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信じぬ者の行き先

作者: 雉白書屋

 夢心地……いや、天にも昇る気持ちとは、まさにこのことだ。

 どこからか聞こえる笑い声と雲、それに朝陽のような、ややオレンジがかった淡い光に囲まれた階段を上がりながら、男はそう思った。

 不思議な事に自分が死んだことに対してそれほどショックは受けていない。

 むしろ喜ばしい。そう、生きるとは縛られ不自由だ。食べ、眠り、排泄し、働き、蔑まれ、嘲笑に暴力。そういったものすべてから解放されると、こんなにも清々しい気持ちになれるのか。


「おい。前、進んでるぞ」


「あ、すみません」


「チッ」


 感慨に浸っていた男は慌ててまた階段を上る。

 今、男はこの恐らくは巨大な塔。その回り階段を上がる者たちで形成された列の中にいる。

 この先にあるのは恐らく、いや十中八九、天国。しかし、進みが遅い。もしかしたら入国審査のようなものがあり、素通りとはいかないのかもしれない。

 天国どころあの世自体、魂があることさえ信じてはいなかったが、こうなったら是が非でも行きたいものだ。


 しかし……そう、審査か。そう思い、男の内にふと湧き出た不安感。

 自分が天国に行くに値する人間かどうか。うろ覚えだが、どの宗教でも殺生は禁じられているはずだ。尤も、人はもちろんのこと小動物を殺したこともない。ただ、虫は殺した。他にもそう、嘘もついたことがある。

 罪。どこまでが許されるのだろうか。それとも点数式なのだろうか。良い事をすれば帳消しに、とそんな具合に。それならばきっと大丈夫だ。だって……

 男は考え、また立ち止まり、また後ろの者に催促されまた上る。そして……



「はい、どうも。ここで一回審査します。問題なければまた階段を上っていただきます」


「ど、どうも、よ、よろしくお願いします!」


 検問所のようなところだなと男は思った。

 ここで『一回』審査するということは、もしかしたら定期的にこういった場所があるのかもしれない。そうやって天国に相応しい人間かどうかを判断するのだろう。

 ここでは例えば殺人の有無や犯罪歴。思えば後ろに並んでいるあの人。どう見てもヤクザ。きっとここで落ちる、いや堕ちるのだろう、地獄に。ざまあみろ。ここまで散々人を小突きやがって、と男は内心ほくそ笑んだ。


「ではまず、はい、どちらの宗教に入られてますか」


「えっと、特にありません」


「何か崇めているものはありますか」


「崇め……いやぁ、特には」


「そうですか、では先には進めません。はい、次の方どうぞ」


「はい、ありが、え?」


「うーす、よろしく」


「はい、どちらの――」


「いや、ちょっと!」


「はい?」

「なんだよ、邪魔すんなよ。俺の番だぞ」


「いや、その、え? 僕、天国に行けないってことですか? え?」


「はい」


「いや、は? なんで? え?」


「おい、どいてろよ!」


「え、その……」


 男はグッと押し黙った。そのヤクザの顔を恐れたのもそうだが、ここは一旦落ち着き、様子を見ようと考えたのだ。なぜなら、あのヤクザも必ず地獄行き――


「はい、なるほど。では先にお進みください」

「おう」


「いやちょっとぉ!?」


「はい?」

「あんだよ」


「いや、なんで、え? なんでその人はいいんですか!」


「なんだよ、文句あっかよ」


「いやぁ、そのぅ……でも、ヤクザ、さんですよね?」


「ん、まあな。ははは、よその組との抗争でな、死んじまったんだよ。ほら、背中見てみろよ。傷あるだろ?」


「いいですよ見せなくて、それよりその、人を殺した経験とかは……」


「あん? お前に話す筋合いあるか? まあ、へへへ、俺に楯突いた奴は何人か死んだなぁ」


「うわわわ、ほ、ほら! 聞いてたでしょ? 悪人でしょこの人! 地獄行きですよ地獄ぅ!」


「あぁ? てめえ、ぶち殺すぞ」


「うわもう、言い慣れてる感がすごい。と言うか、もう僕らは死んで……いや、そんなことどうでもいいんです。どうして僕が駄目でこの人が」


「あなたは、信仰するものがないんですよね?」


「え? ああ、はい」


「だからです。ここで確認するのはその有無のみ。

また階段を上っていただき、先にある次の審査所で殺しの有無といった現世の罪などは調べますので」


「だとよ、へへ、じゃあな」


「いや、あなた、そこで落ちるでしょ……。

いや、あの人のことはもうどうでもいいんです。

どうして宗教に入っていないと先に進めないんですか! 説明してください!」


「はい、あなたは生前に神を、天国や地獄の存在を信じていましたか?」


「え、いや、信じてなかったですけど」


「死んだらどうなるとお考えでしたか?」


「え、まあ無になるとか」


「はい、つまりはそういうことです。

天国、地獄の存在を信じていない者に、提供できる場所はないというわけです。

人間は死後、それぞれ信仰する宗教の天国や地獄に分けられるのですからね」


「え? そんな、いや、いやいや、どこでもいいから行かせてくださいって!」


「次の方ー」

「はい、どうもよろしくたのんますぅ」


「ちょっと、まだ話は終わってませんよ!」


「どちらの宗教に入られてますか?」

「いやぁ、特には、へへへ」


「え、え? ほら、やった! 他にもいた!

はははっ、というか別に不思議なことじゃないでしょう。

誰も彼も天国や地獄の存在、神を信じてなんて……」


「何か崇めているものはありますか?」

「んんぅ、崇めているものぉ? ああ、パチンコ! パチンコの神様かなぁ。

新台を打つときに祈ってなぁひひひ、いやぁ最高だったなぁ」


「はい、では先へどうぞ」


「いやちょっとぉ!?」


「なんですか? 業務の邪魔なのですが」


「いや、はぁ? なん、え、崇めるってそういうことでいいの!?」


「はい」


「この人、別に神様なんて信じてないですよ!」


「天国にもパチンコあるかなぁ」


「あるか!」


「ありますよ」


「あるんかい、いや、そんなことよりもそれなら僕だってほら、おなか痛いときとか神様に祈ったり」


「ああ、下痢神様の」


「下痢神……」


「ですが、その信仰は一時的なものですよね?」


「そりゃそうでしょ。ずっと下痢だったらむしろ神を憎みますよ」


「じゃあ、駄目ですね。先程の方は確かに強い信仰心がありましたし、そもそも神や天国の存在もぼんやりとのようですが信じていましたから」


「あのヤクザもですか……ああ、確かに背中の入れ墨にお釈迦様か何かが彫られていましたもんね。

いや、でも僕だって初詣だってまあ、毎年じゃないけど行ってたし将来は、いや、今頃きっとお経上げてもらって墓の中にいるだろうし……」


「あなたの場合、事務的なもので信仰とは違いますよね?

それにさっき死んだとは無になるとご自分で仰っていましたし」


「ま、まあ……そうですけど……」


「次の方どうぞ」


「いや、ちょっと、あの……」



「え? むふふ崇めているものですか?

ありますよぉRev.from10eyeヘヴンシスターズというねアイドルグループがまさに神でして!」

「崇めているものぉ? それはこの筋肉だな! このシックスパックぅぅ、ふぅぅ」

「崇めているものはそうですね、プロ野球チームの――」

「アニメ」

「アーティスト」

「アイドル」

「天心教」

「神正会」

「法神宗」

「ビーシージーエル本部」

「光の宝珠団」

「バゴプパロトト連盟」

「大宇宙大福大神教」

「パーフェクトファンタスティック教」

「神総真理教」

「全一教会」

「ペペロンチーノ教」

「ヒッチ・リック団」

「たんぽぽポカポカ教」



「……あの、あの」


「はい」


「しばらく大人しく様子見てたんですけど……もう、何でもいいんですね、宗教とか信仰って……」


「はい。実際、心のどこかで神を、天国や地獄の存在を信じていればいいので、むしろここで審査に落ちる方が稀ですね」


「にしたって審査が緩いというか」


「ここは第一審査所ですからね。第二、第三と続きますので」


「……はぁ、それで、僕はどこから行けばいいんですか?」


「はい?」


「地獄行きなんでしょ? 軽めでお願いしますよ。で、どっかに扉とか」


「いいえ、あなたは地獄の存在も信じてはいなかったでしょう?」


「え、ああ、まぁ」


「無です、無。無信仰はどちらにも行けないんですよ」


「え……はは、じゃ、じゃあ、ど、どうすれば」


「先程みたいに列の邪魔にならないよう避けくださればいいですよ。勿論、これより上には行けませんけど」


「え、え、じゃあ、ホ、ホームレスみたいにこの辺でウロウロしてろと?」


「できれば隅に座っていて欲しいですね」


「じゃ、も、も、もう言いますけどね、ぼ、僕はね、お、女の子を助けたんですよ!

車に轢かれそうなった女の子をぉ! 見てたら、危ないって思ってぇ!

それで死んだんですよ! そのせいで! ぜ、善人! て、天国行きでしょう!? ふざけるなよ!」


「でも天国の存在を信じてはいなかったので。あなたがそう信じていたように、はい、無です」


「僕は女の子を! あ、じゃ、じゃあ彼女が僕が崇める存在だ!

だってそうでしょ!? 彼女のために死んだんだ! この身を捧げた僕は殉教者だ!

愛だよ愛! ほら、何でもいいんだろ信仰対象は!」


「小さい女の子が大好きと……それはどの道、天国行きは無理そうですね」


「う、うるさいな!」


「それにあなたに見られていたから、その子は気味悪がり、離れようとして道路に」


「そ、そ、そんなことはどうでもいい! いいから上へ! 上へ!」


「駄目です。お下がりください」


「だ、大体、おかしいじゃないか! 他の――」


「おい! どけよ!」

「そうだ! 後がつかえてるんだ!」

「邪魔だよ馬鹿」

「うせろデブ!」


「う、うるさいなぁ! クソッ、見んな! クソッ、あ、押すな! 押すなよ! 触るな、あ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


「あーあ、落ちてしまいましたね。はい、次の方、どうぞ」




 男は落ちた。落ち続けた。時々、雲の隙間から階段が見える。しかし、変わり映えのしない光景。

 一体いつまで続くのか。

 この下にある地獄にはいつ到着するのだろう。

 

 ――無ですよ、無


 落ちる最中。ふと、あの審査係の言葉が頭に浮かんだ。

 無とは何か。何もない。始まりも終わりも。

 やがて男の悲鳴は笑い声に変わった。

 そして、その頃にはなぜ自分と同じように第一の審査に落ちた者を見かけなかったのかを理解した。

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