第三話 ハコの中の少女
大上に連れられ、山奥の人里はなれた屋敷につれてこられた純。畑仕事をしたり、奇妙な男に襲撃され、初日からぐったりしていた純に、その日最後の災難が起きる。
大上が病み上がりの自分を気遣ってくれてか、助手席に温かい毛布を用意してくれたが、純はむすっとしていた。高速道路で何回か休憩を取り、山間の道を行き、海沿いの道を行き、見渡す限りの田んぼとぽつぽつと民家が見えるだけの場所に着いたときには、景色のせいか心が和んできた。
大上が車を停めた場所は古めかしい日本家屋で、寺のようなものが敷地内にあった。
「いらっしゃい、お上がんなさい。」
ひょこひょこと、麦藁帽子をかぶり、カゴを背負い、草履をはいたおばあさんが出てきたとき、純はまだこういう格好をする人が存在するんだと変に感動した。大上が深々と頭を下げた。おばあさんは純を見て、目を細めた。
「この子は大丈夫だね。」
なにが大丈夫なのか。純はさっぱりだ。
「純、先生について行ってこい。」
「は? 」
大上はおばあさんの背負ってたかごを純に渡した。
「おいで、野菜がよく熟れてるから。」
おばあさんは畑に向かってひょこひょこ行く。純は大上を二度見した。
「新鮮な夏野菜もいだことないだろ。貴重な体験だぞ。」
かごの中に入っていた麦藁帽子をかぶせられた。
風があるせいか、暑いのにそれほどつらくは感じない。トマトやナスの茎にとげがあることも知らなかった。最初は自分がなにをしているのか、と思っていたが、段々と楽しくなってきた。
「休憩しようかね。」
おばあさんがそういって肩を叩くまで、純は雑草を抜いたり、野菜をもいでいた。
木陰でおばあさんがおにぎりと冷やしていた野菜と、味噌を出した。川から出していたのを見て、こんな世界が存在していたことすら驚いた。おにぎりをほおばりながら野菜をかじっていると、車が集まってくるのが見える。寺から坊主頭の、作務衣姿の男たちが出てきて案内する。
「もうすぐハコが移されるからね。」
おばあさんが言った。純はおにぎりを飲みこんで言った。
「ハコってなんですか? 」
おばあさんは水筒から冷たい麦茶を出して、純に渡した。
「ハコはね、ここで代々守ってきたものなんだよ。でも順番が来たから移さなきゃいけなんだよ。」
田舎によくあるお祭りのようなものだろうか。純は麦茶を飲む。おばあさんの丸まった背中が小さく見えた。
「早く終わると良いんだけどね。」
純には祖母はいない。幼い頃に他界した。どんな人だったかも覚えていない。けれど、なんとなくこんなおばあちゃんだったかもしれないと思った。
「あの、俺手伝えること、他にありますか? 」
おばあさんはにっこり微笑んだ。
「今日はお客さんが多いから、もう少し野菜をもぐのを手伝ってもらえる? 」
純はおにぎりを食べ終わると、麦藁帽子をかぶってまた畑に戻った。日が暮れおばあさんに肩を叩かれるまで、ずっと畑仕事をしていた。
おばあさんが野菜を預かり、作務衣姿の男が純を部屋に案内した。畳のある和室で、自分の荷物と大上の荷物が置かれている。今日はこの部屋にいていいらしい。一人になると純はうつ伏せに寝転がった。むき出しだった腕が日焼けでひりひりする。日焼け止めを塗ればよかった。
純がうつ伏せでころがりながら唸っていると障子が開いた。大上だと思って純は寝たまま言った。
「オオカミさん、俺に何させたいんだよ。っていうか畑仕事あんたも手伝ってくれてもよかったんじゃね? 」
返事はない。無視しやがったと思って振り返ると、そこにはバットを持った男がいた。純の心臓は一瞬凍った。
男の髪は金髪で、黒い生地に血痕を飛び散らせたような模様のシャツを着て、顔つきはゴキブリを狙うときのように侮蔑と殺意に満ちていた。木製バットには茶色のような、黒のような、何がこびりついていたか想像したくない色の模様がついている。肌はやけに生白く、目も薄い色をしているように見えた。男はいわゆるヤンキー座りのようにしゃがみこむと、純を見た。
「お前、あいつがどこいったか知らないか? 」
純はここでへたに答えようものなら、自分がバットで殴られるんじゃないかと思った。
「チャラい男。お前連れてきたやつ。」
知りません。と言えばどこかに行ってくれるのだろうか。けれどバットと男の表情が察するに、それはなさそうだ。
すると障子の後ろで大上が通りかかった。純が涙目で見る。大上は金色の頭を見る。男が振り返った瞬間、バットを大上に振り下ろした。
大上が伏せた。バットは宙をよぎった。純の前髪が風圧で揺れた。
「赤須さん、俺何かしました? 今日はまだ覚えないんですけど。」
大上が身構えながら言うと、金髪の男は、街中ですれ違っても目を決して合わせたくない類の人間のような目付きで、大上を睨んだ。
「俺お前嫌いなんだよ。」
理由になってない。それだけでバットで人を殴っていいわけがない。
大上の後ろから、さきほどのおばあさんが来た。今度はきれいな白い色の和服だった。純を見て、大上を見て、金髪の男を見る。
「ご飯にしようかね。」
朗らかにおばあさんが言う。男が明らかな舌打ちをして、バットを背負ってどこかに行く。純は大上を見る。大上はため息をついた。
「なに? あの人。オオカミさんあの人の彼女も取ったのか? 」
純が言うと、大上は苦笑いをした。
「純にはひどいことしない。怒らせなければ。」
大上が言って、歩き出した。
おばあさんが先に歩き、純も暗い廊下を歩く。さっきの男も一緒に食事するのかと思うと食欲がなくなる。
客の一人だろう、背広を着た男に大上が声をかけられて立ち止まった。挨拶を長々して、大上が深々とお辞儀をしている。さっきのバット男も大上の口調からして年長者なのかもしれない。こうしていると、大上も平凡な社会人に見える。ここは何の集まりなのだろう。大上からの説明はほとんどないが、お寺だということは宗教関係なのだろうか。純が疑問に思いながら、疲れていたので背中を壁にもたれかけた。すると、壁が沈んだ。
「え? 」
純がつぶやいた瞬間、背中がそのまま倒れる。大上とその周りの男たちが驚いたように振り返り、そして純はそれを見ながら背中から落ちた。
背中に衝撃を受けて咳き込んだ。埃の混ざった空気が口や目に入ってきて苦しい。耳もじんじんする。しかし生きているし、立ち上がることもできる。いったい自分に何が起きたのだろう。純がゆっくり身体を起こすと、畳のような感触のものに触れた。
手探りで確認しようとすると、それは四角くて縦長の台のようなものだった。壊してしまったかもしれない、と純が焦ったとき、何かが落ちた。ちょうつがいだったと気づいて、純は息を呑んだ。
事故、でも弁償しないといけないかもしれない。もしかしたらこれは、あのおばあさんが言っていたお祭りのようなものと関係していて、その祭具かもしれない。大変なことをしてしまった。焦りながらも確認していると、何かが暗闇の中で動いた。
足音がし、純の背後で扉が開く。光がさした瞬間、純の目に飛び込んできたのは真っ黒な髪を揺らしている裸の少女だった。自分が落ちて壊したのは、木製の大きな箱で、少女はその中から起き上がるように出てきた。
少女は日本人形のように真っ白な肌と真っ黒なストレートヘアーをしている。赤い唇と幼さの残る顔立ち、そしてぱっちりとした目の可愛らしい顔立ちだった。
足も裸足で、ぺたりと歩いてくる。不思議そうに、純に手を伸ばした。純の服をきゅっと握って、目をじっと見上げてくる。
全裸の美少女が自分を見つめているだけで、純の脳内はパニックだった。元カノとは身体の関係はなく清らかだった。それがいま、初めて訪れた他人様の家で、全裸の少女に服をつかまれじっと見つめられている。それもとびきりの美少女にだ。
背中から悲鳴がした。純が振り返ると、背広姿の男たちが愕然としてこっちを見ている。純ははっとした。
「すみません、どなたかこの子に服を。」
純が言うと、男たちをかきわけおばあさんがひょこひょこやってきた。
「先生。」
男の一人がおばあさんの身体をつかんで、これ以上行かせまいとしたが、おばあさんは優しく微笑んで入ってきた。
純のそばに、少女は寄り添って隠れるようにぴったり身体をくっつける。服越しでも小ぶりな胸が当たっているのが分かり、純の頭の中は大変なことになっていた。
「そのままじゃ可哀想だね。服を持ってこよう。」
おばあさんが優しく微笑んだ。純は、少女のおっぱいに夢中になっている自分がひどく汚いものに思えた。




