子守唄
右足から入ると意識することで、それまでおしゃべりしながら歩いていたとしても、鉱山の入口でいったん立ち止まり足運びを確認する必要がある。
今から鉱山に入る。危険が待っている。そう意識をするための儀式が、右足から入るということなのか。
「信じずに鉱山に入っていった仲間たちは、次々に落石に足をつぶされたり不幸な目にあったんじゃよ。嬢ちゃんも鉱山に入るときは右足から入るんじゃよ」
「はい。分かりました。ありがとうございます」
お礼を言うとツイーナさんが次の人に声をかけた。
「第三鉱山ではな、赤い石の場所がいくつかある。そこは決して掘り進めちゃいけない。赤い場所を掘ると大地が揺れ坑道が崩れ落ちるからな」
赤い石の場所は掘ってはだめ。大地が揺れるというのはよくわからないけれど、弱い地盤なのかもしれない。
触ると崩れてくるんだね。
メモを取る。
「ドラゴンの鳴き声が聞こえたらすぐに逃げるんだよ」
「ドラゴン?ドラゴンがいるの?」
びっくりしてメモから目を離し、もう目が見えるのかどうか分からないほど弱ったおじいさんに問いかけた。
「ゴゴゴという地を這うような鳴き声が聞こえるのさ。それがドラゴンの鳴き声。鳴き声が聞こえると濃い毒ガスが坑道に流れてくる。一息でも吸ってしまえばすぐに意識を失いそのままじゃ」
「ドラゴンの吐く毒ガス?」
モンスターのことはよくわからないけれど、そういうドラゴンがいるのかな?
「もともと鉱山にはうっすらと毒ガスが流れているのよ。だから鉱山で仕事をするためにはガスを吸わないように工夫が必要なの。吸い続けると、数年で神経が麻痺して歩けなくなったり手足が震えたり目が見えなくなったり……彼らのようになるから」
彼らと、ツイーナさんは目の前に横たわっている老人たちを視線で示した。
かつて、鉱山で働いていた人たちなのか……。
やせ細り弱っているのは、何も年を取ったせいばかりではない?毒を吸い続けたから?
「ドラゴンの鳴き声というのも、たぶんどこかで毒ガスが噴き出す音のことなのだと思うわ。分かりやすく鳴き声だと言っているのね」
なるほど。むつかしい話をするよりも、ドラゴンの鳴き声が聞こえたら逃げろと子供たちに教えた方が分かりやすい。左足から入ると不幸になると恐怖心で注意喚起した方が「気を引き締めろ」と言うよりも効果がありそうだ。
……そんなの嘘だ、そんな馬鹿な話があるものかと、一蹴するのは簡単だ。
だけど、その嘘に、その馬鹿みたいな話に、何か意味があるのかもしれないと考えると、とても大切なことが隠されていることもあるんだ。
彼らの仕事は、知っていることを話すことなんだ。大切なことを、伝え残す。
彼らの実体験。
大きな亀裂を見逃してしまったために、岩が崩れて仲間を失った話。実体験だからこそ、話に深みがあり説得力が増す。
楔を打ち込む前にはしっかりと岩肌を見る必要がある。小さな見逃しが大事故につながることがあると……。
「火をつけると爆発するからな、火魔法は使っちゃいけねぇんだ」
毒ガスと言っていたけれど、それかな?引火性のガスがあるって聞いたことがある。
鉱山の中で火は厳禁とメモに書き加える。
「だからな、頼れる灯りは光魔法だけじゃ。儂ら一人ずつの光魔法なんて周りをちらりと照らせる程度じゃからなぁ。初めてあいつが来てくれた時には神の使いだと思ったほどじゃ」
あいつ?
「儂は鉱山の中を昼間のように明るく照らしてくれるあいつを、儂らを護ってくれる神のようだと思ったんじゃがな……」
昼間のように照らすというのは、魔欠落者だったのかな?
「愚かな信徒のせいで……」
信徒?
「ゲホッゴホッ」
突然一人の老人がせき込み始めた。
「大丈夫ですか?【回復】」
青年がすぐに呪文を唱える。
咳は収まったけれど、老人の肌の色がどんどんとくすんでいく。
「ありが……とう。ありがと……。だが、そろそろ儂にも……お迎えが……来たようじゃ」
「【風】ミミリーナを誰か医局2階に連れてきて!」
ツイーナさんが風魔法で声を飛ばす。
「ミミリーナは墓地で見つけた。今から連れていく」
すぐに声が帰ってくる。
「墓地からだと5分くらいか……。そうだエイル、驚かないでね」
「え?」
「ミミリーナは姿は大人だけれど、心は幼児……ううん、それよりも幼いから」
どういうこと?
「何を言っても理解しているのかしていないのか分からない。だけど、きちんと仕事は評価しないといけないから」
「理解していないのに、仕事ができるの?」
仕事っていったい何?
5分ほどして見た目だけなら中年と言ってよい女性が別の女性に腕を引かれながら現れた。
「やだ、わたし、かえる」
「ミミリーナいつもの仕事よ」
「きれいな、おはな、みつけたの、かえる」
片言で話すミミリーナの動きはまるで2歳か3歳の子供のようだった。そんな彼女に仕事?
ツイーナさんがミミリーナの背中を優しくさする。
「ミミリーナ、おじいちゃんがねむねむなの。お歌を歌ってあげてくれるかな?」
「ねんねするの?うん、おうた、うたったげる」
ミミリーナさんは両手を広げてパタパタと老人の元へ向かった。
そして、優しい声で、子守唄を歌いはじめた。
ああ、懐かしい。
私も幼いころに母様に歌ってもらった歌だ。
「ねーむ、ねーむ、ころろん、ころろんよ」
老人の表情が柔らかくなった。
「彼女が無垢な心で歌う歌はね、旅立つ人の気持ちを安らかにしてくれる……」
ツイーナさんの言葉に静かに頷いた。
うん。
安心して眠りなさいってそういってもらってるみたいな歌だ。
憎しみを知らない彼女にしかきっと歌えない歌。
手元の紙に、ミミリーナと名前を書いて二重丸をつける。
「あとは二人に任せましょう」
青年とミミリーナを残して部屋を出る。
次の部屋にも同じように寝たきりの老人がいて、話を聞いてメモをしていく。