第4話
何故か晴天は、半ば強引に走らされていた。彼の前を走る、男子生徒の背中が彼の視界を隠している。
その男子生徒は、もう何度目かもわからない、晴天への罵声を彼に浴びせた。
「ったく、お前がちんたらしてるから、部活遅れちまうじゃねーか!」
「だから先行っとけって、俺は何度も言ったんだよ!」
お互いが前を向いたまま、このような口喧嘩を先ほどから繰り返していた。
晴天が先程までいた教室は校舎の3階だ。
そこから階段を一気に駆け下り、北東向きの昇降口から外に出る。
外に出たら校舎沿いにぐるっと回り込み、学校敷地内の南側に佇む部室棟へ向かう。晴天と国城は、今丁度この段階だ。
素行の悪い生徒が目立っていたからという理由で、昇降口以外の場所から外に出ることは基本禁止されている。お蔭で、部活前にも拘らず、結構な汗をかく羽目になっているのだ。
結局国城が来てから約5分ほど、机整理に専念していた晴天だったが、その彼が何度も急かしてくるせいで、半分ほどしか終わってないところで駆り出されてしまった。彼の手には、カバンに入り切らなかった、十枚ほどのくしゃくしゃのプリントがしっかり握られている。
そして、今に至っていた。
「――――ていうか、お前もっと速く走れよ! マジで遅れるだろ!?」
「うっせえよ! こっちは病人上がりなんだよ!」
こんな会話を、校舎にいた時から行っていたのだから、周りから注目されないはずがない。
晴天の顔は、走っているのとは別の理由で、赤みを帯びていた。
築何十年かも判明出来ないほど、錆びれた二階建ての建築物が晴天の前に立ち塞がる。
外で活動を行う部活はもちろん、文化祭など、それぞれの備品を置いておくなどの理由に文化部も利用する部室棟はやけに大きい。
しかし、最近では部活数こそが減少傾向にあり、今となっては部室の半数近くが物置や生徒の溜まり場になっているとかなっていないとか。
「おい九条? 何ぼうっとしてんだよ?」
「――えっ?」
酸素が足りず、必死にそれを求めていたせいで頭がうまく働いていない。それ故、国城の声への反応が遅れた。
「あ、えっと……いや、何でもねえよ」
「そうか? ――――そういや無理やり引っ張ってきちまったけど、お前部活やって大丈夫なのか?」
国城のその質問に、思わず瞬きを繰り返す。
きょとんとする晴天に国城は続けた。
「だって、いつものお前ならここまで走ってくるの楽勝じゃん。それなのに今日はすげえ息が上がってるし。……俺からみんなに言っとくし、帰ってもいいんだぜ?」
国城は距離を詰めて、晴天の顔を覗き込むように上目使いで見てくる。先ほどまでの適当で、お気楽な態度が嘘のようだ。
そう思う一方で、晴天の腹は、ひどく煮えくり返っていた。
「……別に、何でもねえから」
平生を装い、晴天は静かに返答する。
「ほんとか? 無理すんなよ? こんな時期なんだからな」
「……わかってる」
だから、俺はここにいるんだ。晴天は声に出さず、国城に噛み付きでもしそうな勢いで、毒づいた。
『サッカー部』と書かれたプレートが下げられる部屋の前で、二人は立ち止まる。意気揚々とした面立ちの国城と対照的に、晴天の顔は曇天のようだ。
「おーっす、お疲れ~」
国城は勢いよく戸を引き、部屋の中へと姿を消す。
晴天も、後に続く。嫌な汗が頬を流れた。
「よ、よお……」
恐る恐ると、顔を覗かせた。汗臭さに歪めた顔を、必死に堪えながら。
部室には、国城を含める4人の少年が、思い思いの行動を止め、晴天に視線を注いでいる。
「うわ、ほんとに学校来てたのかよ。国城の夢物語じゃなかったんだな」
「って、何それ! まるで俺が痛い奴みたいじゃん!」
「まあまあ。でもよかったよ、雨霧復活だな」
「ああ。みんな、お前のこと待ってたんだからな」
備品で溢れ返り、ひどく狭い部室に笑い声が響く。対して晴天は、頭をフル回転させている。
同じ部活の仲間は、雨霧に嫌というほど説明された。
高校に入学して丸一年半。その大半を共に過ごした者たちだ。間違う訳にはいかない。
「ったく、煩い奴がまた一人増えたよな。国城だけでもこっちは手一杯だってのに」
先ほどから、ひどく手痛い言葉を投げかける彼は松木春。
毒舌家で自分にも他人にも厳しく、周りの反感を買いやすい。スタンドプレーも多く、中学時代はそれが原因でチームに溶け込むことなく卒業まで過ごしていた。
ただしそれも、チームの空気を換えるきっかけを作っているだけで、大半は良い方向に転がる。それ故雨霧も他のチームメイトも公認している。加えて努力家でストイックな一面も持ち合わせる。
下の名前を呼ばれるのは好まないらしい。しかし、それをネタにからかわれることも多い。
2年5組。ミッドフィールダー。
『松木』『春』『春ちゃん』。
「さっきから、春ちゃん俺に手厳しくね? 俺いい加減泣くよ?」
国城 翠紀。
お気楽で能天気な性格。雨霧と行動を共にすることも多い。
サッカーは中学の途中から始めたのでキャリアは一番浅いが、持ち前の運動神経を武器に敵陣に突っ込む。しかし、技術はまだまだ。
松木との掛け合いはまるで漫才のよう。ここぞという時場を和ませられる。良くも悪くも、ムードメーカーとしての働きがよく目立つ。
2年2組。フォワード。
『国城』。
「二人とも落ち着けよ。雨霧が来て、黙っていられないのは分かるけど」
柔和な態度で仲裁に入る彼は降谷颯。
松木の幼馴染で宥め役。孤立しがちな彼に上手くフォローを入れたり、他人の変化に敏感でよく気が行くため、母親のように扱われる。
名前に反して足は大して速くはない。しかし、細かな足技に関して彼の右に出る者は赤崎にはおらず、巧みなボール裁きがそれをカバーする。
2年5組。ディフェンダー。
『颯』。
「そうだぞ。つか、雨霧がいなくて物寂しそうにしてたの、春だって同じだろ?」
ひどく大人びた姿勢を保つ彼には、晴天にも見覚えがあった。垣浦志郎だ。
父が転勤族である関係で、幼いころから引っ越しを繰り返していた彼は、小学2年から5年の途中まで、晴天や雨霧と同じ学校に通っていた。
サッカーという共通の趣味の下打ち解けた雨霧と垣浦は、ほぼ毎日放課後に遊んでいた。たまに、雨霧に連れ出された晴天もそれに加わっていたため、彼だけは、初対面ではない。
落ち着いた行動を取ることが出来、司令塔のような活躍が目覚ましい副部長。参謀という言葉が相応しく、技術指導力も高い。
2年4組。フォワード。
『志郎』。
漏れはないはずだ。晴天は、自分の記憶力を信じる。
しかし、と、改めて冷静にこれまでを振り返る。
何て、目まぐるしいのだろう。他人の振りをするというのは、これほど大変だったとは思いもしなかった。
いや、思っていなかったというより、自分なら楽勝だと変な自信に満ちていたせいで、予想以上の疲労に襲われているのだ。
毎日見ているつもりでも、雨霧の行動はこれで良いのかと逐一不安になる。
兄貴なら何て言うだろう。どんなことをするだろう。頭を使うことは得意だが、それまで彼が経験してきたそれとはまた訳が違う。疲労して当然だ。
だが、ここまでとんとん拍子で進んでしまうとそれはそれで釈然としない。誰か一人くらい、疑問を持ってもいいはずなのだ。
それほど、晴天の完成度が高いのか。それとも、他人だと見分けられないほど、こいつらと雨霧の関係は薄っぺらいものなのか。
晴天は、後者に票を入れる。
「――――つうか、九条?」
はっと、我に返る。
声のしたほうに視線を向けると、上半身裸で、ズボンに手をかける国城と目が合った。
「お前、着替えねえの?」
気が付けば、未だ制服姿なのは自分だけとなっていた。
慌ててカバンの中に手を突っ込み、ウェアを探し始めた。