第一話 アクシデントと好奇心
20012・4・4誤字編集しました。
昔からクラスに一人は幽霊がいると騒ぐやつがいた。純はいつもそれを冷めた目で眺めていた。産まれてから幽霊など一回も見たことがなかったし、心霊写真も見たがピンとこなかった。友人と心霊スポットに行っても、肝が冷えることもなく、虫に刺されて終了した。
高校の頃も修学旅行中にクラス全員が幽霊を見たと騒いでいたことがあった。純はその時トイレに行っていて、部屋に戻ると泣き叫ぶ声と教師の怒鳴り声がしていただけだった。友人に尋ねると、友人は旅館の外から見える木を指差した。
「いま消えた。いきなり消えた。」
「木下に女の人いたのに。」
しばらく、木下の幽霊の話はクラスの話題になった。けれど純はまったく見ておらず、心霊体験に興奮する友人たちに混じれず、ぼっちだった。周りに流されず、純と同じように冷めた顔をしていたのが、美加だった。友達が興奮していると、私よくわからなかった。小雨降ってたから霧が出てたし。と冷静だった。純は初めて会ったとき、可愛いけどこいつ多分性格きっついなと思っていた。同じ幽霊を見なかった同士か、それ以来美加と親しくなった。
美加には彼氏がいて、男友達も多かったので恋仲になることはなかったが、腐れ縁というやつか、同じ大学に入学していた。
「あの女私きらい。」
美加はきっぱり言った。
明るい色のボブカットで、顔はいまどきの女の子らしく、付けまつげやアイラインで目を強調したメイク。胸が大きく、いつも太ももの見える格好をしている。黙っていればファッション雑誌のモデルのように可愛いのに、言いたいことは言い、空気もあえて読まない。その辺の男よりも度胸がある。美加は外見と中身のギャップがきつい女の子だ。その性格のおかげで、立派な胸なのに一度も性欲を感じたことがない。ついじっと胸の谷間を見てしまうのは、悲しい男のさがだ。
講義の前の昼休み、学食で大学芋をほおばりながら、美加は言った。
「天然装っているところが腹立つ。いつか絶対浮気する。」
自分の彼女の悪口を言われて不愉快にならない男はいないが、純は無視していた。彼女はぽわんとしていて、天然で、愛想が良い。だから誰にでもいい顔をしていると思われている。嫌いなことは絶対に嫌い、という生き方をしている美加には理解できないのだと思った。
その日の夜、ケーキ屋でバイトしていた友人から余ったケーキをもらった。純は突然訪問してケーキをプレゼントという甘酸っぱいことをやってみた。
夜中に恋人の部屋のインターホーンを鳴らすと、扉が開いた。わくわくしながら純が待っていると、そこに立っていたのは恋人ではなかった。
「いらっしゃい。」
自分より五歳は上だろうか、純は一瞬彼女の兄かと思った。自分の家のように中にうながすので、家族なのかと思っていた。しかし、彼女は一人暮らしだと聞いていたし、部屋も二人住める広さではない。バスルームから出てきた彼女が金切り声を上げるのを見て、もうどうにでもなれと思ってケーキを投げつけて帰った。
ケーキ屋でバイトをしていた友人に食べ物を粗末にしてごめんと電話をした。翌日美加に胸倉つかまれた。
「今すぐあの女呼び出しなさい。」
ケーキ屋の友人は美加の彼氏だった。知っていたけどこんなに早く話がいくとは思わなかった。
「呼び出してどうするわけ? 」
「言い訳を聞いて、それからあんたがちゃんと捨てるところを見るの。」
「俺が捨てられてるのに? 」
純が言うと、美加は純のカバンの中から携帯電話を取り出して着信履歴を見た。
「着信全部昨日からので埋まってるじゃない。全部同じ名前、ストーカーみたい。呼び出しなさいよ。ラウンジでもマックでもミスドでも。ついでに浮気男も呼び出してけじめつけなさいよ。」
なぜ美加が仕切るのだろう。純はもうどうでもよかったが、美加がきーきーわめくので言うとおりにした。美加がごめんなさい、さみしかったの、もうしないから、の三つは絶対言うと豪語した。
案の定、ファーストフード店に呼び出された彼女はずっとしくしく泣いていた。純は彼女に言って浮気相手を一応呼び出させた。美加は予想以上にちゃらちゃらした男が来たので、眉間にしわを寄せていた。なぜか相手は友人でも見つけたように、笑顔で手を振っていた。
改めて見ると背も高く、顔立ちも整っていないことはない。手足も外国人みたいにすらりとしていた。ボサボサの黒髪に、適当な店で買ったシャツとズボンの自分と天秤にかけたら、確実に負ける、と純は納得した。
「昨日合コン行ったらいたんだ。彼女、ナナミちゃんだっけ? 」
「ナナミじゃない? 」
他人事のように純が言うと、彼女は顔をあげた。
「七恵だよ。純、もうしないから、別れるなんて言わないで。」
上目遣いに涙をこぼされても、純はもうケーキを投げつけたあたりから情がなくなっていた。
「っていうか彼氏いたんだ。彼氏いる? って聞いたらいないって言ったし。」
イケメンが言った。美加が七恵を睨んだ。純は目をぱちくりさせた。
「俺、さすがに他人のものに手を出さないし。」
男は朗らかに笑った。七恵が青ざめる。
「オオカミは黙っててよ。」
七恵に怒鳴られても男はどうでも良さそう笑った。
「いまさらだけど名前聞いていいですか? 」
美加が言うと、ホストみたいに笑った。
「大上敦。純君本当ごめんな。」
純はどうでも良さそうに、軽く謝る大上を見た。
「オオカミさん、そいつと付き合えば? 俺はもう別れるから。」
「別れない。絶対別れない。」
七恵が叫ぶと、大上は七恵と純を交互に見た。
「とりあえずメルアドと番号教えてもらっていい? ちゃんと謝りたいし。」
大上が言いながらスマートホンを叩いた。
「いいですよ。どうでも。もう別れるし。」
「別れない。私もう絶対こんなことしないから。ごめんなさい。許して。寂しかっただけなの。」
美加がぶっと吹き出した。七恵は美加を睨む。
「大体あんたがなんでここにいるのよ。あんた関係ないじゃない。」
「美加に当たるな。」
純が睨むと七恵がびくっと震える。
「お前が逆の立場だったらマジで無理だろ。」
純がきっぱり言った時、気の抜けるような高い音がした。大上が美加と赤外線送信で番号を交換していた。自分の番号を交換していると気づいて、純は美加に怒鳴った。
「なに勝手に人の個人情報漏らしてるんだよ。」
「大丈夫だって、悪用しないから。じゃ、今度お詫びになにかおごる。」
大上はなにをしにきたのかさっぱりだが、軽やかに立ち去った。純が美加を睨むと、美加はそ知らぬ顔で携帯電話をしまった。純は泣き続ける七恵から携帯電話を奪った。自分のメールアドレスと番号を消す。
「俺はもうお前を忘れる。だから連絡してくるな。」
こうして純は七恵を置いて店を出た。家に向かって歩き出した純に、美加がぽつりと言った。
「純けっこうあの子のこと大事にしてたから、結局許しちゃうかと思ったよ。」
安心したような顔の美加を眺めて、純は自分を振り返る。
「大事にしてたか? 」
「メールこまめに返してたし、敏郎のところのケーキも分けてあげようとしたじゃん。純あそこのケーキ好きなのに。」
美加が純の腕を肘でつついた。
「今度飲みに行こう。で、もっといい彼女作ろう。」
純は美加のほうが泣きそうな顔をしているように見えた。美加が袖で目をごしごし拭いた。
デートをしに行く美加を見送り、純は家に帰った。大学に入ってから一人暮らしをしているのだが、初めて一人暮らしをした日から一年以上経っているのに、久しぶりに寂しいと感じた。レポートを片付けて、風呂に入ろうとした時に知らない番号から電話がかかった。誰だと思いながらも出れば、大上だった。
「なんなんだよ。」
「謝りたいんだ。ちゃんと。」
「いいって。」
純が言うと、大上は言った。
「モモールのザッハトルテ。俺チョコ好きじゃないしもらってくれないか? 」
純は一瞬黙った。大好物だ。
「ホールでもらったからもてあまして。」
美加に違いない。あいつがばらしたに決まってる。
「取りに、行きます。」
ケーキの誘惑と少し好奇心があり、純はそう答えた。大上はメールで居場所を教えた。アパートから歩いて十分の居酒屋で、以前友人と飲み会をした。学生にも親切な値段だが、カクテルが美味しい。純が入口で大上の名前を尋ねると、奥の席に通された。
「いらっしゃい。」
イケメンなのに一人で飲んでる。てっきり女でもそばにいると思ったのに。純が着くと待っていたようにカルーアミルクと一緒に、ろうそくのささったケーキが運ばれてくる。純はぎょっとする。
「美加ちゃんが言ってた。ここのカルーアでザッハトルテ食いたいって言ってたって。」
店員が去ってから純は小声で言う。
「俺、誕生日じゃない。」
しかも美加にちゃん付けをしているとは、どこまで馴れ馴れしい男なんだ。それとも自分の知らない間に何かあったのか。
「知ってる。」
大上は悪びれない顔で言った。
「俺のおごり。好きなだけ飲んでくれ。」
純は、もう断るのも面倒なので、食べた。ザッハトルテはおいしかったし、大上の話はおもしろかった。男同士で誕生日ケーキを囲んで居酒屋にいるのがどれほど奇妙に見えるかなんて気にならないのは、アルコールのせいもあっただろう。
「これから夏休みも誕生日もあるのに恋人いないのかわいそうだから、バイトしないか? 」
大上が言った。純は枝豆をほおばりながら、大上を見た。
「そうだな。俺、顔も頭もたいしたことないし。金くらい持ってないとな。」
純がつぶやくと、大上がガシガシ頭をなでた。純は大上の手をふざけて払いのけた。その時なぜか、懐かしさを感じた。昔こういった突き合を誰かとした。友達よりも、もっと歳が上の相手で、誰だっただろうと純は思いながら、大上の筋張った手を見ていた。