横顔
授業が終わると、私はいつものように、ゆっくりと教科書やノートを鞄に入れ、時計を見る。
「(……まだ、来てないよね。)」
シュウさんは、学校の裏門まで、車で迎えに来てくれる。学校までの三十分を、私はいつも、シュウさんと登下校できるのだ。
入学した頃、よくからかわれたが、今では皆も慣れてしまったみたいで、受け入れられている。と、思う。
シュウさんの迎えの時間まで、まだもう少し時間があった。
「…あ。 倉本?」
教室の自分の席に座り、すっかり帰り支度の整った鞄を下敷に机につっぷして横を向いていた私の耳に、やけに嬉しそうな声が聞こえてきた。
私は顔をあげて、声の方を見る。すると予想した通り、佐藤君がにこやかにこちらに近づいていた。
「帰らないの?」
彼の眩しい程の笑顔に、私は目を細める。
「ううん。 迎え、待ってるの。」
彼はきょとん、とした顔をした後、すぐに思い至ったのか、あぁ、と声を弾ませた。
「そう言えば、ずっと聞きたかったんだけどさ。」
少しだけ、妙な間が空いた後、彼は私の席の前の席の椅子に股がり、背もたれに抱きつくような恰好で首を傾げる。
「いつも一緒に登下校してるあのヒトって、倉本の何なの?」
無邪気に。
彼はとても無邪気に、あまり他の人が口に出さない疑問を、豪速球のストレートで投げかけてきた。
何、と、私は一度、彼の問いの一部を復唱する。
「……。」
何か、と聞かれると、とても返答に困る。
いや、彼のことを現すなら、保護者、以外の何でもないのだけれど。
「(…でも。)」
私の中で、シュウさんをただの”保護者”で片付けてしまいたくない、とても幼稚で、未熟な感情があるのだ。
「おーい、倉本?」
私の中の渦など、まったく知らないで、佐藤君は尚も無邪気に、そして純粋に、私に答えを急かした。
「……わからない。 …かな…。」
今は、まだ。
「え? なんだよそれー?」
面白いヤツだよな。と、佐藤君は私の曖昧な答えも、いつもの、あの屈託のない笑顔で笑い飛ばした。
私はその笑顔が、まぶしくてまた、目を細める。
「…じゃぁ、私行くね。」
立ち上がると、佐藤君は「あ、」と声を出した。そして急いで立ち上がり、その辺に放り出していた鞄を引っ掴んだ。
「俺も帰るから、玄関まで一緒に行こう?」
「……うん。」
断る理由が思い当たらず、私はこくりと頷いた。
彼の他愛のない話に相づちをうちながら、廊下の窓の外を眺めていた。
私はこの人が、少しだけ、苦手だ。
皆に好かれる、とてもいい人だということは、いつも輪の中心で笑っている普段の彼を見れば明らかなのだけれど。
側にいると、太陽に焼かれる虫のように、干涸びてしまうのではないかと、怖くなる。
もちろん、そんなことはあり得ないけれど。
それでも、居心地の悪さに、気持ちが落ち着かないのだ。
玄関で、元気に手を振る佐藤君に、小さく手を振り返した後、私は裏門へ、焦るような気持ちで歩を進める。
いつもの位置に停車している、白いスカイライン。
その美しい車体の中、運転席のシートを倒して昼寝をしているシュウさんを見る。
「……。」
焦っていた気持ちが、彼の寝顔を見るだけで、落ち着いていくのがわかった。
コンコン、と、私は助手席の窓を軽く叩いた。
そして、シュウさんが目を開けるのを確認して、ドアを開け、車の中へ乗り込んだ。
「ごめんなさい。随分待ってましたか?」
シートを戻し、シートベルトを掛けているシュウさんに、問いかける。すると、起きたばかりのうっすらとした目が、私の目を捕らえた。
「……。」
静かな、ほんの少しの間の後、シュウさんは前を向き、ハンドルを握る。そして、左の手で私の頭をぽんぽんと撫でた。
「待ってないよ。おかえり。」
車が、静かにエンジンを回しだす。戻っていく左手を名残惜しそうに見ていると、それに気づいたシュウさんが、くすり、と私を横目に笑った。
「……ただいま、シュウさん。」
あぁ、やはり。
私は、何もかもを。
シュウさんと比べてしまっているのだ。と。
くすくすと、シュウさんは笑う。
また、私が見つめてしまっていることに、気づいているのだろう。
いつも、どうしようもなく私の心を掻き立てて止まないその、綺麗な顔の意地悪な微笑みが。
佐藤君の、人好きの良い、満面の笑顔よりも、ずっと。
私に安心をくれるのだ。