4章―7 囚われの姫君、囚われの心
「ウイルス退治って大変そうだよな」
「昨日の映像見ただけでも、大きいし、重そう」
「そうそう、大変なんだよ!とにかく現れたらほんと数が多くってさ。1匹いたら30匹はいると思え、っていうのが常識」
「なにそのゴキブリ」
「俺の世界にも似たような格言があったぞ。『目の前に1匹いたら背後に30匹』って。油断をするなという戒めに使われていたみたいだが」
「ゴキブリ的生命力って実は世界普遍的なのか」
翌日、約束通りの時間に現れたイーに従って、また昨日と同じく、アイの部屋にお邪魔していた。一応国家機密のうちでもかなりの機密の部分に入ると思うんだけど、隣の家に遊びに行く感覚で入っていいのだろうか、不安は尽きない(なお、今日も昨日と変わらずイーとアイの個人的な同意があるというだけで国家機密の場所に警備も通さずに入っていることには変わらないので、正面ゲートを通らず、あの手この手で不法侵入してきた)。
この部屋には、今はアイと、僕とレオの三人だけ。イーさんは先ほどまでは一緒に談笑していたけれども、今は地域の巡視に回っている。アイの予知があるといえども、定期的に巡回することがあるらしい。なんでも、未来予知があってもそれは完璧なものではなく、多少のラグは発生するらしく、多少の建物の損壊など被害が発生すること自体は避けられないため、その復帰の補助をするためらしい。ウイルスを駆逐する軍隊とやらも、暇ではないらしい。
巡回の時間だといってレオは準備をして、外に出ていった。部屋を出ていくときに、僕たちをものすごい顔で本当にわからないくらいの一瞬にらんでから出ていった。気づいていないとでも思ったのか。
隣でレオがあきれたのか、小さくため息をついている。僕だってため息をつきたい気分だ。
そんなに警戒しなくてもアイに何もしないよ!あなたが怖くて何もできないよ!
アイは「ばははーい!」と言いながら楽し気に手を振っていた。どこの敵役の挨拶だと突っ込みたい。
そんなアイを、わかりにくいながらも、イーはやっぱり愛おし気な眼で見ている。イーの様子に、アイは気づいているのだろうか。あの、独占欲むき出しの男の視線に。アイの表情からは、二人の関係性までは読み取れない。
イーが巡回に出て行ってから、僕たちはアイとずっとおしゃべりをしている。
イーのたっての願いでもあるし、この場所にいる以外に僕たちの安全が保障されている場所がないというのもある。
国のトップということで、ものすごく緊張しながらアイに対面したのだが、アイの硬くならないで、普段通りにおしゃべりしたいという希望から、敬語といったそういう煩わしいものはすべて省略させてもらっている(なお、レオは最初からそういう気遣いをするつもりはなかったらしい)。
自分でいうのもあれだけど、異世界から来ましたというどう考えてもおかしい二人組を、国のトップと護衛もつけないで一緒の空間に居させてもいいのだろうか。警備が緩すぎないだろうか。
それでも、当のアイ本人は、ニコニコ笑顔で僕たちの話を聞いてくるあたり、僕たちが危害を加えることについて全く持って危機感を描いていないようだ。まぁ、僕たちは危害など全く加える気がないからその対応は正解といえば正解なんだけど。
「なぁ、アイは未来がどこまで視えるんだ?」
「ちょっとレオ、そういうこと聞いていいの?」
「なんだよ、ユーも気になるだろ」
「そりゃ気になるけど、宗教上触れちゃいけないタブー的なものかもしれないじゃん」
レオが国のトップに対し、道を聞くかのような軽さで聞いている。いいのだろうか、こんなことを聞いて。国教の重要な部分にかかわるのではないだろうか。少なくとも胡坐しながら聞くような内容ではないと思う。
それでも、アイさんは一切気にしたそぶりを見せなかった。それどころか、レオの質問が軽率なら、そ
の回答も実に軽率……というか大雑把なものだった。
「未来はね……全部視えるわけじゃないんだよね。こう……ぶわーって映像が頭の中に浮かんでくる感じ?明日は晴れだなぁとか、明日のご飯はチャーハンだなぁとか、そういう漠然としたことばかり」
「曖昧だな」
「でもね、ウイルスが来る時だけは、なんか場所と時間がはっきりわかるんだよ、ああ、あと数分後に何体やってくる!ってね。ただ、予知の精度があがる代わりに、長くても1時間くらい先の未来までしかわからないんだ。普通なら数分くらいかな」
「予知も完璧ではないんだね」
「予知が完璧にできたらそもそもウイルス被害は出ないだろ」
「それもそうか」
「未来は基本的に、アイが寝ているときにしか見ることができないけど、起きていても予兆を感じることはできる。だから、昼間はこうして、アイの代わりに、機械さんたちが予知を見てくれているんだよ、ほら。そして、ウイルスが来ると予知したときに警報が鳴るようになっているんだ、便利でしょ?」
そういって、アイは、自分の頭についているコードを引っ張る。
そう、実はこの部屋に入ったときから気になっていたのだが、触れるのをためらっていたものがある。たくさんのコードが、アイの体につながれているのだ。それも一本や二本じゃない。数十本単位で、体中、あたまの先からつま先まで。背中にも大量のコードが体に直接取り付けられているようで、そのコードが部屋中のモニターにつながる機械に広がって繋がっていることから、形だけならまるで天使の羽が広がっているように見える。ただ、こんな、おぞましい羽は考えたこともなかったけれども。
その異様さから、僕は知らずのうちにコードのことを考えるのをやめていたらしい。こんなに、繋がれているというのに、まるでアイは、コードのことなど気にもかけていないかのように笑う。
昨日とデザインの違う純白のドレスの長い裾はこのようなコードの類を少しでも隠すためにあるのだろう。ドレスの下からも無数のコードがパソコン類に向かって伸びている。
はっきり言って、異常だ。これじゃ、アイは歩くことも、その場から動くこともできない。
でも、アイはそれが普通だと、暗に笑うことで示している。僕たちはそれに言及することができなかった。
「でもね、君たちが来ることだけはずっと前から、すごくはっきり予感があった」
アイさんが途端に真剣な眼で語りだす。
「ほかの世界から、男性二人、ユーとレオという名前、場所もタイミングもしっかりわかった」
「ずっと聞きたかったんだけど、どうして僕たちを追い出したりしないの?それどころか、こんな好待遇を受けてしまっているんだけど」
本来なら、こんな素性の怪しい二人を仮にも国のトップである存在が自らの近くに置くなんてこと、ありえない、と思う。
それでも、アイは一切の迷いも見せずに言い切る。
「それはね、ユー君とレオ君は、この世界に来てくれたアイのための希望だからだよ」
「……希望?」
「だから、君たちが来る予知だけは、イー以外、誰にも教えていない。絶対にあいつ等に、君たちは渡さない。アイが何があっても守るって決めた、イーのために!」
アイさんはどんどんと言葉をまくし立てる。希望とやらを目の前にして、興奮しているんだ。
僕とレオは互いに顔を見合わせる。アイに希望といわれるような心当たりは全くなかった。
「この国にとらわれていない君たち二人なら、きっと本当のことを知ることができるって、わかっていたから」
「もう一度聞く。お前の望みは何なんだ?」
「そうだよ、この前、イーがその……自殺するって……」
ふと、未来を見通す金色の瞳に悲しみの表情が見てとれる。この表情は、前もどこかで見た。
「……アイとイーは、同じエリアで生まれた、幼馴染だったんだ」
レオの問いかけとは関係ないことを語るアイ。ただ、僕たちは黙って聞いていた。
幼馴染だったんだ、と過去形で語るアイ。
「生まれたときからずっと一緒、一番の仲良しで、毎日一緒に朝から、暗くなるまで遊んで、とても楽しい毎日を過ごしていたんだ。これからもずっと一緒だと信じて疑わなかった」
「アイが、『神の眼』の巫女になるまで」
ぐ、っとアイの握りこぶしに力が入る。
「……アイは、目が視えない。その上、ここから出ていくことはできない」
アイは、スカートのすそを手繰り寄せる。
急な行動に不可抗力で赤くなってしまう僕。アイを止めようとしたのだが、それを真剣な表情で僕を制止する。見ろ、と神に通じるその眼で言っている。
スカートの裾をどんどんと手繰り寄せている。もともとの長さが長さだけに、手繰り寄せることだけでも時間がかかる。それでも、彼女は続ける。
スカートの下には、あるはずの足がなかった。
「切られたのか」
アイは小さくうなずく。
アイの足は、ひざ下からすっぱりと切られていた。多分、だけど、事故でなくなったものではない。生まれつき足がないわけでもなさそうだ。切り口がきれいに処理されていることから、人為的に切られたんだろう。イーもそう判断したみたいだ。苦虫をかみつぶしたような、悲痛の表情を浮かべている。そして、きっと僕も同じ顔をしている。
ここで、誰に、というのは愚問である。巫女を閉じ込めて飼っておきたい人間など、そんな恐れ多いことができる人間など、そう多くもないはずだ。
あいつ等、彼女が先ほどこぼしてしまった本音から、本当はどう思っているのかがよくわかる。未来を予知する神の眼を持つ巫女をしばりつけておきたい人間たち。神の眼の予言を欲する人たち。
『神の眼』が、アイの足を切ってしばりつけた。
胸糞悪い。
「イーはそんなアイについてきてくれた。アイが寂しくないようにって、厳しい訓練までして神の軍隊に入って、特別な地位について。本当に嬉しかった。イーがいるだけで、アイは寂しくなくなるから。でも……イーには足があるんだから私にかまわず好きなことをしてほしい。イーの人生を歩んでほしい。アイの分まで」
悲しいよ。
アイの眼にはいつの間にか大粒の涙がたまっている。それでも、必死にこぼすまいと懸命にこらえている。
「イーは、私を、ここに居させるために、利用されているだけなの。そして、イーは、それに気づいてしまうんだ……」
イーは軍人のなかでも、特別な役割を与えられていると言っていた。アイの話が本当なら、神の眼は、当然、アイをここに縛り付けるために、二人の関係を利用することだって考えたはずだ。
それに気づいて、イーは……どうするのだろう。答えは、アイが知っていた。
「私はここから逃げることはできない。この国の民には罪はないから。それでも、私は願ってしまう」
イーは、一見自由にさせてもらっているようで、限りなく縛られている。もちろん、それはアイも。
「イーに、自由になってほしい、私から」
それは、イーさんに、一人でも大丈夫な、自立した強い自分を見せたいからだろうか。この様子を見れば、嫌でも僕は思い知る。
アイは、神様などではない。
本当は普通の女の子なのだ。イーを大切に、大切に思っているだけの普通の恋する女の子。それなのに、重すぎる力を持ってしまったがゆえに、囚われ、孤独に生きる運命を歩まざるを得ない。
悲しすぎるよ、こんな人生。こんなの。
相思相―なのに、どうして、すれ違わなければならないの?どうして、悲しい未来に涙を流さなければならないの。
「この世界でも特別なあなたはアイの望みなんだ。だから、アイの代わりに、イーをよろしくね……」
「そんな……僕たちじゃ……」
アイさんの代わりにはなれない。そう言おうとしたとき、ビクンと、体を震わせる。
「そろそろ、イーが来る。二人は宿に帰りな。もう夜も更けていく」
未来予知をしたのか、はたまた、恋する女子特有の勘というものなのか。ちょうどタイミングよくイーが扉を開けて入ってくる。
また、無邪気な少女の顔に戻って、微笑む。涙はもうない。先ほどまで、恋しい人の自由を思って泣いていた少女だとは微塵も感じられなかった。こうして、自分を押し殺してずっと生きてきたのか、と思うと無性に切なくなって、何かを壊したくなる。本当に、胸糞悪い!
「足があるうちにね」
アイ。それは、笑えない冗談だよ。
僕たちは、帰ってきて早々アイに送るように言われたイーに連れられて、また昨日のホテルへと戻っていったのだった。