ぽかぽかする
湯舟に浮かんだ花びらを手で弄びながらレイナさんが答えてくれた。
「朝です、起きなさい。食事の時間です、食べなさい。寝る時間です、おやすみなさい。風魔法で声を届けると、顔を合わせなくて済むのよ。その気になれば、一日中誰の顔を見ないまま終わるわ」
誰の顔も見ない?そんなことが可能なのだろうか?レイナさんは姫様だし、身の回りの世話をする人が異端じゃないのかな?誰ともというのは単なる例え話?
「それがね、ファーズは違うの。城の敷地は広くて大変なのに、毎回探して話をしてくれるのよ」
ファーズは風魔法は声を届けることができないからだよね?
「他の誰かに風魔法を頼むこともできるでしょ?だけど、ファーズはそうしなかった」
そうなんだ。風魔法がろくに使えないことを気にして人に頼めなかったのかな……。見下されたような目をされるのがいやだったからかな?私ならどうしただろう……。
「顔を見ないと心配だったんだって。私が泣いているんじゃないかって。声だけじゃわからないから、顔を見て確認したかったんだって……」
ああ、まさか、そんな理由で……人に風魔法を頼まなかったなんて……。
私は、自分が風魔法が使えないことを負い目に思っている。ファーズも同じだろうなんて浅はかな考えしか思い浮かばなかった。
「お城勤めの人は、それこそ魔法が得意な人たちばかりだから、風魔法で人とやり取りするのになれすぎてるのね。声が届けば用が足りるって……顔を見ることが必要なんて考えもしないのね…。便利だからって、それが最良とは限らないのに。特に、恋する男女は、風魔法で声を届けるよりも直接顔を見て話すべきなのよ!」
「それって、ファーズさんのこと?」
私の一言で、レイナさんは頭までお湯に沈んでしまった。そして、すぐにたくさんの水しぶきをあげて浮上。
「な、な、ち、ち、何言ってるのエイルちゃん、違うわよ、今の話はドミンガのことよっ!リーアちゃんとドミンガの!」
「リーアさんと、ドミンガさん?」
レイナさんは、コクコクと大きく頷いた。動揺しているからか、一つずつの動きが激しい。
それにしても、これだけわかりやすいのに、ファーズさんはレイナさんの気持ちに気がついてないのかな?
「そうよ。魔欠落者の村があると知って、ドミンガがここに来る決意をした時に、リーアちゃんが迷わず付いてきたらしいのよ。あ、もちろんヤンばぁちゃんのこともあったからだとは思うけど……。恋よねぇ、恋」
え?魔欠落者の村?
この魔獣の森の村が?
「ねぇ、エイルちゃんは魔欠落者のことどう思う?」
レイナさんの質問に、私は何も答えることができない。
私自身が、魔欠落者だ。
魔欠落者について思うことは、自分について思うこと。私が浴びせられ続けた言葉、この村に来る間に少しだけ考え方が変わってきたけれど……。まだ、よくわからない。
生きていてもいい。幸せになる権利もある……。
それから……、誰かに頼らないと生きていけない劣った存在ではなくて……。
役に立てることがあって、お互いに助け合いながら生きていけばよくて……そこに優劣はなくて……。
何をどう言葉にしてよいのか分からず、ずっと心に引っかかっていた言葉が口をついて出てきた。
「神殿では悪魔に魅入られて魔欠落したって……」
一般的なこと。皆が知っている話。
「うん。神殿の言うこと分かる気がするんだ」
ああ、やっぱり魔欠落者は悪魔に魅入られた子だと、レイナさんも思っているの?
「神殿はどの国よりもずっと歴史のあるでしょう?国同士は争い戦火によっていろいろなものを失っているけれど、神殿には古い記憶が伝承されていても不思議じゃない。もしかすると、過去には本当に悪魔のような魔欠落者がいたのかもしれない。例えば、ドミンゴよりもずっとすごい水魔法の使い手がいて、大量の水で洪水を起して村を押し流してしまったとか」
「そんなこと……」
なかったとは言えない。
もし、本当に昔にそんな人がいたら……。確かに、魔欠落者は悪魔に魅入られたと言いたくなる気持ちも分かる……。
私の能力だって……。大量の人を収納して閉じ込めることができるんだから。村一つくらい消そうと思えば消せる……かもしれない……。
……魔欠落者は、神殿が言うように悪魔に魅入られた人間なの?悪魔の能力と引き換えに、他の魔法を失った人間……。
背中が寒くなった。
「全く逆かもしれない。例えば、世界中で大干ばつが起きて作物が育たなかったとき、恵の雨ならぬ恵の水を出して人々を助けた魔欠落者がいたのかもしれない。そして、人々に神の使いだと崇められたのかも」
でも、だったらどうして、神殿は悪魔と?
「神官たちは、自分より民衆の心をつかみ、神の使いだと言われる能力を持った者を危険視して排除しようとした可能性もある。干ばつを起こしたのも魔欠落者だと話を作って……」
いくらなんでも、雨を降らせなくすることなんてどの魔法だって無理だよ……。
いや、もしかすると、強い風魔法で雨雲を吹き飛ばすとかできるのかな?……。
「ねぇ、エイルちゃん、私の言っていることは分かる?」
「神殿が魔欠落者を悪魔に魅入られた人間だというのは……、理由があるかもという話ですか?」
ふっと、レイナさんが笑った。
「そうね、理由があって神殿が、魔欠落者は悪魔に魅入られたと言っているんだと思うのよ。つまり、神殿の作り話ね。だから、魔欠落者が悪魔と関係してるなんて私は全然信じてない」
悪魔とは関係ない……。お湯の中で、ぎゅっと拳を握りしめた。
私もルークも、私を産んだ母様も……悪魔に魅入られるようなこと何もない……。
私は、悪魔に魅入られた子じゃない……。
そうは思っていてもどこか心の奥に神殿が言うんだからそうなのかもしれないと言う気持ちもあった。
レイナさんの言葉に、神殿が言うことは神殿の都合だと思えるようになった。そういう考え方もあるんだ……。
「おや、エイルちゃん、さっそく風呂に入っていたのかい?どうだい?風呂は最高だろう?」
村の女性が一人、二人とやってきた。
「お湯の温度はどうだい?ちょっと焼き石足そうかね?」
ああ、焼いた石はお湯の温度を上げるために使うのか。
「妹のルーシェちゃんは一緒じゃないのかい?風魔法で呼ぼうか?」
みんな、色々と親切に声をかけてくれる。
って、ルーシェを呼ぶ?
「あ、あの、ルーシェは、その……」
ああ、まだ村の人たちはルーシェが本当は男の子のルークだって知らないんだ。
「わ、私、もう出るので!えっと、まだ仕事が残っていて……お先に失礼しますっ。【取出】」
慌てて収納から布を取り出し体を拭いて服を身に着ける。
「仕事って、村に着いたばかりだろう、今日くらいゆっくりさせてもらいなよ」
優しい。
これが、普通なのかな。
みんな……私の身を気遣って声をかけてくれる。街ではこんなこと……。
体がぽかぽかしているだけじゃない。心もぽかぽかだ。
幸せって、こういうぽかぽかした気持ちなんだろうか……。
母様……母様も一緒だったらよかったのに。お風呂はぽかぽかで、村の人たちは優しくて……母様……。