6章ー9 誰のためのプロローグ
≪2≫
「じゃあ、何で今僕は『生きて』いるんだ。事件で死んだはずなのに」
そう問うても、声は見当違いなことを言っていた。
『君は野崎悠佑で間違いないね』
さっきも確認しただろう。そうだ、とぶっきらぼうに言った。僕の名前が何だと言うんだ。
その反応を待ってました、とばかりに、声は喜んでいた。そして、ある一つの方向を指示する。
『では、向こうにいるのは誰だろうか』
向こう、と言われた方向に視線を向ける。真っ暗ななか、しかも声しかない存在に向こうと言われても方向なんかちっともわからない。
ただ、僕の真正面、その遠くに人影らしきものが見えるのは事実。僕からだと、くらいのサイズにしか見えないけれど。少しだけ痛む体を無理矢理にでも動かして、地面もわからない中を歩いた。
その人は、僕のほうに正面を向けながら、表情もなく、虚空を見つめ立っている。その人の姿に、言葉を発することができなかった。
僕だ。僕がいる。
その人は、僕とまったく同じ容姿をしていたのだ。
『さぁ、たどり着いたかな』
「いたって普通の男子学生である僕のそっくりさんがいても、需要はないだろう」
強がってみても、混乱はいっそう深刻になっていく。何で僕が二人いる?どうせなら美男美女が二人三人いるほうがよっぽどいいのに。声が言った。
『需要はあるさ、私に。君は黙って僕たちのやり取りを見ているがいい』
声が見ていろ、と告げた瞬間、無表情だった向こうの僕に、感情が宿る。大きく口を開いて、かすれる声で、手を振り上げながら叫んでいた。
それから、僕は、自分が写っているビデオをみているかのような錯覚に陥る。
「……死ぬな!!」
きょろきょろと、辺りを見渡していた。当然、僕の方にも当然目線を向けていたが、姿は見えなかったらしい。
「真っ暗じゃないか」
やっぱりというか、声も、同じだ。正確には普段僕自身が聞いているものよりも録音された自分の声を聞いているものに近い。そんな差違はあれど、間違いなく同じだ。
『お、気が付いたね』
さっきまで、僕と会話をしていたはずの声が、向こうの人と会話をはじめた。
『それにしても、豪快な寝言だったね。久しぶりに紅茶吹いちゃったよ』
聞き覚えのある台詞に、見覚えのある行動。これはわざとだろうか。
声のほうも、先ほど、僕が行った会話と全く同じ言葉を選んでいる。
なんだか……嫌な予感がした。
「あんた、だれだ」
少し、不機嫌そうに、出来るだけ威嚇をするつもりで声を出す。僕がやりそうな……やったこと。
『ん?僕のことかい?』
この声に、向こうの人は眉をひそめた。
他に誰がいるんだよ。とでも言いたそう。実際、僕だって同じことを考えたさ。さっきの僕を、ビデオ再生で見ているみたいだ。
『そうだねぇ、なんて言おうか……まぁ、僕のことは後回しでいいよ。野崎悠祐君』
何で、僕の名前を知っている……そう思ったのだろう。
彼の思考が、手に取るようにわかる。いや、彼の思考が、僕をわかっている。
『なぜ君の名前を知っているかって?細かいことは、後でいいんだ。とりあえず、悠祐はどこまで覚えているのかな?あんな大きな寝言言っていたくらいだから自分が死んじゃったことはかすかに覚えているみたいだよね。うん。なら話は早い』
「お前、僕が死んでいるって、どういう……」
言葉が切れた。苦悶の表情で、体を抱えうずくまっている。
ああ、痛いんだろう。堪らなく苦しいんだろう。それは、僕も経験した。
『悠祐はわかっているんでしょ?自分は死んだってことを』
……あいつの、言いたいことが、わかった気がする。
向こうの、僕と全く同じ行動をした人は一時停止の魔法がかけられたかのように、ピタリと動くのをやめた。
向こうの人は、全く僕と同じことを話した。僕と同じ声、僕と同じアクセント、僕と同じ言葉を選んで。
『さぁ、もう一度聞こう。向こうにいるのは誰だろうか』
「……」
答えられない。答えたくない。
言葉に詰まる僕のこの反応を待っていたらしい声の主は、歓喜に高笑いをはじめた。
『答えられないなら、私が答えよう。彼は、僕が作り出したもう一人の【野崎悠佑】
……もっと正確に言えば、君、本物の野崎悠佑の人生ほぼすべての記憶と、思考方法を忠実に模倣し、その通りに行動させている人工知能。脳だけコピーしたロボットみたいなものだ』
「僕の記憶の模倣……」
『そう。真似だ。彼は君の脳を模倣している。
脳は高度に複雑に、絡まって相互に働きあっている。その工程を解釈し、野崎悠祐の記憶を統べて分析し独自のアルゴリズムに従ってデータ化する……気の遠くなるような作業ではあるが、『Me』を使えばそれは可能になる。私が、可能にしたのだよ』
無機質な音が現実感を伴わずに右から左へと流れていく。僕の視界には一切が映らなくなっていた。そりゃそうだ、もともと視界なんてなかったんだから。
「僕は何なんだ」
『それは、君自身が定義するしかない。あえて私から答えを提示するのは私の目的に反する』
「どこで、僕の記憶を手に入れていた」
『日ごろから、君に協力を求めていただろう』
「お前……まさか」
ふっ、と小さくわらった。
『彼の名は【U】。君に免じてそう名付けた、お気に召して頂けただろうか、≪ゆう≫』
「……その名で呼ぶな」
『ああ、これは家族と彼だけが呼べるのだっけ』
「……」
『その反応がみたかったんだ。本人さえ黙らせるなら、私の研究は十分成果を得られている』
「……こんなことをして、何をするつもりだ」
『世界を変える』
「馬鹿をいえ。神にでもなったつもりか」
『もちろん、冗談さ。私の純粋な興味が結果的にそうなるかもしれない、というだけ。世界を変えることになど、誰かさん達と違ってこれっぽっちも興味がない』
一つ、呼吸を置いて、声は言った。
『だが、神のという呼称は言いえて妙だ』
そして、近くに在るだろう、もう一人の僕の存在に向けて、言葉を発する。きっと、この声の主は、薄暗い部屋の中で、パソコンの画面に向かいながら、笑っているのだろう。
人の感情など、お構いなしに!
『これからが冒険の時。さあ、【ユー】、本物すら霞ませる、忠実なる本人の模倣ぶりを見せてくれ。そうして、君は本人を乗っ取り、人間になるんだ』
「僕は、地獄に落ちるのか」
『天国にも地獄にも行かないって』
ただ、記録として天国にも地獄にも行けずに電子空間を漂うのみ。それを、天国と地獄、どちらで例えればよいのか、だれか教えてくれよ。
【それ】は偶然聞いていたのだろう。Uが口を開く。僕はそれを遠目で見ることしかできなかった。そして、あれよあれよという間に、ユーと、天の声の会話は進んでいく。
彼は、野崎悠祐であることに、何も疑問を持たずに。僕と同じことをしながら、第二の人生を謳歌する。
人生の意味などわかりもしない奴が……!
【じゃあ、何で今僕は『生きて』いるんだ。事故で死んだはずなのに】