2:兄と妹、そしてホットミルク
メニューは話数によって、随時追加します。
「ありがとうございました。」
お客様を笑顔で見送って、ドアを閉める。
時間は午後6時。これで今日も店じまいだ。
「お疲れ様。」
「お疲れ様でした、お兄ちゃん。」
安堵から、互いにほっと息を吐いた。
店内の片付けをして、食材のチェックを済まし、ようやく一日の仕事が終わる。
「お兄ちゃん、はいどうぞ。」
作りなおしたハーブティーを渡すと、新作メニューに頭を抱えていたコウ兄が顔を上げた。
「ありがとう。」
わざわざ私の目を見てからお礼を言う。こういう律儀な所、我が兄ながら「ちゃんとした人」だなぁと思う。親の躾によるものなのか、それとも性格なのか・・・・・。いや、両方なんだろうな。コウ兄を横目に、ふうふうとカップに息を吹きかけて一口飲む。
「美味い、今日はカモミールか。」
「そうだよ、明日はお休みだからね。」
頑張った身体を労わる様に、カモミールの香りと苦みがゆっくりと沁み込んでいく。
明日は、何をしようかな・・・。まず起きたら庭の手入れをして、街に出て買い出し、それからええっと。本屋さんにでも行こうか。小説と絵本の新刊、最近チェックしてないなぁ・・。
ぼんやりと妄想に耽っていると
「千紗子、良い物をやろうか。」
そう話し掛けられて兄を見た。コウ兄はさっと何かを差し出したかと思うと、すぐにまたそれを隠してしまった。一瞬だけ見えたのは薄い紙きれ。・・・・・どうしたんですか、一体。
「なあ、何だと思う?」
いかにも誘う様な、からかいの眼差し。コウ兄がそういう事をするのは珍しいので、私は問いよりもそっちに驚いて目を丸くした。いつだってこの人は、私に対して誠実で優しい。まあ、私にというか万人にも優しいけれど。
「ほら、早く知りたいだろう?」
だからさっさと当ててみろ、と言わんばかりの表情でコウ兄が笑う。あのねぇ・・・そんなの一瞬見せられただけじゃ分からないですよ。当てっこなんて無理ですからね、ム・リ!無言のままぷうっと頬を膨らませると、コウ兄はすぐにいつもの優しい表情に変った。
「そんないじけるなよな。ほら、これをずっと待っていたんだろう?」
改めて渡されたのはやはり紙だった。でもただの紙では無くて、私にとってみれば幸せへと続く魔法のチケット。当然のごとく顔には喜びが広がる。現金なものだよね。たったこれだけで、年甲斐も無くはしゃいでしまうなんて。
「うそっ、しんちゃん!?」
声が跳ねる。しかもデカい。女子としては間違いなく失格だ。でも、そんなの今は関係ない。
「そうだよ。良かったなぁ千紗子、今年はどうやら早いらしい。」
コウ兄と違って、私はその『魔法のチケット』もとい、慎ちゃんから届いた絵葉書から目を離せずにいて、そのままコクコクと頷くだけだ。情けないけどこれが精一杯。
『久しぶり、ちー。』
葉書はいつもの書き出しから始まっていた。続く文章も素っ気ない。けれど、そこには丁寧に書かれた文字があって、美しい筆跡は確かに彼の成長を物語っている。去年のお便りは『忙しいから行けない。』だった。けれども今年は違う。
『夏になったら、すぐに行くから。』
どうしよう。すごく嬉しいよ慎ちゃん。
たぶん一生懸命選んでくれたのだろう。綺麗な花の写真が付いたとても素敵な絵葉書は、すぐに私の部屋のコルクボードに飾られる事になった。カレンダーの隣にしっかりと、まるでカウントダウンを待つように並んで。
その日の夜、私は遠足前の子供みたいに寝付く事が出来ずに居た。本を開いてもそわそわしてしまい集中できないので、仕方なしにブランケットとホットミルクを持参して、庭に出る。春の星座が瞬く天を、ウッドチェアーに揺られながら仰いでみた。ホットミルクと欠けた月、そして約束された夏。キラキラと星が輝く度に「良かったね」と言われてるみたいで、すごく気分が良い。結局私は、2時間近く庭でぼーっとしていたらしい。終いにはコウ兄に「風邪ひくぞ」って怒られてしまった。
こんな風にただ無邪気に、慎ちゃんを待っているだけの毎日が今年最後になるなんて。この時の私は少しも気づいてなんかいなかった。いつまでもぬるま湯にばかり浸かっていると、人は弱くなるのだと直後に痛感する事になる。