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007 緊迫の影迫るアマミ

「なんであすたちん姉ちゃんは、ここにいるんだ?」


 川に立つ杭を、ぴょんぴょんと飛び渡りながらユイは聞いた。あすたちんは修行の様子を頬杖を付きながらしゃがんで見ている。ユイの足には未だにオーラが集まり続けている。


「ユイたんってば、MPハンパない?」

「え?」

「んー、ユイたんすごいなーって」

 あすたちんは小首をかしげてほほえむ。

 あまり語ろうとしないのでユイの方から聞いてみる。



「あすたちん姉ちゃん、なんか任務があるんだろ?」

「あるよー」

「いいのか。オレの修行に付き合ってて」

「んー、わかんなーい。いいかもしれないしー、ダメかもしんなーい」

「なんだそりゃ」

「んじゃ、そろそろいくよーん」

「いつでも!」


 足元の砂利を拾い、次々と投げる。それをエコーロケーションでもあるかのように躱しながら杭を渡る。折り返して再び礫を避けながら華麗に走り抜ける。

「へへ、だんだん慣れてきた」

 気を抜いた瞬間、りんごが顔面に飛んできたので思わず手で掴む。バランスを崩して川に落ちる。

「手ェ抜いて甘やかすな、アスタ」

「だってー」

「そんな声出しても可愛くねえんだよ」

 文句を言うあすたちん。りんごを投げた主は、もちろんヨサクだ。



「ぷはー」

「ロイ。お前の鎧は【工房ハナノナ】の銀行に預けといたぞ。それから、アスタ。ここには<醜豚鬼>の要塞があったぜ。連絡しとくか?」

「ありがとーん! じゃあ凛たんに連絡しとく」


 川から上がったユイはまた新たな闘気を身にまとっていた。

「今度は<ハードボディ>かよ。根っからの<武闘家>じゃねえか」

「先生。次は何しますか」

「ハッ」

 ヨサクは鼻で笑った。まだひとつもろくに課題をこなしていないものが何を言う、と。だが、課題の達成如何に関わらず、ユイは確実に能力を身に付け始めている。ここまで急激に成長するものなのか。



「あ、ヨサクちーん。要塞の規模はどのくらいー?」

「あー、せいぜいレベル40付近が30頭ってところだろう」

「あーん、はいはい。あ、聞こえてた? うん、おっけー。あ、まっててーん」


 あすたちんはこめかみを押さえて遠くを見ながら誰にともなくしゃべっているように見える。ユイにとっては何度見てもおかしな光景だ。<アロジェーヌ17>というギルドのマスターに連絡しているというのは分かるのだが、まだ馴染めない。ホットドッグという食べ物に味があるのと同じくらいに違和感がぬぐい去れない。


「凛たんがねー、こっちの3人だけでやれないかって」

「あー? めんどくせえな。酒おごるならやってやるってフルオリンのやつに答えとけ」

 フルオリンというのは<アロジェーヌ17>のリーダーで、グレートウォールビルドの女性戦士だ。


「ふふふ、聞こえたー? 凛たんとデートしたいんだってさ」

「言ってねえよ」

 ヨサクはユイを振り返って言う。


「ロイ。いきなりだが実践編だ」

「押忍!」 

「ほらよ」


 そう言ってヨサクは、樫の木の枝のようなものを渡した。

「先生、これは?」

「トンファーだ」

「とんふぁー? え、先生、これ、どうやって装備するんだ」

「貸してみろ。こうだ。ホレ」

 短く飛び出た棒を握り、長い方を肘を覆うように構える。ユイの背後から構えを確かめるヨサク。それを見てあすたちんがからかう。

「やーん、腐女子ポイントぉ」

「女子でもねえだろ」

「これ、どうしたの?」

「昔、使ってたもんだ。銀行寄ったついでに引き出してきた」

「ユイたん、お下がりもらったんだー。どうせなら新品にすりゃいいのにねえ」

「いや、あすたちん姉ちゃん。これ、なんかしっくりくるよ。先生、ありがとう」

「礼はいい。ぶっ壊れるまで使え」

 そう言うとヨサクはユイから離れるように歩き出した。


「これ、どうやって使うんですか」

 そう聞いた瞬間、ヨサクは石礫を指で弾いて飛ばしてきた。凄まじ勢いで、思わずユイはガードする。軽い音を立てて礫が砕けた。

「以前の<古来種>装備の癖があるだろ。それよりももっと拳側で受けるイメージの方がいいだろう。ただ、そいつは秘宝級だからな、当たりさえすれば相手の方で砕けてくれる」


 <爆砕の旋棍(トンファー)>。これを手に入れた当時、ヨサクは<採掘師>のレベルが低く、掘削の補助に使っていた。今では拳一つでどうにでもなるのでお蔵入りとなったが、貴重な道具である。

「ヨサクちんさぁ。聞きたくないだろうけど」

「なら言うな」

「結構弟子思いだよね」

「うるせえよ」


「ありがとうございます!」

 ユイは気合とともに礼を言った。



■◇■



 <洋上アルプス>から一行はついに<アマミ>に至る。北端の浜辺にたどり着いたものだから、<La Flore>は船体をあらわにしてしまっている。



 美しい海に美しい白い砂浜だ。

「あー、みなさん。ちょっと偵察に行ってもらっていいですか。これ、満潮になるまでどうにもならないですけど、点検とかしなきゃっすから」

 ツルバラはもう怒りをどこにぶちまけていいやら分からぬ様子で呟いた。


「まあ、この子が無事でよかったじゃない」

 あざみが気絶した女の子を撫でながら言っても、ツルバラはふてくされたままだ。

「ああ、そうすよね。小舟避けるのに必死で、浜に突っ込むとか<操舵士>失格っすよね」


「いいんじゃねーの、とっつぁんぼーや。ケケケ。気楽にやろーぜ!」

 狼面で親指をぐっと立ててみせられても今ひとつ慰めになった気がしない。



 少女はプリムラ=ジュリ=アンと名乗った。大地人の名だ。

 もっとも、名乗る前からステータス画面で確認済みだ。

 なんでも<ウフソーリング>という種族に頼まれて、光る石を外貨に替えるためカヌーでこの島まで訪れたのだそうだ。南西の島からやってきたのだが、潮流の関係でこの北の浜に流されてきたのだという。それだけでも心細いのに、遠くから煙を上げて進む船が物珍しくて見ていると、みるみるうちに迫ってきて波で転覆しそうになった上に汽笛まで鳴らされて、あまりの恐怖に気を失ったのだという。

  


 <ウフソーリング>という種族は、そうした用向きには不向きらしく、同じ島に暮らす大地人に依頼して使いを出すのだという。桜童子たちは、白いワンピースの少女をジュリと呼ぶことにした。

「わびと言ってはなんだが、光る石とやらを買い取らせてもらうよ。金はいくらでも出す」



「うんじゅなー、えーきんちゅ?」

 エルダーテイルの世界では、たとえ他地域の言語であっても完全自動翻訳機能が備わっているのでどんなプレイヤーと喋っても理解するのに全く苦しんだことはない。<ナカス>にも外国人プレイヤーがいたが、相手が日本語を話していたわけではないのに、きちんと会話できていたと、英語の苦手なハギが言っていた。だから冒険者の標準処理能力として翻訳機能も備わっているのだろう。



 そして、ヤマトサーバーの大地人は、みな一様に標準語をしゃべると思われたが、実際は<ドルフィンズ>の看板女将のように多少の方言を使っているらしく、こちらが不便だと感じない限りは、そのまま翻訳なしで耳に届くようだ。ジュリの場合もそうで、当然翻訳なしに理解されるべき言語であろうと考えたのか、耳にそのままの言葉として届いた。


 しかし、誰かに問うまでもなく脳内で「あなた方はお金持ち?」と聞かれていたことはちょっと遅れて理解できた。翻訳能力自体は生きているらしい。


「光る石。コレ、買ってくれますか」

 もう完全にいつも使っている語彙で聞こえ始めた。頭脳が勝手に翻訳の必要ありと判断したのだろう。


 少女が手のひらに出した光る石の粒は、ハギには価値がすぐにはわからなかったが、その中の一つに馴染み深い色の宝石を見つけて声を上げた。

「隊長。これ。<ルークィンジェ・ドロップス>じゃないですか!?」

「でも、マナが感じられないなー」


「あ、にゃあ様、それ、パライバトルマリンですよー。こっちのがレインボーストーンで、これは真珠。トルコ石、アメジストに、水晶。あ、針水晶だ。琥珀はわかりますよね」

「リア。おめえ、<宝石鑑定士>にだって転職できそうだな」

「女の子ですもん。常識ですよー」



 シモクレンとイタドリとあざみのトリオは、「そんな常識ないない」と言わんばかりに顔の前で手をひらひらとさせた。サクラリアはユイと離れてから初めて明るい笑顔を見せた。

 イクスが交渉しようとしたが、侘びの意味も込めての買取なので、言い値で石を買い取った。それだけではなく、船が転覆しかけたせいで水没してしまった食料や水の値段も付け足しておいた。少女は断ろうとしたが、受け取らせた。圧倒的なエンカウント率のおかげで、金なら潤沢だ。



 食料や水を分けてもいいが、そうすればどのみち自分たちの分も町まで出て買い足さねばならないだろう。少女と一緒に行動することにした。



「ねえねえ、今ってさ、そろそろスノウフェルくらいだよね。ここ暑いからさ、よく分かんないんだけど」

 もう夕暮れ時だというのに、かなり暖かい。あざみは今が何月なのか知りたくてジュリに尋ねたが、ごめんなさいわかりませんと怯えた表情で答えられ、困ってしまう。

「い、いや、あたしはさ、ペンギン雛スノウマンペットをさ、にゃあちゃんに従者契約してもらおうと思っただけでさ。いや、責めてないのよ。責めてないって」

 ジュリはまだおどおどとしている。


「戦力にならないからオイラはやだぞー。それにアレは期間限定だー」

 桜童子も会話に加わった。ジュリはおそらく、スノウフェルを知らないのだ。だから、こんなに怯えたような表情をしているのであろう。現代人の感覚で言えば、庭先に軍の兵士が大挙して押しかけ、「今何時だ! 敵の本隊はいつ現れる!」と口早に問われればきっと同じ表情をするだろう、それと同じだ。

「ジュリはプレゼントを渡す習慣はないのかい?」

「プレゼント……贈り物ですか。ああ、それなら、ハイ」

「もうすぐそんな時期ではないのかい」

「ああ、私.大切な人がいないので」


 その言葉にサクラリアが首をかしげた。

「どういうこと?」

「大地人は、スノウフェルに大切に思う誰かに贈り物をする。サンタさんからプレゼントをもらうわけじゃない」


 ジュリのサブ職業は<メイド>だ。住み込みで<ウフソーリング>族に雇われているのであろう。温暖な気候のせいかメイド服ではないが、物腰からもその様子が伺える。

 ハギはジュリのステータスを眺めていたが、それが一瞬乱れたように見えた。目の疲れかと思い目をこすると、ジュリの向こうに黒い人影が見えた。望遠レンズをズームするように遠くの人影に焦点を合わせる。ステータスを見る。


「まずい! <典災>です!」


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