第六話 無知と知の境目
純は、もうどうにでもなれと思った。スイと一緒に寺へ戻る直前にひき殺す勢いでやってきた車から降りてきた、木製バットを持った赤須に無言で襟首をつかまれ車に押し込まれ、やはり襟首を持たれて部屋に引きずり上げられ、スイと一緒にほうりこまれた。同じように襟首を掴まれ、会議が行われる部屋に投げ込まれた。
バットで殴られなかっただけ良かった。良かったけれど怖かった。スイは純と手をつないだまま、隣に座っている。顔はいつもどおり、何も考えていないようなあどけない表情だが、純と目があうと笑う。
この笑顔を見ていると、まぁいいかという気分になるから危ない。
すっと襖が開くと、おばあさんがやってきた。スイと純を見て、少し困ったように笑った。
「すみませんでした。勝手にスイをつれて行って。」
純が頭をさげると、スイもわけがわかってないのに頭を下げる。おばあさんの手が優しく肩をたたいた。
「頭を上げて、足を楽にして。いろいろ話すことがあるからね。」
おばあさんは正座をしたままだったが、純は足を崩して胡坐をかいた。
「純君はハコが何か、聞いたね? 」
「はい、赤須さんと、オオカミさんから。」
おばあさんはうなづいた。
「この国にはね、忘れられたものがたくさんある。人々が必要としなくなって、時代に置き去りにされたもの。けれど、忘れられてしまったことと存在しないことは別でね、私たちは忘れられたものを見守る役目をもっている。そういったものはもうほとんど掘りつくされてめったに出てこなくなったけれど、存在はしているんだよ。」
おばあさんの声は優しくて、外でそよぐ木々と同じ心地良さがあった。日は沈み、部屋には西日がさしている。純とスイは小さな子供のようにおばあさんの話す姿を見つめていた。
「そして中には、それを私利私欲のために使う者もいる。」
純はスイを見た。もしかしたら、あの時赤須がこなければ別の誰かがスイをさらっていっていたのかもしれない。
「私はハコは誰かの一存で使ってはいけないものだと思う。ただ見守らなければいけないものだと。」
おばあさんがまた困ったように笑った。
「私は少し嬉しい気がするし、困ってもいる。ずっと見てきた悲しい怨念のハコは、こんなに愛らしい女の子になってしまった。」
スイが小首をかしげる。
「こんなに不思議なことは初めてだよ。」
おばあさんは立ち上がった。
「さ、みんなのところに行って考えよう。」
おばあさんの言葉に純とスイは立ち上がってついていった。前と同じように背広を着た男たちの前に座らされた。大上はいない。全員が押し黙っていて、何かを待たされているようだった。
「あの、何も言わずにケータイかけに行ったのは悪かったと思うんですけど、スイは置いていったんです。」
沈黙に耐え切れず、純は言った。
「知ってる。キナコが目の前にいるのを見ている。顔を上げたときはいなかったらしい。」
髭のある男が笑って言った。
「その直後電柱が倒れた。お前のところにハコがやってきた。」
襖が開いて赤い袴姿のキナコが入ってきた。髪の毛が少年のように短いのを見て、今までのはカツラだったんだと気づいた。赤須と同じ色の髪の毛だ。さっきまでのフリルも似合っていたが、巫女姿のキナコにはどこか神々しさがあった。
キナコが純と向かい合って座る。正しくはスイを見つめていた。アイパッチをはずしたキナコの目が、片方だけ色が青色だった。じっとスイを見ている。ぼそぼそと何かをつぶやいているのが聞こえた。
「金の羊に、鶯に。皮の嚢にやいくらほどいれよ、無間地獄の旅支度。」
不気味な唄をキナコの愛らしい声がつむぐ。
純の背筋に冷たい汗が落ちた。キナコの青い目が、機械のようにぐるぐる動いている。何かを探すように、辿るようにぐるぐる不気味に動いていた。
すっとキナコの指が上がり、宙を回した。
「ぐるぐる、回っている。外側は真っ白で固い。中はどろどろ。」
キナコがいつものあどけない顔で言った。
「なんか、これどこかで見たことあるのに似てる。」
赤須がキナコの目に眼帯を当てる。
「地球だ。教科書で見たのにそっくり。」
キナコはぽんっと手を叩いた。それから足を崩して赤須に抱きつく。さっきまでの神々しさはどこへやら、小さな子供のように赤須のひざに乗った。
ひげの男がふむっとうなった。
「ハコの中は変わらずか。」
キナコは指をぐるぐる回し続けた。純はスイの手を握った。スイがあどけない顔で見つめ返す。
「どうすんの? 本家さんはなんて言ってるの? 」
キナコが無邪気に尋ねた。
「本家としてはこれまでと同じく、ハコを封印したいんだろう。」
ひげの男が応えると、キナコはあははと無邪気に笑った。
「無理だよ。」
部屋の空気が張り詰める。純はキナコの笑い方をよく見た。無邪気、とは違う気がした。目が笑っていない。
「だって、今までのハコちゃんには足がなかっただけだもん。無理だよ。」
キナコはじぃっと、部屋の隅を見た。
「皆知ってる。ハコちゃんは動く。今までは動かなかったけど、動かせるようになった。どこにでも運べる。」
キナコが純を見た。黒い目が笑った。
「教えてくれたもんね。外に出たら楽しいって。」
なんだろう、純は自分がとても悪いことをしてしまったような気がした。こんなに、とてつもない罪悪感初めてだ。
「だから隠し方を変えたらどうかな。」
キナコが指をぐるり回して、さも名案を思いついたように振り返った。
「今のハコちゃんは、ふつーの女の子だもん。だったらこんなところに隠しておかなくて、キナコみたいにふつーに学校に通ったりしたらいいと思うよ。」
この重苦しい雰囲気の中で、よくこれだけ明るく無邪気に立案できる。キナコの空気読まないスキルのすごさに、純は感心すらした。そして、周りの空気は、聞いて損したという雰囲気とため息が漂う。ひげの男だけ、考えるようにあごに手を置いていた。
「他に意見がなかったら、キナコ案で可決だね。」
勝手に会議をまとめようとしている。
「キナコちゃん、その案には問題がある。」
ひげの男が言ったとき、周りから期待のまなざしが向けられた。
「学校に通わせるのは無理だろ。」
「実元殿、今はそういった問題は無視してください。」
坊主頭が耐え切れなくなってつっこんだ。
「そもそも、外に出すことそのものが論外です。」
キナコがため息をついた。
「じゃさ、どうするの? ここに置いておくの? そしたら純ちゃんが襲われたみたいに蓬塚が来て集中攻撃くらうよ? 今まで手を出さなかったのはここの警備が怖かったからじゃなくて危なすぎたから、わかる? でも今は移動可能。純ちゃんと一緒に封印する? ハコちゃんに抵抗されたらそれこそ危ないんじゃない? 」
一気にまくしたてた。投げやりな言い方は赤須にそっくりだった。
「キナコちゃんは、純君と一緒にここから離したほうが一番だと思う? 」
今までずっと優しそうな顔をして黙っていたおばあさんが言った。キナコはこくりとうなづく。
「フサおばあちゃんはがんばったから、ここは純ちゃんにまかせてゆっくりしたほうがいいと思う。だって、純ちゃんが一番上手にハコちゃんを守ってる。」
おばあさんがふと純を見る。純は視線を浴びて、一瞬硬直した。
「キナコも目をぐるぐるしないと気づかない。初めて見たときあーちゃんに教えてもらってなかったら、ハコちゃんだってわかんなかった。通り過ぎてたもん。」
純はおばあさんの目を見つめ返した。
なにやら自分に対して期待されているらしい。実際は何もしていないので、さっぱりだが、自分は自覚症状なしでとんでもないことをやってのけてしまったようだ。
「だから仕事をしろ。」
キナコは坊主頭を指差して赤須の真似をして言った。
「俺が預かろう。」
ひげの男が挙手した。笑いをこらえているようにも見える。
「それとも、うちより迎撃がうまいやついるか? 」
迎撃と言った。防御ではない。おばあさんが目を伏せて、優しい顔で微笑んだ。
「では、そのようにしましょう。」
おばあさんがそう言うと、逆らうものは誰も居なかった。
昨日に引き続き疲れたが、風呂にはいらず寝たので今日は入ったほうがいい。そのほうが疲れも取れるだろう。純はそう思いながらスイを見た。スイがぴったりくっついている。
さすがにだめだ。一緒には入れない。純はどう言い聞かせようか、悩んだ。またいきなり目の前に現れたら、さすがに自分も全裸はまずい。
「スイ、俺風呂は入りたいんだ。」
正直に純は言ってみた。スイはこくっとうなづく。
「だから、ちょっと一人で待っててくれないか? 」
とたんに、眉毛をハの字にさせる。ぎゅーっと純の服をつかんでうつむく。
そんな悲しそうな顔をしてもらっても困る。純は周りを見た。キナコを見つけた。
「キナコ、一緒に風呂に入ってやってくれないか? 」
純が言うと、キナコは赤須の腕をつかんで振り返った。
「いいけどあたしお父ちゃんと一緒に入るよ。」
純はキナコと赤須の顔を見比べた。同じ髪の色、目、親子だったのかと納得したが、安西の怒鳴り声ではっとした。
「あんたもう中学生なんだから一人で入りなさい。」
キナコがさっと赤須の後ろに隠れる。
「睨むなマナコ。お前の眼力で石になるだろ。」
赤須が言った。女性に対してかなり失礼な発言だ。
「皐月さんも甘やかさないでください。キナコがいつまでたってもホームシックになるじゃないですか。」
「甘やかしてるんじゃない。俺がやりたいようにやって育ててるだけだ。」
「いつまでも子供扱いしないでください。この子ももう十四歳です。ちゃんと躾けないことも虐待なんですよ。」
安西がびしっと言う。あの会議でも安西がいたほうがまとまったのではないのだろうかと思うくらい、赤須にもキナコにも怖気ずに意見を言う。キナコはスイのように赤須の背中にひしっとしがみつき、赤須は上の空でその罵声を聞いている。
とりあえず、スイを一緒に風呂に入れてもらう作戦は失敗した。純が困っているのを見かねたのか、おばあさんがそっとスイの肩を叩いた。
「スイちゃん、お風呂に入れてあげるからおいで。」
スイは純をじっと見る。
「すぐ済むから、純君をゆっくりお風呂に入れてあげよう。疲れてるからね。」
スイは悲しそうだが、純からゆっくり服を離した。
「スイ、すぐ出るからな。」
純は急いで浴場にむかった。湯気が漂う中、大上がいた。久しぶりに大上に会った気がした。大上も驚いていた。
「うわー。オオカミさんと風呂に入る日が来るとは思わなかった。」
「そんな気持ち悪そうな顔をするなよ。へこむだろ。」
純はとりあえず、離れるのも微妙なので一緒に並んで湯船に浸かった。元カノの家では気づきかなかったが、大上の背中と右足には縫った跡があった。それもかなり大きい傷だ。事故にでもあったのだろうか。
「あの子は? 」
「スイはおばあさんが風呂に入れてくれてる。ここ以外も風呂あるんだな。」
「母屋に小さいのがある。」
純は顔をばしゃばしゃ洗った。
「オオカミさんどこいたんだよ。俺が背広のおっさんたちにフルボッコされたらどうするんだよ。」
純が言うと、大上が吹き出した。
「いや、悪かった。安西さんとお前が襲われたところを確認してた。誰が襲ったか見当つけておきたくて。」
純はキナコの言葉を思い出した。
「キナコが蓬塚だって。蓬塚って何? 世界征服とかたくらんでる悪の組織みたいなの? 」
純が馬鹿にして言うと、大上がまた吹いた。
「いや、そういうんじゃない。偵察にきたんだ。ハコが移動するんだから。」
大上はばしゃばしゃと顔を洗った。
「お前にちょっかい出したのは、見ない顔だからだ。それでも赤須さんがこなかったら、最悪さらわれてたかもしれないし殺されていたかもな。」
大上の言葉は少し重かった。純を心配してくれたのだろう。
「ハコをっていうかスイはそんなに珍しいのか。札束じゃあるまいし、今の世の中に怨念とか呪いとか何の役に立つんだよ。」
スイはどこからどう見ても無害な女の子だ。純はそう思っている。赤須の話もおばあさんの言葉も、御伽噺くらいにしか思えない。
「たとえば、金属探知機にひっかからない爆弾だと思えばいい。あの子を使えば証拠を残さず人を殺せるし、原因不明で街中の人間を殺すこともできる。建物はそのままに、生き物だけが死ぬ。そういう力を欲しがりそうなところは割と多いんだ。信じる信じないは別にして、実際ハコにはそれだけの力があるし、扱えればいくらでも応用が利く。」
純はまだ信じられないが、こんな田舎にあれだけの人数が集まって何日も会議をしているのだから、何かしら理由があるのだろう。
「おばあさんは、自分たちは見守るのが役目だって言ってた。オオカミさんは違うのか? 」
大上が苦笑いをした。
「宮史さん、あの坊主頭の人はそうだ。実元さんと赤須さんと俺はどちらかというと、対抗手段としてもってこられた。何かあったときハコを葬るために。」
純は大上の傷をなんとなくちらりと見た。
「スイを殺すのか? 」
「俺にはできない。どう見たって平凡な女の子じゃないか。どうやって殺したらいいのかもわからない。それに、彼女を否定したらキナコちゃんも危うくなる。」
大上の表情は考え事をしているように、遠い場所を見ていた。
キナコのふわふわとした印象はスイに似ているし、赤須にしがみついている様子も純の後をついてくるスイに重なる。
「あの子は、人間だろ? 」
「多分。」
大上は意味深に言った。多分とは何だと、純は大上を見る。
「彼女も時代が時代なら、外を見ることができなかった子だ。」
大上がふと優しい顔をした。
「良かったな、実元さんがお前を預かってくれる。」
「それって、またどこか移動しなきゃいけないのか? 」
純がうんざりした顔で言うと、大上は笑った。
「俺のマンションの最上階が実元さんの仕事場だ。」
ということは家に帰れるらしい。純の顔を見て、大上も安心したように笑った。
「巻き込んで悪かった。」
「オオカミさんもうそれやめろよ。俺が勝手に落ちたんだし。」
純が手で水鉄砲を作って水を飛ばすと、大上の顔に直撃した。
「お前、やめろよ。」
大上もやり返す。純も迎撃する。その時上から声が振ってきた。
「いいなー、楽しそう。」
浴場の仕切りの壁の上にキナコがいた。
「あーちゃん大胸筋セクシー。」
親指をたてて、いい笑顔で言った。
「あ、ありがとう。」
「キナコ、男湯のぞかないの。」
安西の怒鳴り声がして、キナコがずるずる引き摺り下ろされていく。本当に自由な子だ。
参考・西條八十 詩集「砂金」




