8.船の湯舟
予想通り、浴場はケットシー族の皆さんと一緒に入れるほど大きかった。
ぎゅうぎゅう詰めになれば50人は入れそうだ。
浴場は白の大理石で、見事な彫刻が壁と天井を彩る。
彫刻は翼を持った猫や犬、馬だったり。
リディアル帝国で頻繁に用いられるモチーフだ。
いわゆる天使のような、翼を持った人間はいない。
帝国の複雑な成り立ちから推し量れるけれど。
紫色の湯はほどほどにぬるめだ。
疲れた全身の血行が開いていく。
「はぁ~、しみわたるぅ~……」
肩まで湯につかり、深く息を吐く。
どことなくラベンダーの香りがする。
一緒に入浴しているキャサリンもほっとした顔だ。
「どうですかにゃ。ラベンダーの湯ですにゃ」
「あー、道理で……。とてもいいです」
「肌にも毛並みにも最高ですのにゃ」
見ると一緒に入っているメイドもほわほわしている。
本当に和む光景だった。
しばらく湯に浸り、皆と談笑して……。
湯船から出るとキャサリンの瞳が燃えていた。
「さぁ、そろそろ髪をお洗いしますにゃ!」
「……気合い入ってない?」
「失礼かもしれませんが、ソフィー様の髪はちょっとどころでなく傷んでおいでですにゃ! 元はとても綺麗なのに……お手入れが必要ですのにゃ!」
メイドも全員、力強く頷いている。
「ソフィー様に仕えていた方々はどうなさっていたのか、とても疑問ですにゃ!」
「せっかくの髪ですのにゃ! しっかり整えますのにゃ!」
ということで、私はケットシー族の皆さんに髪をお手入れしてもらった。
上質のきめ細やかな石鹸、トリートメント……。
もこもこハンドで私の肩口くらいまでの黒髪がもみもみされる。
思えば、あの館で髪をお手入れしている時間なんてなかった。
クーデリアが許さなかったし……。
それが今は全身、しっかりと磨き上げられていた。
爪の先から足の先まで。
正直、他人に晒して自慢になるような肌じゃないけれど……。
同年代と比べるとかなり酷いはずだ。
でもキャサリンは使命感に突き動かされていた。
「お肌と髪は命ですにゃ!」
「ですにゃー!」
うぅ、涙が出てきそうだ。
こんなに温かい気遣い、この世界ではされたことがない。
実家でも婚約者の所でも。
……あれ?
そうだ、実家にも挨拶しないで来ちゃったな。
まぁ、別にどうでもいいや。
フィリスと婚約してから実家とは連絡を取っていない。
売られたんだから、当然か。
そもそも大切にしてもらった記憶もないけど。
薄情な親だったなぁ……。
「どうかなさいましたのですにゃ?」
「えっ……いえ、何でもないです」
とっさに平気な振りをして、ごまかして。
表情筋の操作もすっかりうまくなってしまった。
でも、キャサリンはぷにっとした手で私の頬を挟む。
――何かを見抜いているかのように。
「わたくしは名誉にも陛下よりソフィー様の世話を仰せつかった身ですにゃ。ですが、それ以上にソフィー様に敬意を持っておりますにゃ」
「…………」
「我が帝国に流通するだけのポーションでも、たくさんの人が救われましたにゃ。あれほどのポーションを作れる人が……こんなお肌と髪でいて、いいはずがありませんにゃ!」
それはキャサリンの嘘偽りのない想いだったのだろう。
だからか、私の胸をまっすぐに打った。
狭くて、暗くて。
穴倉のような終わりのない労働の日々。
ただひたすら王子のために費やした日と代償にさせられたモノ。
本当は気に入っていて、大事にしたかった私の黒髪。
鏡を見るたびに嫌でも目に入る肌荒れ。
華やかな生活がしたかったわけじゃない。
せめて人並みに自分を大切にしたかっただけ。
……大帝国の皇帝直属のメイド長に隠し通せるはずもなく。
(うっ……)
私の目尻から涙がこぼれてしまった。
♢
それから小一時間後。
ソフィーを寝室へ送ったキャサリンは空中船の皇帝執務室でアズールに報告をしていた。
「――ということで、今はしっかりお休みしておりますにゃ」
からっと揚げたポテトをかじりながら、アズールは書類に目を通す。
しかし耳と意識はしっかりとキャサリンに向いていた。
「ご苦労様。変わったことは?」
「特にありませんのにゃ」
キャサリンはソフィーの涙の件を伏せていた。
メイド長としてキャサリンには広範囲の権限がある。あの件について、報告しないほうがいいとキャサリンは判断していたのだ。
「……実家について、何か言ってた?」
「いいえ、ありませんのにゃ」
「そうか……ふーん」
アズールがこきりと首を鳴らす。
どうやらアズールの予想通りだが、良くない予想だったようだ。
ふと、思いついたことのようにアズールが喋り出す。
「帝国への帰り道、ちょっと寄り道しようかと思うんだけどね」
「どこへでしょうにゃ?」
「ソフィーの実家。セリアス公爵家さ」
アズールが笑う。
キャサリンとアズールの付き合いはかなり長い。
この笑いが敵対者に対する宣戦布告だと気付かぬ者は愚かだ。
彼の真意に気付いた時には、もう遅い。
アズールを見抜けない者に待つのは破滅だけなのだから。
「君の意見はどうかな?」
「よいお考えだと思いますにゃ」
キャサリンははっきりとそう答えた。
「各部門長に戦闘準備を整えておくよう、申し送りしておきますにゃ」
「ああ、頼むよ。婿として、手抜かりのないよう挨拶しないといけないからねぇ」
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