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第4話

タクシーのドアが閉まった瞬間、車内の空気がきりりと引き締まった。

さっきまでホテルのレストランで笑っていた二人は、もう完全に“刑事の顔”に戻っていた。

「事件の場所はどこですか?」

前を見据えたまま舞が問う。

「後光の宮神社だ」

「えっ……あの神社ですか?」

「ああ」

その短い返事に、舞は胸がわずかにざわつくのを感じた。

――先輩がもっとも触れたくない場所。

それを、こんなにも冷静に口にした。

(……少しずつ、受け入れられるようになったんだ)

舞は吉川の横顔をそっと見つめた。

街灯の光が流れていくたびに、吉川の表情の影が揺れた。

タクシーが神社近くの道路に止まると、夜空を切り裂くように赤色灯が瞬いていた。

規制線の外には、まだ祭りの熱が冷めきらず残っていた。

法被姿の男たち、興奮冷めやらぬギャラリー、誰もがざわざわと状況を探っている。

規制線を越え、二人は警察手帳を見せて中に入った。

境内には鑑識班が散開し、砂利の上に立つ足元からも緊張が伝わってくる。

「吉川さん!」

声の方を見ると、部下の本田刑事――ぽんちゃんが駆け寄ってきた。

薄い汗を額に浮かべ、必死に状況を追っていたのがわかる。

「本田くん、状況は?」

「はい。複数の目撃者の証言をまとめると……

およそ 20 時 30 分頃、御輿の担ぎ上げが終わって大歓声が上がった直後、

法被姿の男性が突然その場で倒れたそうです。

倒れた瞬間、呼吸も脈もなく、仲間が心肺蘇生を試みましたが反応なし。

口からは微量の血が出ていたとのことです」

「毒物の可能性もあるな」

「はい。その線も考えまして、周囲に落ちていたペットボトル類をすべて回収しました」

「えらいぞ、ぽんちゃん」

吉川がぽんぽんと本田の頭を軽く叩いた。

その一瞬だけ、空気が柔らかくなる。

「毒物の可能性……本当にあるんですか?」

舞がそっと問う。

「心不全なら痙攣や泡が出る可能性が高い。

だが、倒れた瞬間に呼吸も脈もない。血もわずかに吐いている……まだ断定はできん」

吉川の声は落ち着いていたが、その目は鋭く現場を分析していた。

「ぽんちゃん。」

「はい」

「俺たち非番で酒を飲んでたから、ここから頼めるか?

明日には鑑識から何かしら結果が出るだろう。明日、参加する」

「わかりました!」

本田は走りかけて、ふと足を止めた。

吉川と舞をちらりと振り返り、にやにやした顔をして言う。

「二人だけで飲んでたんですか?」

「違う! 四人だ! いいからさっさと行け。

……まったく最近の若いのは余計なことばっかり言いやがって」

吉川がぼやく横で、舞がむっとした顔を向ける。

「私も“若いの”に入ってるんですか?」

本田刑事と舞は同い年だった。

本田は遠くで「ですよね〜」と声を上げながら鑑識の元へ戻っていった。

吉川はため息をひとつついて言った。

「とりあえず今日は帰ろう。

沖田たちにはメールで謝っとくよ」

「そうですね」

舞は返事をしながら――

なぜか、ほんの少し笑顔だった。

吉川が、ほんの少し変わってきている。

自分の前で、少しずつ、心を開き始めている。

その変化が、舞には嬉しかった。

翌朝。

刑事課の会議室には、夜の疲労を引きずった刑事たちの気配が満ちていた。

蛍光灯の白い光の下、本田刑事が資料を手に前へ出る。

「では、事件の概要を報告します」

声には緊張があったが、はっきりと通る。

本田は昨夜の初動捜査の内容を順に説明していき、そして核心へと踏み込んだ。

「被害者は、京都市北条水道局の工事担当業務を行っていた岡崎和也、二十五歳と判明しまし

た」

室内にわずかなざわめきが走る。

「死因については、先ほど鑑識から報告が届きました。

シアン化合物――青酸カリによる中毒死の可能性が高いとのことです」

舞が息を呑む音が、吉川の隣から微かに聞こえた。

「祭り会場近くに落ちていた三十本のペットボトルのうち、一本からシアン化合物が検出され

ました。

被害者はその一本を飲んだと思われます。

即死に近かったのは、体内に入った毒物の量から、一気に飲んだためと思われます」

吉川は腕を組みながら、夜の現場を思い返していた。

祭りのあと――喉が渇ききった男たちが、誰かのペットボトルを回し飲みする。

そんな雑多で無秩序な空気は、彼自身も体験している。

「……祭りで喉が渇いていたから、毒入りの水を一気に飲んだ、というわけか」

吉川が言うと、本田がうなずいた。

「ペットボトルの指紋は?」

「水滴が多かったため、解析に時間がかかっています。

もしくは……手袋をしていた可能性もあります」

「祭りの担ぎ手はほぼ全員、滑り止めの手袋をはめていたな」

「はい。ですから、被害者の指紋すら残っていない可能性があります」

吉川の胸に、過去の記憶がふっとよみがえった。

——横浜から京都に戻り、町内の祭りに半ば強引に参加させられた。

御輿を担ぎ、汗と怒号の中で喉が焼けるようになり、誰かに渡された水を一気に飲んだ。

あれはまだ、沙織と出会う前のことだ。

(なんの因果だ……よりによってこの場所で)

無差別なのか。

それとも、狙いを定めた犯行なのか。

吉川はまだ判断がつかなかった。

「ぽんちゃん、祭り参加者の名簿を集めてくれ。分かる範囲でいい」

「了解です」

本田が足早に部屋を出ようとしたとき、

吉川は課長の方へ向き直った。

「私たちは北条水道局に行ってきます。怨恨の線を重点的に洗います」

課長がうなずく。

そうして吉川と舞は席を立った。

舞は資料を胸に抱えながら、吉川の横顔をちらりと見た。

その表情は、昨夜とは違う。

強いが、どこか研ぎ澄まされた静けさがあった。

「行きましょう、先輩」

「……ああ」

二人は捜査一課の扉を押し開けた。

新たな闇が待つ北条水道局へ向かって。

北条水道局の駐車場に車を停めると、ふたりは建物へと向かった。

ガラス張りのエントランスは、役所とは思えないほど清潔で明るい。受付で部署の場所を尋ね

ると、舞が小声でつぶやいた。

「きれいですね……。伏水署とはえらい違いですね」

「ああ、まあな」

舞は興味津々で周囲を見渡しながら、吉川の横を歩いた。

エレベーターで二階へ上がり、被害者・岡崎和也の所属部署へ向かう。

扉は開け放たれ、室内には緊張の色が薄く漂っていた。

近くにいた女性職員に声をかけると、刑事と聞いて慌てて上司を呼びに行く。

すぐに、水道局の制服を着た二人の男性が現れた。

軽い会釈のあと、別室へ案内され、吉川が警察手帳を開いた。

「伏水署捜査一課の吉川と白石です。

昨日亡くなられた工事担当者・岡崎和也さんについて、お話を伺えれば」

谷川と名乗った男が頷く。

「私は工事担当係長の谷川、こちらは事務係長の浮田です。どうぞ」

二人が着席すると、吉川は淡々と言葉を続けた。

「岡崎さんは局ではどのようなご様子でしたか? 普段の勤務態度や人間関係など」

「勤務態度は極めて真面目で、特に問題はありませんでしたね」

「自殺するほど悩みを抱えていた、といった話は?」

「うーん……とくに聞いてはいません」

舞はじっと二人の表情を観察していた。

谷川の顔は固い。隣の浮田は視線が落ち着かず、何度も指を組み替えている。

「では、人に恨まれるようなことに心当たりは?」

谷川はちらりと浮田を見たあと、短く答えた。

「特にないと思います」

「お気づきの点があればなんでも構いませんので」

「……特にありません」

壁の時計の秒針だけが、静かに空気を切っていた。

「何か思い出したことがあれば、こちらへご連絡ください」

名刺を置き、席を立とうとしたところで、谷川が言った。

「ほかの職員は動揺していますので……できれば聞き取りはお控えいただけると」

「承知しました。失礼します」

部屋を出て廊下を歩くと、舞がため息をついた。

「全く問題なくて、完璧な部下だった……ってことですよね?」

「それはないな」

「えっ?」

「横にいる部下は問題だらけだからな」

「それ、私のこと言ってますよね!?」

むくれた舞を横目に、吉川は笑った。

「そういうところだよ、ははは」

しかしその後、表情がきゅっと引き締まった。

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