蜻蛉
ひらひら。それは、私の手の甲に舞い降り、そしてひととき羽を休める。
「(そぉっと…。)」
縁側に座る、あの人に見せるため、そっと、後ろを振り向いた。
「あっ…。」
パタタ、と。私は飛び立つトンボを視線で追いながら、そんな声を出した。
「ん?」
見慣れた白いシャツを着て、今日も穏やかに涼んでいる。秋めく木々の紅葉を眺め、彼は目を細めた。
「シュウさんに、見せようと思っていたのに。」
何を、とは言わなかったけれど、シュウさんは少し私に視線を移して、そして笑う。
くすりと、いつもの、少し意地悪な笑顔で。
「こっち、おいで。」
シュウさんは、手でぽんぽんと、自分の隣を叩いている。
おいで、と。
その言葉に、私が決して逆らえないことをわかっている微笑みを浮かべて。
「いいこだね。」
大人しく隣に腰を降ろすと、頭をぽんぽんと撫でられた。もう、今年で十七歳になるというのに、いつまでたっても、この扱いは変わらない。
「もう…。」
嬉しい気持ちを隠して、私はいじけてみせる。
ちらり、とシュウさんを盗み見る私は、やはりさっきと変わらず庭の景色を眺めるシュウさんの横顔に、落胆もあらわにため息をついた。
私のことなど、もう見えていないように、シュウさんはただ座っていた。
シュウさんの隣にいると、いつも、こうしてまったりと時が過ぎて行く。
風が、香る。
隣にいる、シュウさんからはいつも、洗い立ての洗濯物の匂いに紛れるように、かすかに、絵の具の匂いが混ざっている。
「くすくす。良く、飽きないね。」
「え?」
気がつけば、シュウさんはこちらを振り返り、私の目を覗き込んでいた。
「いつまでも、俺を見つめる。」
そう言われた瞬間に、私の体温は上昇する。
火照る頬に、多分、いや、絶対。耳まで真っ赤になっているのだと確信していた。
「(――飽きる、わけない。)」
こうして、ただ見つめられるだけで、こんな風になってしまうのに。
永遠にも思える数秒ののち、シュウさんは私からふ、と視線を外す。
「冷えてきたね。」
ゆったりと季節が移り変わる。
秋を彩る、色の一つ。
赤いトンボがまた、私の手の甲へと舞い降りる。
私がここに来て、もう、三度目の秋だった。