7:オムライスと密約
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「でかくなるだろうとは思ってたけど、さすがに予想以上だなぁ。」
カウンターに座る慎ちゃんを見ながら、ははっとコウ兄が笑う。それにつられて、私も深く頷いた。
「だよね。私だって最初誰かと思ったもん。ちょっと見ただけじゃ慎ちゃんだって分からないよねぇ。」
しみじみと言う私を慎ちゃんはちらりと見たかと思うと、無表情のまますぐに目を逸らした。そして、出来たてのオムライスのてっぺんにスプーンを当てると、右から左へすうーっと裂いていく。その瞬間、ふわふわの卵は形を崩していき、花びらが開く様にチキンライスに覆われた。
「うわー。すごい美味そう。」
湯気と匂いが唾を誘う。待ちきれない様にさくっとスプーンを差し入れて、口の中へ。その顔がすぐに、ふにゃんと柔らかさを増した。私は、慎ちゃんの次の言葉の予想が付いた。
「美味い。」
でしょう?私も見ているだけで食べたくなっちゃうよ。慎ちゃんは口に運ぶ度に賛辞の言葉を告げて「うん、やっぱりコウ兄のオムライス最高。」と頷く。素直に嬉しかったのだろう。コウ兄は挨拶代わりに、片手を上げた。
「帰って来たんだなーって思うよ。これ食べるとさ。」
そうよね。慎ちゃんは帰って来ると、必ずコウ兄のオムライスを食べる。次に私の作ったプリンを食べて、2人で街へ下り、そして伊織さんに会いに行く。それがいつもの私達の、夏の始め方だ。
「・・・・・はあ、大満足だ。」
オムライスを一粒残らずきれいに食べ終わり、ご馳走さまと頭を下げる。さすが成長期。あっという間にお皿は空になった。それを見て私も「次は自分だ!」と意気込んだ。慎ちゃんの期待を裏切るべからず。楽しい夏を過ごすには、これを失敗してはいけません。
「よし、じゃあちょっと待っててね慎ちゃん。すぐにプリンの準備をするから。」
「うん、ありがとう。」
私は渾身の作品を取りに、奥へと引っ込む。冷蔵庫に眠るプリンさん、さあ、貴方達の出番ですよ。
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彼女の背中を見ながら、久々に自分の心が満たされているのを感じた。いつからだろう。戻って来たという実感を得るのは実家ではなく、この小さな店に変わったのは。入った瞬間に広がる、明るい店内の雰囲気。各テーブルには季節を感じる様な素朴で、けれど可愛らしい野の花が飾られていて、心まで柔らかくしてくれる。手入れの行き届いたリネンのテーブルクロス、シンプルな食器類、そっと控え目に掛けられた風景画。すごく些細な事も、一生懸命に彼女が考え、選びぬいて形にしてきた物たちなんだろうな・・とセンスを感じる。この圧倒的な居心地の良さに慣れた頃に僕は、また戻らなきゃいけなくなる。それがいつも嫌だった。
「なあ、慎太郎。」
コウ兄の呼びかけに、僕は顔を起こす。
「今のお前を見たら、伊織もきっと驚くと思うよ。」
意味ありげな視線。彼女には決して見せようとしない『不躾な冷ややかさ』が、まっすぐに僕へと絡んできた。この店の唯一の欠点はこれだった。
「へぇ、無駄に男前になりやがったなぁ・・・・無性に腹立つわ。」
僕は無言のまま、コウ兄を見つめた。そう簡単に挑発には乗らない。いや、乗っちゃいけないんだ。でないと大きなしっぺ返しを食らうから。そうやって何度酷い目に合ってきたか、数えたらキリがない。この人は傍から見れば温和で優しい草食男子な感じだけれど・・・・・でも、僕は知っている。この人の本性を。苦労した分だけ周囲への洞察力に優れていて、冷静に物事を判断する策略家。自身の思惑の為だったら、虎視眈々と相手を追い詰める肉食獣タイプ。それを上手に感じさせない所が、コウ兄のコウ兄たる所以だと僕は思っている。
「お前・・・・・以前にも増して可愛げが無くなったよなぁ。」
ちーとよく似た丸っこくて大きい眼。澄んだ白の中には、こげ茶色の瞳。この瞳に僕はどうしようもなく弱いのを、もうずっと昔から自覚している。もちろんそれを、コウ兄だって知っている。知っていてこんなに目を合わせてくるんだから、ほんと容赦ないよね、まったく。
「お陰さまで。何年もコウ兄達に苛められた結果かなぁ?いたいけな仔羊も少しは成長出来たのかもね。」
「仔羊?お前よく言うな。オオカミのクセにヒツジの皮を被ってただけだろうが。ほんと性質が悪いよ。しかもサイズが合って無くて、俺には丸見えだったからな。さっさと手懐けてたら、こんな面倒な事にはならなかったのに。やっぱ鍋に入れて喰っちまえばよかった。ほんと厄介だよ。」
「それはお互い様だと思うけど?ていうかいい加減、その二重人格やめたら?ちーだって気付いてるよたぶん。」
「馬鹿だろお前。俺はその点に関しては完璧だからな。お前と違って簡単に尻尾を見せない自信はあるんだ。」
「あーそうですか。」
「そうなんです。」
こんな風にひっそりと、彼女の居ない所でバトルする。いがみ合うのはいつもの事で、それはもう仕方がない。だって、守護者と捕食者という正反対の関係である僕達は、互いに譲れない「想いの根っこ」は変えられないから。でも、それを愉しんでいる自分達が居るのも、事実だ。
「伊織にもちゃんと、顔見せろよ?」
コウ兄はカウンター越しに手を伸ばして、無造作に僕の頭を撫でた。この兄妹は、人の頭を撫でる事がどうやらとても好きらしく、昔から何かというとすぐこうする。ぐしゃぐしゃと、まるで自分が飼い犬にでもなった様な気にさせる大きな手。この手にどれだけ憧れているか、きっとコウ兄は知らないだろう。
「うん、後で行くつもりだから。」
「そうか・・・・まぁ、あれだけきっぱり宣言したんだ。伊織にも厳しくチェックされてくれば良いさ。」
「そうやってコウ兄は、面倒くさがってすぐに見放すんだよね。でもそれって本当は、コウ兄の役目なんじゃないの?」
「お前分かって無いなぁ。俺はどんな奴でも嫌だから、判断とかする意味も無いんだよ。その点、伊織はフェアだぞ?散々見極めた挙句にばっさりと切り捨てる。」
「うわー!!どっちにしたって駄目じゃん。もうこの人達ほんと最低。」
「ははは、何言ってんだよ今更。」
そう、確かに今更なんだ。もう何年もこの調子。僕は夏になればこの街へ来て。この店でオムライスとプリンを食べ、男として尊敬する2人の先輩に色んな事を教わり、そして彼女に恋をする。夏が繰り返される度に、僕は同じ道を辿っていた。それはとても幸せで、だけど満足する事は無い夢の休日。けれども僕は、これを夢で終わらせる気なんて無い。その為には、進む歩幅を早くしなければ追いつけないのだと気付いている。掛け足でも良いから進め。無理やりにでも距離を縮めろ。しなやかに、巧妙に。檻の中へと囲ってしまえ。交わされた密かな契約を、僕は絶対に実現しなければならない。どんな犠牲と苦労に代えても、成功報酬は逃せない。
「慎ちゃん!お待たせしました!!」
パタパタと聞こえて来た足音に、僕は耳を澄ます。手に抱えたプリンと、そして甘い誘惑。あどけなく笑っているけれど、たまには僕だって、ちーの別の表情を見たいんだよ?ねぇ、ちー。僕は君を・・・ずっと自分だけのものにしたいって考えているんだ。君が僕に望む事と、僕の望みは似ている様で、全然違う。女の子はさ、大切なものを宝箱に仕舞って眺めるだけで満足するかもしれないけれど、男は違うんだよ。大事に大事に仕舞っても、時々撫でたりつついたり・・・・大切だからこそいじめたりするんだ。泣いてる顔や困ってる顔、僕のせいで表情を変える、そんな君が見たいんだ。だからもしかして僕の望みは、君を苦しめる事になるかもしれない。今までは我慢していたけれど、そんなのもううんざりなんだ。だからさ。優しいだけの僕等は、もう終りにしよう。