アウト
久しぶりに開く個展には、和葉も連れていくことにした。
『そう…なんですか…。 気をつけて、行って来てくださいね…。』
いつも耳がぴんと立って、尻尾をふりふりしている和葉の耳と尻尾が、ぺたーんと寝ている。
という幻視が見えるほど、しょんぼりとしている彼女に、思わず吹き出した。
『ははっそんな顔、久しぶりに見た。』
悪いとは思いながらも、笑いの収まらない俺を、和葉はじとっとした目で見ている。
『学校終わったら、そのまま行くから。』
『……?』
俺の言葉が理解できないというようにきょとんと目を丸くした和葉に、今度ははっきり告げた。
『お前も連れていくから、今日のうちに準備しちゃいなさいね。』
和葉はそれでも何を言われたのかを、しばらく咀嚼していた。
急に理解したのか、ふわっと顔に紅色が差し込んだ。
——本当に、顔の表情が豊で。わかりやすい。
俺はまたくすくすと笑っていたけれど、いつの間にかその嬉しそうな顔が、不安気に曇っていた。
『……いいんですか?』
『ん?』
『邪魔じゃ…。』
和葉は、俺と暮らし始めてからもずっと、わがまま一つ言わない。
欲しいものも、やりたいことも、きっと沢山あるんだろうと思うけれど。
自分の気持ちを押し殺して、我慢して。
でも、きっと気づいていないんだろう。
不安そうに見上げる、その顔に、はっきりと書いてあること。
寂しいも、嬉しいも。
安心も不安も。
それに、俺が気づいていることも、彼女はきっと気づいてない。
『行きたい、でしょう? 俺と、旅行。』
そう言った途端、和葉の顔から不安が吹き飛んだ。
全身の血が、顔に集まっているかのように赤く染まった和葉を見ていると、本当に愛しいという気持ちがあふれて来る。
手を伸ばした。
和葉は俺になでられるのが好きらしい。
頭を撫でていると、もっと触りたくなる。
だから、気持ちが暴走してしまう前にと、すぐに離れた。
いつも俺が仕事で家を開ける時、寂しそうに見送るから。
今回は丁度週末だし、どこにも連れていっていないことに気づいて。
だから、連れていくことにしたけど。
俺、もう結構取り返しつかないとこまで、来てしまっているかもしれない。
旅館の女将さんは、少し前から仲良くさせてもらっている。
この旅館の客室から見える白い石庭が気に入って、毎度その部屋を抑える俺を、覚えてくれたらしい。
完璧な笑顔で笑いかける中にも、何かからかうような空気を感じるのは、俺の気のせいではないだろう。
極めつけに、あの一言だ。
『お部屋には露天風呂もございますので、是非御二人でお楽しみくださいな。』
——やられた。
と、思った時にはもう遅くて。
余計なことを言った女将への俺のフォローも、うまくなかったんだろう。
和葉がへそを曲げてしまった。
折角の旅行だし。
このさい先の悪さはよろしくない。
もくもくと荷解きをしている和葉の後ろから、そっと近付いた。
「……なんか。」
びくりと、和葉が揺れた。
それだけで楽しい気持ちになる俺に、和葉が青いんだか赤いんだかわからない顔で振り向く。
「どうしたの。」
「…?」
「機嫌、悪いように見えますけど。」
楽しい気持ちの俺と対照的に、和葉の顔はやさぐれていった。
「……悪くないです。」
だから、全部、顔に書いてあるからね?
「あはは、嘘。」
くすくすと笑う俺の横で、和葉はため息をついて。
「〜〜〜〜っもう……。 ……いいです。」
呆れたように笑う和葉でさえ、可愛い。
不貞腐れていた彼女は、何かを今、諦めたんだろう。
そして俺のほうに、身体を向けてコテンと寝転ぶ。
いつものように、頭をなでてやると、とろんと目を細めた。
頬が薄紅に染まって、口元がゆるんでいる。
「よしよし。」
猫のように、ごろごろ言う訳ではないけれど、幻視で見える尻尾が、ぱたぱたと揺れている。
本当に、かわいいな。
「シュウさん…。」
「ん。」
そのまま眠ってしまうのかと思っていた和葉が、その瞳を潤ませて俺を見上げていた。
「シュウさんの中で…私は、いつまでも子供ですか…。」
和葉は、そのまま目を閉じて。
うとうとと眠ろうとしている。
——わかってる?
今、俺の理性をぷっつりと、君が切っちゃったんだよ。
かわいい。
ってずっと思ってたけど。
思春期って恐ろしい。
女らしくなっていく身体に、匂いに。
自分に懐く彼女に、男がどれほど理性をフル稼働させていたかなんて。
——本当、全然、わかってない。
「……え…。 …シュウ、さん…?」
和葉に覆い被さるように、彼女の横に手をついた。
頭の中で、母の言葉が繰り返し聞こえていた。
手を、出すって。
いったいどこまでがセーフで、どこからアウトなんだ。
でも、これはきっとアウトだろう。
保護者、がしていいことじゃない。
わかってるけど。
もう、止められなかった。
「……なるほど。」
母には、わかっていたのか。
俺が、こうなってしまうこと。
「あ、の…。」
和葉が、怯えている。
見た事無い顔で、狼狽えている。
「俺が、子供扱いを止めたら…。」
「え…?」
好きだって、言ってたけど。
和葉の好きが、俺の気持ちと同じとは限らない。
近くにいる異性を、意識しだす年頃なだけだったとしてもさ。
俺は、今、このこが欲しい。
「和葉、大変だと思うけど。」
身を屈めると、簡単に触れる事ができた。
柔らかい唇が、戸惑って震えている。
押しているのかしがみついているのかわからないほどの力しかない。
和葉の抵抗を無視して。
俺は自分の欲を満たした。
真っ赤になった和葉が、自分の身に起きた事件を整理する。
「な…な、…!?」
言葉にならない叫びが、彼女の混乱をよく現していた。
涙目になったまま、俺を見つめる大きな瞳。
混乱を極める和葉とは逆に、俺はやけに冷静に物事を考えていた。
あー、親になんて言うかな。とか。
ついに手、出しちゃったな。とか。
初めて、凪以外にキスしたな。とか。
まぁ、やっちゃったもんは仕方ないし。
責任、とるし。
「その顔。」
俺が手を伸ばすと、和葉は今度はびくりと反応した。
目尻に溜った涙を拭い、おそるおそる目を開ける和葉に笑いかける。
「そそる。」
目をめいっぱい開けて。
目玉が落ちるんじゃないかと思うほどにわなわなと震えた和葉は、声にもならないか細い声で、勘弁して下さい、だって。
本当、愛しくて、かわいくてしょうがないな。
そのまま部屋にいるのはさすがに我慢できないかもと思い、俺は打ち合わせを口実に外に出た。
たった一時間で終わった打ち合わせの後も、和葉が寝る迄と思い、ぶらぶらと歩いた。
でも、部屋に帰ると和葉は起きていて。
青白い光の中、足を抱えて石庭を眺めていた。
和葉を見るだけで、ざわざわとむ胸が騒ぐ。
今迄抑制していた何かが、あの時に本当に、どこかへ行ってしまったんだ。
ふとんに入ると、和葉がこちらを見ていることに気がついた。
少しだけ考えて、俺は布団をあげる。
考えたのは、俺の理性があとどれくらい残っているのかだけど。
「おいで。」
「……え。 シュウさん、今日、どうしちゃったんですか。」
どうしちゃったんだろうな。
本当、なんか、抑えきかない。
「いいから。 ほら、おいで。」
和葉は迷っていたけれど、降参したようにおずおずと、俺の布団まで来て膝をついた。
自分で入るのを戸惑っている彼女の手を掴んで、布団の中へと引き込んだ。
「お休み。」
和葉の身体に腕を絡ませると、俺はすぐに寝た振りをする。
彼女はしばらく自分の位置を直したりしてもぞもぞ動いていたが、そのうち落ち着いて身体を預けるようになった。
久しぶりに感じる人の体温に、寝た振りをしていた俺にも睡魔がやってくる。
眠りに落ちる瞬間、和葉が何かを呟いた。
その声すらも気持ちがよくて、そのまま俺は、夢に落ちていた。




