見えない目で見えるもの
「え?ああ、エイルはまだ知らなかったかね?目は見えないんだよ。5年くらい前からね」
そんな……。
「だって、刺繍……あんなに素晴らしい刺繍を」
「ふふふっ。刺繍は触れれば分かるよ。手が覚えているからね。色は、心が覚えている。だから、何も問題ないさ。ただ、糸の色が見えないからね。決まった場所に置いておかないと何もできない……人の手を借りないと、役立たずなのさ」
役立たず?
「そんなことないっ。私は人の手を借りたって、こんな素晴らしい刺繍なんて刺せないもの!ヤンさんの刺繍の腕は、世界一だよっ!」
「ありがとうね……。目が見えないから、指先と心に意識を集中させることができる。ひと針ひと針への思いが深くなる。……それに、刺繍以外ろくに何もできないからね。身の回りのことはリーアの世話になりっぱなしだ。そのおかげで刺繍をする時間は増えた。もし世界一と言ってもらえる作品が出来ているとしたら、目が見えないおかげかもしれないねぇ……」
目が見えないせいでじゃなく、目が見えないおかげ?
「失うことで、何かを得るなんて考えてもみなかったよ」
「失うことで、得る?」
「ふふ、この考え方を得たのも、視力を失ったからだね……。自分が当たり前だと思っていたものを失ったことで、色々と考え方を改めさせられたよ。五体六法満足が当たり前で、無いことは未知の世界だったからね。いや、知ろうとしなかった……じゃないね、むしろ知りたくなくて目を背けていたというのが正解かな。魔欠落者に関わりたくなかったんだ。あれは、今思えば未知な者に対する不安だったのかもしれない……」
不安?
魔欠落者に関わるのが?
「ずいぶん、昔の私はひどいことしてたよ。分からないなら知ればよかった、それだけなのに、避けて、避けている自分を正当化するために、魔欠落者を見下す者たちに賛同していたんだ……」
「魔欠落者は、魔法が使えないから、人より劣っているから……見下されても仕方がない……」
そういう存在……。
人の魔法に頼らなければ生きていけない、劣った人間……。だって、母様も私が魔欠落者だから人に見下されて辛い思いを……。
「エイルは、目が見えなくて劣っている私を、見下すかい?」
ヤンさんの手がふわふわと空をさまよい、そして、私の姿をとらえると、そっと頭を撫でた。
ヤンさんを見下す?
「そんなことしないっ。目が見えなくたって、刺繍の腕は」
「もっと年を取って、刺繍も刺せなくなったら見下すかい?」
ヤンさんの目は私の姿を映さない。だけれど、私の心を見透かすように言葉を続ける。
優しい声で。優しく頭を撫でながら……。
ふるふると、頭を横にふって答える。
刺繍がさせなくなっても、この優しい声、優しい手の持ち主には変わらない。どうして見下すというのだろう。それに、刺繍を自分ではさせなくても、教えることはできるんじゃないだろうか?今まで刺した刺繍がお手本となるはずだ。
「よかった。エイルは優しい子だね。目が見えなくなった途端に、邪魔者扱いしたあいつらとは違うね……」
「あいつら?」
「刺繍を売った稼ぎを当てにして、ろくに働かなかった息子に、人の悪口を言うことしかできない嫁……家族のことを悪くは言いたくはないけれど、どうしてあんな息子に育ってしまったのか……」
家族……。
父親の姿を思い出した。家族だからと言って、父親を褒めるようなことは私は一生ないだろう……。
「目が見えなくなってからしばらくは、私もどうしていいのか分からなくて刺繍がさせなかったのさ。それで、稼げなくなった私を息子は邪魔者扱い。嫁はいかに目の見えない私の世話が大変かと言いふらして歩いていた……。孫のリーアだけが、私の身を案じてそばにいてくれたよ。リーアだけは知っていたんだよ。……持たざる者が劣った存在ではないと……。見下されるべきは、働きもせず酒を飲んでは殴るような人間や嘘をついて人を陥れ金を巻き上げるような人間だって。知らないというのは罪だね。知ろうとせず目をそらすのは……」
酒を飲んで人を殴る……。
ぎゅっと目をつぶって心に沸き上がった痛みに堪える。
父親に殴られ続けた母様……。母様は……。
「リーアは、魔欠落者でも働き者で優しいいい男がいるって知っていたのさ……おっと、確かリーアに用があったんだね?風魔法で呼んだから、すぐに来るよ」
ちょうど糸を並べ終わったころ、リーアさんが来た。
「おばあちゃん呼んだ?あれ?えっと、エイルちゃんだっけ?どうしたの?」
「おお、来たようだね。エイル、続きはリーアに聞くといい」
続き?話には続きがあるの?
「え?何の話?おばあちゃん、ニヤニヤして……何を話したの?」
「なんでもないさ。エイル、いいかい……人を見下すのは簡単だ。相手を知らなければいいんだから。いいところを見なきゃいい。見つけてごらん。その人のいいところを。私はもうエイルのいいところをいくつも見つけたよ」
いいところ?
人より大きな収納魔法が使えることくらいしか……。
「優しくて、働き者で、人の言葉を聞ける」
ホロホロと、涙が落ちた。
収納魔法じゃない……。”私”だ。
ヤンさんは私のいいところを探してくれた……。
「え?あれ?エイルちゃん、大丈夫?」
リーアちゃんが私の涙を見て、慌てた声を出す。
「あの、嬉しくて……その、大丈夫です!えっと、村長の家でファーズさんがアネクモの糸の処理を手伝ってほしいそうです」
リーアさんにそれだけ言うと、慌てて家を飛び出した。
ポッケにいれたハンカチを取り出して、涙をぬぐいながら、開拓している場所へ速足で向かう。
『腹が減った……』
「へっ?」
今の声は?
あたりをキョロキョロするけれど、近くに人の姿はない。誰かが風魔法を無意識に使ってしまったのだろうか。それとも、どこかでお腹が空いて動けないでいるのかな?
『その声は、娘か?』
また声が。私の声が届くところに誰かがいるの?それとも、娘というのは私のことじゃないのだろうか。
「あの……どこにいるんですか?」
『収納の中だ……なぜ、ヌシの声が急に届くようになった?』
収納の中?もしかして……青い狼の高位モンスター……?
『ああそうか。我の渡した毛か。うっすらと魔力のつながりを感じるな。触れれば風魔法のように魔力に声が乗って届くようだ』
はっ。
そういえば、涙を拭くために取り出したこのハンカチに、青い狼さんの毛を包んでいたんだ。
ハンカチを頬から外して見れば、毛の先が見えていた。これが、頬に当たっていたのか。
曾祖母の思い出を参考にしています。
80歳を超え、目を悪くし細かいもの手元が見えない曾祖母はそれでも和裁を仕事として続けておりました。手の感じで縫い目は分かると、綺麗な間隔で糸を刺していました。ただ、針に糸を通すのが大変なんだよと、何度か手伝った思い出があります。