ジョセフィーヌの婚約
「エイルちゃんはまじめないい子ね」
ツイーナさんが困ったような顔をする。
「そうね。さっきの……ジョセフィーヌ様にはびっくりしちゃったわよね。ごめんね、仕事も手につかないよね。私が食事の席に着かせたのが悪かったわね……。まだ、何もこの国のことを知らないのに……」
ツイーナさんペンを持って、私の名前の横のバツ印を塗りつぶした。
「少し、話をしましょうか」
ツイーナさんは話をしようと言ったのに、黙っいた。
黙ったまま、鉱山を離れ、建物の並ぶ場所へと歩いていく。
街の中を通り過ぎ、屋敷から一番遠い場所まで来た。いや、屋敷ではなく、お城と呼ぶべきなのかもしれない。
街には2階までの建物ばかりだったが、一番端の中央に一つだけ4階建ての細長い建物がある。
ツイーナさんは入口に立つ人間に軽く合図をして建物に入っていった。
あ……ここ……。
1階には、部屋の奥の少し高くなったところを向いて、ベンチがたくさん並んでいた。
2階は、簡易ベッドがいくつかとカーテンで区切られた場所がある。
そして、3階には何かの執務を行うための部屋だろうか。机と椅子。書類や本を並べるための棚などが置かれている。
1階も2階も、3階も、大きな家具はおいてあるものの、細かいものは何もない。棚は空で、机の上にはペンの1本もなかった。
4階に上がると、廊下があり扉が3つ並んでいる。ツイーナさんが中央の扉を開いて中に私を招いた。
「!」
1階も2階も3階も、木と石で作られたシンプルな部屋だった。だけど、この部屋は違う。
厚みのある絨毯が床には敷かれている。壁には白く塗られた板がはめ込まれ、細かく飾りが彫刻された木で壁に設置されていた。
天井からは、キラキラと光を受けて光るものがつりさげられている。
お屋敷……お城の一室のような豪華さだ。
ツイーナさんは、窓辺まで歩いていき、そこでやっと立ち止まって私を見た。
「この建物は何だと思う?」
誰も使っていないこの建物が何かって?
分からないと、首を横に振ると、ツイーナさんがふっと悲しそうな顔を見せる。
「この建物はね、教会になるはずだった。この豪華な部屋は神父の……ヴィドルク様の部屋になるはずだった」
「教会?」
言われてみれば、1階は礼拝堂のようだった。2階は回復魔法を使うための部屋だろう。3階が執務室で……。
このお城よりも豪華に見える部屋が神父の部屋?
「なるはずだったって?この国にはずっと教会がないって、だから魔欠落者も受け入れられるって聞きました!」
人の意識を根本から変えるのは大変なことだ。親が信じていることは子供に言って聞かせる。そしてその子もまた孫へと伝える。
だから、10年や20年協会がなかったくらいで魔欠落者に対する意識が変わるとは思えない。……つまり、この国にはずっと長い間というか、もしかすると今までずっと協会はなかったのかもしれない。
でも、こうして建物はある。こんなに立派な建物が。どういうことなんだろう?
「エイル、こっちへいらっしゃい」
窓辺でツイーナさんが手招きする。
「ほら、見て。ここからの眺めは素晴らしいでしょう。国が一望できる」
窓から外を見れば、ガルパ王国の王都よりも小さな街が一望できた。
「小さな国でしょう」
「はい。あの、小さいから、だから、教会がなかったんですか?」
私の育ったユーリオルでも、小さな街や村には教会が無いと聞いた。だから、ひどい怪我や病気になって、神父様に治療してもらわないといけないときは大きな街に行く必要があって、時には手遅れになってしまうこともあると……。
ツイーナさんが首を横に振った。
「貧しいから教会がないのよ」
貧しいから?
「鉱山で働く人たち……人一倍、回復魔法を必要とする人が多い国なのに……この国には教会がないの。神殿は神父を派遣してくれない」
神殿が派遣しないの?国が受け入れを拒否していたわけじゃなくて……。
「今でこそ皆が食べていけるくらいに豊かにはなったけれど、それまでは本当に貧しくて。国民が貧しかったわけじゃない。国ごと貧しかったのよ。だから、神殿はこの国を見捨てた」
見捨てた……?
「役に、立たない、か、ら……?」
まさか、神の教えを説く神殿が?
「そう、お金にならないから。役に立たない。だから、見捨てられた」
ふっとツイーナさんが自嘲の笑みを漏らす。
「もし、神父がいて、強い回復魔法を使ってくれたら、手足を失うことはなかったのに、親を失うことがなかったのに、正気を失うことはなかったのに、命を失うことはなかったのに……という人はたくさんいた」
ツイーナさんの話を聞いて、こぶしを握る。ぎゅっと握る手に力が入る。
街での出来事を思い出す。
少年が父親に回復魔法をかけてもらうために教会に訪れていた。お金は働いて必ず払うと言っていた。
……今手元にないお金でも、何とかしてかき集めて命を助けてもらおうという、そんな希望すら神殿はこの国から奪っているんだ……。
空っぽの豪華な部屋。
まるで、これこそ神殿だと、思った。いくらお金があって豪華に飾り立てても、心の中が空っぽ。
「だから、ジョセフィーヌ様のお父上である先王は神殿に掛け合いました。国に来てくださる神父には、娘と結婚し王になってくれ……と」
「王に?」
「そう。貧しい国なので、王といっても苦労ばかりで贅沢ができるわけではないの。それでも、多くの神父の一人であるよりも、一国の王という肩書を求める人間がいるのではないかと……」
レイナさんを思い出す。
女王になったって、命を狙われたり大変なことばかりだ。……命を狙われるっていうことはそこまでして王になりたい人間がいるってことで。次に自分が命を狙われるかもしれないとか考えるよりも、王座という響きが勝るのだろうか。
「そして、数人の神父候補がこの国に来たのよ。ジョセフィーヌ様が16歳の時だった。数カ月候補たちと過ごした後、ジョセフィーヌ様がお選びになったのが、ヴィドルク様だった」
ヴィクトル様?
「二人は婚約したのよ……。ヴィドルク様にとっては王座を手に入れるため、ジョセフィーヌ様は、国に神殿から神父を派遣してもらうための、完全な政略結婚だった」
政略結婚。
王族や貴族であれば、よくある話だと聞く。
「だけど、ジョセフィーヌ様は、ヴィドルク様を愛したの。16歳の娘にとって、容姿のよい優しい年上の男性はとても魅力的だったのよね」
政略結婚でも、愛せる人に巡り合えたなら幸せだよね?
「だけど、結婚直前になって、ヴィドルク様は婚約を破棄して帰ってしまった」




