小春サン。ドウヤラアソコの一帯は、時雨サンの能力で影にナッテイルミタイデスネ。アレナラオ母サマも安心ではナイデスカネ。チョウド木ノ葉サマモ待機シテマスシ」
そうだ。SCCちゃんに言われて気づいた。お姉ちゃんも今日は女子大生だと言うのに、お洒落なんかどこ行ったのって感じのジャージ姿。
わたしの為に競技に参加するから、それであんなにスポーティな服装にしてくれてるんだ。
それでもスマートなお姉ちゃんは、何着てても素敵! 時雨にはメロメロにときめいちゃうけど、お姉ちゃんはどこか崇拝する気持ちで見ちゃうかも。
これは一種のシスコンだと思うけど、姉を尊敬が過剰になった形になっている妹も珍しいのかも。
だって、結構お姉ちゃんの事ウザいとか言ってる子見かけるしね。それに年が離れてたら尚更接触も減るみたいだし。
やっぱりわたしの家みたいに、こんなに年の差があって仲良しなのは貴重なのかも。
それもお姉ちゃんが特別にわたしにいつも優しくしてくれるからこそだ。ホント、お姉ちゃんには感謝しても仕切れないくらいですよ、ええ。
しかし嫌なものは嫌だと言っても、その時はやって来るのです。ついにわたしの中で最関門の徒競走が。
ビリは確実、だからそんなに目立たないようにやりたいだけ。
順番に走って行くのを見ているのは、段々緊張が強くなっていく。
わたしはあろう事か、まふちゃんと冴ちゃんと同じ組なので、この二人が上位入賞なのは間違いなしで、わたしは別に二人と一緒が嫌なんじゃないけど、どうしても友達とこんなに能力に差があると、同じ組に配置されるのは耐えがたい。
その時までに、わたしはSCCちゃんに少し冷やして貰いながら、ああ早く無事終わりますようにって祈りながら待機してた。時雨が見てるんだから、どうしても今日は何もなくクリアしたいの。
そうしてその時がやって来た。スタート位置に並んで、先生のピストルの音に反応して走り出す。
案の定出遅れる。わたしってば、反射神経も鈍いもんで、パンですぐ皆はスタートするのに、パンと鳴ってからもう一呼吸遅れて走り始めるんだから。
必死に走っているものの、ちゃんと慎重に転けないでいたい気持ちも優先する。
それだけにどんどん同じ組の子から瞬く間に離されていくけど、ビリになるのはもういい。時雨に格好悪い姿を出来るだけ軽減した形で見て貰う。それだけ。
えっほえっほと既に息が上がりながら進んで行くと、一角に時雨達の姿が見える。あの人が手を振って応援してくれてるんだ。お嬢さまーと言う声が聞こえる。
わたしは些か張り切っていたみたいだ。曲がる場所でちょっと意気込んでいたら、足がもつれてぐしゃっと前のめりに転んでしまった。
あ! もう終わりだ、と思ったけど、まだ冷静さは残っているようで、眼鏡は奇跡的に無事だとか、足を擦り剥いてるのはそんなに大した事ないや、それより腕の方が擦り剥いてる、なんて頭の片隅でぼんやり考えていた。
それでも絶望しながら、ううとなりながら立ち上がると、ふと声が聞こえる。
「お嬢さまー。まだですよー。頑張って下さいー。時雨はちゃんと見てますからねー」
そう言って時雨が励ましてくれる。なんか大分惨めな気持ちだけども、そうだ最後まではちゃんと走らなきゃ、その方がもっと格好悪いと思って、少しずつ駆けていく。
もう皆ゴールして待っている。わたしは涙目にはなりながら、何とか大分遅れる事になりながらも、ようやくゴールした。
ああ、終わった。色々と。
そんな風に思いながら、まふちゃんと冴ちゃんの方を向くと、二人ともくしゃっと頭を撫でてポンとする。
「ほらハルちゃんは良く頑張ったよ。精一杯やれただけでも偉いじゃない」
「そうだ小春。完走こそ勲章だ。我らにおいては、順位など些末事」
うー。二人とも励まし方がオーソドックスで、それでも何だか哀れまれてる感じでもなくて、でもまだまだわたしは惨めな気持ちが抜けないので・・・・・・。
「う・・・・・・うぅぅ。うわーん。走るのなんて嫌いだよー」
「よしよし。ちゃんと治療には行かないといけないよ。一緒について行ってあげるから。冴ちゃんは先生に言って来て置いて」
「了解だ。対応は即すべきだからな。健闘を祈る」
おいおい泣くわたしにまふちゃんが肩を貸してくれて、半ば連行されるみたいになる。
あー、嫌だ。また今年も転けちゃった。時雨の姿が見えたから気負いがあったんだ。駄目だ。
前のめりになって、勢いで失敗するのはいつもの事で、これは全般的に何でもそうだから、全然治らないのだ。
もう最悪。わたしは一家の恥ですよ。恥。
臨時治療場所に来て、先生に何やら言われてるけど、わたしは泣きじゃくるばかりで何も聞こえない。
もう好きにしてと思ってたら、ジュワッと来てうっと染みる感じがしたから、消毒がされたのだろう。
幾つかの箇所我慢してたら、やがて消毒は終わった。
その後、何やら貼られてその場でちょっと休憩する。影になっててちょっと涼しいのはわかった。
「あ。じゃあ先に戻ってるから、後でちゃんと戻って来るんだよ」
わたしが聞いているんだかどうなのか、確認もしないでまふちゃんは行ってしまう。
しかし今は一人になりたかったからいいや、と思っていると傍らで声がする。わたしはまだひっくひっく言っている。
「お嬢さま」
「ぐすっ・・・・・・時雨?」
泣きはらした不細工な顔のまま、わたしはその声の方を見上げる。
いつもとは違う優しげな目をした年上のお姉さんがそこにいた。
時雨は時雨だ。でもいつも以上に今日は何だかどこか違う。どこだろう。
「大丈夫ですか。でもちゃんとリタイヤしないでゴールしたのは偉いですよ。良く頑張りましたね。お昼ご飯は腕によりを掛けて作りましたから後で皆さんで頂きましょう」
そんな言葉もわたしはでも虚ろに聞いていた。
「うっうっぐすっ・・・・・・でもわたし、時雨に幻滅されたんじゃない。は、恥だよ、恥。転けるなんてさ。いつも強がってばかりいるのに、実際かっこ悪いとこ見られちゃったし。家族にとっても見ててホント恥ずかしいよね。他の子で転けてる子なんていないんだから・・・・・・ぐしゅん」
そう呟いてまた啜り泣くと、時雨がふわっと抱き留めてくれた。どう言うつもりだろう。
「私はお嬢さまを格好悪いなんて思った事は一度もありませんよ。いつだって尊敬するお嬢さまです。恥だなんてそんな事言わないで下さい。お嬢さまはどこにいたって、凄く尊いお方ですから。ちょっとくらい出来ない事があってもいいじゃないですか。それを見たってホントに尊敬している人の姿だったら、幻滅なんてしないものですよ。それよりもっとお嬢さまを支えてあげたいって気持ちの方が強くなりました。いつでも私を頼ってくれていいんですからね」
よしよしと頭を撫でられる。何だか今日は凄く包容力を感じる。大人の女性の温かさだ。
わたしは涙と鼻水で汚くなった顔で悪いかなと思いながらも、時雨の胸に顔を沈める。
「ほら、午後からは二人三脚があるんですから、一緒に協力して頑張りましょう。私とのコンビネーションの良さを見せてあげましょうよ。合わせますから。ね、小春お嬢さま」
「・・・・・・・・・・・・うん」
何も言えない。ただギュッてされてるだけ。
それだけ情けなくて、でもそれでも受け入れてくれる事が嬉しくて、でももっと出来る子だったら良かったのになって気持ちもあって。
「ほら、鼻拭きましょう。涙も。綺麗な小春お嬢さまの顔が台無しですよ。勿論、泣き顔も素敵なんですけど」
キチンと冗談も入れてくれて、わたしの顔を拭いてくれる。
ちーんとしたら汚いだろうに、ちゃんとティッシュも持っていて、それで綺麗にしてくれるんだから。
もうどんな事があっても時雨について行きたくなっちゃう。
「もう、ついて行くのは私の方ですってば」
そっか。だったらわたしは出来ない事ばかりくよくよしないで、頼れるお嬢さまにならないとね。
午後も憂鬱だけど、ちゃんとやらなきゃ。時雨が一緒だから、さっきよりはまだマシだ。心強い。
昼休み。かなり大所帯でわいわい食べる事になった。
お母さんはまふちゃんと冴ちゃんのお母さんと歓談しているし、時雨と氷雨さんは出雲ちゃん達の家族とあいさつしている。
そしてここでも出雲ちゃんと調ちゃんはバチバチ何故かやっていて、乙音ちゃんが仲裁するのに大変そうだ。
乙音ちゃんにももうちょっとこの二人は、気を遣ってあげて欲しいんだけどな。
わたしと言えば、あの後慰めて貰って帰ったらまふちゃんに出迎えられて、
「やっぱり時雨さんは違うなぁ。わたしじゃあんな風には出来ないもん」
などと言われてしまった事について考えていた。
まふちゃんはそうは言うものの、わたしとしては実は時雨に対しては、期待して欲しさがまだある段階だと思うので、あんな風にかっこ悪い姿を極力見られたくないのだけど、だ。
まふちゃんに対しては、もうそんな次元を越えていて、まふちゃんは素のままでわたしを受け入れてくれる事も、色んな実情を習知している事もわかっているので、そんな衒いなどは全く必要ないのである。
これは時雨を信用していないのではなくて、単純に過ごした時間の比例だ。
まふちゃんとはもう相棒みたいな感覚で、お互いの駄目な所をフォローし合うのが自然になっているから。
と言っても、フォローして貰うばっかりなので、そこはちょっと劣等感くらいはズキズキ感じているんだよね。まふちゃんは凄く優秀だから、さ。
そう言う意味で、まだまだ出雲ちゃんとはそこまで打ち解けられないのかもしれない。
あんなにお姉さまと言って慕って来ても、そんな奥の奥のわたしのへたれな部分や醜い部分は見せていないはずだから。
それでまふちゃんには、安心してその背中を預けられるって言うのか、いつもたれ掛かっても大丈夫な信頼と安心があるんだもん。
そう言う風にムッと考えながら、お弁当を眺める。
今日は時雨は張り切っていたみたいだ。
ソーニャさんは何だか楽しそうにまふちゃん達と話ながら、唐揚げを摘まんでいる。この唐揚げの揚げ具合は凄くバッチリで、鶏肉の切られた大きさも子供にも丁度いいので最高。
それからおにぎりは、鰹や鮭に昆布とか梅干しなど一通りあって、梅干しは別にもあるのでそれはとても嬉しい。
タコさんウィンナーもあるし、ハム類もある。ほうれん草のおひたしだってある。
それにわたしは市販のサラダってあのマヨネーズの加減なのか味が苦手なのだけど、時雨の作るサラダはまろやかで、口当たりも良く、何よりリンゴも入っているので好きなのよ。
キュウリとかカボチャもあって、ちゃんとわたしの家での定番の塩味の玉子焼きだってあるんだから、もうお弁当のレパートリーとしてはわたしは大満足。
それにおまけに、別の容器にきちんとデザートだってあるんだから、気が利いていると言うもんだ。
それがこんな月並みの表現でしか言えないけど、どれも最高に美味しい家庭料理の域を超えるんじゃないかってほどの物なんだから、時雨はホントに凄いしありがたいとも思う。
モグモグと少しずつ食べて咀嚼しながら。
そう言えば、冴ちゃんは今、静先生と一緒に食べられなくて寂しくないのかな、などと思ったり。
先生は親が来ない子とかと食べてるから、とっても先生としては偉いのだけど、そこに冴ちゃんも混ざらなくていいんだろうか。
そのわたしの視線に気づくと、ニコと笑って冴ちゃんはポンと胸を張る。
「何を気に病んでいるんだ小春。我と静先生は永劫の契りを結んだ、愛念がどこまででも到達する間柄なのだ。それだから我は静先生が職務を全うするのを、限りなく強く誇りに思うぞ。静先生には静先生の仕事がある。なら我は子供として友人と絆を深厚させようとして何の問題があろうか。いや、ない!」
グッと拳を握る冴ちゃん。そっか。それならいいんだね。わたしなんかとはやっぱり冴ちゃんは出来が違う。
変な寂しがりなわたしは、いつでも時雨に傍にいて欲しく思っちゃうし、触れたいと思う。
それにまふちゃんにも優しくして欲しいし、この眼鏡の奥の瞳はいつでも二人を追いかけてる。
ああ、午後からの競技、大丈夫だろうか。わたし、ちょっと愛されすぎてホントは甘やかされてるんだろうか。
もっと頑張りたいけど、運動は壊滅的に駄目だ。だから今回は次の二人三脚を乗り切る事だけを念頭にしていなくっちゃ。
時雨は多分、わたしとピッタリ歩幅を合わせてくれると信じてる。
そうだ、だから大丈夫。
まふちゃんとかは最後のリレーに出るから、他の競技とかは控えてたりする。よって二人三脚に出るのはわたしと乙音ちゃん。
出雲調ペアは、リレーにも出てまだまだ張り合う模様。
しかし乙音ちゃんとは学年が違うので、一緒に走るなんて事態になる訳もなく、どうしてもわたしは悪目立ちをする羽目になりそう。
そうそう、そう言う競技の間に保護者リレーなんかも挟まって、凄くお姉ちゃんが大車輪に活躍してた。
アンカーでこそなかったけど、割と開いてた差を詰めて何人も抜いてしまったのだから。
わたしは何気に静かに心の中で興奮していた。きゃーお姉ちゃーん、素敵―好きー、みたいな感じで。
でもミーハーみたいに思われるのも嫌だし、目立つのはホントに嫌なので、なんかジッと見てるなくらいの生徒に成り切っていた。
うん、何も悟られてないよね?
そうそうSCCちゃんと一緒に周囲に気を配っていると、ちゃんとソーニャさんは撮影をしている様子。パペッツはきちんと機能しているんじゃないかな。
こう言う事だけに使うんならいいんだけどなぁ。あの人は大人げなく悪戯っ気がありすぎる。
水分補給は欠かせないと言う事で、最近は普通にペットボトルなんかも持ち込めて、ごくごく飲む事が出来る。
だからこの時期でもまだ少し暑いから、結構わたしも消費していたと思う。時雨が作ってくれている、いつものお茶の味でここでも安心する。
そうこうしている内に、出番がやって来てしまう。
ああ、悪魔がいるなら一時的にでいいから、わたしの運動能力を向上させてくれないかなぁ。それなら出し抜いて力だけ貰うとかしたい気分。
時雨がやって来て、手を重ねて来る。わ、ちょっとこんな所で。ドキッとしちゃうじゃない。
「お嬢さま。手は抜かず、焦らず、力を合わせて、精一杯やれるだけやって、頑張りましょう。結果は二の次ですから、私と一体になる事を考えて下さいね。あっ、何だかこの台詞、エッチだったかもしれません・・・・・・」
一方的に励ましてくれて、勝手に照れている。
こうやって時雨も変に気負わずに通常営業で接してくれているのが、本当に本当に、本当の本当にわたしにはリラックス出来る安心材料になる。
今までガチガチに固まってたとこだよ。傍にいてくれるだけで、こんなにゆるっとした気持ちになるんだもんなぁ。かなわないよ。
出番が近づくと足を括る。あ、確かにこれ重なってるわ。時雨と一つに。
わたしまでほんのちょっぴりエッチな気持ちになりそう。いけないいけない、集中集中。
次になってわたしは時雨と肩を組んで待つ。必然的にわたしの方は、時雨の腰辺りを掴む事になるのだけど。
時雨はがっちりとわたしを支えてくれてて、これならもしかして大丈夫かも?
先生が合図して、ピストルが鳴る。
わっと皆走り出すのだけど、わたしはかなりゆっくりと、おっかなびっくり走り始める。傍目には歩いてるのかってくらい遅い。
・・・・・・でも奇跡的な事に、かなり体が安定している。
時雨が完璧にわたしの歩調を把握して、それを支えながら一緒に合わせて走ってくれているのだ。
「落ち着いて行きましょう。私の事を気にしすぎないで下さいね。お嬢さまのペースで行きましょう。それなら安定して進めるはずですので」
うん。うん。えっほえっほ。亀の歩みなので、当然ビリケツだ。
でも不思議と今はさっきと違って、恥ずかしいとか情けないって気持ちにはならないでいられる。
だって他でもない時雨と一緒に共同作業で走っているのだもの。
そう言えば、一人で走っている時は、校内に流れている音楽に気を向ける事が出来なかったけど、今はいつもの運動会定番のクラシックがちゃんと聴こえる。
それだけ落ち着けているって証拠かな。
コーナーもクリアして、ゴールまで来た。よし、やっとゴールだ。時雨、やったよ。
「お疲れ様です、お嬢さま」
ニコリと微笑んで、よく頑張ったと頭を優しく撫でてくれるので、ほにゃーっとしてしまう。やだなぁ、皆見てるよぉ。
「良かったですね、雪空さん。今度は無事に終われて、先生安心しました」
ハッと気づくと傍らに静先生が。時雨はペコリとする。
「いつもお嬢さまがお世話になってます」
「いえいえ、雪空さんは成績はそれほど飛び抜けている訳じゃないですけど、生活態度はいいので安心して見てられますよ。運動は苦手なので、心配してたんですけど。それにしても、凄く息ピッタリでしたね。ホントに感心しちゃいました」
えへへぇ。そっか、そっか。先生にもそう見えちゃう? それだけ時雨とわたしがラブラブって事なんですよね。
お互いを知ってるって言うか、信頼度合いが違うって言うか、相手に気持ちも体も委ねられるって言うか。
「ええ。お嬢さまが私を信頼してくれてるから、私もお嬢さまの歩幅に合わせる事が出来ました。メイドとして、これほどまで喜ばしい事はございません」
あっ、なんかこれ社交辞令と知ってても、ちょっとイラッと来ちゃうかも。時雨ってば、そんな説明しちゃうんだ。
恋人同士なのに、メイドとしてしか一体にならなかったんだ、って。少しムッとしたので、それまでずっと掴んでいた時雨の腰をギュッと強く握ってしまう。
「っ! お、お嬢さま? どうしましたか、急に」
「別にぃ。メイドの鑑ですよねぇ、時雨さんはぁ」
「あ、あの。何かお気に召せませんでしたか」
ふん。わかってる癖に。
「ふふ。それじゃあ、私はこれで。後はゆっくり見て応援しましょうね、雪空さん」
「あ、はい。先生もお疲れ様です」
先生が去って行って、とりあえず時雨が括ってある紐をほどく。
「はい。これでいいですかね。・・・・・・お嬢さま?」
いつの間にか、ギュッとわたしは時雨に抱きついていた。そうすると頭をまた撫でてくれるのだけど、それだけでは今は収まらない。
「わかってるのに。人に大っぴらに言えないって。でも恋人だから息が合うんじゃなくて、メイドとしての忠誠だって言われて、何だか嫌だなって思っちゃった。わたし、嫌な子だ」
グルグルと醜い気持ちが頭を擡げる。でもこれを押しとどめる事は出来ないので、全部ぶつけて吐き出してしまうのだ。
でも時雨は受け止めてくれた。それどころか、今度はわたしの体を持ち上げて、お姫様抱っこなんてしてしまう。
「し、時雨?」
「ふふ。最大限の愛情表現でお詫びしないといけませんね。勿論、どんな意味でも私とお嬢さまの気持ちは深く強く堅く結ばれてますよ。それこそ魔力のパスだって繋がってるんですしね。さ、戻りましょう」
「ええ? このまま? ちょっと、恥ずかしいよぉ」
何だか有耶無耶になっちゃってる気がするけど、上手くわたしの心を静めてくれたのかも。結構、色々出来る様になってるじゃないの。
「ちゃんと真冬様と冴子様を応援して頂かないといけませんよ。さあ、レッツゴー」
影が落ちるわたし達の周辺。少し暑さも和らいでいて、それが時雨の一滴の優しさと繋がってるみたいで、僅かながらわたしの心も優しくなってしまいそうな気がした。
これはでもいい事なんだ。
時雨と別れて、クラスでジッとしてた。
幸い、どう反応していいかわからなかったのか、お姫様抱っこされて戻って来た事に、突っ込んで来た子はいなかった。
男子なんかは、逆に照れてしまって、こちらをあまり見る事も出来ない様で。
チラチラ見られるのも、少し不快ではあるので、何か言いたいならいっその事言って欲しいのだけども。
さて、競技はラストスパートに突入。二学年ごとのリレーが残されているのみだ。
正直に言うと、赤組に所属していても、どっちが勝とうが知った事ではない。
景品が何か欲しい物だとしても、そんなに燃えないだろう。
でも最後のリレーは二人が出るから、二人はせめてちゃんと応援しよう。もうすぐ出番だろうし。
出雲ちゃんもポンコツだと思ってたけど、何とリレーに出るとかで調ちゃんと違う組だからか、まだまだバチバチやっている。
えー、ホントに懲りないなぁ、二人とも。
そして向こうの方の客席を見てみると、まふちゃんと冴ちゃんのお父さんがビデオをセットしていた。娘の勇姿を残す気満々だ。
ああ、そう考えると、わたしはそんな活躍が出来なくて、お母さんとお姉ちゃんに申し訳ない気分になりそう。
わたしが悶々としている間に、競技はもう始まる。第一走者が走り始めた。って言うか、その一番目の子が冴ちゃんだ。
わたしは声をあげるクラスメイトとは打って変わって、静かに見守っている。それでも熱っぽい視線を送りながら。
冴ちゃんは相当早く、先頭の子と拮抗している。素早く先頭グループを維持して、二番目の走者にバトンタッチ。
そこを見ていると、他の組で出雲ちゃんがいる。ほうほう、とわたしは思う。冴ちゃんの出番も終わったから、一先ずは安心だし。
出雲ちゃんは普段へっぽこなのに、結構運動神経が良く、それもバトル方面ではなく、正式なスポーツなら割と力が発揮されると見えて、結構なスピードで追い上げたりして、案外格好良く見えちゃうじゃない。いいかも。
三番目、四番目と渡って行って、段々それぞれの差が開いていって、五番目の走者はまふちゃんだ。最後から二番目な様だね。
やはりまふちゃんは身が軽く、冴ちゃんよりも身長もあるので、様になっている気がする。流石だ。
あれ、わたしの彼女なんだよ、幼馴染みなんだよ、と声を大にして言いたい所をグッと堪える。
頑張れ頑張れ、無事に終わってと、わたしは冴ちゃんの時より真剣に見つめて、まふちゃんに思念を送る。
走ってる最中で気づく事もないのは、こちらを振り返らないといけない為でもあるし、猛スピードで走っている所を、ピンポイントでわたしだけを見るなんて芸当も中々出来ないからだろう。
ちなみにまふちゃんの方に力が入るのは、冴ちゃんはどうしても順当に終えると言う未来しか見えないせいもあるかも。まふちゃんは自然と心配してしまうんだもの。
アンカーにバトンが渡って、わたしはもうホッと胸をなで下ろす。
これで全部終わったんだって気持ちと、やっぱりわたしの友達は凄いな、文武両道だ、とか思ったりして、今だけは素直に誇らしい気持ちになれていたと思う。
アンカーもゴールして、順位が決まる。まふちゃんと冴ちゃんの組は、二位だったらしい。
まふちゃんも早かったけど、それ以上に運動の得意な人が集まった組があったんだろう。あれは赤組白組どっちだったんだろうか。それはまぁ、別にどうでもいいか。
その後、五六年生のリレーが行われて、そこは一番盛り上がる事になった。わたしはそんなに熱中してはいませんよ、念の為。
全ての競技が終了して、しばらく集計の確認がされてから、閉会式が執り行われる。
そこでどちらの組が勝ったかも発表されるのだ。実はモチベーションを最後まで持続する為にか、ウチの学校ってば、終わるまで一体何点なのか途中経過がわからないのだ。
これはスリリングだ、と誰かが発案したんだろう。ははは、色々考えることで。
話が一通りあってから、発表が為された。話もそんなに長くなかったし、先生にしては女王出来ではないか。
勝ち負けについて、かなり安直にわたしは言ってると思うけど、それくらいこの事については、わたしはドキドキ感なんて感情とは縁遠いのだから、しょうがないよね。
で、どっちが勝ったかって?
ふむ、それはどうもわたしが足を引っ張ったのにも関わらず、そんなのは些末な話だったらしく、赤組が少しの差で勝利を収めたんです。
まぁ、皆良くやったよ思うよ、実際。
わたしを覗いて、だけど。いや、乙音ちゃんも赤組だったか。
それならかなり他の人が頑張っていた事にもなるんじゃないか。うん、調ちゃんも大分ハッスルしてたみたいだしね。
そこからは後片付けは先生が率先して、素早くされるようで、わたし達もしんどいのに手伝って、それから帰った。
何やら、家でも打ち上げを家族でやるらしいが、正直もうゆっくり過ごしたい所なんだよね。
まぁ、何はともあれ、お疲れ様。
打ち上げの間もわたしは距離を置いていた。主賓がどうたらソーニャさんに言われた気がしたけど、気にしないでソファーに座って本を読んでいたのである。
それ以上に疲れている頭でも、死体をごにょごにょして色々工作するトリックが凄すぎる、ゴッドファーザー的作家の作品を読んでしまったので、そっちで興奮していたのを覚えている。
そして、皆が小春はこれだから、と呆れていたのも聞き流していた。
ビデオを見て、あれこれと活躍していないはずのわたしの映像を見て、お姉ちゃんもお母さんも氷雨さんも、皆でわいわいやっている。
ティナさんもはしゃいでいるし。マルちゃんにも見せてあげる名目もあるんだろうけど、そんなに運動音痴の子供の映像見て、よくもまあ盛り上がれるもんだ。
だから早くにわたしは時雨にちょいちょいとやって、話しかける。ちょうど、時雨は距離を取って、わたしの近くに座ってくれていたから。
「ね、もうお風呂入ろ? 一緒に入ってくれるよね」
「ええ、勿論。沢山汗をかいた日は、綺麗に洗わなくてはいけませんからね。私がお背中をお流ししますね」
そう言って用意していると、ソーニャさんがこっちへ寄って来る。
「おお、何だ風呂か。余も一緒に入るぞ。いいだろう」
「別にいいけど。あーあ、ラブラブなお風呂タイムがなー」
少し毒づいてみると、ソーニャさんは慌てた様に、
「す、すまんすまん。しかし少し子孫達とまた裸の付き合いがしたかったんだ。ええだろ」
だからいいんだけどね。わたしもちょっと意地悪だったか。
「あー、あたしも入りますー。マスターとはいつも一緒でしょー」
「何を言うんだ。余はこいつらと今日は入るんだ。ティナが入れば面積が狭くなる。今度、ファンタスマゴリアに作った以前の物に皆で入れば良かろう。お主は他を誘え」
「えー、いけずですねー。じゃあ、木の葉さん、一緒に入りましょー」
とりあえず一件落着、誰が誰と入るかは決まった、のかな。
お風呂はソーニャさんは意外に長風呂らしく、先にじっくり浸かって貰って、わたし達は体と頭を洗う事にした。背中と頭は時雨が洗ってくれる。
「今日はお疲れ様でした。苦手な事もちゃんとやり遂げて、偉かったですね」
「そうだそうだ。インドア派のご主人が、あんなに必死こいて頑張っておったのだ。余らが労ってやらねばな。なに、あんなもん出来んでも構うもんか。ご主人は魔力の力も大きいし、スピリット能力も優秀な物を持っておるんだ。角も生えたしの。誇りの子孫じゃ!」
うん、慰めてくれるのはありがたい。褒めてくれるのも。
でも、ね。もうわたしはあなたの子孫認定ですか。角が原因だろうか。
いやまぁ、いいか。段々、わたしもソーニャさんが本当のお婆ちゃんな気がして来たよ。
「誰がお婆ちゃんだ! うん、いやしかし、家族と認めてくれるのは余も嬉しいぞ。確かに余は太古より生きながらえている魔族だ。お婆ちゃんには違いないか。ん? 余って、巷で言われているロリババアに当て嵌まってしまうんじゃないか。これはいかん。早く体を元に戻すほど回復せねば。しかし、まだまだ全快の目処など立たんし・・・・・・」
悩んでいるなぁ。これも乙女の純情と言えなくもない、かな。
「うん。しかしともかくお疲れ様だ。こんな行事で衆目に晒されるなんて、現代人は大変だわい」
それホントに同意。どうして大勢観客がああもいるんだろうね。
「それより余は、何とも時雨の勇姿も見られたのが感涙ものだ! あんなに日光が駄目だった時雨が、やっと外で活動的に本来のスペック通りの活躍を見せられるなんて。ああ! 余にこれほどまで、子孫達が眩しい姿を見せてくれるとは!」
感極まってうるうるしてるソーニャさん。わたしはそれから話題を逸らして、時雨と向き合う。
「ホントに疲れたけど、それより時雨、ホントにいいの? さっきお礼に血を吸わせてあげるって言ったのに、吸わなかったでしょ」
居間でいた時に誘ったんだけど、ね。
「ああ、そんな、いけませんよお嬢さま。体力が低下している時に、吸血なんてしては。しかし、綺麗に汗を流したお嬢さまの肌は、本当にお美しい・・・・・・」
うーん、後日に何かして貰えばいいのかな。でも今日何かあげたいし。
「ホントに何でもするから、して欲しい事言ってよ。まだ元気だよ。そんなに動きまくって騒いだ訳じゃないし」
「そ、それなら・・・・・・」
すすすっと手がお腹にいく時雨。ちょ、ちょっとなに。おへそを撫で回されて、ゾクッとしてしまう。
「これくらいならいいですかね」
顔も近づいて来て、またキスされるのかと思ったら、違った。時雨の口は首元に伸びて、牙がキラリと光る。あ、やっぱり吸うのかな。
「え? んんっ。あ、あの、時雨・・・・・・? あんっ」
かぷりと深く突き立てないで、甘噛みをされた。
かぷかぷと噛んで来るので、くすぐったくて、それでいて舐めながら甘い物を流されているので、おかしな気になっちゃいそうだ。
これ、癖になっちゃうよぉ。
そうする間にもお腹も撫で撫でされて、裸なのに、いけないよ、でももっと繋がりたい、みたいに思っちゃって、こっちからも何かしそうになったその時、
「おい、こらお主ら。余もいる事、すっかり忘れておるだろ。誰もおらんとこで、そう言うのはやるもんだぞ。まさかここで始めるとは思わなんだわ。ええか、ちゃんと清い交際を続けなくては、この関係も破綻してしまうんだぞ。時雨が理性を失ってどうする」
しゅんとなるわたし達。え、ソーニャさんに説教?
その事実がよりわたしにはショックだった。まさか、ソーニャさんが正しい位置にいるとは。
「す、すみません。この頃、どんどんお嬢さまが綺麗になるし、眼鏡外していたら、より端正な顔立ちがくっきり見えて、堪らなくなってしまいそうにいつもなるんです」
「そう言う時はある。あるぞ、時雨。じゃがそこをグッと堪えるのだ。慰めるのは後でだ。苦しい時を過ごして来た余にはわかる。辛い時期はあるのだ。しかし、後に至福が訪れるとわかっているなら、暫しの辛抱を自分に強いてみよ。小春ご主人もだ。お主もされるがままになっていてはいかんぞ。ましてや、誘う様な言葉を投げるとはな」
ああ、すみません。でもわたし、とっても時雨を誘惑したくなる、悪魔的精神状況が時々訪れるの。
それは止められなくて、性衝動の激しさは対処法なんてないみたいで、どうやって理性的でいようかって難しいくらい。
それだけ時雨が美的な体と、凄く惹かれる様な言動でわたしを惑わせるんだもの。
そんな言い訳をしても、駄目である。
「ええい。それなら気が紛れるように、お主ら二人で余の体を洗うのだ。そう言う仕事に従事しておれば、性欲なぞ忘れられるわ」
なんか理不尽な気もするけど、老人にはちゃんと優しくしてあげるべきではある。
そう言う訳で、ここからはソーニャさんキレイキレイタイムとなったのであった。
人の頭なんて洗った事ないけど、ソーニャさんには角もあるし、金髪が綺麗なので、見た目はわたしより小さな女の子に見えても、やっぱり少しドキドキしてしまう。
でも頭の方を任されたのは嬉しいなと思う。ソーニャさんの長い髪を手入れさせて貰える喜び。
ご先祖様だもんね。角も洗ってあげると、少しだけ変な声を出してた。これからちょっとは孝行しなくっちゃ。
「さ、終わりましたよ、ご先祖様。じゃあ、皆で浸かりましょうか。ご先祖様は私が抱っこしてあげますよ」
ム。その位置にはわたしが納まりたい。でもそれ言うと、また何言われるかわかったもんじゃないしなぁ。
エッチな気持ちがあるのは確かかもしれないし。でもソーニャさんなら、エッチな展開にもならないだろう。
・・・・・・ならないよね? 幾ら時雨がロリコンでも。
「ふむ。名案だな。うーい。気持ちいいなぁ。この入浴剤と言うやつも気に入っとるんだ、余は。ははは。時雨よ、こうしておると昔を余も思い出してしまうわい」
「そうですか? 快適なら良かった。あ、お嬢さま。すみません。不満ですよね。今度お嬢さまにもしてあげますので。あの、その、別に下心があってやっているのではなくてですね」
「わかってるわよ。ソーニャさんはお婆ちゃんだもんね。別に嫉妬してる訳じゃありませんよ」
「やはり余はお婆ちゃん扱いで決定なのか? う、うむ。自分の加齢にもきちんと向き合わんといかんか・・・・・・」
そう言って、何やら思案げなソーニャさん。しばらくして湯船を上がってからも、まだ余は確かに四桁の年寄りだ、そうか、そうだ、とかブツブツ言っていた。
お風呂を出て、わたしは歯磨きを今日は早めにしておいて、いつ眠たくなってもいい様にしていた。
本を少しの間読んでいて、時雨が用事してるのを横目にしていたら、いつの間にか寝入ってしまっていた。
翌朝の休みに、あれ?いつベッドに入ったっけ、と記憶が曖昧だったので、寝てしまったわたしを時雨が連れて行ってくれたのだろう。
眼鏡も傍の机にちゃんと置かれている。
こんな事、この頃しょっちゅうな気がして、もうちょっとシャキッとしないとって思うのと、時雨にもっと甘えていたいなって気持ちと、半々ってとこかも。




