009 アマミの夕暮れ
あざみは桜童子の手をつかみ走り出していた。
後ろを駆けるシモクレンから見ると、ハギの「<典災>です!」の声とほぼ同時にあざみが駆け出したように見えた。
あざみの精神構造はアスリートのそれに等しい。このところはその感覚がさらに研ぎ澄まされているようにも見える。船の上や街の中での様子はシモクレンがよく呼ぶ<なまけギツネ>というのがぴったりとくるほどだったが、この瞬間は常人の全力を超える力を発揮している。エンジンの始動からトップギアに持っていく時間が極端に短い。
この瞬間のあざみの思考はこうだ。
・<典災>は以前にも会った。
・船を沈めようと津波を起こすほどの恐ろしい能力を持っていた。
・今、船は浜に乗り上げているので攻撃されたら避けようがない。
・しかも船の近くには非戦闘員のツルバラとジュリがいる。
・桜童子には異常エンカウントの性質がある。
・桜童子を使えばカイティングができる。
もちろんその瞬間にこれだけのものを考えられるわけではない。むしろこれを逆順に考えていった節がある。いや、それだけではない。それより先に桜童子をカイティングに使うという結果だけをほぼ無意識に選択していたのである。
「なんでにゃあちゃんの手を握っているのだろう? あ、敵を引き付けるためか。そういえば、にゃあちゃんエンカウントおかしいもんね」
と走りながら考えているわけである。
さらに、船と同時にツルバラとジュリの顔を思い浮かべ、その後数週間前に戦った<典災>海難のヒザルビンを思い出したのである。
こんな場合のあざみの行動はおおむね正解を選んでいる。
たとえ正解であったとしてもそれが安全であるとは限らない。
だから、周囲のフォローは必須である。
桜童子は念話で配置を伝えた。どうしてもあざみが先行すると隊列は長くなる。先頭に敵がぶつかるなら<回復職>を一人つければ問題はないのだが、局所に攻撃が集中すれば完全に分断されてしまい対応も遅れる。
桜童子はエンカウント異常の性質があるが、ヘイト異常があるわけではない。そのためパーティが攻撃を受けることがあっても、まず桜童子に襲いかかるというわけではない。
そこで、どこを狙われてもいいような陣形を取れればいいのだが、防御力の薄いディルウィードなどに第1の攻撃が当たっては戦線崩壊は避けられない。
あざみ、桜童子、シモクレン、山丹、イクス、イタドリを第1集団とし、イタドリにヘイトを高めさせる。中間距離でバジル、ディルウィード、ハギに伏兵として待機させ、船の近くにツルバラとジュリ、万が一のためにここにヤクモを残す。連絡と上空からの警戒役としてハトジュウを高く飛ばしておく。
あざみの刹那的な判断に対して、適切なフォローを繰り出せるのは桜童子の経験によるところが大きい。だが、本当に適切であったか桜童子は不安に陥ることになる。
一向にイタドリに攻撃が集中する様子がないのだ。木々に遮られて敵まで視線が通らない。まさか船がやられたか。いや、空中を飛ぶハトジュウに異変はない。あざみも足を止めて様子を見る。
「ハギ、どうなった」
桜童子は念話を飛ばす。
(いや、それが、敵が視界から消えました)
「そんな馬鹿な!」
実は、あざみと桜童子の好判断により、分散して距離を置いたおかげで敵の攻撃を免れていたのだが、そうとは知らない一行は、緊張の時をたっぷりと三十分ほど、その態勢のまま過ごすことになる。
■◇■
緊張は悪いことばかりではない。そのあと訪れる緩和でチームの絆は強くなる。
「じゅりっち、じゅりっちー。じゅりっちは長いことウフソーのメイドやってんのー?」
「いえ、そんなことはないのです」
イタドリと並んで歩きながらジュリは答えた。
アマミには比較的賑やかな街があった。食料などを買っていると、店のものたちに見晴らしの良い観光ポイントなどを勧められる。これがイベントのトリガーなのか、ただのおすすめなのか、行ってみないと判断できない。
「私、みなさんが言う<大災害>からしか記憶がないんです」
「え、記憶喪失? 何か事故にあったんですか?」
ディルウィードがジュリの顔を覗き込んで尋ねる。ジュリは恥ずかしそうに面伏せて答える。
「いえ、わからないのです」
「ディルっちアホだー。わかるわけない、わかるわけないー」
「くっ」
「でもどうやって住み込みのメイドになったかくらいは覚えてるよね? 覚えてるよね?」
ディルウィードをからかってからイタドリはジュリに聞いた。
「ハイ、私は最初に見かけた<ウフソーリング>の青年についていったのです。それが、今のご主人様なのです。しばらく行くとご主人様は私についてくるなとおっしゃったのです。でも、私の頼る術は他になかったので、そのままお宅までついて行ったのです」
「そりゃ断られますねー」
ディルウィードの言葉にイタドリもうなずいたが、ジュリは首を横に振った。
「いえ、私がお宅におじゃまして座ってますと、あれ? 今日は何のお使い? と」
「え?」
「お茶を出されました」
「ええ!?」
「どうやらご主人様は私を近所の知り合いだと思ったそうで」
「さっきついてくるなって言った相手にお茶を出すか、普通」
「ディルの言うとおり、普通なら茶など出さないが<ウフソーリング>ならありうるさ。それから、ドリィ。<ウフソーリング>を面と向かってうふそーと呼ぶんじゃないぞー」
「え、リーダー、なんでなんでー?」
「んー、<バカルディ>というギルドにお前ぇがいたとするだろ。じゃあ、ドリィのことを、略して<バカの一味>と呼ぶことにする」
「んきー、なんでなんでバカの一味ー!?」
「だから、そういうことさ。うふそ~って略し方は」
うふそーには間が抜けているという意味がある。その略が示す通り<ウフソーリング>という種族には、少し経つと大概のことを忘れるおおらかな部分がある。だがこれは、桜童子に言わせれば、精神の環境適応である。
<フィジャイグ地方>での出会いは一期一会である。
現在でこそ【工房ハナノナ】のように何かを求めてやってくる<冒険者>や、<オイドゥオン>の商人たちのように貿易にやってくる<大地人>が増えたが、その昔は数もまばらだった。
過去、桜童子も<フォルモサ島>に渡ろうとして失敗したように、<フィジャイグ地方>に至った多くの大地人やプレイヤーが海難事故や海上戦闘によって命を落とした。ゲームプレイヤーにすればその死は一過性のものだが、<ウフソーリング>の目には彼らの到来は死と同時であるように映るのである。
出会いの喜びと惜別の悲しみが一度にくる状態が繰り返されればどうなるか。日々宴が催され、陽気で悲しみを長く引きずらない精神が醸成される。
さらにここにたびたび襲う暴風雨の影響が加味されるとどうなるか。大切に育てた作物も建物も一夜に破壊されることに慣れるには、もう笑って忘れるしかない。
そしてさらにこの地方が危険エネミーの宝庫であることを加えれば、深く考える性格では精神が先に死んでしまう。
となると、うふそーは誇るべき言葉であるべきだが、それは、<ウフソーリング>の自尊心が許さない。面と向かって間抜け呼ばわりされるのはやっぱり腹が立つのである。まあ、その怒りも三十秒も経てば忘れてしまうのだが。
そんな精神の持ち主であるから、見知らぬ<大地人>の少女が家に上がり込んでいても、「こっちが何か忘れていたかもしれない」と思って歓待するという状況もありうるのだ。
かくしてジュリは<ウフソーリング>の青年アキジャミヨに住み込みメイドとして受け入れられたのである。
「なあなあ、ジュリとアキジャミヨさんは仲ええん?」
あざみとシモクレンも話に加わる。
「はい、仲良しですよ」
「仲良しってどこまでさー。うりうり、実はもっとすごい仲なんじゃないのー」
「あざみっちー。それきいちゃう? きいちゃうのー?」
「いえ、すごい仲かどうかは」
「夜は? 夜とかもうふたりっきりで燃え上がっちゃうんでしょー」
「ちょ、あざみ、それえげつないわあ。でも、ジュリ、どうなん?」
「いえ、それが」
「なになになに」
「夜は記憶がないことが多くて」
「きやー! なんじゃそれー! どんな夜過ごしてんのさ、それ!」
「なになになに、その話おもしろそうにゃ! イクスも混ぜるにゃ!」
「私も混ぜてくださいよー! ジュリちゃんの夜の事情聞きたい!」
「いや、その」
桜童子とディルウィードはそっと女子の輪から外れて、バジルとハギと合流する。
「おいらたちは宿を決めるとするか」
「ああいう話に首突っ込んでろくなことはねえぜ、さあ行くべ」
「なんすか、ここのチームは女子の方が強いんすか」
ツルバラが眉をひそめて聞くと、ハギは笑って答えた。
「そうですねえ。私ら人数少ないですからね。ヤクモも本来女子チームですし」
「ヤクモも行くー」
「行ったら私に筒抜けになっちゃうからやめてください。ホラ、ハトジュウも」
バジルがハギの顔を覗き込む。
「え、ちょっと待て、ハギ。ヤクモ使えば、女風呂だってのぞき放題じゃないか」
「まあ、そうなりますねえ。しませんけど」
「くぉー! そうならオレ様も<神祇官>になりてえ!」
ディルウィードが肩をすくめる。
「ガールズトークは聞きたくないのに、のぞきはしたいなんて変態っすね」
「かー、わかってねえな。ディル坊。それが男のロマンってやつだ!」
「そんなロマンねえよ。いくぞー」
桜童子が切って捨てたが、バジルは収まらない様子だ。
「お前はいいよな。ぬいぐるみだから警戒心もたれねえんだよ」
「ハイハイ、バジルさん行きましょう」
それでも叫ぶバジルを女子が遠巻きに冷ややかな目で見ている。
ないのかよ! 〈典災〉との戦闘ないのかよ!
というツッコミはおいておいて
「一蓮托生のナムワード」は0時更新!!
明日もよろしく!!
と言いつつ、続き書かなきゃやばいです←