あしあと[本編完結]
私は朝からばたばたと、自分の部屋と居間をいったりきたりしていた。
今日は、一年で一度、この辺りで一番盛り上がると言われる秋祭りがある。
「えっと…あれ?」
私はシュウさんが用意してくれた浴衣を前に、悪戦苦闘していた。この辺りで売っている、夏のものよりも少しだけ生地の厚い浴衣。着方がわからずやりなおすうちに、シュウさんが様子を見に来てしまった。
「…へたくそ。」
シュウさんも男性用の浴衣を纏い、それはそれは、色気を垂れ流している。
そんなシュウさんに見とれていた私は、彼が帯に手をかけたところで、驚いて変な声を出してしまった。
「なんていう声だすの…。俺が変態みたいでしょ。」
「……すみません…。」
「着せてやるから、じっとしてなさい。」
言われた通りじっと待っていると、シュウさんが後ろに周り、脇の間から両手を前へと回してきた。
びくりと硬直する私の耳元で、シュウさんが笑う。
「くすくす。帯、しめるだけだよ。」
私はその低い声にもくすぐったくて、反対側の肩をすくめた。
その反応にすら、シュウさんは面白そうに笑っている。
「はい。できた。」
「あ。わぁ…すごい!」
全身が映る鏡の前に立ち、私はくるりと回ってみた。
いつもと違う和風の女の子。
それが、私だなんて信じられない気持ちで見ていると、またもや後ろからくすくすと笑う声が聞こえてくる。
「…もー…。いいじゃないですか…。」
くすくすと、笑い続けるシュウさんに頬を膨らませてみせると、シュウさんは笑うのを隠すように顔を反らし、口元を手の甲で覆った。
「はは。ごめん。かわいいかわいい。」
「全然ココロこもってないです。」
私はふんとシュウさんの横をすり抜け、外へ行く為の羽織を纏う。
洗面所で鏡をもう一度見て、いつもよりも少しだけ気合いの入れたメイクと、結い上げた髪の毛が崩れていないことを確認した。
用意が整い、縁側に出ると、そこにはもう既にシュウさんが佇んでいた。
私は縁側の外に用意されていた下駄を履き、慣れない足取りで庭を踏みしめる。
『――今日は、海へ行こうか。』
土曜日の朝、シュウさんは突然にそう言った。
私はシュウさんをしばらく見つめ、こくり、と頷いた。
爽やかな秋晴れ。
シュウさんは、私の手を引くと、自分の部屋に連れていき、大きな紙袋を差し出した。
『?』
不思議に思いながらもその袋を開けると、中には鮮やかで大きな花柄の浴衣セットが入っていた。
下駄や髪飾りなど、およそ必要そうな小物も全て揃えられている。
『今日、秋祭りでしょ。いい機会だし、いこ?』
シュウさんのその提案を、私に断る理由はなかった。
縁側の側に立つシュウさんを見上げると、シュウさんは少しだけ口角を上げて笑っている。
今日は特に空気が澄んで、午後の光に透けるシュウさんの髪の毛が涼しそうに揺れていた。
「行こ。」
私のことを確認すると、シュウさんは庭の奥の方を目指して歩き出した。
シュウさんの広い庭の奥には、小さな裏門がある。
ここに来て間もない頃、庭を探険した時に見つけたが、手入れがされておらず危ないからと、シュウさんからは近づかないように言われていた。
久しぶりに見たその門の周りは、綺麗に掃除され、絡まっていたツタも、その周りに鬱蒼と茂っていた雑草も取り除かれていた。
「(いつの間に…。)」
私が屋敷に帰っている間は、ほぼ一緒に過ごしているので、学校に行っている間に掃除をしたのだろう。
三年近く近寄っていなかったその門は、まるで未知の世界への扉のように思えた。
シュウさんは留め具を外すと、その小さな扉を押した。
そしてさっさと、敷地の外へと出ていってしまう。
私は少し焦って、小走りでその後を追おうとした。
けれど扉の前は石の道になっていて、駆け出してすぐに引っかかってしまった。
カラン、と履き慣れない下駄が音を立て、私はびくりと息を止める。
先に敷地を出ていたシュウさんが、そんな私を横目に笑っている。
くすくすと、ただ笑うだけの彼は、私を促そうとはしない。
私は止まりかけた息をゆっくりと吐き出し、そっと、自分の足を、外の世界へと。
「…。」
いつもは、近寄ることもしなかった小さな扉を抜け、踏み出した足が、外の砂利を踏みつけた。
私は足を見つめていた視線をあげ、再び、彼を見る。
シュウさんは、やはり、くすくすと。
それは楽しそうに、私を横目に笑っていた。
私の目の前には、砂利道が続いていた。
周りは高い木々が立つ林で、シュウさんのいる先の方は少し上り坂になっている。
歩き出したシュウさんの後、細い砂利道を、彼の背中に置いていかれぬよう。
慣れない下駄に苦戦しながらついて行く。
シュウさんは、とても優雅に、滑るかのように、どんどん歩を進めていく。
シュウさんだって、普段履かない下駄を履いているのに。
「待って、シュウさん!」
はぐれてしまう、そう感じた私は、澄んだ空気を裂くように声を張り上げた。
「早く。おいで。」
シュウさんは遅れていた私を振り返り、弧を描くその口元で私を誘う。
遠くで、お祭りのお囃子が聞こえる。
高校の近くでやっている大きなお祭りとは別に、この辺りでもいくつか小さなお祭りが催されているのだ。
私は浴衣の上に着ていた羽織を、更に胸元で引き寄せ、不安定な道をシュウさん目がけて駆け出した。
「初めて、こっち側に来ました…。」
「そうなの?」
私の右手と繋がれた、シュウさんの左手。
シュウさんは私の覚束ない足取りに合わせて、ゆっくり歩いてくれていた。
こうして手をつないでいると、初めてシュウさんの屋敷に来た、その時を思い出してしまう。
あの時と比べれば大きくなったのかもしれないけれど、シュウさんの手はやはり大きくて。
少しだけ前を歩くシュウさんの姿を眺めては、私は密かに微笑んでしまう。
「…くす。」
「…?」
くすくすと笑いだしたシュウさんを、私は見上げる。
彼は肩越しにちらりと私を見て、すぐに前を向いてしまった。
「? なんで笑ってるんですか?」
右手で口元を覆い始めたシュウさんに、私は問いかけた。
辺りはまだ明るくて、木々の葉に遮られた光が差し込んでいた。
きらめくシュウさんの髪が、さらりとゆれる。
「ごめんごめん。思い出したんだ。初めて、手をつないで和葉を連れて帰って来た時のこと。」
シュウさんの言葉に、私は目を見開いた。
たった今、私もそれを思い出していた。
まさかシュウさんも、その時のことを考えていたなんて。
「くすくす。相変わらず、ちっちゃいなぁ。」
あの時のように、手を合わせることはしなかったけれど、シュウさんはあの時言った言葉を言った。
繋がれた右手が、ぎゅ、と握られる。
少しだけ前を歩く、シュウさんの横顔。
その綺麗な横顔が、柔らかく微笑んでいる。
「……幸せそうで、何よりですね。」
私の台詞に、シュウさんは驚いたようにこちらを見た。
けれど片側の口の端を引き上げると、また前を向いてしまう。
心地の良い記憶の共有に、私もまた、口元を緩めた。
細く続いていた砂利道が、突然終わりを告げた。
ゆるく続いていた坂を登り切ると、そこは丘になっていた。
木々が無くなり開けた坂の下、徐々に砂へと変わっていく道の先に、それは広がっていた。
「――海…。」
ざざ、と。
それは、ゆったりと私たちを迎えてくれた。
寄せては返す波が、砂浜を洗っていく。
岸に残る水跡は、打上げられた丸太や貝殻がぼんやりと波の形を示していた。
立ち尽くす私を、シュウさんはやはり、急かそうとはしない。
私が吸い寄せられるように踏み出した足に合わせ、ゆっくり、ゆっくりと、歩いていく。
きらきらと光る水面、遠くに見える水平線。
水と遊ぶ海鳥に、強く香る潮の匂い。
何より、海という広大なものを前に、どこか現実ではないような、浮遊感に襲われる。
ここが、現実か。
それとも夢か。
私は無意識に、繋いでいた手を強く握り締めてしまっていた。
「…。」
波が、すぐそこまで押し寄せている。
近くまで来ると、私たちは立ち止まった。
ふと視線に気づき、私はシュウさんを見上げる。
「……あ、……。」
言葉を出そうとしたけれど、何て言っていいのかわからなかった。
ただ、波の音、鳥の声だけが、耳に響いていた。
シュウさんはふっと笑うと、そっと私の手を引いて、再び歩きだした。
何も言わない時間。
ただ、海を見て。
ただ、歩いて行く。
どれくらい、そうしていたのだろう。
傾いていた陽が、段々と空を染め始めた。
「……シュウさん、見てください…。」
少しだけ、海に沈んだ太陽が、海と、空を赤く染める。
ゆっくりゆっくり、動いているかなんてわからないのに。
ずっと見ているはずなのに。
どんどんその赤みが増し、世界が夕焼け色へと変わっていく。
「…うん、見てるよ。」
シュウさんにしてみたら、懐かしさはあっても、珍しいことではないのだろう。
ただ陽が沈み、夜へと変わっていくだけ。
けれどシュウさんは、言葉も言えず感動する私の歩調に合わせ、ただゆっくりと歩いてくれる。
言葉にすると、とても陳腐なものにしかならない、表現できない心の渦を、シュウさんはきっと、正しく読み取ってくれてるんだ。
なんて壮大で、なんて綺麗。
「シュウさん…。」
シュウさんは、「ん?」と横目に私を見る。
その視線を感じながらも、私は海から、目を離すことができない。
「シュウ、さん…。」
「くすくす、はい。」
「……シュウさん…、す、ん…っ。」
――好きです。
私の言葉は、それを予測していたのだろう、シュウさんの唇に吸い込まれた。
繋いでいた手を引かれ、腰を抱かれて。
それまで海しか見えていなかった私の視界が、シュウさんでいっぱいになる。
「――っん、…ぅ。」
ちゅ、と。
軽いリップ音のあと、唇が離された。
赤い光に照らされたシュウさん。
瞬く瞳がきらめいて、その口元が凄艶にゆるめられている。
私が彼の綺麗な顔に見とれるなんて、いつものことで。
シュウさんはそんな私をくすくすと笑うと、さらに抱き寄せて腕の中に納めてしまう。
少しだけ出て来た海風は、秋の冷たい空気を孕んで巡る。
腕の中の暖かさに、私は頬を寄せた。
「和葉。」
頭の上で、シュウさんの声がする。
けれど私が身じろぐと、彼はさらにぎゅ、と抱きしめる腕に力を込めた。
「かーずは。」
楽しそうなシュウさんの声。
けれど抱きしめられたままの私は、彼の呼びかけに返事をすることができない。
耳にかかる髪を、なぞる指先にびくりと肩をすくませる。
シュウさんの、唇が耳朶に触れた。
「――和葉。」
――ここは、どこだったっけ。
そんな疑問が浮かぶほど、彼しか感じない世界。
さっきまで、それしか見えてなかった海が、今も目の前に広がっているはずで。
止まることのない漣が、今も鼓膜を揺らしているはずで。
風に乗った潮の香りが、鼻先をくすぐるはずなのに。
私の五感全てが、シュウさんに支配される。
「――好きだよ。」
瞬間、どくりと。
身体中の血液が、一瞬逆流したのかと思うほど。
私の身体を何かが駆け巡った。
震える手で、シュウさんの胸を押した。
力はきっと、入っていなかったけれど。
シュウさんは、私を抱く腕を緩めてくれた。
「……。」
信じられない気持ちで、シュウさんを見つめる私に、彼はふっと笑う。
「……行こ。」
そう言って、私の手を取る。
当たり前のように繋がれた指先に感覚が戻るころ、再び、海の音が聞こえてきた。
そんなに時間が経ったのだろうか。
もう辺りはすっかり暗くなっていて、灯台の光が遠くに見える。
真っ黒に染まった海の上には、プラネタリウムも負けないほどの星が瞬いていた。
「……シュウさん…。」
「んー?」
シュウさんの、綺麗な横顔が見える。
私はきっと、今日見た蒼から赤へと変わる海も。
星の瞬く空も。
澄んだ秋の空気も、潮の音や匂いも。
あの、静かな告白も。
忘れることはないんだろう。
「シュウさん。好きです。」
私が言うと、シュウさんは私を横目に見て。
そして口角を上げてふっと笑う。
「何を、今更。」
きっと、屋敷の縁側で、さらりと風が潮の匂いを運んできたとき。
私たちは、同じ景色を思いだせる。
そんな未来を想像して、私はにこりと微笑んだ。
私たちの歩いている海岸に、長い、二人の足跡が続いていた。
[ 蒼の夢想い 完 ]
読了ありがとうございました。
皆様のお気に入りの作品のひとつになれたら幸いです。
これで本編は完結ですが、1週間か2週間ほど後から本編の秋目線でのお話を何話か載せていきたいと思っています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
2015年3月 藤咲 彩




