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嚆矢

放課後、僕は僕の寛げる場所で、壁に凭れて座り、携帯電話をいじっていた。



部室の隅にある棚には、防具がぽつんと一組置き去られたように残っている。



その側に転がる竹刀。



柄は青黒く変色している。



あれは、僕のものといえばそうで、別に僕のものじゃないといっても正しい。



同じ部のやつらは、鞄がここにあって防具が無いってことは、もう道場に行ったんだろう。



さすがに距離があって、特有の雄叫びは聞こえない。



部活中に、僕は穏やかな空間にいて、一体何をしているのかというと、携帯ゲームサイトの登録手続きをしている。



一番最初にある名前を入力する欄。



僕は、名前を書く度いつもうんざりしてしまう。



特に携帯入力は。



はかせ、と変換し士を消す。



かわ、と変換し、名字の博川を出す。



次に、ひいろ。



そう打つと、一番最初に出てくる緋色。



最後に、ゆみやから弓を消す。



これでようやく博川緋色矢――僕の名前を入力出来る。



ふりがなをハクカワ ヒロシと半角片仮名で入れ、その先は随分楽に感じられる。



もし僕が電話とか口頭で自分の名前を説明することになったら、スマートに簡単に説明出来る自信は無い。



大体、矢と書いてしと読ませるのなんて少ないし、何となく緋色をひろと読めても、やっぱりひろやの方がしっくりくる――ちなみに僕は、この使い方は嚆矢という単語一つしか知らない。



名字は仕方ないにしても、名前はもっと普通の名前が良かったなあ、翔太とか。



ネットとかでもよく叩かれんじゃん? DQNネームとかキラキラネームって。



あれの上位の名前ほど変じゃないんだろうけど、でも緋色矢って当て字っぽいし中一だけど厨二病っぽくて嫌だなあ。



ところで、さっきから僕の上にある窓から、西日が入り込んできていて暑い。



ジャージのチャックを全部下ろし、つまんで胸元の換気をするとちょっとマシになるけど、やっぱり暑い。



九月中も残暑はまだ厳しいとか、天気予報で言ってた気がする。



九月一日の今日、確かに涼しいはずがない。



窓を開けたいけど、僕の背じゃ届かない。



かといって、ドアは開けたくない。



ここは、僕の居場所なんだから。



誰も入れさせない。



いや、けどあいつだけは入れてもいいかな……。



その時、僕の手の中でマナーモードの携帯電話が震えた。



090-2***-***1。



噂をすれば、だ。



「もしもし」



――もしもし、暇?



「暇だけど」



――今どこ?



「部室」



――今行く。



「おう」



切れる電話。



僕の着信履歴には、同じ番号ばかり並んでいる。



たまに母親の番号もあったりする。



前は電話帳に登録してたけど、一回水没してからデータが全部消えちゃって、それからはめんどくさくなって登録してない。



どうせ、今のそいつと母親くらいしか電話もメールもよこさないし、数字の羅列で、僕は連絡相手を特定してる。



自分の電話番号を覚えるのは苦手だけど。



何か好きな四桁の数字を入れられるって店員から聞いたけど、2580はどうもダメっぽくて、店員が挙げた適当なのを選んだけど、興味が無いせいか記憶に定着しない。



登録作業を完了したら、それを知らすメールが届いた。



僕はすぐに削除した。



みんな電話をよこすから、メールのやりとりはほとんどしない。



僕もメールは好かない。



声が無いと僕も相手も、無愛想さが三割増しになる気がするから。



別に、普段愛想いっぱいに会話してるとかじゃないけどさ。



それに、メールするような相手もいないし。



あ、一回だけチェーンメールが来たんだった。



中学入って同じ部活だからって、メアド交換したやつから。



今そこに鞄もある。



呪いのメールとかいって、一時間以内に十人に回さないと死ぬとかそういうやつだった。



携帯水没前だったけど、十人も登録されてなかったし、第一馬鹿馬鹿しいし、僕は無視して消した。



それ以来、何かあいつと距離がある。



向こうから避けてるって感じ?



まあ、僕が幽霊部員ってのもあるかもしれないけど。



あいつは聞く話だと、一年生――といっても僕入れて三人――の中で一番上手いらしく、部員の少なさも相俟ってもう団体戦にも出てるらしい。



総部員数七人、幽霊一人って、部としてもう詰んでると思うけどなあ。



すると、ドアノブがガチャガチャ回された。



鍵がかかっていることが分かったのか、次にノックをした。



「翔太?」



僕が尋ねると、そーそーと緩い返事があった。



翔太は制服姿だった。



どの部活にも所属してないから、まあ当然。



「ここあっちぃー。むしむししてるし、何かくせぇ」



「剣道部だし、まあね」



「よく平気でいれるな?」



翔太はドアを閉めた。



「制服も暑そうだけど? ジャージいいよ、ジャージ。楽だし」



「ジャージって、ザ・運動部って感じじゃね? ってか、剣道部ってジャージで活動しなくね?」



「剣道着とか袴っての着る」



「だよなー」



「俺は持ってないけど」



「何で?」



「だって、別に活動する気ないもん」



「え、一回も行ってないの?」



「初め二、三回行った。でね、防具着けたんだよ、あの防具」



「ふんふん」



「そしたら……、分かりづらいから持ってこよう」



僕は防具を手にして、翔太との間に置き、



「胴のさ、この紐! これが湿ってたんだよ! 今も湿ってるよ」



「何で?」



「汗だよ、汗。誰のか分かんない汗が染み込んでんだ。あと、このお面も」



「いやもう、これって明らかにくせーじゃん」



「予想を裏切らないよ。しかもこれ着けると、声聞き取りづらいし。まあでも、やっぱ王者はこれだろうね」



「手にはめるやつね。名前、籠手だっけ?」



「そう。手のひらのとこ、変色してんだよ! きったねー」



「剣道かっこいいって思ってたけど、俺絶対着けたくねー」



「剣道かっこいい? どこが? キツい、キモい、臭いの三拍子そろってるよ」



「経験者は語る、ってか?」



「籠手だけでも着けてみたら? はい」



「えー、そんなん聞いたら着けたくねーじゃんか」



でも翔太は受け取って、



「まあ、少しだけ。……これも湿ってね?」



「みんな使いっぱなしで放置なんだろうね、僕もだけど」



「不衛生って言うんだぜ、そういうの。でもこれ、にぎにぎすると意外と気持ちいいな……」



「何か今のエロい」



「ちょ、そういう意味じゃ」



「ってか、籠手着けるとついやっちゃうことあるよね?」



「んー?」



「ボクシングとか、アンパンマン」



「あ、あるか?」



「えー、ない?」



そしたら、翔太はへって笑って、籠手を外した。



「大体さー、何で剣道部に入ったの? 防具も買ってなくて幽霊なら、帰宅部でもよくね?」



「まあ、色々理由はあるよ」



「例えば、何?」



「内申書――ってまさか知ってるよな?」



「聞いたことはある。確か、高校入試に使うものじゃなかったっけ?」



「それ、運動部に入っといた方が評価高いっぽいし。まあ幽霊は分からんけどね」



「じゃ意味な――」



「あと」



「遮るね」



「あと、マイナーな部に入りたかったから」



「だから、それは何で?」



「……俺って、小学校の時ソフトやってたじゃん? スポ少の」



「うん」



「自分で言うのもあれだけど……、そん時俺いじめられてた」



「いじめられてた?」



「下手は下手なりに努力して、六年生になってレギュラーとったんだ。七番ライト。でもその、俺の代わりにレギュラー外された奴がさ、俺のこと邪魔に思ったんじゃない? そいつの仲間内二、三人で、何かねちねち絡んでくるようになって」



「六年のいつ頃だよ、それ」



「五月とかそんくらいだったかな」



「……練習、博川が行かなくなったのと同じ頃だな」



「え、俺が練習行ってないの知ってたの?」



「鞄一つ少なくなってたし、何となく。放課後見かけることが多くなったのもあるかな」



「確信持てなかったから、言わなかった。迂闊に名前出して、もっといじめられるのが最悪だって思ってた」



「ちょっと待てよ。確信持てなかったからっておかしくね?」



「何が?」



「だからさ、他にもそういうことしそうな奴がいたの?」



「ぶっちゃけ全員。男子も女子も」



「いや女子はしないっしょ。どんな変態だよ」



「そう? じゃあ男子全員。特にひどかったのが二、三人って話で、あの時はみんな、本当にみんなが、僕にとっちゃ敵だったよ」



「六年四組って、そんなことになってたのか……」



「今はクラス替えしてちょっとはマシになったけど、それでもクラスにあいつがいる――主犯格のあいつが」

僕が言い終わると同時に、握ったままの携帯のバイブが鳴った。



相変わらずの数字の列だけど、今回はその番号に見覚えがない。



「もしもし」



相手が名乗ったのを聞いて、ようやく僕はああそうかと思い出した。



「――うん、うん、え? ――あ、そうなの? ――あ、そういうことで? 俺と? でもそういうのって大丈夫なの? ――ふーん、そうなんだ。――うん、白のワゴンR? ――うん、分かった。じゃあ」



僕は電話を切った。



「誰? ワゴンRって、車だよね?」



「まあ、ちょっと。ね、ここ出よう。もうすぐ部活終わる時間だし、帰ってくる」



「オッケー」



部室から出て見えた西の空にもう太陽は無かった。



僕と翔太は少し歩くことにした。



「帰宅部の俺がこんな時間まで学校にいるとか、マジあり得ねーわ」



「僕はほとんどあそこにいるよ」



「一人で?」



「一人がいい。だから僕は剣道部に入ったんだ。一緒にいて分かったっしょ? ここってさ、本当に誰も来ないんだ。まあ、剣道自体キツいし臭いしで、みんな敬遠、みたいな」



「なるほど」



「体験入部の時に見つけたんだ、学校の中にあって一人寛げる穴場」



「寛げさえすればいいんだな」



「そういうことだよ。あ、でも翔太は別だよ?」



「俺?」



「翔太は、本当に何となくでしかないけど、僕をいじめない気がするからさ」



「あったりめーじゃん! いじめとか絶対やっちゃいけねーことだろ」



「いいね、堂々とそういうこと言えるの。僕も、出来ればそうなりたかったな。いじめは悪いんだ! ――僕が言うと、何か負け惜しみだけど」



「悪いことを悪いことって言い切るのは悪いことじゃないよ」



「確かに。あ、じゃああれはどう? いじめられて自殺したら、それは悪いこと?」



「ん?」



「いや、ネットでよく見るんだよね、中学生――僕らと同年代くらいの人が、いじめを受けて自殺しちゃうと、いくら辛くても自殺をするのはダメ、みたいなコメント」



「博川は、どう思ってるの?」



「僕も、自殺には反対だなあ――って口では言えるけど、追い詰められて自殺を考えちゃうって、もう手遅れってことじゃない?」



「確かに、そうかもな」



「誰にも助けてもらえないで、暗い思いだけが臨界したみたいに次々生まれてきて、一人で耐えきれなくなったらリセットしたくなるのも、正直無理はないと思うんだ……」



「頑張れとか戦えってただ言うのも、突き放すようで冷たいしな……」



「時間を遡れたらいいのにね。いじめが起きる前に戻って、そこからやり直せたらいいのに、そういうとこ現実は残酷だよ」



これは、僕がいつも思ってることだ。



時を遡るなんてアニメの観すぎ? それこそ厨二だけど、それが出来たらもっと多くのことが上手くいくと思うんだ。



いじめだって、きっと解決出来る。



でもそんなSFみたいな、ドラえもんみたいな世界じゃないから、僕は――こう言っちゃ何だけど――いじめは永遠に無くならないと思ってる。



それが苦で、生きることすら止めちゃう生徒だって、どんな教育を積んでも尽きることは無い。



悔しいのは、こうしていじめについて考えてみても、僕にはそれを解決出来る策が浮かばないことだ。



いじめは悪い、それは分かった。



じゃあどうやって解決するの?



多分誰も答えを知らない。



ちゃんと答えを持って教壇に立つ先生って、この学校に何人いるだろう。



「なあ、博川は大丈夫だよな? 自殺なんてしないよね?」



「しないよ、絶対。だって、ここに味方がいるから。……僕、待ち合わせの用事あるから行くね」



「ああそう。……俺なら絶対博川の味方でいるから、辛いなら相談してよ?」



「サンキュー。じゃあね」



と翔太と別れた時、三度目の着信が入った。



一日に三回もの着信が入るのは、僕にしては珍しかった。










翌日、俺たち全校生徒は体育館に集められた。



この七、八時間前、日付が変わるぐらいの時間帯に、学校の敷地内で男子生徒の遺体が見つかったらしい。



博川緋色矢の遺体だった。



後頭部を強打していたこと、武道場の二階の窓が開いていたこと、窓の側に博川のスニーカーが添えられていたこと。



警察や学校は、博川緋色矢は自殺したと断定した。



概要を淡々と話す校長、生徒間に広がる動揺。



一年生より、二、三年生の方がざわついている。



「そんなわけない」



壇上にいる校長に向け、俺は呟いた。



俺の周りにいた奴らは、みんな俺を見た。



お前何言ってんの? 的な目で。



「そんなわけない」



もう一度言ってやった。



それだけなのに、今度はまるで汚れ物を見るような視線を浴びた。



思わず立ち上がった。



「自殺するやつじゃない、博川は! 昨日、そういう話をしたばっかりなんだ!」



「き、君は一年生か?」



校長が尋ねてきて、俺ははいと答えた。



「博川緋色矢くんの友人か?」



「そうですが」



「なら人一倍信じがたいことだと思うが、しかし博川くんが自殺したのは、紛れもない事実――」



「だから、自殺なんかしないって! 何でこんなに早く断定しちまうんだよ! 確かに最近、中学生の自殺は多いけど――」



「十和野!」



担任の声、でも俺は構わず、



「事故とか、もしかしたら、誰かに殺されたのかもしれないだろ!」



体育館に響くくらい、俺は声を上げた。



ざわつきの中に、嘲るような囁きも生まれた。



「おいおい、あいつ頭大丈夫か?」



「厨二乙って感じ」



「リアルにああいうこと言う奴っていてぇな」



その瞬間、担任が俺の腕を掴み、



「十和野、出ろ!」



「な、離せ!」



「お前の発言は、周りに悪い影響を与えかねない」



「先生は博川の担任なのに、本当に自殺したと思うんですか? 一組のみんなも! 本当にただの自殺で済ませていいのかよ!」



答えを聞けないまま、俺は体育館のドアをくぐらされた。



担任が体育の先生だったし、俺は抵抗しようにも出来なかった。



ドアが閉まる前に最後に俺に見えたのは、強制的に連れ出される俺を見て、笑ってる奴が多かったことだった。



担任が何か怒鳴っている。



せめてもの抵抗は、それを耳に入れないこと。



いちいち聞いていちいち真に受けようとしてたら、何も知らないくせに説教たれるこいつに殺意が沸きそうだったから。



一つ、俺は俺の聞きたいことを質問した。



「ところで先生。先生ももしかして、博川はいじめが原因で自殺したと思ってるんですか? いや、こうして異を唱えた俺に説教してるってことは、そうなんですよね?」



「そうだ」



「よく調べもしてないのに何でなんですか?」



「これは多分、中学生の自殺事件が報道されたことによる、連鎖反応の一つだ。昔も同じようなことがあった。ある自殺をきっかけに、全国的に生徒の自殺が多発した。国会だかどこかに遺書を送るということもニュースになってだな――」


そうか、こいつ。



いや、校長も警察も。



現実見ないで判断してやがるんだ。



人の命が絶たれたってのに、惰性みたいなもんで、自殺って決めつけてんだ。



――――違う。



博川は、違うと思う。



俺は昨日博川が言ったことを信じる。



博川は自殺じゃない。



誰かに殺されたんだ。



俺は、その誰かを必ず見つけ出す。



俺は、博川の味方だから。

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