13話 “ありがとう”をもらった日
昼下がりの作業場には、薬草の香りが満ちていた。
マルトは最初よりも少し落ち着いた手つきで、薬草を刻んでいた。
ラナは隣で煮出しの準備をしながら、ちらと彼の手元を見やる。
「だいぶ、手つきが安定してきたわね」
「本当ですか?」
「ええ。緊張してると、指先に出るから。今は、ちゃんと呼吸できてる」
マルトは少し照れくさそうに笑った。
(まだまだだけど……最初よりは、きっと)
そのとき、扉のほうから控えめなノックの音がした。
「ラナさん、こんにちは……ユミが、少し熱を出してしまって」
入ってきたのは、ミナの友達・ユミの母親だった。手には小さな布包みを持っている。
ラナは手を止め、すぐに表情をやわらげた。
「どうしたの? 風邪?」
「ええ。昨夜から咳が出ていて、今朝も少し熱があるみたい。食欲は少しはあるけど、喉が痛いみたいで」
「喉の腫れと微熱ね。わかったわ。薬は、ちょうど煮出したところだったから、効くはずよ」
ラナは棚の上から包みを一つ取った。
そして、それをそっとマルトの手のひらに乗せる。
「これ、お願い。あなたが作ってくれた部分も入ってるから」
マルトは一瞬、目を見開いた。
自分が作ったものが、誰かのもとに届く。不思議な感覚だった。
「……はい。わかりました」
彼は包みを両手で持ち、まっすぐユミの母の前へ。
そこへラナが言葉を添えた。
「こちら、マルトくん。このあたりじゃ見かけない顔でしょう? 最近うちで手伝ってくれてるの」
ユミの母は、すぐにやわらかく微笑んだ。
「ああ、あなたが……ミナちゃんから聞いてます。森で助けてくれたって」
マルトは少し戸惑いながら、深く頭を下げた。
「……あ、えっと、はい。マルトといいます。これ……どうぞ。早く良くなりますように」
「まあ、ありがとうねえ。本当に助かるわ」
ユミの母は丁寧に頭を下げたあと、持ってきた包みをラナに差し出す。
中には干した果物と、きれいに洗った野菜がいくつか入っていた。
マルトは思わず尋ねる。
「これ、代金……ですか?」
ラナは笑って首を振る。
「代金じゃなくて、感謝の“お返し”。この村では、お金はあまり使わないの」
「じゃあ……みんな、こうやって?」
「ええ。助けられたら、できることで返す。それだけ」
ラナは、包みを軽く持ち上げて見せた。
「物を受け取るんじゃなくて、“気持ち”をもらうのよ。だから、返す側も無理をしなくていい」
「……いいですね。そういうの」
マルトの言葉に、ラナは少しだけ目を細めた。
「そうでしょう? 気が楽で、あたたかいわよ」
それから、ユミの母は軽く挨拶を済ませると帰っていった。
夕方、作業がすべて終わり、道具を洗って片付けているときだった。
ラナがふと、空を見ながらぽつりと言った。
「今日は、ありがとう。本当に助かったわ」
「いえ。でも、俺の作ったものが誰かの役に立つって、不思議です」
「でも、それが“仕事”ってものじゃないかしら」
ラナの言葉は、静かだけどどこか重みがあった。
マルトはしばらく黙ったまま、濡れた布をすすいでいた。
(仕事、か……)
(前の世界では、いつも“指示されたこと”をやってたな。時間通りに出勤して、言われた通りに動いて……)
(誰のために何をしてるのか、深く考えたこともなかった。考えても意味がないと思ってた)
(結局、お金をもらうためだけに働いてた。生きていくには、それで十分だったけど――)
(“助かる”って言われたの、前世の仕事では……思い出せない)
ふと浮かんだユミの母の笑顔と、「ありがとう」の声。
少しだけ、胸の奥が温かくなる。
夕日が差し込む作業場の中で、片付けを終えたマルトは静かに息を吐いた。




