第四話 中身と外見
少女は純から離れたがらないので、おばあさんは純と一緒に部屋に連れて行き、綺麗な着物を見せた。けれど少女は純から離れないので、おばあさんが純に着せ方を教えて、簡単な浴衣だけ着せた。少女はその間一言もしゃべらなかった。
「ご飯にしようね。お腹すいたでしょ。」
おばあさんが笑うと、いい匂いがした。襖が開いて、大上がおぼんを持ってきた。カレーが乗ってる。大上は複雑そうな表情のまま、机の上にカレーを置いた。
「お前大丈夫か? 」
「大丈夫なわけないだろ。あんたは見慣れてるかもしれないけど。俺の初彼女はこういう関係になる前にあんたにとられたんだ。」
大上が純をまじまじ見て、頭をなでた。
「そっか、お前まだ清らかな身体なんだな。」
「馬鹿にしてるのか? あんた俺を馬鹿にしてるんだろ。」
純が手をはねのける。おばあさんが少女の帯を硬く締めなおした。
「うん、大丈夫だね。おあがりなさい。純君がもいだ野菜だよ。」
純は性欲で薄れかけていた食欲が戻ってきて、うきうきと席に着いた。少女も純にぴったりくっついて、隣に座った。こういう場所だからてっきり膳が出てくると思っていたのに、夏野菜のカレーとは嬉しい。野菜サラダも彩が綺麗で食欲そそる。純がスプーンを持つ。少女は純を離さない。
「えーと、食べないのか? 」
じっと黒い目で見つめ返される。そんなに大きな目で見つめ返されると、どきどきしてしまう。
この子は何か、障害のある子なのだろうか。服を着たせいか純も落ち着いて考えられるようになった。こんな田舎で、裸で真っ暗な部屋にいた。都市伝説や大昔の話だとばかり思っていたが、精神的な障害をもった人を世間から隔離して、死ぬまで監禁していたという話を聞いたことがある。
まさか、この優しそうなおばあさんが、と純はおばあさんを見た。おばあさんは優しい声で言った。
「その子にはおもゆのほうがいいかもね。純くんはおあがんなさい。」
そういっておばあさんがどこかに行き、大上も手伝いに行ってしまった。純は少女にじっと見つめられながらカレーを食べた。ピリっと辛いのに甘い。ご飯もふんわりと炊き上がっていて、大きな野菜も甘みがある。カレーは飲み物というのがわかるほど、かっこみたくなるおいしさだ。
純のそばで少女のお腹が鳴った。それでもスプーンを握ろうとしない。純は少女を見る。少女はじっと見つめ返す。
「食べる? 」
何も答えてくれない。なるべくカレーのついていない、ご飯の部分だけすくって少女の口元に持っていってみた。少女がぽかんとする。
「あーん。」
純が口を開けると、少女も口を開ける。ご飯を入れる。少女が口を閉じて、純のまねをしてもぐもぐとほおばって飲み込んだ。その瞬間、少女の無表情だった目が輝いた。そこでおばあさんが戻ってきた。
まっしろなおかゆを出され、少女は夢中で食べ始めた。それでも、純の服をつかんで離さなかった。食べにくいのだろう、子供みたいに片手で机の上にお椀をおいたまま、犬みたいに顔をくっつけて食べる。
食べ終わった純は、少女が食べる姿を見ていた。口いっぱいにおかゆをほおばって、幼い子供みたいで可愛い。おばあさんがこちらを微笑んで見ながら、麦茶を出してくれた。
少女が純と同じように綺麗に食べ終わり、純は両手を合わせて言った。
「ごちそうさまでした。」
少女も純の服を離して、真似して言った。
「ごちそうさまでした。」
鈴の鳴るような、可愛らしい声だった。少女はまたすぐ、純の服をつかんだ。
「お粗末さまです。」
おばあさんが微笑んで言い、二人を眺めた。
「さて、なにから説明しようかね。」
おばあさんはどこか楽しそうに微笑んだ。
「敦君から聞いたけど、純君はちょっと特別みたいだね。」
「特別ですか? 」
純はぽかんとした。おばあさんは笑った。
「これまでのような生活をするのにまったく支障はないし、得をするわけでもない。そんな特別なんだけどね。純君には消してしまう力がある。」
美加や大上の言っていたことを思い出す。
「友達が、俺が幽霊を消すのを見たって。後、なんか幽霊を更生? させたって。」
「うん、純君は気を吹き飛ばす力を持ってる。それは肉体をもって守られているものには伝わりにくいけれど、むき出された気にはひとたまりもない。とくに不浄なものは吹き飛ばされてしまうみたいだね。その子を見ていて分かった。」
おばあさんが少女を見た。
「私たちがずっとこの世に出すのを恐れていたものが形を持ってしまった。それがその子なんだよ。」
やはり監禁していたのだろうか、純が身構えたのをおばあさんは感じたのだろう。微笑み続けた。
「純君、私たちもどんな形でその子が現れるかわからなかった。もっとおぞましい形をしていると思っていた。でも純君のそばにいるその子はまるで赤ん坊のようだね。」
「何かわからないのに閉じ込めてたんですか? 」
とっさに純は言ってしまった。おばあさんだけが悪いわけではないのに、責めるような口調になった。心なしか、純が責めるような口調になったとき、少女の顔が悲しそうに見えたのにも、罪悪感がわいた。
「純君が来たから、その子はその姿で出てきたんだろうね。」
おばあさんは気を悪くしたふうでもなく、微笑んだ。
「他の誰かだったら、本当に恐ろしいことになっていた。」
おばあさんの口調には嘘やごまかしが無かった。純はおばあさんを見てから、少女を見た。
もしかして、少女はそういうものなのだろうか。美加がうっかり連れてきてしまったような、修学旅行でクラスメートが作ってしまったような。けれど柔らかく、温かい手をしている。さっきからずっと、純の顔を伺うように見上げる。真っ黒な髪の間から見える目は、道の端に捨てられた子犬のようだった。悪いものには見えないし、むしろ守らなければいけないもののような気がする。純は、少女の頭を優しくなでた。少女が、安心したように笑った。
「うん、やっぱり大丈夫だね。」
おばあさんは何度目かの大丈夫を言った。
「他の子たちにも教えてあげないと。純君、一緒においで。」
おばあさんがすっと立ち上がり、襖をあけた。
純はめまいがした。背広を着た七人の男たちが勢ぞろいしている。大上もいれば、さっきの金髪の男もいた。こんなに大勢の人間がすぐ隣の部屋にいたなんて、ちっとも気づかなかった。
純は怯えそうになったが、少女にもそれが伝わってしまうかと思い、なんでもないフリをした。
「さて、これからどうしようか。」
一番最初に口を開いたのは、あぐらをかいた口ひげのある男だった。なんとなく見たが、男の顔は穏やかだった。
「こんなに可愛い女の子が出てきちゃ、拍子抜けだな。」
男は朗らかに笑った。それが合図のように、周りの緊張もとけたように感じた。
「安心はできないかと、ハコの規模を見てもそうそう浄化されるようなものではありません。」
若い男が言った。丸坊主だが端正な顔立ちをしている。髪の毛があればモテるのに、と純は呑気に思った。ひげの男の笑顔のせいか、気がゆるんできたらしい。
ふと気づくと、金髪の男がじっとこっちを見ている。睨んでいるわけではないが、少女のほうをじっと見ていた。
「だがまた閉じ込めるわけにはいかないだろ。」
「人の形をしているからといって情を持たないでください。」
きりっと、若い坊主頭が言う。学級委員長みたいな男だと純は思った。
金髪の男が立ったので、純はびくっと震えた。男は純の前に来て言った。
「坊主、おもしろくないだろ。ついて来い。」
行きたくない。おもしろくなくてもこの男と一緒にはいたくない。
「赤須さん、まだ話は終わってません。」
坊主頭に純は少し感謝した。
「は? したいなら勝手にしろよ。そもそもこの話し合い坊主らは必要ないだろ。お前らにこいつらの事情なんかどうでもいいんだからな。」
金髪の男が睨むと、坊主頭が黙った。
純はわけが分からないが、ここにいても事情を説明してもらえるわけでも、解決するわけでもないと理解した。彼らは少女の所存を決めようとしている。それに、純も巻き込まれている。その話し合いに純の意見は必要ない。
純は金髪の男を見た。男はなぜかにやりと笑った。純は立ち上がる、誰も止めなかった。大上も。
男は玄関から下駄を取り出すと、少女に出した。それから、下駄箱の奥にあった袋を取り出すと、井戸の近くに行った。外は真っ暗だった。少女を連れて逃げようかと一瞬思ったが、どこに逃げればいいか分からない。
男は袋の中から何かを取り出し、ライターで火をつけた。ろうそくで、次に出てきたのは花火だった。
「ほれ。畑にむけんなよ。」
そう言って自分はタバコを吸う。もしかして、タバコを吸うための口実が必要だったのか、純はそう思った。
いつの間にか男がバットを持っていたので、純はおとなしく花火をつかんで火をつけた。一瞬でも逃がしてくれるのかと思った自分が馬鹿だった。
「ほら。」
純が花火を渡す。
少女は恐々花火をつかみ、純をまねて火をつける。青色の火花が飛び出した。
少女が口を開けて、見入っている。この子は花火も知らないんだ。純は少女の無邪気さが、なぜだか分からないが悲しかった。花火の色が変わるたびに驚いたり、嬉しそうに笑ったり、消えると一瞬がっかりするが、またすぐ新しい花火を手にしてわくわくした顔をする。
金髪の男を見ると、少女をやはり見ていた。穏やかな目をしている。こんな顔をするなんて、初めて会ったときとはまったく違う。
「あの、赤須さん? この子はこれからどうなるんですか? 」
赤須はタバコの煙を吐くと言った。
「お前、先にそれ聞くか? こいつが何者かじゃなくて? 」
純は少女を見る。花火が消えて、あ、としょんぼりした。純が別のを差し出すと嬉しそうに笑った。
「なんか、俺にはこの子はふつーの子にしか見えなくて。美人だけど、妹と重なるって言うか。子供みたいだし、ほっといたら走ってくる車につっこみそうっていうか、危険には見えない。」
赤須も花火を持つ。
「俺もだ。」
オレンジの炎が噴出した。
「ハコだったときは、こんなやばいもんがまだあんのかって思ったけどな。お前が連れてきたときはフツーのどこにでもいる娘だ。空っぽになったハコだけでもやっばいのに、中から出てきたのはこんなのってありえないだろ。テロリストの爆弾解体したら可愛い赤ん坊がでてきたって、そりゃびびるし疑う。赤ん坊が本当は爆弾なんじゃってな。」
赤須がタバコを取り出して花火で火をつける。煙が赤須の周りを生き物のように廻って消えていく。
「お前が落ちたところは、百年前から開けてないんだ。移動に備えてもう一度先週漆喰を塗りなおしたのにあのざまだ。」
純は赤須を見た。
「ハコって、何ですか? 」
赤須は終わった花火を水につけた。
「作り方は色々言われているけどな。毒草を敷き詰め、生き物をいれる。生きたままだ。最初は小さいものを入れて、段々大きいものにする。イレモノの大きさによって入れるものはまちまちだ。できあがったハコは埋める。するとその周りにいる子供が死ぬんだ。妊娠してたら子供が流れる。ハコの大きさによって威力は変わる。より広い範囲で、より強いものを殺すときは大きいものを作る。もちろん中に入れるものも、入れる回数もでかくなる。」
少女が嬉しそうに花火を手にする。いつの間にか純の服を離していた。
「猫が入るくらいのハコでも威力は絶大だった。小さい集落なら滅ぶ。あいつが入ってたの、お前は見ただろ。」
少女がいたのは棺ほどの大きさだった。
この現代に呪いだの魔法だのあるわけない。けれど赤須が嘘をついているようには見えず、純は腕をひっぱられてびくっとした。頭の中で、背中に恐ろしいものがいるのを想像する。自分を頭から食べてしまうような、化け物がいる。
純の腕にさらりと、黒い髪が触れた。純が振り返ると、目を眠そうにこすりながら、純の腕にもたれかかる少女がいた。
とたんに頭の中の恐怖が消え去る。純の腕をきゅっと握り、頭をそっと寄せる。赤須が吹き出して笑った。
からかわれていた。純は赤須をじろりと睨んだ。けれど赤須は笑い続け、バケツを片付ける。
「本当にただの子供だな。キナコそっくりだ。」
大豆の粉がここでどう関係しているのだろう。純の視線に気づかずに、赤須はごみを片付けて言った。
「しっかり面倒見てやれよ。そいつ、お前が手を離したら死にそうだ。」
言い方がからかっているようで腹がたち、純は何も言わずに少女を連れて屋敷に入った。
部屋に戻ると布団が二組しいてある。大上と自分の分だろう。かまうものかと思ったが、少女は純の腕をぎゅっと掴んで離さず、純はまさかと思ったが、一緒に寝るしかないようだった。




