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第03話


 春の柔らかな日差しが館の中庭を照らし、庭の草木が芽吹き始める。

 エリナは、亡き領主夫人が大切にしていたという小さな庭にしゃがみ込み、土をほぐしながら若葉の成長を確かめていた。

 指先に触れる土の感触、ふわりと香る花の匂いが、心の奥の緊張を少しずつ解きほぐしていく。


「……根がちゃんと張ってる。これなら大丈夫ね」


 呟く声が微かに風に乗り、庭に溶けていく。

 ふと頬を撫でる風が心地よく、エリナは目を細めて空を見上げる。

 雲一つない青空が広がり、鳥のさえずりが響く。

 かつての伯爵家での日々にはなかった、静かで穏やかな時間がそこにあった。


 この館の使用人たちも、エリナを温かく迎えてくれた。

 必要以上に詮索せず、自然に接してくれる彼らの姿勢が、彼女の心を少しずつ和らげていく。

 朝食の後にはメイドであるマリアが庭の花の世話を手伝ってくれ、執事のグレイは必要な帳簿や記録を整えて持ってきてくれる。

 そんな日常の積み重ねが、少しずつエリナは自分の居場所がここにあるのだ、という感覚を少しずつ芽生えさせてくれた。


 そんなある日、領主である父の兄、オスヴァルトが庭を訪れる。

 年の頃は六十を過ぎ、白髪交じりの髪を後ろで束ね、穏やかな笑みを見せてくれる人物だ。

 杖を片手に、ゆっくりとした足取りで近づきながら、エリナに声をかけた。


「――ようやく、この土地の風にも慣れてきたかな、エリナ」


 その問いかけに、エリナは小さく笑みを浮かべて頷く。


「はい、おじ様。まだ少し戸惑うこともありますが、皆さんが優しくしてくださるので……」

「それならよい……人の温かさというものは、血筋や地位を超えるものだからな。無理せず、ゆっくり過ごしなさい」


 オスヴァルトの言葉は優しく、しかし芯のある響きを持っていた。

 彼の存在が、この館を穏やかに包む大きな支柱のように思え、エリナは胸の奥で少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。

 ふと、背後から気配を感じて振り返ると、そこにはアレクの姿を見つけた。

 庭の入口に立ち、片手に小さな木箱を抱えている。

 彼は鎧を脱いだ簡素な服装で、顔には淡い笑みを浮かべていた。


「――少し、手伝えるかと思ってな」


 そう言って彼が差し出した箱の中には、種袋や新しい苗がぎっしりと詰まっている。

 それを見たエリナは驚き、思わず声を上げる。


「これ……こんなにたくさん、どうして……?」

「昨日、村の市場に行った。お前が花を世話しているのを見て、少しでも役に立てたらと思ったんだ」


 アレクの不器用な笑みが胸にじんわりと染み込む。オスヴァルトも微笑を深め、目を細めながら言った。


「アレクは昔から優しい男だ……お前が来てから、彼の顔つきも少し柔らかくなったように見える」


 その言葉にエリナの頬が赤く染まり、アレクはわずかに照れたように視線を外した。

 小さな風が庭を通り抜け、花々の香りを運んでいく。


(……良い匂い)


 花の香りを感じながら、エリナは胸の奥で、静かにこの場所が「新しい居場所」になりつつあった。



   ▽



 夕暮れが近づき、柔らかな光が庭を朱色に染め始めた頃。

 庭の片隅で、エリナは新しい苗を植え終えた後の片付けをする。

 手のひらに残る土の感触がひんやりとしていて、ふとした拍子に小さなため息が漏れる。

 静かな風が草花を揺らし、どこか寂しげな空気が漂う中、背後から足音が近づいてきたことに気づき、エリナはそっと振り向いた。


「……エリナ」


 その声は低く、わずかに震えているように聞こえた。

 エリナは目を見開き、驚きに息を呑むと、そこにはアレクが立っていた。

 真剣な表情で、瞳には決意の光が宿り、春の穏やかな空気すら張り詰めたような感覚を覚える。


「どうしたの、アレク?」

「……俺の話、少し聞いてもらってもいいか?」

「ええ……もちろん」


 思わず声を絞り出し、エリナは息を浅くした。

 心臓が早鐘のように鳴り、何かが起こりそうな予感に胸がざわめく。

 アレクはゆっくりと息を吸い込み、慎重に言葉を選びながら語り始めた。


「俺は……お前があの男にどれだけ尽くしてきたか、知ってる。お前が笑顔を失っていくのも、声を殺して泣いていた夜も、全部……見てきた」


 その言葉が、胸の奥に鋭く突き刺さる。

 エリナは息を呑み、無意識に視線を逸らしたくなる衝動に駆られた。

 けれど、アレクの視線が逃さず、静かに、強く彼女を見つめ続ける。

 奥底に押し込めていた痛みが引きずり出されるようで、エリナは震える肩を抱きしめたくなった。


(──なぜ、今になってそんなことを言うの?)


 心の奥で問いかけながらも、アレクがそっと手を伸ばし、エリナの手を優しく包み込んだ瞬間、思考が一瞬止まった。

 すごく、温かく感じる。

 大きくて、力強いのに、恐ろしく優しい掌。

 その温もりが、指先から胸の奥へとじわじわと広がっていく。


「……お前は、十分に頑張った。だから、これからは俺が傍にいる……お前が泣く夜も、笑う朝も、全部。俺が見届けたい」

「……え……?」


 その言葉が信じられず、エリナは大げさなほど目を見開いた。

 心臓が鼓動を早め、耳の奥で脈打つ音が響き続ける。

 息が浅く、胸が熱くなり、思わず問い返してしまった。


「そ、そんな……嘘、でしょ? 嘘だよね?」


 震える声に、アレクは微かに笑みを浮かべ、静かに首を横に振った。

 その仕草は確かな意志を秘めていて、決して冗談などではないと告げていた。


「嘘じゃない。本気だ」


 その一言が、胸の奥に重く沈み込み、熱い波が全身に広がっていく。

 嘘じゃない──その言葉を信じたい、けれど信じきれない自分がいて、胸の奥がきゅっと締め付けられる。

 涙が滲み、頬が熱くなる。


「……アレク、本当に……私でいいの?」


 消え入りそうな声で絞り出すと、アレクは力強く頷き、もう一度彼女の手をしっかりと握りしめた。

 その温もりが、何よりの答えだった。

 震える指が彼の手に触れ、エリナはついに堪えきれず、涙を零した。


「もちろんだ……これからは、俺が守る。何があっても、必ず」


 その言葉が、夕焼けに染まる空の下で静かに響き渡り、柔らかな風が二人の間をそっと撫でる――エリナは震える指で彼の手を握り返し、胸の奥でそっと願った。


(……また、笑えるかな、私)


 そんな事を考えながら、心の奥で小さく考えた。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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