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022 蒼球のメリークリスマス

 桜童子がトナカイにまたがって夜空をかけてきた。背中に袋を担いで、闇に光を撒き散らす。今にも鈴の音が聞こえてきそうだ。



「くかかかか、メリークリスマース!」

 シモクレンは手を振って「メリークリスマス」と答える。そしてヤクモを抱えあげて、「サンタさんですよー」と手を振らせる。

「にゃあ、カッコイイ」

 ヤクモはシモクレンの腕の中で大きく手を振る。


 <太陽石>の少しわきに桜童子を乗せた<絶海馴鹿(エースオブトゥナキー)>は着地する。すると、<太陽石>はひときわ速く力強く文様の脈動をはじめる。

「まさか、その袋!」

「ああ、レン。そのまさかだ」


 エースの背から飛び降り、肩に担いだ袋の口を開く。バスケットボール大の<ルークィンジェ・ドロップス>が現れた。青く輝くそれは、月から見た蒼の惑星のようにも見えた。



「あ」

 ひらひらと舞い落ちるものがある。ジュリが空を見上げた。

「雪だよ! にゃあちゃん、雪だよ」

 花火が上昇気流を生み、一時的に雪雲を形成させたのであろうか。それとも<絶海馴鹿>のなせる技なのか。このあたりでは非常に珍しい雪が降った。それは淡雪よりももっと軽く、蒼の球体にも優しく降りかかったが夢のように儚く消えていった。

 


「こいつは元の位置に埋めておくことも考えたが、こいつが戦乱の元になっちゃ困るからな。【工房ハナノナ(おいらたち)】で預かっておこう」

「それって砕いたら、かなりのことに使えるよね」

「いっぱい使えるよー! たぶん」

 その言葉にギョッとしたのは桜童子もシモクレンも同じだった。腕の中のヤクモが喋ったのだ。いつもほわりとした表情のヤクモがニッコリと笑った。


「こいつはきっと、可能性半分、危険半分の代物だな」

 桜童子は袋の口を締め直した。



 三十六年ぶりの大花火にアキジャミヨたちは酒盛りをしようと言い出したが、それは固辞した。しばらくして戻った他のメンバーも同様だった。桜童子とあざみ、それからヨサクとあすたちんも大花火の前まで横になっていたはずだが、もうすっかり睡魔がやってきていて、アキジャミヨの屋敷にたどり着いたとたん泥のように眠りに落ちる。みんな酒盛りあとの残る大広間に重なるように倒れこむとそのまま雑魚寝してしまった。



 ジュリが必死に全員分の掛布を探し、ひとりひとりにかけて回る。最後にあざみに布をかける時に薬指の指輪が目に入り、一瞬その手が止まる。


「本当に、ありがとう。みんな、私の大切なひとなのです」

 涙を拭おうとしたジュリの手をあざみの手を掴んだ。

「ひぃっ」


 声にならぬ声を挙げたが、あざみはぐいっとジュリを引き寄せた。ジュリはあざみの隣に横倒しになった。ジュリはドキドキしてあざみを見つめた。あざみは薄目を開いているように見えた。


「あざみ…さん?」

「ジュリ。………アタシたち、……仲間だからな」

 また、ジュリの目に涙がたまる。何度も頷く。

 

 どうやら寝言だったらしく、あざみはすうすうと寝息を立てる。

 ジュリは掴んでいる手を懸命に外したが、思い直したらしく、その手をギュッと握りなおすとよじよじと体をあざみの横にねじりこませて、いっしょの布にもぐりこんだ。


 その夜、その部屋が最も冒険者密度の高い場所だったに違いない。


 朝になって周りでアキジャミヨの友人たちが騒いだが、昼になっても桜童子たちは誰ひとり起き上がることはなかった。



 夕暮れ前にみな寝ぼけ眼で、今日初めての飯にありつく。ジュリは恥ずかしそうに食卓に並んだ。本来饗応する側の立場なのだ。アキジャミヨの縁者たちが集まり料理の準備をしたからジュリにその役目の必要はなかったのだが、ただただ恐縮する。


「まあ、結婚して初日に大寝坊して飯作ってもらったんじゃ立つ瀬ねえわなあ」

 バジルの言葉にジュリは顔を真っ赤にする。

「ええんやない? もうメイドやないんやから」

 シモクレンは白米をほおばりながらジュリをかばう。


「そうにゃ、文句があるなら腐れバジルが代わりにやってくるにゃ」

「オレ様のあだ名、それで固定かよ!?」

「今日ぐらいいいじゃねえか。こんなに美味いメシ出す奴がいるんだからな」

 ヨサクは<薩摩黒蟹>のハサミの部分のぷりぷりの肉にかぶりついている。

「それカニハンディーンさんが料理したらしいっすよ」

 ツルバラの説明に首をひねるヨサク。

「誰だ? それ」

「ヨサクっち、おいしいごはん作ってくれる人は超貴重だよー。もう超貴重だよー。ちゃんと覚えとかなきゃだよー。このドリィさんだとかー」

「あ、わかった。<シュリ紅宮>で合流したやつな。アイーンポーズの赤い腰巻の男か」

「すっごいスルーされた、すっごいスルーされたあああ〜」 

 イタドリがわめく。



「それにしても、ユイたちどうやってここまできたの? 迷子にならなかった?」

 サクラリアが隣に座るユイにたずねる。

「ほとんどあすたちん姉ちゃんのおかげだな。【アロジェーヌ17】が作った足漕ぎボートを借りて【工房ハナノナ(ねえちゃんたち)】の航路をたどったんだ。ヨサク先生が漕ごうとするとなぜか変な方に行くから、先生はずっと寝てたよ」

「私たちの航路とかわかるものなの?」

「リーダーの姿が印象的だからじゃないかなあ。<大地人(みんな)>よく噂してたよ。それもこと細かに。中には<うさぎ航路>のことだなって教えてくれた人もいた」

「【工房ハナノナ(こっち)】のリーダーさんエンカウントすごいから、あんなに敵が出るなら真似できないーとか、逆にエンカウント率が下がって行きやすいーとか言ってたの~」

 あすたちんが向かいから補足説明する。頬杖をついて卓に体重を預けるようにしてしゃべる。


「じゃあ、<シュリ紅宮>まではユイくんがこいでたとしても、そこから<アグーニ>までほとんどアスタさんが漕いだことになるんじゃないですか?」

「そのとおりなのー、ハギさーん。足疲れちゃったからもんでほしーい」

「あ、アタシ腰痛いから腰もんで、ハギパパー」

 あすたちんの話に乗っかるあざみ。

「あ、じゃあウチも」

 シモクレンがさらに乗っかると、俺もボクも私もと次々と手が挙がり始める。


「勘弁してくださいよ。サブ職業<マッサージ師>じゃないんですから。そうだ、サブ職業変えるといえば、ディルくん転職しようと考えているんですが、相談に乗ってもらえませんかねえ」

 巧みに話題を変え矛先をディルウィードに向ける。


「リーダーの<絶海馴鹿(トナカイ)>さん、<ルークィンジェ・ドロップス>を掘り当てることができるんでしょう。だから<採掘師>やめようかなと思って。何がいいですかね」


 話の流れ上<マッサージ師>が大半を占めたが、意外にも<カテゴリーエラー>という称号系サブクラスの名が上がり、そちらも人気があった。12職すべてのスキルが使えるという触れ込みで実装されたが、実際には器用貧乏なサブ職業である。仰々しい名前とは裏腹だが、その点はディルウィードに似つかわしいのかもしれない。


「みんな飯食って目が覚め始めたようじゃないの。さて行くか」

「リーダーさん。トイレですか」

「きゃんD君、そいつは面白い勘違いだ。帰るのさ、<サンライスフィルド>に」


 これには全員がえーっという声を挙げた。ジュリも一緒に声を挙げた。目を覚ましたばかりじゃないかという反論もあるし、名残惜しさというのもあるらしい。

 ただこれ以上何日も居座れば、アキジャミヨはそのうち自分の家はどこだったかと探し始めないとも限らない。 


「ジュリ。君はもうおいら達の仲間だと思っているよ。だからここで幸せを育んでくれ」 


「ありがとう。リーダーさん。レンさん。あざみさん。ドリィさん。リアさん。イクスさん。山丹さん。ヨサクさん。ユイさん。アスタさん。ディルさん。ハギさん。ヤクモちゃん。ハトジュウさん。ツルバラさん。きゃんDさん。みんな友だちなのです。私の大切な人なのです」



 ジュリは今日、家族と親友を手に入れたのだ。

 これが【工房ハナノナ】からのクリスマスプレゼントだ。



「まてー! オレ様がいないのは意図的かー! オレ様がいるだろー!」

「おいしいなあ、バジルはん」

 食卓はあたたかい笑いに包まれた。



 準備を整えて、港に立ったのは日没も近い頃だった。

 見送りには島中の<ウフソーリング>と、多数の生物が集まった。みな口々に「たまや、たまや」と【工房ハナノナ】に声をかけた。全国に轟く勇名ではないものの、<ハティヌキューミー>にくれば、これからも「たまや」の二つ名で呼ばれることだろう。三日以上覚えていられるほど強い記憶として残ったのであるのならば、であるが。


 <La Flola>の甲板には【アロジェーヌ17】製の足漕ぎボートも引き上げ、共に旅立つ。

 甲板に立って別れを告げる。

「たーまやぁぁぁぁあああ!」

 アキジャミヨとジュリもいっしょになって掛け声をかける。そして見えなくなるまで手を振り続けていた。



「この船は戦闘だらけでなかなか飽きねえな!」

 ヨサクは次々と甲板に上がってくる敵をなぎ倒しながら笑った。ちょっと沖合に出ればもうこれである。

 カニハンディーンとクガニは、<シュリ紅宮>近くのウミトゥクとマヅルたちの元に戻るため一緒に乗船しているが、クガニは<風水師>の卵らしく、しっかりとした結界が張れるので思った以上の働きをしてくれる。どうやら<風水師>がこのあたりでの<神祇官>の呼び名なのかもしれない。思えば、<決定の典災シンブク>を倒すため状況を打破したのが、彼女の<フリップゲート>の呪文であった。


 シンブク戦で言えば、ユイの攻撃力がけた違いに増加している点についてバジルは気になっていた。

「ユイ坊! ちょっとその武器見せてくれ」

「戦闘中だから後にしてくれ」

「じゃあちょっと、目の高さにキープ」


<爆砕の旋棍:いいか。使用者の拳から放たれる力を十倍にも二十倍にもして衝撃を対象に伝えることができなけりゃ良い道具とは言えんだろう。こいつはどうだ。最良に決まってるだろ。―――伝説の道具屋ジョセ>

 

 フレーバーテキストには、演技がかった文章が使われていた。だが、バジルの読み通り、これがユイの攻撃力の上昇のヒントであるならば、この文章はこうも読み取れる。

 拳で放った攻撃ならば十~二十倍の力でダメージを与えることができる、と。

 

 フレーバーテキストは香り付けのための「大事ではない文」であったはずだ。それが現実に影響を及ぼしているとするならば、これはとんでもないことだ。ユイの<タイガーエコーフィスト>は通常の十倍のダメージが出せるということではないか。そもそもこの技は特殊な振動波で内外から対象を損傷させる技だ。考えただけで恐ろしい。

 だが、これにより、バジルは閃いた。

「オレ様、拾わなくていいナイフ作れるんじゃねえの!?」


 バジルがいじったフレーバーテキストといえば、サクラリアの<舞い散る花の円刀>だ。そういえば、どんなに刃こぼれしていても歪んでいても、シモクレンが様子を見てバジルが調子を整えれば、サクラリアの手に帰った時には新品同様に戻っているのが不思議だと思うことがあった。すっかり<ルークィンジェ・ドロップス>のおかげだったとバジルは思いこんでいたが、フレーバーテキストにカギがあったということかとほくそ笑む。勿論狼面だから表情は変わりはしないのだが。


 しかし、よく考えれば、バジルは<楽器職人>。自分が製作に関わったものならばフレーバーテキストにコメントを追加できるが、ナイフは無理だ。これには頭を抱えた。


 バジルは今気づいたのだが、桜童子やシモクレン、ハギはもっと早い時点でこのことに気づいていた。だから桜童子がジュリとアキジャミヨに渡したリングのフレーバーテキストにはどちらにもこのような文が書かれている。


 <この指輪をはめたものが幸せであることを永久に願う>




■◇■


 <シュリ紅宮>近くの港ではウミトゥクとマヅルが出迎えに来ていた。ふたりとも花火を見ていたらしく、「たまやー」と声をかけてきた。カニハンディーンとクガニが別れを惜しみながら船を降りる。きゃんDは迷ったが、ここで降りることにした。



「ここはボクの故郷だからね。でも、よかったらボクを【工房ハナノナ】に入れてはくれないか。遠く離れてはいても魂はつながっていると信じたい。そして、ボクはここで君たちの偉業を語り継ぐよ」

「偉業なんかじゃあないけどね。おいらたち【工房ハナノナ】は、きゃんDプリンス、キミを歓迎する。また力になってくれ」


「ありがとうリーダー。何かあったらボクたち5人が加勢するよ」

 きゃんDとならんで立つ四人も大きく頷いた。

「おい、ウサギ耳。仲間が増えためでたい夜だ。トナカイ飛ばして雪でも降らしたらどうだよ」


「意外にロマン派か? バジル。クリスマスの夜だからっておいらがはしゃいで空駆け回って異常エンカウントの影響出ちゃ、ヘリコプター騒音以上の迷惑だ。せっかくあたたかい家族の団らんをすごしているのだから、クリスマスなんてそんなもんでいいじゃねえのか」

「ちぇ、まあ、トナカイ飛ばして喜ぶのはオレ様たち<冒険者>だけだな。よっしゃ、酒飲もうぜ酒。クリスマスの夜らしいケーキはねえけどな」


 船は静かに港を離れる。きゃんDたちもずっと手を振り続けていた。

 きゃんDの加入は船上でも波紋を呼んでいた。特に、イクス、ユイ、ツルバラ、ヨサクの周囲である。


「イクスも早く【工房ハナノナ】に入りたいにゃー!」

「正式に入隊するには<ナカス>のギルド会館行かなきゃならんのんよ。でも<ナカス>は<Plant hwyaden>が押さえてもうてるやん。よっぽどうまく潜入せんと逆に脱退させられかねんのよ」

 シモクレンが申し訳なさそうに答える。

「なぜにゃー!」

 もうきっとまたたび酒に酔っているのであろう。いつもより語気の強いイクス。

「ギルマスかサブのウチがギルド会館で、入隊の承認を行わないと未処理扱いになってしまうんよ。<ナカス>の入口には警備兵がついて、<Plant hwyaden>かどうかチェックしとる。多分これはレジスタンス活動してる人たちへの抵抗策なんかもしれんけど、そのせいでウチらが捕縛されてしまうことも考えうるわけよ。にゃあちゃんがきっとなんとかするから、イクスちゃん。それまでの辛抱やでー」

「イクスはその日が来るのを待ち望むにゃでー」

 そう言いながらシモクレンに抱きつく。真似してヤクモも抱きつく。

「にゃでー。きゃはははは」


「おめーら、そんな深刻に構えることねえよ。オレ様みたいに自由気ままな居候でいいじゃねえか」

「腐れバジルは腐ってるから正式に入らなくていいにゃ」

「くおー! お前まだそのあだ名で呼ぶか」



「ディルさん。たまやって呼ばれついでに<花火職人>になったらいいんじゃないっすか」

 ツルバラが珍しくディルウィードに声をかける。

「ディルでいいですよ、ツルバラくん」

「いや、オレもディルくんで呼ぶっす。ディルくんは【工房ハナノナ】にどうして入ったんっすか?」

「おれ、元は<魔具工匠>で、<機工師>の先輩が【工房ハナノナ】に入るっていうから一緒に入れてもらったんですよ。結局今も続けているのはおれの方なんですけど。あ、そうだ。おれ、<機工師>目指そうかな」


「ディルくん。それいいっすよ。<パンナイル>でも<機工師>増やそうって計画があって、元エンジニアの人たちが多いすよ。その人たちがいるから転職もしやすいし、集中的にものづくりしたらレベルもめちゃくちゃ上げられるっすよ。そんで、オレと世界最高の動力作りしないっすか。ただ、仕事場が変わってて、演歌っぽいのばっかり歌ってますけどね」


 <機工師>は、この<大災害>後の世界で需要の高まった職業の一つである。現実世界の知識が使えるとあって、どこの都市でも開発競争が行われているらしい。<ナインテイル自治領>が開発後進国とならぬよう龍眼の発案で<機工師>育成計画もすすめられているらしい。


「演歌はともかくとして、興味深いね。ツルバラくんはどこのギルドにも入らないの?」

「<パンナイル>私設兵団の一員ってだけで、特には。でもここの雰囲気嫌いじゃないっす。エンカウントひどいのはちょっと勘弁って感じっすけどね」

「おいでよ、【工房ハナノナ】」

「ハハ、どうしようかな。じゃあこうしないっすか。オレは【工房ハナノナ】に入る。けど、ディルくんを<パンナイル>に連れて行き<機工師>にする。ふたりで世界最高の動力作る。ただオレは<機工師>じゃないから設計だけだけど、ディルくんがオレのアイディアを形にする」

「ツルバラくん、設計得意なの?」

「そこらへんは任せてくれっす。ディルくん、指先は器用っしょ」

「器用貧乏ってよく言われるけど、バジルさんよりは器用なつもりだよ」


 そこにイタドリが顔を出す。

「あれあれー、ディルとツルッち。こんなところで何のおしゃべりー? ま、まさか。男同士でえっちな話なのか、えっちな話なのか?」


「残念、将来の夢っす」

「ドリィさん。おれ、ツルバラくんと<パンナイル>行くことに決めた」

 イタドリは耳を疑い、もう一度聞いた。


「ツルバラくんは【工房ハナノナ】に入る。勿論おれも辞めるわけじゃない。でも二人で<パンナイル>に行く」

「ぱ、<パンナイル>に行ってなにするの? 旅行? 旅行?」


 イタドリが困惑した表情で尋ねる。その肩をディルウィードはしっかりと掴み目を合わせる。視線をそらさないままディルウィードは首を軽く横に振る。もうイタドリの目は涙で潤み始めている。

「おれは<機工師>になる。ちゃんとしたものが作れるようになるまでは帰ってこない。だから、ドリィさん、おれのこと待っててくれる?」


「やだよ。ゃだょぅ。やだよぅ。ディルと離れたくないよう。はだでだぐだいょう。ひぅ、わらしもぅううふぁんないるいくよぅ。ひとりはいや、げふげっほ、やだよぅ」

 もう途中からは涙声で何を言っているかは聞き取れないほど、子どものようにしゃくりあげながら泣いている。ディルウィードはしっかりと肩に手を置いたまま語りかける。


「ドリィさん。ううん、大切なパートナーの板取花純美さん。今までちゃんと告白したことなかったけどおれは花純美さんのこと大好きだよ」

「わら、わらしもすき、ひぐ、だいすき。だから、わらしもぅう連れってって」

 ディルウィードは首を横に振る。


「ドリィさんは【工房ハナノナ(みんな)】にとって大事な人だから、みんなと離れちゃダメだよ。イクスだって行ったり来たりしてるんだから、心配しないで。ほら、もう、そんな泣かないで」

「顔見ないで。う、うう、かおぐちゃぐちゃだから、うう、みないで」

 

 とぼとぼとディルウィードのそばを離れ、広い甲板に戻ろうとしたとき、イタドリめがけて暗い海から突進した影があった。<龍頭鯉尾>の突撃だ。

 反射的にハルバードを振り回したが、いつもの癖で側面を叩きつけてしまった。ミシミシっという音とともに、ハルバードは折れ、振り抜いた拍子に先端は吹き飛んで海中に没してしまった。

 ショックのあまり崩れるようにその場にへたりこむイタドリ。

 身を翻して尾を叩きつけようとする<龍頭鯉尾>。


 そこにディルウィードの<サーペントボルト>が飛ぶ。まともにくらった<龍頭鯉尾>は痙攣するようにして海へと消え去った。


「離れていてもキミのことを必ず守るから」

 ディルウィードの真剣な眼差しをツルバラは間近で見て少し胸が騒いだ。【工房ハナノナ】には好漢が多い。それは相手に対する真摯さからくるものだろうとツルバラは思った。きっとこの友人から学ぶことが多いだろう。


 イタドリはその場でわんわん泣いているのでサクラリアが近寄って連れて行った。サクラリアはイタドリを気遣いながらも、ユイに謝った。

「ユイもずっと【工房ハナノナ】にいるのに、ギルドに誘わなくってごめんね」

「ギルドってのに入らないと一緒にいられないのか?」

「ううん。そんなことないよ。仲間の証ってところかな」

「<大地人>が入れるって思いもしなかったんでしょ?」

「っていうかもう【工房ハナノナ】の一員でしょ」

「肩書きとか、オレ関係ねえよ。姉ちゃんといられればそれでいいよ」

 イタドリはそれを聞いてさらに声を上げてわんわんと泣き出した。

 

 一方あざみは、ヨサクを勧誘しようと必死だ。

「<ブリガンティア>を脱退したんでしょ。いいじゃない。ウチに来たら」

「ああ、なんでそうなんだよ。必要ねえよ」

「あすたも【アロジェーヌ17】だから無理ー」

「アンタ誘ってないから、お邪魔だから、わかる? お邪魔」

「ひどーい。あざみちん超ひどーい。夕べ足絡めてきたくせにー」

「あんただったのか。ちぃぃ、あったかい足しやがって。ああ、くやしい」

「ホレ、次の敵きたぞ。ちゃんと位置につけよ」


 あすたちんとあざみをヨサクは追い払う。あざみは離れながら聞いた。

「ねえヨサク。アンタ一緒に来てくれるんでしょ?」

「いや、退屈はいらねえ。【アロジェーヌ17】の方を手伝うから、<アマミ>に置いてってくれ」

「え? 何すんの」


 あざみの問いにあすたちんが代わりに答える。

「<テルクミの城塞>を攻略するのー。その攻略に他地域の<醜豚鬼>を掃討しなくちゃいけなくってー。ヨサクちんにも手伝ってもらってたんだけどー、これから本格的攻略に入るの」

「それが終われば、旧友探しだ。だから【工房ハナノナ】とは行動を共にすることはない。運命が交錯すればまた出会えるだろうよ」


 あざみは敵を切り裂きながら笑った。

「それならもう心配してない。アンタとアタシの運命はきっと繋がってるから。また、迷ってくるといいよ」

「るっせぇよ。迷ってるわけじゃねえ。おおい、うさぎの大将! スピード上げて突っ切ろうぜ。この辺りは雑魚が多い」


 桜童子は<絶海馴鹿>の背で指揮する。

「おうよ! サラ坊に<蒼球(ブループラネット)>を抱かせてやれ! 行くぞ! 全力前進!」



■◇■


 以前アマミに寄ったときは北の端の部分だったが、今度は南の群島のひとつに寄り、そこで【アロジェーヌ17】に再会する。

「あー、もふもふうさちゃんだー。トナカイさんに乗って冬モデルカワユシー!!」


 【アロジェーヌ17】のギルドマスターフルオリンは、桜童子を見つけるなり飛びついて抱きつく。

「ねえねえ、一緒に戦う? 今回はさー、一緒に<フォーランド>に行った黒夢ねこちゃんとか、がっかり魔法騎士のアリサネちゃんとかにも手伝ってもらってんの」


「あー、おいらたちは静かに正月を迎えさせてくれ」

「しゃべった。うわー、しゃべったらうさちゃんまたカワユシー!」


「んもー、凛がしゃべったら話が先に進まないから、あすたがしゃべるー。ここで、あすたとヨサクちんが降りて合流しま~す。【工房ハナノナ】のみなさんはー、あと2日かけて<ツクミ>までもどりー、陸路を使って<サンライスフィルド>へ戻るからー、帰り着くだけで忙しいんだよー」


「えー、<冒険者>には盆も正月もないぞー」

「そのつもりだったが、何かいやな予感がするんだ。少し準備をしておきたい」

 桜童子の予感はなんの確証もないものだし、ここを離れる口実のようにも聞こえるものだったのでみな、軽く聞き流していた。



 別れはあっさりとしたものだった。見送るまもなく【工房ハナノナ】と【アロジェーヌ17】の方のどちらにもエンカウントが起きていた。


 比較的エンカウントが緩んだのが、以前ユイが死にかけたあたりの港までやってきたときで、それまで夜通しで戦い続けた。もう朝方だったが寄港して仮眠を取る。昼に出港し、日付を越える前あたりに<ツクミ>までたどりつくことができた。

 そこでディルウィードとツルバラは船に乗ったまま、さっきの航路を逆に進み、<パンナイル>を目指す予定であった。エンカウントが起きにくいようにしてあるから、3日あればたどり着くはずである。


 いざ、別れとなってイタドリが赤ん坊のように泣き喚き始めた。いつもあれだけにこにことして<大災害>の時にも取り乱すことがなかったイタドリがここまで泣くとは思わず、桜童子は頭を掻いた。たしかに<大災害>の瞬間からイタドリのそばにはディルウィードがいた。


 一番気持ちが分かるのはサクラリアだが、もう言葉のかけようもなかった。覚悟があったかなかったかの違いと言えばそれまでだが、イタドリはしっかりと眠らせるより他ないだろう。


 そこからさらに<ベップ楽天地>まで船を回し、そこで船を降りる。<ツクミ>から<ベップ楽天地>までディルウィードはイタドリの手を握っていた。泣きつかれたのであろう。船を降りる頃にはイタドリはディルウィードの腕の中でぐっすり眠ってしまった。

 そのまま抱えて降りたいところであったが、イタドリは身体は小さくても最重量の鎧をまとう<守護戦士>で、抱えるのは細腕の<妖術士>ディルウィードである。<絶海馴鹿>にまたがって船から降りる。


 イタドリをあざみの腕に預け、ディルウィードは船に戻る。静かに船は去っていく。



 しばらくこの地に逗留することに決め、宿を探した。温泉宿がよいだろう。心の痛みを洗い流せるような宿を選んでやろう。桜童子は、泥のような眠気の中、宿選びをした。


 12月27日の未明だ。もうあの花火からずいぶんと経った気がする。

 もう何日か滞在することは決定していたが、<蒼球(ブループラネット)>と呼ぶことにした<ルークィンジェ・ドロップス>の塊をどうするかを考えなければならない。

 前回は<ユーエッセイ>の歌姫に渡した。それと引き換えに<暮陸奥>がグレードアップしたので、それに<ルークィンジェ・ドロップス>が消費されたと思い込んでいた。だが、実際は、その石はどこかへ消えたのである。

 桜童子の感じる不安の源は、その石の行方だ。


 ヤクモが随分と喋るようになってしまったし、サラ坊たちは予定を1日も短縮するほど力を引き出した。召喚に大きな代償が必要な、盟約中の<火雷天神>もこれさえあれば向こうから喜んでやってくるだろう。これは過ぎた力だ。


 何も考えず<ユーエッセイ>に託すのが、一番良いようにも思える。だが、<ユーエッセイ>の歌姫は、<アルヴの二姫>と関わりがある。もし<Plant hwyaden>が早期結界封鎖に成功したという<呪禁都>の地下に、消えた石が転送され魔王に届けられでもしたら、きっとこの世界に騒乱をもたらす元凶となってしまう。


 判断するための材料が必要だ。一眠りしたら知人たちに連絡を取り、各地の情勢を訊ねる必要があるだろう。



 もうひとつのカギは、<3年前の大花火>だ。誰かがこのイベントを成功させたのだ。ゲーム時代には<ルークィンジェ・ドロップス>は存在しなかった。だとしたら、その代わりになるものが存在したはずだ。それが分かれば、この石の秘密も解けるかもしれない。つまり、<3年前の大花火>を成功させた人物の情報を集める必要があるだろう。


 それまでは、危険を承知で預かるより他にない。


 次の日には情報収集を始めた。

 <エイスオ>の小手鞠や、<シルバーソード>の浮世に連絡を入れる。行脚僧の西武蔵坊氏や、大地人にコネクションのあるアキバの早苗女史、放浪中の姫侍夜櫻嬢など、ゆかりのある人物にも連絡を入れ状況をつかもうとしたが、誰も皆とても忙しそうであった。


 気晴らしに<地獄めぐり>のダンジョンに潜ることも考えたが辞める。<サンライスフィルド>に戻るまでは<蒼球>の管理を最優先にしたほうがいい。正月前に帰り着いて大掃除ついでに保管場所を作らなければならない。



 イタドリの心が落ち着いた頃、本拠地への帰還を決定した。

 ディルウィードから無事に<パンナイル>に到った報告を受ける。

 <ログホライズン>のシロエという高名な冒険者によってフィールドゾーンの強制的返納が行われ、<パンナイル>に死霊たちの狂乱(アンデット・パニック)事変が発生するのはほんのわずかに後のことである。



 桜童子は仲間を振り返って言う。


「どの世界でもそうだけど、すべての決断は可能性と危険性が背中合わせだ。だが、そこに希望がある限りどこへだってたどり着ける。おいらはそう信じているよ。さあ行こうか」

 朝日が背中を照らし始めた。

 セルデシア世界に新たな年が近づこうとしている。

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