ファーズ危機一髪
「うっ」
とっさに片膝をついただけで退勢を立て直し、剣を構えたファーズさん。脇腹から、真っ赤な血が流れ出している。
黒い影は、猪のような大きさのある兎だった。頭には角が生えている。
「角兎の角は1本。2本生えてるから、中位モンスターの双角兎……。なんで、街と街を繋ぐ街道に中位モンスターが次々現れるんだ」
ルークが唖然としている。ファーズさんは、双角兎と睨み合っている。
だが、流れる血の量が多いからか、顔色がだんだん白くなっている。
回復魔法も、さきほどの火魔法も、ファーズさんは何も使わない。もう、魔力が足りないのかも!
「ファーズさんっ!」
私の叫び声と同時に、双角兎が動いた。太い二本の後ろ足で地面を蹴り、ものすごいスピードでファーズさんに飛びかかる。
それをなんとか交わしたファーズさんだけど、続く双角兎の体当たりをくらって地面に伏してしまった。
「逃げろ!こいつは、何人も同時に襲わない……」
その言葉を最後にファーズさんは意識を失った。
「【回復】。大丈夫だよエイル。死なせないから。出血を止めた。あとは街の医者でも治せるから」
がたがた震える私の体をルークが支える。
すぐには死なない……。だけど、このままじゃ……。
意識を失ったファーズさんを双角兎は餌にするつもりだ……。収納すれば助けられるかな?
だけど、収納の中には狼の姿のモンスターがいる。そして、もしうまく収納できたとしても、餌を失った双角兎は今度は私たちを狙って飛びかかってくるだろう。
どうしたらいい?
……そうだ。
「【取出】【収納】」
青い狼をまずは取り出す。そして、ファーズさんを収納する。これで、問題は一つ解決した。
うまくモンスター同士が争ってくれてれば……。
あれ?
初めから双角兎を収納すればよかったんだよね?失敗した。どうしよう。
『おや、中位モンスターじゃないか。こりゃいい。久しぶりのご馳走だ』
青い狼姿のモンスターは、視界に双角兎を捕らえると、口元を歪ませた。もしかして笑っているのだろうか。
怖い。
ものすごい強い気に当てられ、今にも腰を抜かしそうになる。
双角兎が、タイミングを見計らって大きく跳ねて逃げ出した。
『中位モンスターごときが、我から逃げられるとでも思ったか、笑止!』
青い狼のモンスターも風のように大地を蹴って、双角兎を追いかけて行った。
「い、行っちゃった……」
目の前から二頭のモンスターの姿が消えても、しばらくは震えが止まらなかった。
「逃げよう、また戻って来るかもしれない」
ルークは、御者台の上に移ると手綱を手に取った。
「馬車を動かせるの?」
「わからない。馬には乗ったことがあるけど、馬車は初めて」
馬に乗ったことがあるなんて、珍しい。文字といい、地理を知っていたことといい、どれだけのことを教えられているのだろうか。
ファーズさんは、いつ意識が戻るかわからないので収納から出して荷台に寝かせる。
命に別状はないとはいえ、かなりの血を流したし、打撲もしている。大丈夫だろうか。街まではあとどれくらいあるのだろうか。
こんな時、風魔法が使えれば街のある方向に向けて「モンスターが出た、助けて」って声を飛ばせるのに!
5分と進まないうちに、馬が落ち尽きなく前足をあげて後ろだちになった。
「うわぁっ!」
ルークが慌てて手綱を引締める。
『食った食った』
馬車の行く手を阻むように、再び青い狼のモンスターが姿を現した。
『娘、収納しろ』
え?
また?
なぜ、わざわざ戻ってきて、収納しろなんて言うの?
『早くしろ。これ以上時間をかけると、我の気で馬が気絶するぞ』
確かに、馬は泡を拭いて倒れそうだ。
「【収納】」
また、素直に狼のモンスターは収納された。
「ねぇルーク、どういうことなんだろう?」
「わからないけど、今は僕達に害を成す気はないみたい。とにかく、進もう」
ルークが小さな体で御者台で手綱を握る。
あとどれくらいで街につくんだろう。またモンスターが出てきたらどうしよう。
母様の言葉を思い出す。「不安なときは、今できること、今するべきことを考えなさい」……今、私のするべきこと……。
「エイル、お願い」
ルークの声に道の先を見れば、双角兎の姿があった。
「【収納】」
「うわぁっ!」
ルークの悲鳴が上がる。呪文は危機一髪。もう少しで、双角兎の角がルークをかすめるところだった。
さすが中位モンスターだ。動きが速い。次は、呪文が間に合わないかもしれない。
今、私がするべきことは……馬車を守ることだ。
目をしっかり見開き、周囲を警戒する。モンスターの姿を見つけたら、その瞬間に収納魔法の呪文を唱えた。
はぁ、はぁ……。
緊張を続けたせいで、疲れた。もう、限界……そう思い始めたころ、街についた。
街の中心付近、医者のいる教会近くに馬車をとめる。
「【回復】」
ルークが小さな声で呪文を唱えた。
「あれ?医者に治してもらうんじゃないの?っていうか、治すなら、なんでわざわざここに来たの?」
「医者に診てもらうお金がもったいない。森の中で治してファーズが目を開けたら厄介。ここで目を覚ます分には、教会で治してもらったって思ってくれる」
にこっと天使の笑みを見せるルーク。私より小さいのに、考えが深いよっ!
「うっ、あ、あれ?ここ、街か?助かったのか?」
すぐにファーズさんが目を覚ました。
「傷が、塞がっている?教会に連れてきてくれたのか。すまんな、ありがとう。いくらかかった?あれだけの傷の治療だずいぶんしただろう?」
ファーズさんが、ズボンのポケットから巾着を取り出し銀貨を3枚出した。
「足りるか?」
まったく相場が分からず、答えに窮する。
「うんと、お金はかからなかった。お金持ってないってここにいたら、親切な人たちが治してくれた」
ルークはいけしゃあしゃあと嘘をつく。
「ん?そうなのか?よくわからないが、そうか。だがお前たちのおかげで助かったのは間違いない。受け取ってくれ」
ルークは差し出されたファーズの手を押し戻した。
「いらない。かわりに……お願いがある」
ルークは何をお願いするつもりなの?
「魔獣の森の村に、連れて行って」
ファーズさんは、驚いた顔をして、それから口を開いて何か言おうとしたけれど、何も言わずに口を閉じた。
ふぅっと小さく息を吐きだすと、ルークの頭をぽんぽんっとしてからにかっと笑う。
「お腹空かないか?これでご飯食べよう。ああ、その前に着替えないとな。これじゃぁ食堂入れてもらえないな」
血だらけの服を見降ろしファーズさんはおどけた顔を見せた。
ファーズさんはそれから着替えて、荷台の荷物をあちこちに届け、そして宿屋へむかった。