婚約破棄
「俺から事情は説明する。何もなければいいが、神殿のやつらがここに来るなんてよっぽどのことだ。つまり、緊急事態だ。事前に何も準備を整えることもできなかったんだ。ジョセフィーヌ様も一国の主として理解できないはずはない」
ツイーナさんは、少し顔色を悪くしながらも将軍の言葉に頷く。
「エイル、いらっしゃい」
ツイーナさんに連れられ、廊下を奥へと進んでいく。
奥から3番目の部屋。開かれた扉の中は、薄いピンクの天蓋付きのベッドが置かれたかわいらしい部屋だった。
ジョセフィーヌ様の部屋?
それにしては、生活の匂いがしないとでもいうのだろうか。とても使われている部屋とは思えない。客間なのだろうか?ツイーナさんはクローゼットを開き、並んでいる服をかき分けてその奥に置かれたタンスの引き出しを開けた。
中から薄黄色のドレスを1枚出してきた。
「さぁエイル、着替えて」
見ただけで分かる。よい布を使って、丁寧に仕上げられた高価なドレスだ。細かなレースや刺繍もふんだんに使われている。
「私、こんな立派なドレスを着るなんて、あの、使用人の服装じゃダメだというなら、収納に自分の服がありますから」
クローゼットの隣の鏡台の引き出しを開け、何かを探しながらツイーナさんが振り返る。
「もう、誰も着ることのないドレスよ。汚すこととか気にしなくていいから、早く着替えて。髪も結わなければ。エイル、ただの小娘ではいと思わせることであなたの安全を守るの。幸いにして、エイルの立ち振る舞いは貴族だと言われても納得できるものだわ」
「は、はい。すいません」
そうか。私は今、この国の秘密や財産を収納魔法に抱え込んでいる。いわば歩く国家秘密であり、国庫でもある。
守られるのが私の仕事だ。
急いで使用人の服を脱いで、出されたドレスに袖を通す。ツイーナさんは後ろのボタンを手早く止めてくれた。それから鏡台の前に座らされた。ブラシで髪を解かれる。
「凝った髪形を作る時間はないから、リボンでごまかすわ」
サイドの髪の毛をとってみつあみを作り、左右のそれを後ろで一つにまとめてドレスと同じ色のリボンをつける。
それから、黄色い小さな花のモチーフが付いたピンで前髪をあげて頭のてっぺんで止める。
「顔かたちが似ているわけじゃないのに……」
ツイーナさんが鏡に映る私の姿を見て口を押えた。
「エイルの人を大切にする優しい雰囲気が似てるのかしら……」
誰に?もしかして、このドレスを着ていた人?小さなころのジョセフィーヌ様?
「さぁ、戻りましょう」
ツイーナさんに連れられて将軍と合流する。
「さぁ、謁見の間に移動するか。ジョセフィーヌ様の準備の整ったようだからな」
移動中に将軍が、ジョセフィーヌ様に事情を説明したこと。一緒に警護したほうがいいと判断を下したことや、ドレスの着用の許可もとったことなどを順に話してくれた。
「それから、何かぼろが出るといけないから何もしゃべるなと、ジョセフィーヌ様からの命だ」
うんと頷く。
謁見の間。入って正面に数段高い段が儲けられ、その中央に豪奢な椅子が置かれている。
そこが王の座でジョセフィーヌ様が座る場所なのだろう。
その斜め後ろに宰相と将軍が立つ。
段を降りたすぐ下には、左右に分かれて兵たちが10名ずつ並ぶ。
そして、ツイーナさんやほかの使用人は立ち並ぶ兵たちよりも後ろの壁際に5名ほど立った。
私は一番守りやすい場所ということで、ジョセフィーヌ様の隣に立つように言われた。
王の椅子の隣に立ってジョセフィーヌ様がくるのを待つ。
カラカラと木音が鳴るのを合図に、将軍が椅子の後ろの壁のカーテンを持ち上げた。
そこから、ドレス姿のジョセフィーヌ様が姿を現す。
色はやはり黒だ。だけれど、布には光沢があり、スカートのふくらみも大きくなっている。ドレープが豊かに波打つ絢爛なものだ。そして、顔を覆っていた黒いレースは、顔の中央までのものに変わっている。
目元は見えないけれど、細くて整ったラインの顎や、つややかな口元は見える。
その口が、小刻みに震えているのが見えた。
「アン……ジェリー……ナ……」
ゆらりと力なく持ち上げられた手が私に向けられる。
アンジェリーナ?
もしかして、このドレスの持ち主の名前?
ふらりと立ちくらむように体を傾けたジョセフィーヌ様を、将軍が慌てて支えた。支えられたまま椅子に腰かけたジョセフィーヌ様は、フルフルと震える両手をぐっと握りしめて小さな声で呟いている。
「そうじゃ、アンジェリーナは妾が殺したのじゃ……生きているはずがないのじゃ……」
殺した?
どういうこと?
「お待ちください、許可をいただいてからでないと困ります」
部屋の入口から声が聞こえてきた。
「私を誰だと思っている、許可など必要ない」
バンッと乱暴に開かれたドアから、30歳ほどの整った顔の男が現れた。服装は上から下まで真っ白で、神職者であることを示す金刺繍が施された腰ベルトをしていた。
「久しぶりだね、婚約者殿」
男はずんずんと部屋を進み、段も上がりジョセフィーヌ様のすぐ目の前までやってきた。
その後ろから入ってきた神官5名は段の下で立ち止まる。
「婚約者?何を言っているのか分からぬ」
「おやおやつれないねぇ。5年も待たせてしまったから、拗ねているのか?」
男がジョセフィーヌ様の手に触れる。
「何を言っておるのか、妾には分からぬ。婚約を破棄すると言ったのは、ヴィドルクであろう……」
ヴィドルク……ジョセフィーヌ様の元婚約者、この男が?
「そうだったかな?何か思い違いをしているのではないか?」
ジョセフィーヌ様は、小さく下唇をかみしめてから口を開いた。
「勘違いなどではない。結婚式を目前に、言ったではないか。忘れるはずなどない……。魔欠落者の妹がいる女と結婚などできるかと……」
魔欠落者の妹?
ヴィドルクは口の端をふっと上げた。
「ああ、そうだったね。私も若かったんだよ。許しておくれジョセフィーヌ。家族に魔欠落者がいるというのを知って動揺してしまったんだ。気持ちの整理をつけるのに5年かかったよ。待たせてすまなかった、さぁ結婚しよう」
ジョセフィーヌ様は、ヴィドルクの手を振り払い立ち上がった。
「では改めてこちらから婚約破棄を告げさせてもらう。話がそれだけならすぐに立ち去れ」
立ち上がり背を向けたジョセフィーヌ様にヴィドルクが声をかけた。
「私はそれでもかまわないけれど、いいのか?妹の、アンジェリーナの気持ちを無駄にして」
「アンジェリー……ナ……?」
ジョセフィーヌ様の顔が真っ青になる。




