亡国の伝説
体が傾ぎ、倒れた。
「叫んで呼ばれても困るからな、喉を潰すつもりだったが……」
男の声が聞こえる。
「エイルちゃんっ!」
レイナさんの悲痛な声。
「許さねぇっ!」
ファーズさんの怒りのこもった声。
「うっかり、手元を誤っちまったなぁ」
目の前に、血だまりが見えた。
これ、私の血……喉を切られたんだ。
……。意識が、もう……。
「【回復】」
ルークの呪文が聞こえた。
そして、呪文を唱えたルークを嘲笑う男の声も。
「坊主、無駄だ。レイナ様に治せなければ誰にも治せるわけはない」
「間違えたんじゃない、初めから殺すつもりだったんだろう!」
ファーズが、手にしていた剣を落とすのが見えた。丸腰になったの?
「当り前でしょう?エヴァンス様の脅威をそのままにするとでも?ふっ。さぁ。レイナ姫、帰りましょう。結婚式に着るドレスはそれはもう美しいですよ」
「【火】すべての剣を溶かす業火」
男の言葉を無視するようにファーズが呪文を唱える。
すると、白い炎がファーズに突きつけられた剣を包み込んだ。
あまりの熱さに、騎士たちはすぐに剣から手を放す。しかし、すでに手の皮にはひどいやけどの跡があり、回復魔法を口にしている者もいた。
騎士たちは、剣という武器を根こそぎうばわれたというのに、リーダーと思われる薄い頭の男は余裕の顔をしている。
「はっ。馬鹿なやつだ。剣を奪ったところで、多勢に無勢。一人で我々の相手ができるとでも思っているのか?知っているぞ、白い炎の火魔法は一度使えば魔力が切れるんだろう?お前の唯一の特技である火魔法を自分で封じてくれるとは。ははははっ」
「【回復】」
ルークの声が聞こえた。
「誰の魔力が切れたって?【火】圧縮した玉となって進め」
ルークの手の平から、火の玉がすごい勢いで飛び出し、薄い頭の男の髪を焦がして消えた。
ああ、もっと髪が薄くなっちゃうんじゃないかなって、どうでもいいことが頭をよぎる。
「玉【火】【火】【火】……」
ファーズが次々と火の玉を放つ。そのどれもが、騎士たちの体のすれすれを通過して、ちょろちょろと動き回っていたスライムに当たった。
「そんなバカな!なぜ、なぜ魔力が切れないっ!」
頭の薄い……いや、一部が禿げた男が悔しそうに歯噛みする。
『グロロロロォーーーッ』
どすんっと、大地を揺らし、青い狼さんが着地を決める。飛ぶようにして駆けてきたのだろうか。
『ヌシを……誰だ、ヌシを……我の大切なヌシを殺したのは……許さん』
喉元から血を流して倒れている私を見て、青い狼さんが激しい怒りの気を放った。
ばたばたと人が立っていられなくて倒れていくのが見える。
禿げた男は尻もちをついた。
『お前か、ヌシの血の臭いがお前からする』
青い狼さんが、禿げた男に鼻先を近づけた。怒りで歯茎を見せてうなっている青い狼さんの口元からよだれが落ち、禿げ頭に滴り落ちた。
『よくも、我の安寧を……。何百年ぶりかの安寧を……。許せぬ……』
禿げた男がフルフルと首を横に振った。
『ではお前か』
青い狼さんは大きな目をぎょろりと、騎士たちに向けた。
騎士たちは禿げた男と同じように首を横にふった。
『くっ。誰が犯人でも構わん。覚えておるぞ、お前らはヌシが許したが、敵だ。お前ら、皆殺しにしてやる!いいや、それだけでは我の怒りは収まらぬ。お前らの住まう国を滅ぼしてやる!我にかかれば、国の一つや二つ、3晩もあれば滅びよう』
禿げ頭の男が、唇を震わす。
「ま、まさか……あの本の話は伝説ではなく……」
本の伝説?なんだろう?私はモンスターの出てくる話をあまり知らないから分からないけれど……。
違う、そうじゃなくて、止めなくちゃ。
首を斬られたショックと、出血のショックで回復魔法で傷は塞がったけれど、頭がぼんやりしている。
声は……。
「……だい……じょう……ぶ」
あ、出た。ちゃんと声が出せる。
『ヌシ?』
手を動かしたら動いた。
手を持ち上げると、青い狼さんが少し舌を出して、ちょんっと手の先をつついた。
「生きてるよ。大丈夫。ありがとう、私のために怒ってくれて」
『ヌシのために怒ったんじゃない。我は、我の安寧を犯されたことに腹を立てたんだ』
青い狼さんは、ふいっと顔をまた禿げ男に戻す。
『生きていれば良いというものではない。お前たちは、ヌシを傷つけた……許すわけにはいかぬ』
再び、歯茎を見せて威嚇しだした青い狼さんに、男は、ついに口の淵から白い泡を吹きだした。
そして、何やら本当に意味のない言葉をブツブツとつぶやきだす。
ああ、恐怖の頂点を通り越して、意識を失うこともできずにちょっとおかしくなっちゃったのかな……。お酒を飲みすぎて怒り狂っている父親の姿を思い出して、背筋が寒くなる。
『どこだ、お前の国は。北か?南か?西か?東か?』
「待って、えっと……私を助けてくれる、レイナさんやファーズさんたちも同じ国なの。この人たちは嫌いだけれど、大切な人たちの国でもあるから、滅ぼさないで……」
くらりと揺れる頭。
必死に体を起こして、倒れるようにして青い狼さんの前足にしがみついた。
『ヌシ……そうか。ヌシを助けてくれる人間の国か……』
青い狼さんは、ちらりとレイナさんやファーズの顔を見てから、視線を騎士たちに戻した。
『だが、こいつらは野放しには出来ぬ。ヌシをまた傷つけるやもしれぬからな』
私が抱き着いているのとは逆の前足をぬいっと持ち上げる。先には鋭い大きな爪がついている。
「待って!」
私は善人ではない。