リリンゴ
緊張してパンが喉を通らない。それをスープで何とか流し込みながら食べていく。
「ジョセフィーヌ様、午前中に回った記録です。エイルが書きました」
私の名前が出るたびに緊張する。
ツイーナさんが、紙の束を隣の年配の男性に渡す。
「ほほう。しっかりした、きれいな字じゃ。儂の手伝いをしてもらおうかの」
「宰相、エイルは私の仕事を手伝ってもらっています」
年配の男性の言葉にツイーナさんが冷たい声で答える。
「何だよ、字が書ける人材は貴重なんだ。独り占めはよくない」
眼帯の青年が書類をのぞき込んでツイーナさんに文句をつける。
「将軍のところは……確かに解読の難しい書類ばかり出されて困っていますが……でも、エイルは私の仕事を手伝ってもらいますっ!」
宰相?将軍?
なんかみんなすごい肩書が……。
「フハハハハ。エイルが驚いておるぞ」
ジョセフィーヌ様が笑い声をあげる。
「エイル、我が国はひどいところじゃろ、文字を書ける人材すら不足しておる。まぁひどいのはそれだけではないがな」
くくっと喉の奥で笑いながらジョセフィーヌ様が私を見た。
ベールで顔が隠されているため、顔の動きしかかわらない。本当に私に視線が向いているのかは分からないけれど、それでも強い視線を感じるので見られているのだろう。
何か、答えなければ。
「ツイーナについてあちこち見たからよく分かったじゃろう?」
「我が国?」
「そうじゃ。魔獣の森と、毒ガスの山に囲まれた小さな、小さな国じゃ。鉱山での労働から国民の多くは逃げ出し、残った者の大半は毒に侵されてろくに働けぬ。ろくでもない国じゃ」
「そ、そんなことないです。ろくでもなくない!素晴らしい国だと思いました!国民は皆幸福そうで、あの、本当にすごい国だと思います」
ジョセフィーヌ様が笑う。
「アハハハハ。エイルは何もわかっておらぬ。何を見れば素晴らしいというのじゃ」
何をって……。
「もう一度言わねば分からぬか?魔獣の森と毒ガスの山に囲まれ、農地もろくにない。山の幸は毒まみれで食べれば死期が迫ってくる。仕事と言えば過酷な鉱山での仕事のみ。早くに命を失うか、体の一部を失うか、正気を失うか……」
ジョセフィーヌ様が言葉を区切る。
「生きていくために、食糧を隣国から輸入せねばならぬ。金が要るのじゃ。金のために、鉱山から鉱石や宝石を得ねばならぬ。国のために、毒を浴びよと、崩れる岩の下敷きになれと国民に言うしかないのじゃ。ろくでもない国じゃろう」
「あの、でも……」
口を開こうとしてすぐに閉じる。
ジョセフィーヌ様の立場は偉い人だ許可なく発言してはいけないと聞いたことがある。いや、すでにもう発言してしまったけれど……。
「何だ、申してみよ」
「国のためでなくても、人は生きていくために働かなくてはいけないから、宝石を掘れば生きていけるなら、自らの意思でそうすると思います。それに……、ちゃんと、皆幸せになるようにしてあげてます。すごいです。見捨てずに幸せな最期が迎えられるように」
「黙れ!」
ジョセフィーヌ様が怒りをにじませた声を出す。
怒らせた?どうして……?
「きれいごとじゃ。エイル、薄汚い魔欠落者よ。すべてきれいごとじゃ。お金があるからできるだけのまやかしじゃ」
お金があるから?
「お金がなくなれば働けない者たちなど、すぐに捨てられる。邪魔でしかない。違うか?」
……。
そりゃ、そうだ。働ける人間と働けない人間。パンが1つしかなければ、それを分けて食べるというのはきれいごと。自己満足。
働ける人間が十分に食べられずに倒れてしまえば、どうにもならない。
ジョセフィーヌ様がカチャリとスプーンを持ち上げスープを口に運ぶ。
顔を覆っているベールを左手で持ち上げ、口元が見える。
赤い口紅。白い肌。
ああ、若い女性なんだ……。と、会話していた内容と違うことを考える。
「だから、妾はお金を稼ぐ。国を豊かにするのじゃ。そのために、妾はな」
スプーンをずいっと私に向けてジョセフィーヌ様が突き出した。
「悪魔の子どもを奴隷のようにこき使ってやるのじゃ。ふっ、ふはははははっ」
パンをちぎり、スープに浸して口に運ぶジョセフィーヌ様。
ツイーナさんも、宰相と呼ばれた年老いた男性も、将軍と呼ばれた眼帯の男も、何も言わない。
黙って食事を口に運んでいる。
ジョセフィーヌ様の言葉に、何を思っているのかも分からない。
「便利じゃのぉ、悪魔の子たちは。鉱山から産出される鉱石や宝石の量が20倍じゃ。不自由な体で鉱山で働いておった者たちは加工に回った。原石ではなく加工して輸出することで、価値が何倍にも上がる」
ジョセフィーヌ様の手が止まる。
「何をしておる。食べよ。憎き魔欠落者どもをこき使って得た食事じゃ。うまいぞ?」
分からないことばかりだ。
こき使う?
鉱山では、魔欠落者……魔特化者も、そうじゃない人も、同じように働いていた。
確かに岩を砕いたりするのは重労働かもしれない。だけど、休憩時間もあったし、苦しそうに働いているようには見えなかった。
魔欠落者が憎いと言いながら、とても扱いは憎んでいるようには思えない。
もしかして……本当は憎んでなどいない?
止まっていた食事をとる手を動かす。
スープはすでに冷めてしまっている。
だけど、おいしい。よく煮込まれてうま味のいっぱい詰まったスープ。
肉をはさんだパンは柔らかい。そして、リリンゴは甘くておいしい。
……
甘くておいしいリリンゴ。
……大事にされてると思う。
もし本当に魔欠落者を憎んでいるなら、輸入した貴重な果物を食べさせる必要はない。
同じ料理を出すとしても、貴重な甘いものを出す必要はないはずだ。
本当に、憎んでいるんだろうか?
「あの、」
「何じゃ」
「本当に、魔欠落者が憎いのですか?」
その瞬間、ぶわりと部屋の空気が変わった。




