初潮
「……ふぅ。」
私はシュウさんの屋敷の、居間にあたる広い部屋の畳の上で、ふかふかのブランケットにくるまりながら、重たいため息を吐いた。
くすくす。
私の寝転ぶすぐ側で、シュウさんは本を読んでいる。私の吐くため息が、あまりに重たかったためか、彼はこちらをちらりと見ると、私にあの微笑みをくれた。
「どうしたの。」
本に目を戻しながら、シュウさんは左手で、私の髪の毛を一房取った。
彼の動きに少し鼓動を速めたけれど、次の瞬間に襲った鈍く重たい痛みに、それどころではなくなってしまう。
「……大変なんです。乙女も。」
そう言うと、シュウさんは納得したように、「あぁ、そうか。」と一言呟いた。
素っ気ない言葉に、私は少し頬を膨らませたけれど、私の髪を遊んでいた左手が、私の頭をゆったりと撫で始めたことで、すぐに口元を緩ませてしまった。
細く長い指が、私の頭から毛の先までを、まるで壊れ物を扱うかのように優しく梳いて行く。
一緒にいれば、わかる。
彼の指先から、それが伝わってくるから。
優しい指先に、私のお腹の痛みも、少し影を潜めたようだった。
なんて単純な作り、と。私は私を笑うしかない。
そう言えば、と、私はここに来て間もない頃のことを思い出した。
十四歳だった私は、まだ初潮を迎えていなかった。
だから、初めてそれが来た時には、本当に驚いたのだ。
誰でもそうなのだろうか。私は自分が、何か良くない病気にかかってしまったのだと思い込んだ。
汚れた下着のまま、誰にも言えず、ただ部屋の隅に丸くなっていた。
こんな私を引き取ってくれたシュウさんに、何より申し訳ない気持ちだった。
『どうしたの。』
夕食にも来ない私を、シュウさんは心配して呼びにきてくれた。けれど私は、自分が変な病気になってしまったのだと、彼にどうしても言えなかった。
困った、と。頑に、何があったのかを話そうとしない私に、シュウさんは本当に困った顔で笑う。
『……何か、嫌なことがあった? 不安なこととか。』
肯定も、否定もしない私。シュウさんは一つ、ため息を漏らす。
『言いたくないなら、いいけど。ご飯は食べよう?』
いつも、飄々としていたシュウさんが、そんな風に真剣に何かを言うのを、この時私は初めて見た。
そんな彼の様子に、私は口を開きかけては閉じ、また言い出そうと口を開ける。
それを何度か繰り返し、遂に、シュウさんに打ち明けた。
『……。……へ。』
意を決して告白した私を、シュウさんは目を丸くして驚いてみていた。
『……?』
シュウさんが、何を言おうか戸惑っているのを、私は不安な気持ちで見守る。
そんな私に気づいたシュウさんが、先ほどとは違う、照れたような、困った顔で、笑った。
『そっか…初めてなんだ?』
『?』
ちょっと待ってて、と、私に言い残し、シュウさんはどこかへ行ってしまう。私は彼が、どこに行ったのかもわからず、また不安に狩られて体を小さく丸め、顔を伏せた。
『和葉。ごめんね。おまたせ。』
どのくらい経っただろうか。
私はシュウさんの優しい声に顔を上げた。
もう帰ってこないかもしれない、と考えていた私は、シュウさんの姿を見た途端、泣いてしまった。
『…あーー…。そっか。ごめん。不安だったんだよね。』
シュウさんは、私の固くなった体を包み込んだ。
大きな手が、私を慰めようと、背中をぽんぽんと撫でる。
私といえば、そんな優しさにも、余計に涙を溢れさせていた。
『よくわかんなかったから、友達に聞いて…買ってきたから。』
ようやく落ち着いた私に、シュウさんはドラッグストアのビニール袋を差し出した。
私は袋を受け取り、中を見てみる。
ビニールの中には更に茶色の紙袋があり、その中に入っていたものは、生理用の下着や、ナプキン、痛み止めだった。
『……。……!』
私は、はっと、顔を上げた。
そして、私のことをずっと見ていたシュウさんと目が合う。途端、私は恥ずかしさに、全身が火照るのを感じた。
『(―――そうだ。)』
小学生の頃、保健の先生から教えられた。周りの友達も、もう皆それを迎えていた。
『(やだ…なんで気づかなかったの…っ!)』
どこか人ごとだと考えていたことが、遂に自分の身に起こっただけだったのだと、穴があったら入りたい気持ちで、私は納得した。
『…明日、赤飯にしよっか?』
火照った頬を抑え、今度は恥ずかしさに涙目になっていた私の頭を、くしゃりと撫で、シュウさんはそう言って笑った。
いつも見ていた、意地の悪い笑顔とは違う、本当に優しい、慈しむような笑顔だった。
本を読んでいるシュウさんを見上げ、私はあの時のことを思い出して笑う。
シュウさんの指先は、相変わらず私の髪の毛を弄んでいる。その触り方が、普段よりもずっと優しいことに、私はまたニヤケ顔を深める。
「……何。」
そんな私に気づいたのか、シュウさんが眉をひそめて、私を見た。
「何でもないです。」
私がにこりと笑うと、ふぅん、とまた本に目を戻すシュウさん。
「(初潮の世話を、大好きな人にしてもらった女の子は、どのくらいいるんだろう…。)」
私はシュウさんの、相変わらず優しくなだめる様な指先をを感じながら、うとうとと、意識を手放した。