第2話
病院から、歩いて10分の所に駅、そこから7駅分鉄の箱の中で揺れ、降りて5分とかからない距離に、雨霧の通う赤崎高校が立地する。
そのたった30分足らずの時間が、これほど酷に感じたことはなかっただろう。
通学中、晴天は頭の中でずっと、これからのことについてのシミュレーションを重ねていた。
雨霧ではないことがばれないように、自分が行うべき最善の所作は? 赤の他人と触れ合うに当たっての注意事項は?
その他にも、雨霧が絶対にしない自分の癖をどう隠すか、言葉遣いにも気を回せねばなど、いくら考えても考えても、自問自答は繰り返された。
そして今、晴天の目の前には、「赤崎高校」と彫られた、年期のいった校門が出迎えてくれている。
もう、逃げことは許されない状況であった。
足が重い、身体がダルい、今すぐにでも振り返りたい。そんな想いが、彼の行動を押さえつけていた。
あと一歩、あと一歩踏み出せばそれでいいのだ。それなのに……
――こんなに、簡単なことなのにな……。
「あれ、九条じゃん。久しぶりだなぁ」
突然、後方から自分を呼ぶ声がする。
余りにも突飛だったために、まさか飛び上がってまではいないと思うが、恐らくそれくらいの反応を見せただろう。
恐る恐ると後ろを向くと、そこにはよく知った顔があった。
晴天は事前に、自分の知人についての紹介を雨霧から受けていた。
山ほどの写真と、クラス名簿と、携帯電話に保存されたデータとを、晴天は何度も目を通さされた。
晴天を呼んだであろう、この少年の顔もその中にあった。クラスは違うらしいが同じサッカー部の部員で、部活動内でも結構仲の良い友人とのことだ。
名前は、確か……。
「――はよ、国城」
精一杯の、作り笑顔で挨拶をしてみた。
「何がはよ、だよ。お前が休むとかそれだけで信じらんねえのに、3日もサボるとか図々しいぞ」
そう言いながら、彼は晴天の脇腹を小突いてくる。
特に、疑ってる様子も怪しんでいる感じもない。本当に、晴天を雨霧だと思っているようだ。
いけるかもしれない、晴天は瞬間的にそう思った。
国城とのやり取りの中で、自然と足は、身体は、軽くなっていった。本人が知らないうちに、校門を潜れていたのがその証拠である。
「おーっす、みんな久しぶり~」
隣のクラスだと言う国城と別れた晴天は、教室の引き戸を勢いよく開けて、大声で挨拶をした。
「おはよう」なんて言いながら教室に入るなんて、恐らく人生初だ。
もうすでに登校している、教室の半分を埋める生徒達の視線が、晴天へと注がれる。
普段、人前に立ち慣れていない晴天は、自分でも分かるくらい頬が紅潮してしまう。そして、こんなことをほぼ毎日しているのだという兄に恨みを抱いた。
しかしそんな彼をよそに、一気にクラスメートは群衆と化した。男女問わず、教室にいたほとんどの生徒が、晴天の元に集まってきたのだ。
「うわ、本物の雨霧だ」
「静かな日々も、これで終わりかあ」
「お前が戻って来ると、うるさくて堪んねえよ」
「でもよかった。意外と元気そうで」
「本当ね。心配していたのが馬鹿みたいだわ」
言葉は違えど、皆「雨霧」に対しての労りを示している。
兄貴、本当に好かれているんだな。そう感じた半面、それぞれの言葉の集まりが遠くなっていった。
最初こそはちゃんと返答をしていた。しかし段々面倒になってきた。
あぁ、うるさい。早く、早く解放されて……。
――うわ、何考えてんだ、俺は。
雨霧は人と人との関係が、何よりも大事だと思っている。その雨霧の代わりをするのに、これを億劫とするのは間違っている。
晴天はまた、笑顔を作り始めた。