5:おかえり
メニューは話数によって、随時追加します。
ガラスケースに数種類のスイーツを並べ、今日も宜しくと心の中でご挨拶。きっちりとエプロンの紐を結び直して、準備完了だ。
「開けようか、千紗子。」
「はい。」
木製プレートに書かれた文字を、「CLOSE」から「OPEN」に替えた。
今日も店が開く。
その日の第1号は、この季節になるといつも現れる、老紳士だった。
「あらおじ様!おはようございます。お帰りになってたんですね。」
「いやぁ千紗ちゃん!すっかりお姉さんになって。驚いたな。」
広げられた腕に自然と抱きつき、再会を喜ぶ。
「おじ様、私だってもう20歳です。大人ですもの、お酒だって飲めるんですよ?」
「ハタチだって?そーか、千紗ちゃんもそんな年になったか。初めて会った頃はちっちゃな女の子だったのになぁ。」
たしかこれ位の・・・なんて言っては手のひらを膝まで落とし、やんわりと笑う。
「そーかそーか、ハタチか。なら千紗ちゃん、うちの孫の嫁さんにどうかな?」
「ええ!?お嫁さんなんてそんな・・・・おじ様のお家に嫁げたらそりゃあ幸せでしょうけど。でも、私にはとても勤まりません。」
だっておじ様の家は、誰もが知ってる有名な会社を経営しているから。
「それに何より・・・・私がここを出て行ったら兄が寂しがりますから、ねっ?」
ちらりとコウ兄を見ると、照れたように顔を逸らされた。あらま。これはもしかしたら、図星だったかもしれないな。
「そうだねぇ。千紗ちゃんが居なくなれば、紘樹くんが悲しむ。」
「私もやっぱり寂しいですから。」
私達は2人して眉をハの字に下げた。
「だからおじ様は、これからもここに遊びに来て下さいネ?私達はいつでも待ってますから。」
「ああ、そうさせてもらうよ。実際、君たちの作る料理は美味いから、通わずにはいられないさ。」
「ありがとうございます!」
そうして互いの近況を報告し合いながら、兄特製の「きのこパスタ」をおじ様が食している時だった。チリリンっと入口のドアベルが鳴ったので、私は振り向いて条件反射に声を掛けた。
「いらっしゃいませ!」
やって来たお客様を見た途端、完璧だったはずの営業スマイルも固まった。そこに居たのは、どんぐりみたいな目とあご髭、背が高いというよりは体格が良くて、鳥の巣頭みたいなパーマの男だ。何故だか分からないけれど、全身葉っぱまみれになっている。
「千紗!!会いたかったよぉー!」
猛ダッシュで駆けつけそのままぎゅうっと抱き締められる。その頃にはもう店にはおじ様以外にもお客様が居て、皆さん例に洩れず目が点になっていた。
いやいや、当然ですよね。いきなり現れた客が、従業員に抱きついてるんだもん。普通に考えればセクハラでしょ?さっきのおじ様としたハグとは、天と地の差ですから。その異様な光景の中でおじ様は苦笑い、兄は呆れ顔、当の私は怒りでしかめっ面だ。
「千紗ー!ずっとずっと会いたかったよ。俺の想像通り、やっぱり可愛くなってる!いや、想像以上だよ!?すごく綺麗になった。もう・・・どれだけ今日という日が待ち遠しかったか。」
ちょっとちょっと、あごヒゲが痛いってばぁ!!
擦り寄せられた頬を両手を使い必死に引き剝がして、私はそいつの身体を押しやった。
「やめなさい健斗!いきなり何なのよ、もう!!」
唖然としていたお客様にお詫びをして、私は健斗を無理やり引っ張って連れ出すと、説教を始めた。
「ちゃんと状況を把握してから行動してって・・・・何度言ったら分かるの?」
「ごめん。お願いだから許してよ、千紗。」
「健斗はさ、謝ったら何でも許してもらえるって、甘く見てるでしょう?」
「そんな事ないよ!」
「いーや、そんな事ある!だってこれで何度目?突発的に抱き付いて来る癖、私直せって言ったよね?」
「だってそれは」
「言ったよね!?」
「・・・・・・・言いました、ごめんなさい。」
俯いて肩を落とす健斗を見て、私はハアーっと深く息を吐き出した。さっきまでの笑顔全開の彼と、今の悲壮感漂う彼が、同一人物とはとても思えない。もう・・・・・・何でそんなに落ち込むのよ。ほんとは長い付き合いだから、分かってるんだよね。これが、健斗のやり方なんだって。感情表現を隠さない、いつでも真っ直ぐがモットーな人。単純に会えて嬉しかったから、抱きついただけ。そして怒られたから、反省してる。何でも素直に受け取ってしまう。私と同い年で、しかも大きな玩具会社のご子息だとは・・・いつまでたっても信じられない。
「分かった・・・・・・もう良いよ、健斗。」
そっと肩に手を置いて、叩く。
「私も、健斗に会えて嬉しいから。」
「ほ、ほんとに!?」
顔を上げた健斗の、一瞬で変わる表情が笑えた。
「うん、嘘じゃないよ。健斗、久しぶりだね。」
「ち、千紗ぁー!!」
またしてもいきなり抱き付かれて、私は可愛げも無く「うぎゃっ!」と声を上げた。
でも・・・ほんとの災難はそれだけじゃなかった。店に戻ろうと振り向いた私達の前に、ずっとずっと会いたかった人が立っていた。すらりと伸びた手足だとか、大人びた顔立ちとか・・・・・彼の姿がビックリするぐらい変わっていて、私はその時、声なんてとてもじゃないけど出せなかった。
いや、違う。本当はそれどころじゃない。
私の心は苦しくて、何だかとても切なくて。どうしてあの「慎ちゃん」が今まで見た事の無い様な眼差しで、私を睨んでいるかが分からなくって・・・・・・・ただ怖かったんだ。その痛みを慰める様に、風に吹かれた木立がさわさわと揺れ始めた。