阿喜本
「堺先生、あなたのクラスの子でしたね? あの時、大声で変なことを言っていたのは」
「……校長先生、本当に申し訳ありませんでした」
「彼は、そういう生徒なんですか?」
「いえ、そんな報告は受けてませんし、そんな様子や言動は今まで無かったんですけどね」
「博川くんとの関係は?」
「博川と十和野は、ただのクラスメイトと把握しています。二人でいる様子は、あまり見かけませんでしたが……」
「堺先生には、十和野くんの動きには十分に注意していていただきたい。思春期の子どもは、大きなショックを受けてしまうと、悪い意味で大人の想像を超えることがありますから」
「仰る通りです」
四時間目が終わった。
給食も無く、今日はこれで終わりだそうだ。
当然か、非常時だし。
クラスメイトの一人が死んだ。
名前もよく覚えてないや。
何だっけ、ハクカワ?
そいつの机が空いている。
あと、もう一人分空いてるな。
集会の時につまみ出された奴。
トワノ! って先生は叫んでたな。
しかしまあそれにしても、面白いことになってきたな。
いじめが苦で自殺。
近頃テレビでやってたニュースが身近で起きちゃったよ、これ。
その一方、上がる殺人説。
そそるねえ、うん。
僕――阿喜本吉史の作家欲がそそられるよ。
実は今日の授業中も、ノートに、小説の入りを考えて書き出していたんだ。
国語の時間はやりやすいよね。
それはさておき、主人公の名前は白川。
ハクカワにかけたんだ、我ながらいいセンスしてるだろ。
ま、こいつはシラカワって読むけど。
で、平穏な生活をしてた白川が、ふとしたことがきっかけで、いじめられ、飛び降りを決意するってお話さ。
でも残念だけど、まだ主人公とあらすじ以外決まってない。
だって僕はこの事件、あまり知らない――出来るだけノンフィクションに近い、リアリティーってやつを追及したいから、まだざっくりとしか書いてないのさ。
小説を書くのは僕の秘かな趣味。
サイトを立ち上げて、そこに投稿してる。
反響は、ほぼゼロ。
アマチュアだからいいのさ、僕の書きたいことを書くだけ。
最近ネタ切れ気味だったけど、これは千載一遇のチャンス。
さあ、早速取材に行こう。
時間は正午過ぎ。
保健室で一日――まあ半日だけど――過ごしたのは今回が初めてだ。
過ごしたくて過ごしたわけじゃない。
堺のクソ野郎に、保健室に放り込まれたんだ。
まあ、とても授業に出れる気分じゃなかったし、別にいいけど。
放り込まれたっていったって、別に何するわけでなし。
俺、国語の時間とか退屈すぎて嫌いだし、むしろラッキーみたいな。
半日中、俺は目を瞑っていた。
博川の、昨日一緒に話してた博川の顔が浮かんでた。
本当に、もうこの世にいないの……?
全然信じられない。
またあの部室に、携帯いじって座ってそうな気がするのに。
真っ白いベッドを真っ白いカーテンが囲って、俺はその中で上半身を起こした。
教室に置いたままの鞄を鳥に行こうとすると、保健室の先生が、
「あ! 勝手に出ていくと堺先生に起こられるよ!」
無視して出てきた。
廊下すらまるでシャバのよう。
俺には今、行きたい所があった。
博川の遺体が見つかったっていう武道場。
どうでもいいけど、俺は名探偵コナンが大好きだ。
もっとどうでもいいけど、アニメ派。
そのアニメを見てて、一回もコナン君より先に事件が解けたことはないけど、この事件の謎は絶対に解きたかった。
着いた武道場。
アスファルトの上にブルーシートがかかってて、虎ロープが張られてる――多分、あそこが……
「あれえ、君……」
と、突然粘っこい口調で俺は話しかけられた。
「トワノくんじゃん? 午前中の授業、君いなかったね?」
「保健室で休んでた」
妙に馴れ馴れしい奴。
誰だこいつ、にやにやしててキモい。
「トワノくん、ここ見に来たんだね。何で?」
「何でって、別に理由なんか……」
「殺人の証拠探し。当たり?」
「あ? お前、マジでキモいんだけど」
「僕は取材に来たんだ。僕、小説書いてるんだよ」
「知るか」
――このおかっぱメガネ、マジでキモい。
キモいキモいキモいキモいキモい。
身の毛がよだつってリアルにあるんだな。
「僕のサイト教えてあげよう。いくよ? http://x59.peps.jp/akim――」
「黙れよ!」
そんなアドレスなんか聞きたくなかった。
俺がコナン君なら、こいつをあの麻酔銃で眠らせてやりたい。
もしくは、あのスーパーキックをお見舞いしてやりたい。
「からかってんのか?」
「ふっ、冗談だよ。じゃ、そろそろ始めよう。事件はここで起きたんだよね」
「見りゃ分かんだろ」
「武道場の二階、あの窓から落ちたんだね。高さ、十メートル弱。あ、トワノくん、どこ行くの?」
「お前と一緒にはいたくない」
なるべく距離を置くように、俺は歩き出した。
一分くらい早足で歩き、通りがかった部室の前。
ふと歩みが止まった。
そして、俺はドアをノックしていた。
「はい、何すか?」
ドキッとした。
中に人がいた。
ドアが開き、その人物と目が合った。
「何すか?」
「あのさ、博川緋色矢くんって剣道部だったよね?」
「博川、ああ確かに。でも稽古には全然来てなかったけど」
「知ってる。昨日もサボってたみたいで、俺も一緒にぐだってたから」
「昨日? 昨日は稽古休みだったけど」
「――は?」
「前回の稽古の時、一昨日か、明日の稽古は先生が出張なさるから休みだって仰ったんだ」
「昨日は練習が、無かったってこと?」
「練習って言うの止めて。剣道は稽古。スポーツじゃないんだからさ」
でも、おかしい。
博川は昨日、電話をとった。
それで練習が終わったっぽいって言ってた。
「……ねえ、俺の話聞いてる?」
「君、名前何てーの? クラスは?」
「瓜生清。一年三組だけど」
「あと他に剣道部員は?」
「一年生の?」
「うん」
「博川、は死んじゃったけど、あと隼斗。松隼斗」
松隼斗。
あれ? 確か、同じクラスじゃ……
「松くんは確か同じクラスだねえ」
例の粘っこいしゃべり方が、俺の耳に障った。
「ああ、失礼。僕は阿喜本吉史。まあアキモトっていっても? AKBとかのプロデューサーの漢字とは違って、僕の家系は少し特殊なんだね、阿吽の呼吸に喜ぶ本って書いて阿喜本なのさ」
「……君は、阿喜本くんの友人か?」
「……お断りだ」
「そうそう、剣道といえば僕の中ではやはり臭いというイメージがあるのだが、どうなんだい?」
「失礼な、それは先入観というものだ」
いや、実際臭いと思うんだけど。
「来い。嗅がせてやる」
「ありがとう。これも僕のネタに取り入れよう」
「ネタ? 何のことだ?」
「僕は小説を書いているのさ。プロの作家は、あらゆるネタをもとに小説を書けるという。僕も小説家の端くれとして、その修行を積んでいるところだ」
あれ? 気のせいかあいつの口調、堅くなってるような……
「ほら、これが防具だ。面、籠手、胴、垂からなる。一般に、これが臭いと言われているようだが、それが真か偽か自分で確かめてほしい」
瓜生が鞄から出した防具に、阿喜本は顔を近付けた。
「ふん……。汗臭さとも少し違う、何と例えればいいのだろうか。カビ臭さも少し混じっている気がする」
「な……! まさか、臭いというのか!」
「しかし、それは努力の証拠ということではないのか? どの部活だって、頑張れば汗をかく。差異は、剣道の場合、重い防具を身に着けているから他のスポーツより多く汗をかき、その汗を防具が吸収してしまうことだ。特に顕著なのは、顔を流れる汗を、ハンカチで拭けるか、お面が吸ってしまうかだろう」
「……し、しかし、やはり臭いと言われると…………傷付く。こ、こっちの防具と比べてどちらが臭い?」
そう言って持ち出したのは、昨日博川が俺に臭い臭いと紹介した防具だった。
「ふん……。総合的に後者の方が臭い。しかし、何故だ?」
「そうだろう? その防具は剣道部のもの、防具を持っていない部員が使うものだ。数知れないほどの部員の汗が染み込んでいる。想像してみろ、太った部員や、顔中脂やニキビだらけの部員が使っていた可能性があるのだ。ほら、その籠手だって」
阿喜本は籠手に両手を通していた。
「どれだけの人の手汗が染み込んでいるか分からない」
俺昨日、そんなヤバい籠手はめたのかよ。
博川も、二、三回着けたって言ってたな。
「なるほど」
「それに比べ、この防具の使用者は一人だ。手入れもしている。な、臭くないだろう?」
「悪いが、――やはり僕には違いを感じられない」
「く……」
「しかし、剣道が臭いと言われれば傷付く人がいることもまた確かとなった。こういったことも、僕の小説に取り入れてみようと思う」
「そうか、面白い。出来れば、主人公は剣道部員がいい」
「ハクカワくんは、剣道部員だったそうだね?」
「そうだが」
「ならば主人公は剣道部員だ」
その時、瓜生は言葉が詰まったようだった。
「博川が、主人公なのか?」
「その予定ではある」
「……籠手、返してもらおう」
瓜生が阿喜本から籠手を剥ぐように取った。
「阿喜本くん。言わせてもらうと、少々不謹慎ではないか?」
「不謹慎――承知している。だが、真実を伝えるんだとしたら?」
俺は、はっとせずにはいられなかった。
阿喜本は間違いなく俺にメガネを越えて視線を送っている。
「――真実? 一体何を言っているのかさっぱり分からない」
「ハクカワくん死亡事件。これは自殺でなければ事故でもない、他殺だ」
「他殺?」
「阿喜本! お前何言ってんだよ!」
「言ったのは君だろ、トワノくん?」
「トワノ……。君、どこかで見たことがあったと思ったら、今朝の集会の!」
突然、瓜生は怖いくらいに豹変した。
と思いきやすぐに取り直して、
「気を付けた方がいい。いい加減なことを言ったり聞いたりするのが嫌いな人もいる。それに君たちは、やはり友人のようだな」
「ああ、あともう一つ教えてほしい。剣道はメガネをかけていても出来るのかい?」
「うるさい、出ていけ」
と俺たちは締め出された。
「……阿喜本、何でお前あんなこと。博川は自殺したって言ってたろ」
「そんなこと、僕は言ってないよ? あそこで事件が起きたっては言ったけど。ああ、あとハクカワくんをモチーフにした主人公が自殺するような小説は確かに考えてた。でも――」
「でも?」
「僕にはそのテーマで小説を書ける気がしなくなってきた。リアリティーを追及すればするほど、真実の記録でしかなくなる。そこでトワノくんが真実を暴いてくれるなら、僕はその記録員になるよ。僕たちで暴いて、その先は警察にでも出版社にでも送りつけてやろう、この学校で何が起こったのか。本当に自殺かどうか分からないのに、自殺として闇に葬られちゃいけないよ。そうでしょ、トワノくん?」
「あ、ああ……」
何だか、俺は阿喜本を誤解していたんだ。
キモい奴とか言って、でも本当は正義感の強い奴だった。
「だな。仲間が増えてくれて、多分博川も喜んでるよ」
「じゃあ決まり。僕とトワノくんで、真実を見つけ出すんだ。ま、とりあえずメアド交換しよう」
「ああ」
「受信? 送信?」
「俺受信」
「分かった。僕の送るやつここね」
「俺のは裏のここ」
送られてきた阿喜本のアドレス、その備考欄。
ちゃっかりしっかり、自分のサイトを宣伝してやがった。