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蒼の夢想い  作者: 藤咲 彩
三章
24/33

色 - むらさき -






 誰でも一度は、聞いたことのある名前だろう。

 源氏物語。

 その日本を代表する大長編の恋物語の中に登場する、紫の上。


 義理の母親に恋をした光が、その亡き後、そっくりの少女を見つけ育てる。それが、紫の上だ。






 シュウさんが忙しく、家の中がばたばたとせわしなかったのも過ぎ去り、また私とシュウさんがまったりと過ごす時間が訪れた。


 紅葉も、盛りを少し過ぎ、もう葉が落ち始めている。

 肌寒い風に晒されぬよう、庭へと続く縁側と、部屋の間にはガラス障子で間切られていた。



 私は、恋人を亡くしたシュウさんが、私をここへ連れてきてくれた理由は、そこにしかないと思っている。

 今、シュウさんは大好きな梅こぶ茶をすすり、ほっと夕食後のひとときを満喫中で。

 私は彼の横に座り、私の不審な動きに不思議そうに首を傾げた彼に向かい、一直線に聞いてみた。


「……え。」


 私の問いに、シュウさんは目を見開いて間抜けな声を出した。私はもう一度、目を見て訪ねる。


「……似ているんですか? 私と、凪さん…。」


 義母に恋していた光が、彼女の死後、代わりにと連れてきた紫の上は、その事実を知った後どう思って過ごしたのか。



 私は、幸せ者だと思う。


 孤児として施設で育ったけれど、施設の先生方は優しくて大好きだったし、仲間も沢山いた。


 施設が閉鎖することを知らされた時、いき場所の無くなった私を、シュウさんはこの屋敷に連れてきてくれた。

 



 幸せで、幸せで、聞けなかった。

 何を思って、私を引き取ってくれたのか。

 どうして、あの時手を差し伸べてくれたのか。


 ねぇ、寂しかったの?

 私を、亡くした恋人の代わりにしたかったの?


 ――ねぇ、シュウさん。私はちゃんと、凪さんの代わりが出来ている?




 私の真剣な眼差しに驚いて固まっていたシュウさんが、ふっと笑った。

 

「何、どうしたの?」


 優しく笑うシュウさんが、その大きな手の平で頭を撫でてくれる。


「……くすくす。そんなに不安そうな顔をしなくても。」


 私は、今どんな顔をしているんだろう。

 シュウさんが呆れて笑ってしまうほど、変な顔をしているんだろうか。


 くすくすと、シュウさんが笑っている。

 私はそんなシュウさんに、笑い返すことすらできないくらい、余裕がなかった。


 私が、もし、凪さんに似ていて、それで、代わりにとここへ連れてきて貰ったなら。


 私は、その役目を充分に果たしているとは思えない。



「……本当に聞きたいの、それじゃないんでしょ。」


 くすぐるような、優しい声。

 いつも私をからかって、意地悪な顔をするくせに。

 こんな時だけは、そんな声で、そんな優しい顔で、私を甘やかすから。


 私はすぐに、泣きたくなってしまう。



「……あの、…。」


 ついに溢れ出した涙は、私の不安の現れ。

 代わりでいい。

 私がいることで、シュウさんが少しでも寂しくないなら、それでいい。


 

「…ずっと、怖かったんです…。」

「…うん?」


 だって、おかしいもの。

 ここにいていい理由は何でも良かった。

 何でもいいから、欲しかったの。

 まだ若いシュウさんが、私みたいなこを引き取る理由なんて、私には思いつかない。



 凪さんの話を聞いた時、もし凪さんが、私に似ていて。

 私は代わりに連れて来られたなら、理由ができたと思った。

 


「私は、シュウさんに何もしてあげられないのに…。」

「……。」

「……どうして、あの時、連れてきてくれたんですか…?」



 理由が思いつかないから、不安だった。

 三年間、ゆっくりと流れるこの幸せな時間が、いつ終わりを迎えるかわからない。

 シュウさんの気まぐれなら、いつ終わってしまってもおかしくない、不安定な居場所を、はっきりとさせたかった。


 私が、ここにいていい理由が欲しかった。




 シュウさんは、私の目を覗き込むようにして首をかしげると、その綺麗な顔を、困ったように歪めて微笑んだ。


「最初はね。」


 私の正面に、ゆるく座り直したシュウさんが口を開く。

 私の心臓が、彼が呼吸をする毎に鼓動を強く刻んで行く。



「お世話になってる絵の先生が、施設のお祭りで個展を開くっていうから、見に行ったんだ。……見に行った、というより、半ば、連行されたようなものだったけど。」



 シュウさんの瞳は、私を通り過ぎて、出会った時の景色を見ているのだろうか。

 私を見ているようで、見ていないその瞳を、私は見つめ続ける。


「……確かに、一目見たとき、昔の凪に似ているな、て思った。」


 色素の薄い、シュウさんの瞳がゆらぐ。


「でも、連れてきた理由を言うなら、それは少し違うかな。」


 おいで、と、シュウさんは私に手を伸ばした。

 抗うことのできないその言葉に、私は少しだけシュウさんに近づく。

 腰を引き寄せられ、シュウさんのあぐらの上に座らされた。


「施設が閉鎖するって聞いて、真っ先に考えたのは、和葉のことだよ。どうしてるのか気になって。」


 不安に押しつぶされそうだったあのとき、私は精一杯いいこに振る舞っていた。自分ではどうしようもないことは、数えきれないほどあるけれど。

 せめて、自分のできることくらいは、なんでもやろうとしていた。


 そうすれば、良いことが起こるって信じて。


「不安、だったでしょ。」


 シュウさんの言葉に、私は素直に頷いた。それを見て、シュウさんが優しく笑う。


「でも必死に、強がってた。実は、少し前にも遠くから見てたんだよね。自分も不安なくせに、周りの仲間を励ましてる和葉を見たら、なんて言うのかな…。」


 シュウさんは、私の頬を撫でた。最近では心地よくなっている、あのどきどきが襲って来る。

 けれど、私はシュウさんの言葉を逃さぬよう、シュウさんを見つめ続けた。


「このこを、守ってあげたいって思ったんだ。」



 シュウさんを見つめる私を、シュウさんの瞳が捕らえる。

 今度こそ、私を映す瞳が、呆れたように細まった。

 くすりと笑ったシュウさんはが私の目尻を撫でると、指が濡れていた。


「……じゃぁ、」


 それは、やはり、私がここにいて良い理由にならない。それは、シュウさんの好意でしかないから。


「でも。」


 私の言葉を遮るように、シュウさんが続ける。


「いつの間にか、……。」


 シュウさんは、その先を言おうと開いた口を閉じてしまった。

 私は少しの不安と、大きな期待に胸をどきどきとさせながら、その先が紡がれるのを待つ。


「……和葉。」

「…っはいっ。」


 突然名前を呼ばれ、私はつっかえながらも返事をする。


 シュウさんが伸ばした腕が、今度は私の後ろへと回って。そして、私を思い切り引き寄せた。


「―――っ!」


 雪崩れるように引き寄せられた私は、彼の胸に手をついて、身体を起こそうとした。


「…っ!?」


 顔を上げた私が目にしたのは、シュウさんの可笑しそうに細められた瞳。

 そして、何が起きるのか予想する間もなく、私の唇に柔らかな熱が触れる。


「…っん、ちょ、っと…シュウさん!」


 お互いの熱を交換するように、吐息が混ざる。

 私は必死にキスの合間を縫って、抗議の声を上げた。


「んぅ…っ!」


 この人は本当に。初心者に、なんてことするんだろう。

 どのくらいそうしていたのか。息を弾ませ、涙目になりながら、やっと唇を放したシュウさんを睨んだ。


「大丈夫? 和葉。」


 指に、力が入らない。

 酸欠の頭を、シュウさんが笑いながら撫でてくれる。

 火照った頬に、冷たいシュウさんの指が心地いい。


 "好き"と、聞けると思ったのに。



「……狡いです…。」


 私の紡いだ精一杯の抵抗に、シュウさんは笑って、私の耳元に囁く。


「知ってる? 紫を、源氏は彼女が死ぬまで手放さなかったこと。」

「~~~っ!」


 大人の男の人の、低く耳に響く声。

 このひとは例に漏れず、私が耳元で囁かれることに弱いと知っている。


「…心配しなくても、――手放したりしないよ。」


 シュウさんはそういうと、私をもう一度引き寄せ、顎に手をかけ。


 私の不安を飲み込むような、優しいキスをくれた。






 

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