9:赤薔薇のたくらみ
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ぷるぷると手を震わせながら、私は拳の準備をしている。思いがけない「接触事故」に、すでに報復は一発済ませた。でも足りない。全然気が晴れないし納得できない。いくら慎ちゃんといえども、叱るべき所は叱らなければ。これは大人としての役目だと思う。
「何ですか、今の・・・。」
しょうも無い事を聞きたくは無かった。それにどうせ好奇心だって分かっているし。16歳の少年なら、きっとそういう事に一番興味がある『お年頃』ってやつだ。しかしねぇ慎ちゃん、だからと言ってその興味を、向けて良い相手と悪い相手っていうのが居るんですよ。そして私は後者なんです。ちゃんとそこらへん見極めなさい。慎ちゃんほどの容姿の男の子なら、手近に居るってだけで経験値の低い私なんかよりもずっと、相応しい女の子が居るでしょう?こういう事は、釣り合った相手とするべきなのに。
しかし諭そうにも何と言ったら良いか分からず、思考だけがぐるぐると回った。先の見えないトンネル迷路。なんなら白ウサギでも追いかけて、ワンダーランドに潜り込みたい気分だ。
どうしよう、どうしよう。
この時の私の表情は、とんでもなく変だったと思う。眉間の皺と梅干しみたいに皺くちゃにすぼめた唇。心ここにあらずな目。どっからどう見ても苦悶の表情。
遊び半分でして良い事じゃないのよ?
何と言って説き伏せようかと混乱しまくっていた私をよそに、慎ちゃんは「あはははっ!」と、いきなり吹き出し、大声で笑い始めた。
「すごい顔してるよ、ちー。」
そして要らない台詞を平気で吐く。何なのよもう!!人の気も知らないで失礼でしょう!?私にさっき叩かれたくせに!頬だってリンゴみたいに赤くなってるくせに!可愛さあまって憎さ百倍。軽快に笑う少年を見て、怒りのあまり眩暈を覚えたのは言うまでも無い。しかもその姿が小憎たらしいほど絵になるのだから・・・人生って不公平だ。神様のバカ。慎ちゃんは散々笑い倒した揚句、今度は肩にかかる私の髪を、つんつんと引っ張った。一房取っては指先で絡め取る様に巻き付け、さらりと離す。
「誤解しないでよ?言われなくても分かってる。ちーはいつだって・・僕の事を大事に思ってくれてるって。」
耳の横へと移動した手のひら。親指が何度も何度も、私の頬を撫でる。そのくすぐったさで、心も小さく震動する。ほんと女慣れしちゃってる、この子ったら。
「嫌になるくらいちゃんと、分かってる。」
そうしてにっこりと、いつの間にか『身に付けた』らしい、あのキラースマイルをして見せた。それはもう・・・・例えようも無くキレイに笑った慎ちゃんに、私の心は急激に凪いでいく。こんな顔を見せられてしまうと、戦う気には一切なれない。どんなに意地悪をされても、ムカムカっと心がささくれだっても、彼の笑顔一つで嘘みたいにそれらは昇華されてしまう。昔からの刷り込み。まるでパブロフの犬のようだ。私はどうやら彼の前では、絶対的に敗者らしい。年上のクセに情けないったらない。
「ごめんね突然、キスしちゃって。」
キス。そうよね、私さっき慎ちゃんにキス、されたんだ。
「・・・・・・・もうこんな事、しないでちょうだい。」
悔し紛れに俯く私の耳元に、敵は愉悦めいた声で囁いた。
「でも、ほっぺただよ?」
「ど、何処だって一緒です!!」
場所なんて関係ないわよ。こういう事は、お付き合いする人としなきゃ駄目よ。誤解を招くわ。外国ならまだしも、私達は純然たる日本人でしょうが!
「そんな怒らないでよ。機嫌を直して、ね?」
からかい交じりの目をした慎ちゃん。目の前に彼の左手がまた伸ばされ、動きを止めていた右手を強引に掴んだ。合わさる手のひら。まるで寄せた波が返すように、自然に私達は手を繋ぎ、また歩き出した。さっきまでは不快に思っていたはずの指先の動きも、今では少しの抵抗も無く私は受け入れていた。というより、この状況じゃそうせざるを得なかった。だって拒んだら、意識してるって思われるじゃない。それって悔しいじゃない。負けた気がする。
結局、触れ合いの境界線は曖昧のまま、砂利道に伸びる影は一定の距離を保ちながらも、同じようにゆらゆらと揺れていた。一見すると元通りの空気。けれども彼が放った小さな棘は、確かに心の奥底を、じわりじわりといたぶり始めていた。そしてその傷も癒えない内に・・・・・・彼の唇は頬から別の場所へと移される事になる。
まずはほっぺにチュウから(笑)
ちっちゃなトゲほど見えにくくって、取りづらいものです。




